マウンドの将
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第八章
第八章
いや、それは三浦の自滅であった。彼は四球を連発しピンチを自ら拡げてしまった。そこでローズがまさかのエラーだ。まずは一点だった。そして内野ゴロの間にまた一点、こうして西武はノーヒットながら二点を手に入れた。
「四球は構わない」
権藤はこう言う。だが彼は同時にこうも言う。
「エラーの点は返って来ない」
守備の乱れにより生じた得点はホームランを打たれた時よりも後味は悪い。そこから傷口が広がる恐れもある。ピッチャーにとっては打ち取った筈のものが得点になるのだ。これはたまらない。守備のよいチームが強いと言われる根拠もここにある。ましてや横浜は守備、特に内野のそれは定評があるのでピッチャーのとっては尚更である。
三浦は三回もコントロールに苦しんだ。二回のエラーで完全に緊張の糸が切れたのだろうか。遂に高木浩之にタイムリーを許し降板した。西武はそれからも追加点をあげ四点を取った。
横浜は毎回ランナーを出しながらも中嶋の強肩を警戒し盗塁を敢行出来ない。そしてダブルプレーでチャンスをことごとく潰してしまっていた。
「この試合いけますね」
コーチの一人が東尾に対して言った。
「ああ」
東尾はニンマリとして笑った。横浜のピッチャーは三浦から福盛に替わっていた。だが彼も制球に苦しんでいる。五回からは三番手サイドスローの戸叶尚だ。だが彼もコントロールが悪いことで有名である。しかも球質が軽いせいか長打を打たれることも多い。内野安打のあと連続四球で満塁のピンチを作った。
「ここで点が入ったら勝ちだ」
東尾は言った。そしてバッターボックスにいる男を見た。
松井である。西武が誇る遊撃手、その俊足と強肩、そして長打は有名である。抜群の運動神経を誇り西武の攻撃の柱の一人であった。
その松井が思いきりバットを振り抜いた。打球はレフトの頭上を越えた。
「行け、そのまま走れ!」
三塁ベースコーチが右腕を大きく振り回す。西武のランナーは次々に三塁ベースを回った。
松井は二塁で止まった。流石に三塁は無理だった。だが会心の走者一掃のツーベースだった。これで試合は決した。
そのあとは西武は自慢の中継ぎ陣を投入して横浜を抑えにかかった。そして最後はこの年日本ハムから移籍してきていた西崎幸広である。彼が九回を無事抑え西武はこのシリーズ初勝利となった。
「これで一つ取り戻したな」
東尾はニンマリと笑った。
「今日はあいつのおかげだな」
彼は中嶋を親指で指して言った。
「あいつの気の強さと肩がうちを救ってくれたよ」
流れは完全に横浜にある。ここで負ければそのまま四連敗の危機であった。それを周りの肝を抜く采配で切り抜けたのであった。
「今日は完全に向こうのペースだったな」
権藤は球場を引き揚げる時そう言った。
「まだまだ勝負は長い。焦らずいくとしよう」
そしてバスに乗った。横浜は十一四球というシリーズの不名誉な記録を更新してしまっていた。
「戦っていっればそういうこともある」
だが権藤は全く焦らない。そしてバスは宿舎に去って行った。
次の試合の先発は西武は石井貴であった。一五〇キロの速球を武器とする正統派投手だ。しかも気の強さでも有名であった。対する横浜は第一戦で好投した野村である。
この試合でも西武のキャッチャーは中嶋であった。彼は試合前に昨日の試合を振り返っていた。
「横浜はどうも変化球には滅法強いな」
西口もそれにより打たれた。
「だが速球には思ったより強くないな」
潮崎はシンカーを武器とする。だがそれをあえて使わずにストレート主体で攻めると意外と効果があったのだ。
「よし、ここは腹をくくるか」
気の強い中嶋は意を決した。そしてキャッチャーボックスに入った。
彼のリードは当たった。横浜は石井のストレートを攻められなかった。凡打の山を築いていく。
西武はアーチで二点を先制した。だが横浜も石井の速球を黙って見ているだけではなかった。
四回石井を二塁において打席に鈴木が入る。ここで彼は石井貴の打球を完璧に捉えた。
打球は西武球場の外野スタンドに消えた。勝負はこれでふりだしに戻った。
だが中嶋と石井はここで踏ん張った。六回のボークにより招いてしまった危機も乗り切り横浜に勝ち越しを許さない。
そしてその裏であった。高木大成がヒットで出塁すると打席には西武の主砲ドミンゴ=マルチネスが巨体を揺らしながら入って来た。
「頼むぞ、マルちゃん!」
ベンチもスタンドにいる西武ファンも彼に声援を送る。ここは彼のパワーにかけたのだ。
彼はそれに応えた。野村のボールをスタンドに叩き込んだのだ。
「よっし、これで勝ったぞ!」
観客達が総立ちになった。ベースをゆっくりと回る彼をナインが出迎える。
「あとは頼んだよ」
マルチネスはニコリと笑って石井と中嶋に声をかけた。二人はそれに対しニヤリ、と笑って頷いた。
だが横浜も諦めない。九回に決死の粘りを見せ満塁のチャンスを作る。バッターボックスにはチームのムードメーカーであり思いきりのいい佐伯貴弘が入った。
「土壇場でこんなことになるとはな」
東尾はマウンドにいる西崎を見ながら呟いた。
「替えますか?」
コーチが問うた。西崎は右、それに対して佐伯は左である。佐伯は右ピッチャーには強い。
「いや」
それに対して東尾は首を横に振った。
「ここはあいつ等に賭ける」
そう言ってマウンドの西崎と中嶋を見た。
中嶋は迷わなかった。四球連続で外角にストレートを要求した。
「おいおい、四球続けてかよ」
西崎は四球目のサインを見て思わず心の中で呟いた。中嶋の目に迷いはなかった。
ならば投げるのがピッチャーである。佐伯はボール球に手を出してしまいあえなく三振した。これで西武はシリーズをふりだしに戻した。
「おい、よくあんなリードが出来たなあ」
東尾は中嶋を満面の笑みで迎えた。
「ええ、ここは腹をくくろうと思いまして」
中嶋は会心の笑みをたたえていた。
「そうか、腹をくくったか」
「はい、変化球は最初から捨てていました」
その言葉に西武ナインは驚いた。
「頼もしいな、これからもその心構えでやってくれ」
東尾は彼のその気の強さが有り難かった。彼により西武は生き返ったかに見えた。
一方宿舎に戻った権藤は一人考えていた。
「これで五分と五分か」
彼は悩んではいなかった。だが何か考えているのは明らかである。
「こうなったら悔いのないようにやるか」
そう言うと椅子から立った。そしてビールの缶を開けた。
「勝負に迷いは禁物だ。そして悔いがあってはならない」
彼はここでも独自の哲学を脳裏で呟いた。それは投手であるということからくる哲学であった。
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