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BLUEMAP

作者:石榴石
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第一章 ~囚われの少女~
  悪魔の所業



――赤。背景を彩る血の色。
 胸より少し斜めに外れ剣が刺さったまま、ジュリエッタはすぐに運ばれる。
「衛兵、衛兵よ! 今すぐここへ来い! こやつを――」
 王は兵を呼んだ。
「今すぐこやつを捉えよ! 直ちにこの物を牢へ」
 すぐさま現れた2、3人の衛兵に対し、王は非常な声で指図する。誰もが一言の言葉も発することはなかった。
 魂が抜けたように気力のない、生きた屍と化したエリオ。うなだれたまま、その体は引きずるように連れて行かれてしまう。

 そこから一人残された、王の皮肉な一人芝居。
「ああ、何ということだ……嫁入り前の娘に傷をつけてしまったとは……」
 その嘆きは醜いまでに愚かなものだ。
「嫁に断られてしまっては困るのだ。せっかく良い縁談を結ぶことが出来たというのに……」
 いかにも大袈裟に、まるで道化を演じるかのように。
「エリオめ、極刑にしてくれる!」
 それはどこか喜劇めいても見えた。
――悲劇と喜劇。それは見るものによって感じ方が選ばれるのだろう。

「やつには罰を……」
 愚かな王の嘆きは終わらない。
「娘よ。愚かな私を許しておくれ」


――


 その晩王は夢を見た。悪の形相の仮面で夢枕に立つのは、我が愛しき娘ジュリエッタ。
――娘はまだ生きているはずだ。ともすればこれは生霊か。
 暗黒の渦を背景に、恨むような声と表情で王に囁く。

『よくもエリオを囚人に……愚かなお父様。私がエリオをわがままに巻き込んでしまっただけなのに……』

 禍々しい青紫色の、ジュリエッタが口にするのは呪いの言葉。

『罰を受けるのはこの私……あの国との縁談は破談。そしてこの国は戦場となり滅びるの。エリオに酷い仕打ちをするのなら……私はあなたを呪います』

 悪夢にうなされ、どうにもいたたまれない居心地の悪さから国王は目を覚ました。
「おお、ジュリエッタよ……わしは一体どうすればよいのじゃ」
 目覚めた後も居た堪れない心持ちで、その顔は青ざめたままだった。


――


(ずっと見てると尻が痛くなってくるぜ)
 劇場に潜む悪魔は素行が悪く、一階席の脇、階段に陣取っていた。しかし誰も、注意しようとする者はいない。その眼光で威圧でもされたのか、または芝居に魅入っているかのどちらかだろう。
(はあ~、体がなまってきやがる)
 そして退屈そうにため息をつく。
 静寂と暗闇の中、黒子のように空間に溶け込む真っ黒な悪魔。その男は立ち上がり、伸びをする。周りの客からすれば、何と迷惑な人物なのだろう。
(ちょっくら二階席の見物にいってやるか)
 男は何を思ったか、二階の王座を見上げる。そうして体を屈伸させたり左右の足を伸ばしたりしたかと思うと、男はそこから飛び上がった。姿を隠したかのように辺りにはまるで気配を感じさせず、無音の状態で翼を広げた。勿論、その姿を目にしたものは一人としていない。唯、一人を除いては。
(おっと。今回の目玉発見! 一番の狙いのレナ姫さんじゃありませんか)
 悠々と宙を舞うこうもりの翼。闇と一体となったその姿は誰も気づきはしなかった。男は調子に乗ったのか、逆さまになり宙に浮かぶ。
「…………」
 そしてレナ姫を正面から、まじまじと見つめた。そしてレナ姫はというと。
「…………!?」
 大きな茶色の瞳と赤い瞳の視線がぶつかる。目が合ってしまったのだ。姫は虚ろな目を見開き男の方を凝視していた。さすがに声は出せないようではあったが、どう考えても異様な光景を目の当たりに、恐ろしさを隠しきれないようだ。
 勘の鋭い子供に接近された時や、男が自在に操る気配を露わにした時以外――この町の誰にも気づかれなかった。しかし驚くべきことに、その姿は一国の姫に気付かれてしまった。しかしなんとも可笑しなもので、姫よりも男の方が驚いている。
 困った男は姫を睨む。鋭い眼光を赤く光らせ、姫の瞳の奥を射抜く。それはまるで、姫の思考を支配するかのように。脳内までも浸食し、その記憶を蝕んでしまおうというのだろうか。
 結果として一国の姫は、謎の飛行生命体に記憶を奪われてしまった。勿論そんな事を知る者は誰一人としていないのであった。

