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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十一章 追憶の二重奏
  幕間 庭園の管理人

 
前書き
 さ、三、四千文字程度の短いやつにするつもりが……何故こうなった……?

 あの人が出てきます。

 独自設定? が入っているのですが、何か違和感があればご指摘お願いします。

 そこんとこ本当にすみません。 

 
「……っ……ぁ……?」

 芳醇……濃厚……芳醇……。
 まるで水飴のように甘く粘性さえ感じられる香りが鼻孔から喉を通り、肺と胃を満たし。ゆっくりと全身を巡っていく香りは朦朧とする意識を覚醒へと導いていく。眠りという水底に沈んでいた意識がゆっくりと浮上する。感覚が戻るに連れ、己を満たす香りが一つではないことに気付く。幾つもの香りが混ざっていながら、決して一つ(・・)にはなってはいない。
 どれもが己を主張しながらも、他の香りを尊重している。そんな矛盾を内包する香り……。
 薔薇、睡蓮、百合、桜、向日葵、蒲公英…………嗅いだことのある香りがあれば、記憶に掠りもしない香りもあった。
 夢と現の狭間で、香り以外の感覚を得る。
 華の香りを含み、柔らかに身体を撫でる風。
 天高くから振り注ぐ暖かな陽の光。
 己を優しく受け止める香りの源である花々。
 
 ん……。

 
 瞼が痙攣するように震え、微かに狭間が広がる。
 朧に霞む視界の中、それでもはっきりと分かるほどの青空が見えていた。その時初めて自分が仰向けになっていることに気付く。首を傾け、顔を横に向ける。すると、視界が二つに分けられた。
 空と地面。
 何処までも遠く高い蒼穹。
 そして、全てが華で満たされた華園であった。
 その余りにも美しい情景に息を飲む。
 様々な種類の花々が咲き誇っている。
 見たことがある花もあれば見たこともない花も、その全てが満開に咲き誇り、風にその身を揺らしていた。
 赤、青、黄、緑、白……濃く、薄く、強く、柔らかく……万色と万香に満たされた花畑。
 それが遥かな地平線の向こう、空と交わる先へまで続いている。
 まるで無限に広がる華園。
 生まれてきて今までこれ程美しい光景を見たことがないと、心うちであっても上げる声を失ってしまう程の美しさがそこにはあった。
 その圧倒的としか言い様がない美しさに、これが夢か現か判断がつかなくなる。
 揺れる心。
 未だ覚醒しきれていない意識。
 そんな中、手は導かれるように自然と美しく咲き誇る華に伸びる。
 
 き、れい……。

 自然と美しいものに惹かれ、伸ばされる手。
 その指先が風に揺れる花に触れる―――その瞬間、

「―――ん、と。触るのはいいけど、摘むのはやめてね」
「―――え?」

 頭上から声が落ちてきた。
 唐突に聞こえた声に、霞んでいた意識が一気に覚醒する。横に向けていた顔を一息に上げると、自分を見下ろす影を見上げた。
 そこには、

「っ!?」
「ん? 何? どうかした?」

 光があった。
 否、光が結集したかのような美しい少女がいた。
 白い、銀を纏う美しい髪、一点の曇りない白のワンピースから除くのは、処女雪の如き真白の肌。
 儚い雪の結晶から形作られたかのような華奢な身体。
 雪を思わせる白一色の中、ただ一つだけ瞳の赤が雪原に咲く花のように映え目を引いた。
 呆然と見上げていると、雪精の如き少女は小鳥のように小さく小首を傾げる。頭の動きに釣られ髪が揺れ、ミルクに砂糖を混ぜたような少女独特の甘い香りが辺りに漂う。甘い香りに引き寄せられるように、花畑から身体が離れ起き上がる。
 
「大丈夫?」
「あ、え、っと」

 膝に手を当て腰を曲げ、上半身だけ起き上がった自分を見下ろす少女は、傾げた首を下の位置に戻すと、右手をこちらの顔に向かって伸ばしてくる。伸ばされた手を顔の直前で止めると、開いた手のひらを左右に軽く振り出す。

