赤城と烈風
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反撃の調整者
1918年10月30日ムドロス停戦協定調印後、オスマン帝国領分割の競争は激しい。
シリア進駐フランス軍2万前後は黒海沿岸まで領有、小アジア半島の南北縦断に挑む。
半島の南岸アンタルヤ揚陸イタリア軍5千前後も動き、イスタンブル東側に進撃を試みる。
1919年3月18日、フランス海軍の戦艦2隻が黒海に渡った。
ボスポラス海峡の東側サカリヤ県占領の際、陸軍の要望で実施の援護射撃は評価が高い。
国王アレクサンドロス1世擁立、背後で操る野心家も動く。
半島西岸イズミル港を補給線中継地として掌握、東ローマ帝国再興を狙る。
フランス軍の幕僚に提携を諮り、代償として戦艦1隻を得た。
5月19日《灰色の狼》は独立闘争の旗を掲げ、各地から脱走兵達が集う。
1920年1月20日以降フランス軍の進撃は滞り、2月11日トルコ軍の南部マラシュ奪還も響く。
不正規兵達は繰り返し峻険な隘路、小アジア半島中部山岳地帯の細く長い補給線も襲う。
6月18日以降イタリア軍の前線に車両用燃料、食糧は届かず帰郷を望む声が増す。
8月10日セーブル条約締結の際、日本賠償艦に『冷酷者』追加案が通った。
各国海軍に『金剛』『比叡』派遣、現地で修理の間は警備と報せ有坂銃を積む。
35年式海軍小銃は弾道の直進性良好、反動も弱く、命中率に優れる。
英国陸軍2万挺、帝政ロシア陸軍35万6千挺、6.5ミリ銃弾3千万発購入後の評価も高い。
10月ギリシア軍の東トラキア進撃、英国海軍の艦砲射撃が援護された。
翌月トルコ南東部駐留フランス軍は威嚇射撃、大砲の轟音に驚き後退に転じる。
1921年1月6日アレクサンドロス1世の急死後、10日ギリシア軍は要衝イノニュ高地を襲う。
3月30日イズミル港に英国製の機関銃、大砲、戦車、飛行機、4万前後の増援が着く。
7月10日ギリシア軍10万前後が動き、16日《灰色の狼》も最前線を訪れる。
徹底抗戦を望む勇者達は撤退、疲労回復を命じられた。
8月13日ギリシア軍エスキシェヒル進出後、フランス軍は提携していない。
小アジア半島北西地域ブルサ等を譲渡、漁夫の利を狙う。
アンカラ西方約80km、南北95km前後の峻険な崖が侵攻軍を阻んだ。
コンスタンディノス1世の陣頭指揮、物量攻撃に急造陣地は耐え膠着状態が続く。
不正規兵達は侵攻軍の補給線、隘路を襲い弾薬や食糧を奪う。
サカリヤ河東側の塹壕陣地は軋み、数週間後に崩れた。
侵攻軍は臨時首都アンカラ西方、50km地点に進む。
9月12日《灰色の狼》も動き、防衛軍に配置転換の命令が届く。
ギリシア軍は南北挟撃、両翼包囲運動を擬態の罠に嵌った。
不正規兵達の実績も敵中孤立、退路遮断の恐怖を誘い焦慮が募る。
恐慌状態に陥り潰走、約200km撤退の責任者は特定し難い。
《灰色の狼》は侵攻軍追撃を認めず、補給線の構築を急いだ。
10月20日アンカラ条約締結後、フランス軍は撤退の準備を急がず情勢を見守る。
12月1日パリ駐在中昇進の海軍少佐、井上成美に再び賠償艦を獲得の命令が届く。
イタリア海軍は戦艦1隻を譲り、ドイツ製の軽巡洋艦3隻を獲得の提案に乗る。
大英帝国海軍も戦艦2隻の購入、解体業者より高価で転売を認めた。
1922年1月フランス軍が動き、小アジア半島の南東部占領地を離れる。
8月26日《灰色の狼》も進撃を認め、9月8日イズミル奪還に道を開く。
ギリシア軍が撤退の際に焼失、廃墟と化した家屋は多い。
『東慶丸』は積荷を棄て、約800名の避難民を乗せた。
『乗船者に髪の毛一筋でも触れた場合、日本船舶に対する海賊行為と見做す』
姓名不詳の船長、謙譲の美徳を惜しむ声は多い。
ダーダネルス海峡西岸フランス軍の撤収後、10月ローザンヌ講和会議が開催された。
国連委任統治領に帝国領ペルシャ湾沿岸指定、産油地帯分割等の離間策が英仏伊代表を襲う。
各個撃破の罠に嵌まり、利害関係の調整は難航が続く。
心理戦で疑心暗鬼を煽り、1923年7月ローザンヌ条約締結に導いた賢者の評価は高い。
・1920年8月10日、日本賠償艦に指定(後に解除)
巡洋戦艦『冷酷者』(50口径280㍉砲5基10門、45口径150㍉速射砲12門、25.5㌩)旧名『ゲーベン』
戦艦『トルグト・レイス』(40口径280㍉砲2基4門、35口径280㍉砲1基2門、35口径105㍉砲2門、10㌩前後)〃『ヴァイセンブルク』
・トルコ海軍に寄贈
駆逐艦『S60』『V127』『S51』『V80』
大型水雷艇『T181』
・イズミル港に繋留の海上砲台、重火力陣地と列強に通知
戦艦『越前』(45口径343㍉砲5基10門、50口径152㍉速射砲16門、21㌩)旧名『エリン』、竣工時『レシャディ』
〃『越後』(〃7基14門、〃20門、22㌩)〃『エジンコート』、〃『皇帝オスマン1世』
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