| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

無名の戦士達の死闘

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第五章


第五章

 鈴木はロッカーに向かった。その背に追いすがるようにグラウンドからの歓声が聞こえてくる。彼はロッカーに着くと一人で泣いた。
「また負けてもうた・・・・・・」
 彼は一人泣いていた。
「何で俺はいつもこういった時に勝てんのや・・・・・・」
 昭和四四年の最終戦でもそうであった。近鉄と阪急、奇しくもこの日と同じカード、この時の近鉄の監督は魔術師と謳われた三原脩、阪急は西本であった。かって昭和三五年のシリーズでぶつかり合った二人が再び刃を交えたのだ。
 鈴木はこの時も先発であった。しかし先程痛打された長池に決勝アーチを浴び敗れているのだ。
 それから大事な時には常に登板してもことごとく打たれた。彼は被本塁打の多いことでも知られていたのだ。
 試合は終わった。四対二で阪急が勝利した。山田の好投の前に近鉄は結局二点しか取れなかったのだ。
 この日の優勝は逃した。だが阪急が連敗すればまだ望みがある。しかし阪急は強い。これで誰もが終わったと思った。藤井寺は秋の夕闇の中に消えようとしていた。
 選手達は球場内の食堂に集まっていた。今シーズンの納会である。
 本来なら後期優勝の祝勝杯となる筈であった。しかしそれはならなかった。
 テーブルにはビールと寿司、そshちえオードブルが置かれている。選手達はそれを前に座っていた。
 西本が来た。彼は選手達を前にすると微笑んで言った。
「この一年、有り難う」
 そう言うと選手一人一人にビールを注いで回る。それを見た鈴木はハッとした。
「監督、辞めんといてくれ!」
 彼は席から立ち上がって叫んだ。
「俺達を見捨てんといてくれ!」
 彼は泣いていた。人目をはばからずに泣いていた。
 他の選手達も同じであった。皆西本以外の将など考えられなかったのだ。
 西本は彼等の顔を見た。そして一言言った。
「有り難う」
 彼は実は今シーズン限りで監督を辞めるつもりであった。春先から体調を崩していたのだ。胃潰瘍であった。彼はそれをおして指揮を執っていたのだ。
 西本はこの時辞めるつもりであった。だが彼を愛する者達がそれを引き留めた。
 選手達だけではなかった。ファンも球団も、そして親会社である近鉄本社までもが彼を説得した。皆彼を心から愛していたのだ。
「・・・・・・・・・」
 西本は決意した。そして彼は再び指揮を執ることを決意した。
 次の試合阪急は勝った。こうして阪急は前期、後期共に優勝しパリーグを制した。日本シリーズではセリーグをはじめて制したヤクルトが相手だった。
 阪急有利、日本の声はそれに満ちていた。皆ヤクルトが勝つとは思っていなかった。しかし。
「上田君、わしが頭を下げても駄目だというのか!」
 金子鋭コミッショナーがグラウンドで顔を真っ赤にして叫ぶ。日本シリーズ第七戦、後楽園において大騒動が起こっていた。
「あんな審判では信用できませんわ、審判を代えてくれまへんか!」
 あの温厚な上田が激昂していた。彼は左翼のポール下で執拗に抗議を繰り返していた。
 ことのはじまりは六回裏であった。ヤクルトの攻撃である。打席にはヤクルトの主砲大杉勝男がいた。投手は足立光宏。彼はアンダースローから投げた。
 大杉のバットが一閃した。打球は左翼スタンドに高々と上がった。
「入ったか!?」
 皆打球の行方を見守る。大杉もバッターボックスで見ている。
 ヤクルトベンチが一斉に出て来た。皆打球から目を離さない。
 足立は彼等の動きと打球の動きを見ていた。打球はレフトポールの上の辺りを越えてスタンドに入った。
 それを見たヤクルトのベンチは皆帰っていった。足立はそれとボールを見て顔を打席にいる大杉に戻した。
(ファールやな)
 彼はそう思っていた。だが線審の手が回ったのだ。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