「お~い、起きてますかぁ~?」
「あ、っは、はい。大丈夫です。起きてます」

 何だか間抜けな応答だと内心で苦笑しながら返事を返すと、少女は伸ばしていた手を戻し曲げていた腰を上げた。

「ん、良かった良かった。本当に久しぶりのお客様だもの、いい暇つぶ―――っと、おもてなししないで帰らせるのもね。ほらほら、何時までもそんなとこに腰を下ろしてないで、折角だし、お茶でもご馳走するからそこの椅子にでも座ってて」
「えっ、と、座ってと言われまして、も……?」

 少女が指差す方向を顔を向けるが、そこには美しい花が咲いているだけで、座れるような物は何もない。言いようからして地面に座れと言っている筈はないだろうと疑問の視線を少女に向ける。
 疑問の声に、少女が眉を曲げ自分が指差す方向に顔を向けた。
 顔を自分が指し示す方向に向けた瞬間、少女の口が「あ」の形で固まる。
 自分が指差す先に何もない事に気付いた少女は、頭に手をやると顔をこちらに向け、真っ白な頬に朱を混ぜながら桜桃のような小さく舌をチロリとだした。

「あはは、そう言えば長いこと誰も訪ねて来ないから消していたんだった。ごめんね。直ぐに出すから」
「え?」

 少女の物言いに疑問を感じ声を上げると同時であった。

「っ?!」

 少女が軽く手を振った瞬間、何もなかった筈の場所に小さな二人掛け用の白いテーブルと二つの椅子が現れたのは。
 まるで湧き出たように出現したテーブルと椅子に驚き固まるカトレアの前で、少女は改めて現れた白い椅子を手で指し示す。
 
「はい、どうぞ」
「……あの、あなたは……?」

 咲く花を避けるように地面に手を着き立ち上がり、にっこりと微笑む少女に問いかける。
 童女が浮かべるあどけない笑みの中に、歳を重ねた深さがある事に気付いた瞬間、カトレアは直感的にある予感を得た。
 まさかと。
 そんな筈はないと。
 有り得ない。
 そう思いながらも、湧き上がる予感はそれが正しいと確信させる。
 問いかけられた少女は、赤い紅い瞳を小さく開かせたかと思うと、浮かべた笑みを更に深くした。



「うん。そうそう。そうよね、そう言えばまだ自己紹介してなかったわね」

 

 白い少女は軽く膝を曲げると、白いワンピースの裾を摘むと小さく持ち上げ頭を下げた。



「初めましてカトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ。私は―――」



 顔を上げた少女は瞳の中に悪戯好きの猫のような光を灯らせ口を開く。



「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン―――この庭園の管理人よ」

 








「―――えっと、イリヤ……さん?」
「ん、なに?」

 小さな丸テーブルに座ったカトレアは、向かいに座るイリヤに向け少し戸惑った様子で首を傾げてみせる。カトレアの声に顔を上げたイリヤは、鏡のように小首を傾げ返し、注ぎ終えたカップを乗せたソーサーをカトレアの前に置く。

「あ、ありがとうございます」
「熱いから気をつけてね」

 椅子に座り直し、背もたれに軽く身体を預ける。
 小さな子供の姿でありながら、ゆったりと椅子に座るその様子は、まるでどこぞの女主人の如き貫禄があった。目に見える姿と身に纏う雰囲気の余りの違いに、カトレアは一瞬目眩に似たものを得る。
 目眩が消え、改めて目の前に座るイリヤを見直した時、彼女は口から離したカップをソーサーに上に置いたところであった。
 カップとソーサーが触れ、小さく涼やかな軽い音を立てる。

「で、なに?」
「あ、はい……あ、あれ?」

 視線で促されたカトレアが、胸に湧いた疑問を問いかけようとする。しかし、そこでまた新たな疑問を得てしまったカトレアの顔が、またもコテリと小首を傾げた。

「えっと、これがどうかした?」
「え、ええ。何処から出したのかと思いまして」

 少女がテーブルの脇に置いたティーポットを指差しながら視線を向けてくる。カトレアは小さく頷くと差し出されたカップとテーブル、そして自分が座る椅子を見た。
 
 錬金? 
 いえ、そんなものではないですね……では、一体……?

