三年目の花
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9部分:第九章
第九章
この時の下馬評は阪急有利であった。西本が育て上げた勇者達は他を寄せ付けない強さを誇っていたのだ。
「あの時は苦労したで」
その時の死闘は今も語り草になっていた。
阪急のエース山田久志をくまなく研究し、最後の五試合で攻略した。九回にまさかの連続アーチで仕留めたのである。
その裏江本を投入した。そしてまさかのストレートの連投で抑えた。そして南海は見事優勝を果したのだ。
「死んだふりをしていた」
「いや、野村の知略だ」
意見は食い違った。だが野村の頭脳で勝利を収めたのは間違いなかった。
「しかし今度はちゃうやろな」
野村はそれを長年培ってきた勘で察知していた。
「今度は流れや。確かに今はうちが不利や」
それは素直に認めていた。
「しかしな」
口を横一文字に結んだ。表情がサッと変わった。
「流れならうちにもあるで」
そしてベンチにいる荒木に顔を向けた。
「こいつがやってくれた。後はそれをどう生かしていくかやな」
だが阪神が三勝すればそれで終わりである。ヤクルトはこの二連戦連勝が絶対条件であった。
既にセリーグの運営側では会議が開かれもし決まらなかった場合のプレーオフについても討議されていた。流れはもうどちらのものになるか誰にも見当がつかなかった。
阪神は活躍している助っ人のパチョレックを故障で欠いていた。だがそのハンデは感じさせなかった。
「それに引き換えうちは」
野村は思わず舌打ちした。
攻撃の要広沢が不調であったのだ。そうしたことを考えるとやはりヤクルトに不利か。関西ではもう阪神の優勝は予定されたこととして考えられていた。
「西武か。暫く振りやな」
「バースのかわりは新庄や」
彼等はもう勝った気でいた。
「流れや、流れ」
「六甲下ろしが日本中に鳴り響くで!」
恐ろしいまでの楽天思想に見えるがそうではない。これが阪神なのである。
まともに負けたりはしないのだ。それはもう派手に、念入りい負ける。しかもそれが嫌になる程続く。
それを知っているからこそ、だ。彼等は阪神の滅多に見ることのできない晴れ姿を待ち望んでいた。
ヤクルトは岡林、やはり切り札だ。対する阪神は仲田。阪神も最強のカードを出してきた。
「ピッチャーのカードはうちの方がええで!」
「そやそや、野球はピッチャーや!」
古くからのファン達が叫ぶ。彼等はかって阪神があまりにも貧弱な打線に甘んじ、江夏や村山が気迫で勝っていた頃を知っているからこその言葉であった。
仲田はその期待に応えた。七回まで無得点であった。
「ええぞ仲田!」
「御前は阪神のスターや!」
ファンが喝采を送る。流れはやはり阪神にあるかと思われた。
だが七回に試合が動いた。
打席には広沢が入る。ヤクルトファンはそれを黙って見ていた。
「打てるかな」
「わからないな」
いつもは頼りになる筈の男に期待が持てなかった。
「あんな調子じゃな」
「ああ。今の広沢は」
それは広沢本人の耳にも入っていた。
「・・・・・・・・・」
彼はそれを一言も喋らずに聞いていた。それがかえって彼の心を落ち着かせた。
「よし」
今までの迷いが切れた。思いきり振っていこうと決心したのだ。
「広沢の奴、ふっ切れたようやな」
それは野村にもわかった。
「今のあいつは期待できるで」
「そうでしょうか」
コーチの一人は不安そうであった。
「ああ。バッティングってのは相手のデータとかこっちのことも重要やけれどな」
まず相手のデータから入るのが野村らしかった。
「まずは気持ちや。鎮めとかな打てるもんも打てへん」
「はあ」
「わかっとらんようやな」
野村はそのコーチの反応を見て顔を顰めさせた。
「いや、そうじゃないですけれど」
彼も野球をしている。それ位はわかっているつもりであった。
「だったらわかる筈やな」
「は、はあ」
野村が言う言葉ではないのではないか、そう思いながらもここは口を閉ざした。
そして広沢に目を向けた。
「大丈夫かなあ」
彼はまだ不安であった。しかしそれは杞憂であった。
仲田の左腕が唸った。そしてボールが放たれる。
だがそれは失投であった。真ん中高めの甘いコースに入った。
「しまった!」
仲田は顔を青くさせた。それは広沢にとっては正反対であった。
「もらった!」
彼はバットを振り抜いた。そして打球を思いきり打ちつけた。
「いった!」
「やられた!」
両者はほぼ同時に叫んだ。打球は一直線にバックスクリーンめがけ飛ぶ。
「いけ!」
ヤクルトファンも叫ぶ。打球は彼等の思いも乗せて凄まじい速さで飛ぶ。
そしてバックスクリーンに叩き込まれた。まさかのソロアーチであった。
「やったぞおお!」
広沢は猛ダッシュでダイアモンドを回る。会心の一打であった。
そしてホームを踏む。これでヤクルトは見事勝ち越した。
「よし!」
「広沢よくやった!」
ファンからの喝采も止まない。彼はようやく長いトンネルから脱出した。
「打つべき人が打ち」
野村は試合を観ながら呟いた。
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