 ほどなくして姫の意識は芝居へと向けられる。今までより少し気持ちが軽くなったような――とてつもなく大切な何かを奪われたような。そんなことには当の本人には見当もつかなかった。


――


 その後、医者と聖職者と王が見守るなかジュリエッタは死んだ――それはエリオの耳に届いた。

 悪魔の囁きのような、殺伐とした歌が舞台に響く。

『ジュリエッタは死んだ』
『だれがジュリエッタを殺した』

 どこからでもなく聞こえる唄。
『ジュリエッタを殺したのはお前だ』

 それは国王の陰謀だろうか。恋の罪は重くのしかかり、エリオは暗く彩られた運命を背負わされた。

 そして悪魔がそばを横切ったかのように、一つの考えがエリオの頭をよぎる。

「この世に神などは存在しない。唯一の女神であった愛しき人も、この世から旅立ってしまったのだという」
 それは悲しき切なき、届かぬ悲痛。
「もはや何もかも、終わった事と同じ。王に見つかったあの時点から、私の命は終わっていたも同じ――ならばどうしてあの時、すぐ死を選ばなかったのだろう」
 今まで歩んできた道を外れると覚悟したあと、死を覚悟しなければならない状況であったことは知っていた。
「自らこの心臓を一突きにしていれば、このような悲劇は生まれなかっただろう。今この世に己の命が存在するのは、どうしてなのだろう」
 己の命、愛する者の死、自分を陥れた神のような存在。

 何もかもを否定するかのように、孤独な男は呟いた。

「何もかも信じられない、ジュリエッタはきっとまだ生きている」
 黒く、その想いはどこまでも黒く、己のその運命を染めてゆく。ガラスのように透明で、純粋な信念はもろく崩れてしまった。
 それからエリオは、孤独な時間を幾夜も過ごした。
 綿花のようにたおやかだった恋心は、憎しみの色に染められた。その色がそこから滴る程までに。

『その目で確かめたくはないか? ジュリエッタが生きているのか死んでいるのか』

 夜になると悪魔が独房の前を、外の自由さを見せつけるかのように何度も横切る。

『お前は易々と信じているつもりか? あんな遣いの戯言を。あれは嘘だ』

『姫はお前が死んだと聞かされて、すでに他の男の物になっているのさ』

 エリオはその言葉を信じるつもりはなかった。

『お前はただの捨て駒に過ぎなかったのさ』

『姫は自分の生活が退屈だっただけじゃないのか?』

『お前は王に嵌められた。この国に復讐するのだ』

 エリオは精神を削がれ続け、その悪魔のように狂気を増してゆく。

『王をコロセ。姫をコロセ』


――


 そんな夜を幾夜も過ごした男。

『此処ヨリ出でて、復讐ヲ。我を此処へ閉じ込めタ、非道な国王ヲ。己ノ我儘に巻き込み、遂にハ我ヲ見捨てタ冷酷ナ姫ヲ』

 疑心暗鬼を生じ、ついには自我を失った。
 男の恨みはその身を黒に染め、悪魔の騎士となり果ててしまった。

 その存在は惨劇を呼ぶ。一つの歯車は孤独の中で大きな存在となり、多くの犠牲を生むこととなる。歯車はより巨大な歯車に飲み込まれ、もろく儚くつぶされる。
 狂った時の歯車は、加速することさえも自らの原動力とし、ただひたすらに加速し続ける。
 この惨劇を止めることは、もはや誰にもできないだろう。

『壊シテヤル、此ノ国ノ全テヲ』

 雷が轟く、暗い灰色の空。分厚い雲がその国すべてを覆い尽くした。


                                -第十六幕へ-
 
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