 そう、目の前で湯気を立てる紅茶であるが、それを入れてくれたティーセット一式をイリヤと名乗った少女は文字通り何処からともなく取り出したのだ。一瞬で、それこそ魔法のように……。

「このテーブルと椅子も……」
「コツがあるのよコツが」
「コツ、ですか?」

 答えになっていない答えに晴れない疑問を胸に抱きながらも、これ以上聞いても意味はないと何となく感じたカトレアは、意識的に疑問を脇に追いやった。突然現れたテーブルセットの謎を意識の脇に追いやると、新たな疑問が姿を現す。
 それは、最初に聞こうと思っていた問い。
 カトレアは軽く頭を振り、改めてイリヤと向かい合う。

「イリヤさん。わたしとあなたは初対面ですよ、ね?」
「そうね」
「では、何故わたしの事を知っていらしたのですか?」
「え? 知らないわよ」

 頬に人差し指を当て、イリヤは眉間に眉を寄せる。

「ん? ですが、わたしの名前を……」
「ああ、それ。ん~そうね。知ってるのは知ってるけど、でも、あなたのことについて私が知ってるのはせいぜい三つ程度よ」
「三つ、ですか?」

 人形のように細く白い三本の指が立った手が揺れる様を見つめるカトレア。

「そう、せいぜい三つ。名前と、あなたがルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの姉であることと。あとそうね……」
「……」

 特に気にしてはいませんよとばかりに上品にカップに口をつけるカトレアであるが、その上半身はイリヤが座る方向に向け微妙に倒れていた。そんなカトレアに対し、イリヤはニンマ

リと何処か悪戯じみた笑みを浮かべると、一言一言ゆっくりと含みを持たせた声を向ける。

「あなたがシロウを愛してるってことだけね」
「ッ!!?」

 吹き出しかけたものを必死に飲み込もうとするも、流石に無理だったのかカトレアは激しく噎せ始める。息が上手く吸えないのが理由ではない赤みを頬に浮かべるカトレアの様をにやにやとした笑みを浮かべながら見下ろすイリヤ。何とか呼吸が整いだし、顔を上げるカトレア。その頬には未だ抜けきれない朱が差している。

「ど、どうして」
「どうして知っているのかって?」
「え、いや、あの、その……」

 わたわたと手やら首やらを振るカトレアに、イリヤはテーブルに両肘を着け、顎を左手に乗せると、空いた右手の人差し指を立てると一度二度と左右に振った。

「ふふふ……お姉さんは何でも知っているのよ、何でも、ね」 
「……先程は三つ程度しか知らないと……」
「嘘よ。う・そ」
「……どちらが嘘なんですか?」

 イリヤは軽く言うがカトレアにとっては重要なことだ。ゴクリと喉を鳴らしながら問いかけるカトレアに、小さく鼻を鳴らしたイリヤは右手の手のひらを上に向けると肩を微かに竦めてみせた。

「さあ? どっちだと思う?」
「わからないから聞いたのですが……」

 軽く落ち込む様子を見せるカトレアに、流石に悪いと思ったのかイリヤは苦笑を浮かべると顎を引き浅く頭を下げる。

「ごめんね。ちょっと揶揄い過ぎたわ。『何でも』の方が嘘よ。本当にあなたのことはさっき言った三つ程度のことしか知らないわ」
「いえ、ですからその三つはどうして知っているのかと……?」

 カトレアから視線を外したイリヤは、周囲の花々に視線を向ける。

「ん~、そうね、まっ、私がこの庭園の管理人だからかな?」
「?」

 答えになっていない応えに、カトレアの思考に疑問符が浮かぶ。

「あの、それはどういう」
「んん~……そう、ね……どうしよっかなぁ~」

 カトレアから視線を外したまま、咲き誇る庭園の花々に顔を向けながら小さく呟くイリヤ。小さく唇を突き出し、リズミカルに『ふんふん』と鼻を鳴らすイリヤの姿に、妹の小さな頃を思い出したカトレアの頬が緩む。
 ふっ、と空気が和らいだその時、穏やかな風が吹き、白い髪が広がり一瞬イリヤの顔に薄い影が広がる。
 瞬間、カトレアの目が小さく開かれた。開かれた視線の先には、靡く髪を抑えるイリヤの姿が。
 風から逃げるように小さく目を伏せたイリヤの横顔は何処からどう見ても幼いそれでありながら、深い知性と老齢な落ち着きを感じさせた。名工が生涯を掛けて造り上げた人形のような繊細な美しさと、何千年もの時により形作られた樹木のような深さと大きさ。掛け離れたそれを同時に感じさせながらも、違和感は感じない。
 心在らずと言った様子でイリヤの横顔を見つめていたカトレアであったが、不意に視線をテーブルの上に落とすと、誰ともなく小さな声で呟いた。前に座るイリヤも聞き漏らしてしまってもおかしくない小さな声で。

