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あさきゆめみし―青の祓魔師―

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紅の雨 その三 そして、…雨は静かに降り出した

 雨上がりの六月中旬、少女は広大な庭の門前にいた。

 昨日に続いて吹いた強い風は雨を呼び、庭に潤いを与えたがしえみの心には落胆を与えたようで、赤い番傘を差したまま仰ぐ顔は曇っていた。

 あれから約一ヶ月、彼女は突如としてその姿を消してしまった。

「いなくなった」ではなく「消えた」のだ。



(……結局、あの人の名前聞けけなかったなあ)



 あの艶かしい唇が何か言の葉を紡ごうと動かした瞬間にすうっと、大気の中に消えてしまったのだ。

 その場に残された三人は一瞬のことに呆然と佇んでいたが、何かに弾かれたように来た時と同様に突然部屋を飛び出しては広い庭内を当てもなく探し続けたが収穫は全くなかった。

 その探索は翌日塾生を交えて行われたが結果は同じくなく、今ではそれさえも打ち切られてしまっている。

 それでもこうして雨が降るとあの人がどこかで倒れているようで、土の匂いで占領された外界に捜し歩くがやはり何の進展もつかめないままでいた。


「泣いている場合じゃないのにっ…わ、私ったら」


 しかし、こうも徒労が続くとマイナスな気持ちになってしまう。

 もしかして、もう……と考える度に何度もジワッと涙腺が緩んだことか知れない。

 必死に着物の袖で拭った所でまた溢れてくる。

 本当に彼女はもう……。


「…そう泣いてくれるな」


「えっ…」


 その時だった。

 目の前をいつか見た艶やかな真紅の桜の花びらが数枚過ぎり、その中でふうっと舞うように現れた存在に見覚えがあった。


「どこに行ってたんですかっ!急に消えたりしてっ……わっ私が…皆がどれほど心配したと思っているんですかっ!!」


「すまない…些か……いや、かなり陰険な者に呼び戻されてな。皆に何の挨拶も無しに帰ってしまったこと、本当にすまないことをしたと反省しておる」


「あっ…」


 衣擦れの音と共に地面に番傘が落ちたが、今の少女にはそれはどうでも良かった。

 目の前がいきなり真紅一色に覆われ、微かな香の匂いが鼻を擽る。


「……そなたに泣かれると弱い。笑ってはくれぬか?」


 そう言うが早いか、目の端に溜まったままの涙を袖に吸わせる。

 それは、この艶かしい色香を放つ女性と共に消え失せたあの艶やかな着物に良く似ていた。


「足はもう大丈夫なんですか?」


 確か、彼女は魔障にかかってはいなかっただろうか。

 しえみの記憶が正しければそれは首の下まで達していたはずだ、それなのに何故こうも優雅な物腰で立っていられるのか。


「ああ、アレのことなら……ほらっ、もう治っている」


 そう言い、まるでお構い無しに着物の裾を捲り上げ、妖艶なスラリと伸びた足を彼女の前に曝け出す。

 それには以前目にした〝根〟はどこにも見当たらない。


「そんなに心配してくれたのか?」


 その声にはっとして思わず体を固くする。

 いくら心配だったからとは言え、相手は女性だ。

 他人にこんな無防備な所を見られて良い気分なわけはない。


「すっすみませんっ!わっ!」


 慌しくその場から立ち去ろうとするが、逆に手を握られ、また豊満な胸に引き戻されてしまう。


「あっ、あの?」


 妙にドキドキしてしまい、余計に頬が熱くなるのを感じる。

 それは母とも誰とも似つかない温もりに抱きしめられている所為だけだろうか。


「再び、しえみの前に現れたのは他でもない。そなたの後夜を貰い受けに来た」






「どこに行くんですか?」


「ふふっ……直に解る」


 先と同じ質問と返答が繰り返されて何十分経ったのだろうか。

 両目共、あの艶やかな掌に覆われ、後頭部には何とも柔らかい双丘の感触が少女を不安から遠ざけていた。

 別段、山や坂を下っている訳ではない。

 ただ平坦な所をわざわざ選んで歩かせてくれているようで……申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。


