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僥倖か運命か

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第七章


第七章

 アウトだった。一瞬の間のダブルプレーであった。
「なっ・・・・・・」
 観客達はその思いもがけぬ奇襲、そして併殺に絶句した。場内は静まり返った。
「土井め、上手くやったな」
 三原はそれを見て笑みを浮かべた。薄い笑みである。だがそれは勝利を確信した笑みであった。
「な、なななな・・・・・・」
 それを見てガタガタと震える男がいた。テレビの前の永田である。
「あの場面でスクイズはないな」
 その光景は傍らにいる鶴岡も見ていた。彼は一部始終を見てポツリ、と言った。
(そうやな)
 永田はその言葉にふと我に返った。そして次第にテレビに映る西本を険しい目で見るようになった。
(西本君にとってまずいことになったな)
 鶴岡はその永田を見ながら思った。試合だけではない。西本自身にとっても。
 試合はそのスクイズが全てだった。秋山は球界を二三振とサードゴロに抑えた。大洋は本拠地で連勝した。
 これは予想外の展開であった。マスコミは三原の周りを取り囲んだ。
「僥倖、運も試合の重要な要素だ」
 三原は彼等に対し含み笑いを浮かべて言った。これは彼の持論でもあった。
 短期決戦はリズムに乗っているかどうかで大きく違ってくる。運があるかないか。それを見極める事が将としての手腕。そしてその男を縦横無尽に使うのだ。それが三原マジックであった。
(だがあの場面は果たして僥倖かな)
 三原は僥倖と言いながらも内心そう考えていた。
(ああいった場面はそうそうあるものではない。これは運命かも知れないな)
 彼はそう思うとさらに笑った。今度は心の中でだ。
(だとすればこのシリーズ一体どういう運命になるか、楽しみにしておこう)
 彼は川崎球場をチラリと見るとバスに乗った。そして球場を後にした。
 収まりがつかないのは大毎側であった。怒りに震える永田は西本に電話をかけた。
「一体何を考えとるかあっ!」
 第一声はそれであった。いきなり怒鳴り声である。
「うちは打線のチームだ、チャンスにバントなぞしてはミサイル打線の名が泣くぞっ!」
 永田の声は怒りで震えていた。もし面と向かっていたならば殴りかかっていたかもしれない。
 だが西本はそれに対して冷静であった。
「監督は私です。オーナーは采配にあれこれ口を挟むべきではありません」
 そうなのだ。これは野球の不文律である。オーナーは現場の采配には一切口出ししない。まあ中にはチームが不調なのでオーナーのゴマをすってか監督やコーチがミーティングしている途中にズカズカと入り込んで醜く怒鳴り散らし野球の事も知らないくせに采配に口を出し首脳陣が一斉に辞任する異常事態を招いた愚劣な球団代表もいるようだが。そのような輩はまあ例外中の例外であろう。
 しかし永田も負けてはいない。何しろ当世きっての名物オーナーだ。後に拳骨と頑固で知られる西本にも臆しない。
「御前に任せて負けているだろうが!あの満塁の場面でスクイズを命じる監督が何処にいるんだ!」
「ここにおります!」
 西本も言った。彼も意地がある。戦争では高射砲部隊で小隊長をやり戦後はアマチュア球団星野組で一塁手兼任で監督をして優勝させている。ろくに食べ物も無い時代、選手達の食べ物を調達しながら優勝させたのだ。その時彼はまだ三十前後という若さである。
「バカヤローーーッ!」
 その言葉に対して永田は切れた。彼も一代で大映を築いた男である。血気も盛んだ。
「バカヤローーとは何だ!取り消して頂きたい!」
 西本も激昂した。だが永田はそれ以上だった。すぐに電話を叩き切った。
 永田は怒り来るってその場を後にした。そしてこの時点で西本の命運はほぼ決まってしまっていた。
 しかも彼のラッパは止まらない。彼は報道陣に対してこう言った。
「うちは豪快な打線が看板のチームだ。それがコソコソとしていては勝てるわけがない。わしは谷本がバントの格好をした時に負けたと思った」
 弁舌は続く。これには報道陣のほうが驚いた。
「西本は強打して内野ゴロの併殺を恐れたと言うとる。そんな風に考える時点でもう負けているんだ」
 前代未聞であった。シリーズの真っ最中にオーナーが自分のチームの監督の采配を批判するのだ。そんなことは今までなかった。無論その後もない。
「永田さん大丈夫か」
 インタビューの後報道陣の一人が首を傾げながら言った。
「まああのスクイズは確かに驚いたけれどな」
 別の記者が言った。
「それでも西本さんの采配にも一理あるだろ。あそこであの秋山を打てるとは限らないんだし」
「それがな、あの時永田さん球場にいなかっただろ」
 他の記者がそこで口を挟んだ。
「ああ。何処にいたんだ?」
「料亭でテレビ観戦していたらしい。ある人と一緒にな」
「ある人って・・・・・・誰だ?」
「親分さんだ」
 その記者はそう言って西の方を親指で指した。その場にいた記者達はそれであっとした顔になった。親分とは鶴岡の通称である。彼はその風格と実力からそう呼ばれていたのだ。
「あの人が言ったらしい。あそこでスクイズはないだろうって。確かにあの人ならそう采配するだろう」
「しかし天下の大監督とはいえ他所のチームの監督だろ。その人の言う方を信用するというのも・・・・・・」
 だが彼はそれ以上言えない。鶴岡の言う事は絶対的な重みがあるのも事実だ。何しろ関西球界のドンであるから。後に野村克也が南海の監督を急遽解任された時もその存在が噂された程だ。もっともこの件については野村の被害妄想とも言われている。真相は定かではない。だが存在が噂されるだけの力があったのは事実だろう。
「まああのスクイズが正しいかどうかなんて誰にもわからないよ。俺達は神様じゃないんだからな。ただこれだけは言えるな」
「何だ?」
 記者達は次の言葉に耳を傾けた。
「西本さんはこれだ」
 その記者は首を自分の左手でサッと切った。それを見て記者達は真摯な顔で頷いた。ワンマンで知られる永田だ。一度決めたら覆らない。それは皆よく知っていた。
 後永田がこの世を去った時であった。西本はこう言った。
「あの時はお互い若かった」
 それを聞いて冥土へ旅立つ彼はどう思ったであろうか。

 
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