「……イリヤさんは。シロウさんのお姉さんなんですか?」
「そうよ」
「―――」

 直後に返って来た返事に思わずカトレアは息を飲む。
 期待していなかった質問への返事にではなく、その返答の内容に、だ。
 
 シロウさんのお姉さん……え、でも、シロウさんのお姉さんは確か……。

 動揺する中でも、何とか考えを纏めたカトレアが視線を上げると、自分を見つめるイリヤと視線が合った。
 固まるカトレアに、イリヤは小さな笑みを向けている。

「良くわかったわね」
「……シロウさんから少し聞いていたので、もしかしてと思いまして……でも」
「その様子……どうやら知っているようね。私が―――」

 イリヤの言葉の続きを、カトレアは口にする。

「―――既に亡くなっている、と」

 イリヤの目がスッと細まり、浮かべる笑みが濃くなった。
 テーブルに両肘を着け、組んだ手の上に顎を乗せたイリヤが無言で問いかけてくる。
 何か聞きたいことは? と。
 だからカトレアは疑問をぶつける。
 そもそもの、根本的な疑問を。
 最初に目覚めた時に浮かんだ疑問を。

「ここは、何処ですか?」
「……やっとその質問が来たわね」

 微かに軋み音を立てながら背もたれに体重を掛けたイリヤは、不敵なムフフと含んだ笑みをカトレアに向けた。
 
「何処だと思う?」

 問いに、カトレアはまずは常識的なものを返す。

「夢……ですか?」
「そう、ね。十点ってところかしら。確かにそうと言えるところはあるわね。あなたにとっては夢に似ているかも、でも、私にとっては……」

 言葉を濁すイリヤに、『では』とカトレアは口を開く。    

「……天国、ですか?」
「そう思う?」
「……違う気がします」

 確かに天国のように美しい場所ではあるが、カトレアは何となくだがそうではないと感じていた。特に何か違和感があるわけではない。嫌な感じもしない。居心地が良く、何時までもここにいたいと感じられるが、しかし、心の隅で何かが違うと感じていた。
 この感じは……そう、まるで、他人の席に座った際に感じるような、そんな何処か自分のものではないという感覚だ。

「ん?」

 そこまで考えた時、ふとカトレアの脳裏にある言葉が蘇る。
 それは、

「『管理人』」
「ふぅん」

 感心したようなイリヤの相槌に、カトレアは顔を上げる。

「イリヤさんは先程この庭園の管理人(・・・)だと言いましたね」
「そうね」
「では……この庭園の所有者(・・・)は誰ですか?」

 問いに、イリヤは何処か嬉しげな様子を纏いながら頷きを返すと口を開いた。

「シロウよ」





 カトレアは、イリヤの答えに内心で拳を握った。やっぱり、と。何となくではなったが、予感はしていた。目が覚めた時から感じていた気配のようなもの。それが誰の者かハッキリとはしなかったが、イリヤの答えを聞いた瞬間それがハッキリと形を持った。
 だが、所有者がわかったとしても、疑問は解消はされてはいない。
 ここが何処なのかという疑問を。
 しかし、自分の中ではその疑問の答えもある程度は形になっていた。 
 そのため、

「で、ここが何処かわかった?」

 イリヤの問いに、その形になった答えを返した。
 例えそれが、

「シロウさんの心の中……では?」
「へぇ……!」

 余りにも馬鹿げたものであっても。
 カトレアの答えに対しイリヤが上げた声には、紛れもない驚きがあった。
 
「どう、ですか?」
 
 イリヤの反応に手応えを感じたカトレアであったが、それでも半信半疑であった。

「そう、ね。おおまけにまけて六十点ってところかな」
「六十……」

 半分は正解だが、残り半分は違うということ。
 では、その半分は一体?