「ひゃっ!?」


 足元からは大地を摺る音と恐怖とはまた違った鼓動の速さだけが耳に煩く響く刹那、背後から促していた彼女が急に歩みを止める。

 危うくその場に転んでしまいそうになったが、両目を覆う掌が強く胸に押し当ててくれたことにより難を逃れられ、あまりのことにしえみは思わず息を吐いた。


「すまない……だが、もう目を開けていいぞ」


「……うわああああっ!!」


 そう言われ、恐る恐る開けた瞼の外には俄かには受け入れがたい光景が広がっており、お世辞にも良いとは言えない面で辺りを見渡す。


 少女の碧眼の中に飛び込んできたもの………………それは。


「きれい…」


 その一言では言い表しつくせぬほどの色とりどりの植物が広い庭園の中で咲き誇っていた。

 その場に屈まなければ見逃す苔や何万年もの間、この地球を見守ってきたであろう巨木が一同に介するかのように自生するこの場所は、まさか…。


「天空の庭にようこそ……しえみ」


「えっ!?」


 今、彼女は一体何を言ったのだろうか?

 天空の庭……それはこの少女が祖母から聞いていた憧れの場所である。


「貴女は一体…」


 何者なのかと問おうとしていきなり強い風が一陣吹いてきて思わず目を強く閉じる。

 冬は疾うに過ぎたとは言え、やはり夜風は些か肌寒い。


「こちらに来い」


 そう言い自分の羽織を外し、しえみに掛けてやると上品に笑い、手を握る。


「いっ、いいですよ。それに貴女は寒くないんですか?」


「私のことならば問題ない。それよりも私はそなたに風邪を引かれてしまう方が後悔する」



 トク……ン。



 まただ、この名前も知らない妖艶漂う女性にそう言われると歯痒いような不思議な気分になる。

 見せたいものがあると連れてこられた場所には一本の見事な梅……いや、赤染めの桜が天に枝を伸ばしていた。


「どうだ?美しいだろう」


 そう自慢げに胸を張る彼女の横でしえみは目を見開いた。

 狂ったように赤い桜……それはいつか見たものとそっくりだった。


「あれの名は(くれない)


「くれ……ない?」


 唐突にその名を呼ぶ彼女に遅れまいとする仕草が今の不自然の間を作った。



 美しい…。



 珍しい植物がたくさんある中、少女をここまで魅了したのはこの桜が初めてだ。


「好色女とも女好きな憐れな女が神に魅入られた姿とも言われている…」


「そんなことないですっ!」


「しえみ?」


 彼女がいきなり声を上げたことに驚きながらも可愛いと、どこかずれたことを考えてしまう。


「こんなにきれいなのに……そんな悲しいことを言わないで下さいっ、(くれない)さん」


「そなたっ!?何をっ」


「それが貴女の名前……ですよね」



ああ、……やはり、全て解っていたのだ。



「どこで解った?」


「最初から…と言いたいですが、あの桜の木を見るまで全然気づきませんでした」


 ごめんなさいと、俯くしえみの頭を優しく撫でると恥ずかしそうに笑ってくれた。



 ……最後にその顔が見られれば、それも悪くはない。



「そろそろ時間だ」


「えっ?」


 彼女は愛しそうに陽を宿す髪の一房を掬い上げると、それに口づけをする。


「間も無く夜が明ける。そなたはあの美しい庭のある家に帰るのだ」



 そう……あの者と約束したのだ。



 彼女を後夜の間だけ連れてくる代わりに、もう二度と天空の庭を抜け出さないと…。



「私っ、逢いに来ます!」


「しえみ?」


 東の空が紫に染まる頃、少女の姿はいつかの彼女のように宙に消えた。


『いつかまた紅さんに逢いに天空の庭に来ますからっ』


「ふふっ…本当に……そなたの祖母が自慢するだけはある良い庭だった」



 そして、それを守る孫娘。


 年頃にも拘らず泥に塗れて庭弄りをする様が目に浮かび、思わず笑みが零れる。


「待っている。しえみが再びこの地を踏むのをずっと…」


 そう一言一言噛み締めるように紡ぐ彼女の頬に雨は静かに降り出した。

              ――― 完 ――― 
 

 
後書き
 皆様、初めまして。因幡ライアと申します。
 今回の『紅の雨』は如何だったでしょうか?第一作から宣言通り実に緩いなんちゃって百合夢物に仕上げてみました。
 私の作品で少しでもお楽しみいただければ幸いです。 
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