「では、残りの四十点分は一体?」
「ん~……別に教えてもいいんだけど、多分説明しても分からないと思うわよ」
「そう、なんですか?」

 嘘ではないと、カトレアは判断した。根拠のない直感的なものではあったが、間違いではないとカトレアは確信している。そもそも今この時点で既に理解不能の状況であるのだ。多分、自分たちの知るものとは別物の理(・・・・)が働いていると、カトレアは感じていた(・・・・・)。つまりは勘であるのだが。しかし、その勘をカトレアは今まで疑ったことはなかった。今までそれが間違っていたことがなかったから。
 けれども、今回はそれでも聞いてしまう。
 それは自分だけの事ではなく、士郎が関わっているからだ。
 だから、カトレアはらしくないと思いながらも、イリヤに食い下がった。

「何か、ヒントのようなものはいただけますか?」
「ヒント? そうね~……なら、『聖杯』って知ってる?」

 『聖杯』?
 言葉だけなら聞いたことはある。
 本や物語の中でのことではあるが。確か聖人と関わりのある器のことをそう呼ぶと。しかし、イリヤが言っているのはそういうものではないだろう。では何なのかと問われれば答えようはないが……。

「わからないようね」
「……はい」

 俯くカトレアに、しかしイリヤは感心したような声を上げる。

「まあ、分かった方がおかしいんだけど……そもそもここが『シロウの心の中』って答えたこと自体が異常なのよ」
「そうなんですか?」
「そうなのよ」

 頷いたイリヤは肩を竦めてみせる。
 肩を戻したイリヤは、ふと何かに思い至ったように口元に小さな笑みを作ると、テーブルに身体を寄せカトレアに顔を近づけた。

「ねえ、少し聞くけど、あなた人の心が読めたりするんじゃない?」
「え?」

 突然の問いに、目を開き驚きの表情を作るカトレア。驚きは変な質問に戸惑ったものではなく、何故それをと言う驚愕であると見抜いたイリヤは、確信を得たように目を細め口元を曲げた。
 
「そっか、やっぱり(・・・・)あなた読心術師なんだ。だから―――」
「い、いいえ。読心だなんて……ただ、何となくわかるだけです。その人の気持ちといいますか、感情を……ですので、心を読むとまでは……」

 慌てた様子で首を振るカトレアの様子を顎に手を当てて見ていたイリヤは、空いた手を振って了解の意を示す。

「分かったわ。そういうことなら、読心術師と言うよりも……そうね、巫女の方が近いかも」
「ミコ、ですか?」 

 聞き覚えのない言葉を小さくカトレアは呟く。
 小さなその声を拾ったイリヤは、乾き始めた口の中に紅茶を流し込み、ソーサーにカップを置くと口を開いた。

「『巫女』っていうのはね。神霊を自分の身体に下ろし、その託宣を受ける者のことよ。あなた人の心を感じたこと以外にも、何か変わった経験とかしたことはない? 例えばそうね、

未来予知とまではいかなくても、妙に勘が良かったりとか、遠く離れた者の声が聞こえたりとか―――ない? そんな経験?」
「っ」

 ―――ある。
 イリヤが口にした事は全て経験した事があるものであった。
 散歩に外に出た時、聞こえる筈のない鳥の声が聞こえたり、嫌な予感がして散歩のコースを変えた瞬間、元々行こうとしていた散歩コースにお母さまが魔法の練習だと特大の竜巻を放った等、子供の頃か数えるとそれこそ数え切れない程の経験があった。
 何故、そのことを―――?

 疑問が瞳に浮かんだのか、カトレアと目が合ったイリヤはその疑問に答えた。

「あなた飛び抜けて感応能力か共感能力……つまるところ『受け取る』……と言うよりも『受け入れる』能力が高いんでしょうね。外界からの力や意志を無意識の内に受け入れてしまう

ほど……ちゃんと対策を立てないと―――あなた遠からず死ぬわよ」
「―――死?」

 え? と口を軽く開けた顔で固まるカトレアを尻目に、イリヤは三分の一程中身が入ったカップの縁に指先を当てた。

「ねぇあなた。身体は何処にも異常がないのに、急に体調を崩したり、熱を出したりしたことはない?」
「……あり、ます」
「そしてそれは、あなたたちが言うところの『系統魔法』を使った後に起きるんじゃない?」
「……はい」

 強ばった口を必死に動かし、カトレアは目の前でカップの縁を指でなぞっている少女に問いかける。今まで誰もわからなかった原因を、この人は知っているのだろうかと。高名なメイジも、医者も匙を投げた原因を。何時しか諦めてしまっていたこの謎の病のことを知っているのかと。例え現在倒れる心配は低くなっているとは言え、万が一ということがある。特に今は少しでも長く感じていた幸せの中にいるのだ、最大の心配事であるこの病が正体が分かれば、根本的に治すことも可能になるかもしれない。
 逸る気持ちを抑えきれず、期待に満ちた瞳でイリヤを見る。
 声に出さずともその思いを受けとったイリヤは、カップの縁から手を離すと小さく頷いて見せた。

「思うにあなたのそれ(・・)は、魔力の過剰摂取の可能性が高いわね」
「魔力の過剰摂取、ですか?」
「そうよ。あなたの世界では、『系統魔法』を使用するのに精神力が必要よね。で、『系統魔法』を使用したら、減った精神力は時間と共に回復する。そうよね?」
「はい」

 メイジならば子供でも知っていることを説明されることに、若干の戸惑いを覚えながらも素直にカトレアは頷いた。

「で、聞くんだけど、そもそもその減った『精神力』とやらはどうやって回復しているの?」
「どう、とは?」
「つまり、体の中から生み出しているのか、外部から取り入れているのか、それともその両方なのかよ」

 顎に手を当て、記憶を探る。自分の身体のことなのに、そう言えば気にしたことはなかった。魔法を使って減った『精神力』は、一日休めば基本的に回復するのがハルケギニアのメイ

ジの常識である。常識であるからこそ、その根本的なことを意識したことがなかった。

「わたしはメイジですが、そういった事を研究する専門家ではありませんので、ハッキリと答えられないのですが、『精神力』と言うのですから、外部から取り入れることはないのではと思いますが……それが何か?」
「ん~……私が知る限り、魔力と言うものはね。大きく『オド』と『マナ』の二つに分けられるの。『オド』は体内に持つ魔力で、『マナ』は自然界の魔力の事なんだけど……それで思うんだけど、あなたたちの言う『精神力』は『オド』のことじゃないかしら?」
「『オド』と『マナ』ですか……ん、どうなのでしょう……聞いたことはありませんが……ですが、もしその通りだとしたら、何か分かるのですか?」

 聞いたことがない単語に眉を寄せながらも、仮説であっても長年の謎に近づけるかもと心持ち身体を前に倒すカトレア。
 近付くカトレアの顔先に右の人差し指を突きつけたイリヤは、空いた左手の中指で掛けてもいない眼鏡を上げる振りをし、不敵な笑みを浮かべた。

「もし『メイジ』が減った『精神力』を回復させる際に、『周囲の魔力(マナ)』を吸収することがあるのだとしたら、さっき言った『魔力の過剰摂取』が説明できるのよ。つまり、普通のメイジは一日かけて消費した『精神力(マナ)』を、周囲からゆっくり吸収したり、体内で生み出したりして回復させるのに対し、あなたはその桁違いの『受け入れる』能力により、周囲の魔力を一瞬で、それも自分の許容量を遥かに超える量を吸収してるんじゃないかってことよ」
「そう、なのですか?」
「私は『メイジ』じゃないから確信はないけど……でも、ま、見てた感じ、そう見当はずれじゃないと思うけどね」

 テーブルに左の肘を着け、頬ずえをついたイリヤは、右手を伸ばし、テーブルの端に置いていたティーポットを持ち上げた。

「例えばよ。このティーカップがあなたの身体だとするわね」

 そう言ってイリヤは頬を離し身軽になった左手で眼下の自分のティーカップを指差す。ティーカップの中には三分の一程紅茶が入っていた。

「で、中の紅茶が『精神力(マナ)』だとするわよ。『系統魔法』を使い、身体には三分の一しか『精神力(マナ)』しか残っていない。普通の『メイジ』はそれを一日かけて回復するのだけど、あなたの場合―――」

 イリヤは右手に持ったティーポットを大きく傾けると、勢いよく下にある自分のティーカップに注ぎだした。高い位置から注がれる紅茶の勢いは強く、あっと言う間に紅茶はティーカップから溢れてしまう。
 
「こんな感じにほぼ一瞬で回復してしまうの。だけど、供給に対して受け入れる器の容量は小さいから、収まりきれなかった魔力は溢れてしまう。ティーカップならただ紅茶が溢れるだけなんだけど……あなたの身体の場合は……」
「壊れてしまう」

 俯いた姿勢から発せられた声は、小さく低かった。

「それが表に出たのが発熱や体調不良とかじゃない?」
「……イリヤさんが言う、その『受け入れる』能力とは一体何ですか?」
「これも推測でしかないけど、多分『超能力』の一種でしょうね。あなたたちの言う『系統魔法』とも『先住魔法』とも違う。あなたが個人的に持つ能力。簡単に言えば周囲から様々なものを受け取る力。情報だったり、力だったり、ね。あなたはその受け取る力が強いのよ。強すぎると言ってもいい。自分の許容量以上の力を受け入れてしまうほどに」

 強い視線に押されるように、ますます深く顔を伏せるカトレア。

「……」
「そんなことが何でも続けば、少しずつだろうけど、確実に罅が入り、最終的には壊れてしまうわね」

 壊れる(・・・)……つまり死ぬということ。
 粘りを感じる口内を動かし、声を発する。

「魔法さえ……使わなければ……」
「駄目ね。何度も言うけど、あなたの『受け入れる』能力は桁違いなのよ。だから『精神力(マナ)』が身体を満たしていたとしても、普通に生活している中で周囲の魔力(オド)を吸収し続け……少しずつ身体を蝕んでいくわ」
「……では、どうすればいいのですか?」

 低い、小さな声の問いかけに、イリヤはさっぱりと肩を竦めると首を横に振った。

「制御の仕方を覚えるしかないんだろうけど、あなたの力は『魔術』じゃなくて『超能力』だから、私にはわからないわね。……まあ他には、魔力の吸収を防ぐために、何か護符でも身につけるしかぐらいしか……そうね、あなた何かシロウからもらってない? シロウってそういうところ妙に勘がいいと言うか隙がないと言うか?」

 顎を向け『何かない?』と問うてくるイリヤに、カトレアは直ぐに思い至ったものを思い出しながら強く頷いた。

「あ、貰っています。確か『オオデンタミツヨ』という『マモリカタナ』を……」
「へぇッ!? それは凄いわね」

 カトレアの口から出たある単語に、イリヤは驚嘆の声を上げた。
 今日一番のイリヤの驚きの声と顔に、カトレアも驚いたように口を開くと、右手で口元を隠しながら小首を傾げてみせる。

「凄いのですか?」
「ええ。まさか宝具を渡されているなんて……大事にしなさいよ。『大典太光世』は護符としても(・・・・・・)一級品よ。身につけておけば心配ないでしょうね」

 太鼓判を押すイリヤに、ほっとした顔のカトレアが何かを抱くように胸元に両手をやった。

「そう……ですか」
「―――でも、まあ。これで、どうしてあなたがここにこられたかの理由がわかったわ」

 安堵の表情を浮かべるカトレアの顔を口元を緩ませたイリヤは眺めていたが、不意に小さく口の中で『ぁぁ』と声を上げると、大きく首を縦に動かし頷いて見せた。
 突然のイリヤの動きに、カトレアは顔を上げる。

「? どういうことですか?」
「ここはね。ちゃんとした手続きというか、術式を使わないと来れない筈なのよ。ここの外(・・・・)なら条件さえ揃えば誰でも行けるけど、ここには近付くどころか気付くこともないように出来てるの。なのに……」

 手続きも術式も何も気付いたらここにいたカトレアは、ただ頷き相槌を返すことしかできなかった。

「そうなんですか?」
「そうなの。なのにあなたは自然とここに入り込んでいるし。そこであなたが寝ているのを見つけた時、心臓が止るかと思ったわよ」

 小さな身体を自ら抱きしめ、震えながら見上げてくる相手の姿に、カトレアは何が悪いか分からないまま反射的に謝ってしまう。

「す、すみません」
「っふ……でも、本当に久しぶりにお話も出来たし、別に構わないわよ。ここは退屈はしないけど、やっぱり女の子だからね。たまにはお喋りがしくなるのよ。だから今回は許して上げる」

 軽くウインクしてくるイリヤに、カトレアは笑みを返すと頭を深々と下げた。

「あ、ありがとうございます」

 頭を下げるカトレアを見つめていたイリヤは、小さく顔を横に動かしその横を見ると。目を細め小さく声を上げた。

「……ん、そろそろのようね」
「何がですか?」

 何がそろそろなのかと疑問を投げかけてくる相手に対し、イリヤは雲一つない青空を指差した。

「さようならの時間が、よ」
「え?」
「手、見てごらん」

 イリヤの差す指先にある、テーブルの上に置いていた自分の手に目を落とすカトレア。

「あっ?!」

 視線の先、自分の手が、

「消え、てる?」
「安心しなさい。身体が目覚めようとしているだけよ」

 動揺に震える声に、イリヤの落ち着いた声が被さる。
 右手を掲げ、完全に消え去った自分の手ごしにイリヤを見るカトレアは、残念そうな声を上げた。

「……時間切れということですか?」
「そういうこと」
「また、ここに来ても……来られるのでしょうか?」

 笑って頷くイリヤに、カトレアは何処か伺うような目で問いかける。
 弱々しく下から見上げるカトレアの、小さな子供が親に何かをねだるような姿に思わずイリヤの頬が緩む。明後日の方向に顔を向け、もったいぶるように顔を左右に小さく揺らしながらチラリとカトレアを伺う。大人の魅力に満ち満ちた身体を小さく縮こまめて小刻みに身体を震わせるカトレアの姿に、ふっ、と小さく息を漏らす。

「そう、ね……ま、いっか。まだ色々聞きたいこともあるし、いいわ。あなただけ通れるようにしておくわ」
「っ! ありがとうございます」

 ぱあっ! っと華が綻ぶように笑みを浮かべるカトレアに向けてひらひらと手を振ると、イリヤは肩を竦める。

「ま、本当はここへ来るための術式はあるんだけど。でも、教えても使えないだろうし、それに……あなたならそのままでも平気だしね」
「では、ここへ来るにはどうしたらいいのですか?」

 小首を傾げるカトレアの鼻先に、ビシッ! と人差し指を突きつけたイリヤは、ニンマリとチャシャ猫のような笑みを浮かべる。

「むふふ……簡単よ。ここに来る前にシロウといたした(・・・・)ことをすればいいだけ」
「ここへ来る前? ん……っぁッッッ!!?」

 頬に指を当て少し前の記憶をさかのぼっていたカトレアの顔が、それ(・・)に思い至った瞬間火が付いたように真っ赤に染まる。はわはわと手と口を震わせるカトレアをニヤニヤとした笑みで眺めていたイリヤは、わざとらしく両手を開き驚きを示す。

「あら、わかっちゃった?」
「も、もしかして……」
「あなたなら一発ドンッとヤれば来れるわよ。ああ、でもその時は『大典太光世』は身体から離しておきなさい。枕元に置いていたら接触自体も無理だろうから、今回みたいに服と一緒にベッドの外にでも落としておけば問題ないわね」

 真っ赤に染まった身を震わせるカトレアに、形容し難い形に握った拳を差し向けたイリヤは力強く頷き、続いて「そうそう」と握った拳を開くと、指を立てて小さな子供に言い聞かせるように注意事項を上げる。

「―――……な、何で知ってるんですか?」
「え? それは…………」

 朱に染まった顔を眼前に突きつけられた指が揺れる度に上下させたカトレアが、何とも力の抜けた情けない声を上げる。するとイリヤはふと我に帰ったような真顔になると、「あ、やばい」とそんな擬音が見えるような態度で顔を逸らした。誰がどう見ても何か邪なものがあるといった態度を見て、カトレアは半眼でイリヤを睨み付ける。

「い、イリヤさん……もしかして―――」

 ジトォ~……とイリヤを睨みつけていたカトレアは、ハッと何かを察した瞬間椅子を蹴倒し勢いよく立ち上がった。しかし、その時にはもうイリヤの姿は眼前の椅子の上にはなく、遥か遠く花の(その)を駆けている姿が。

「ちょ、え? 速っ!?!」

 どこぞの怪盗もびっくりの素早さで逃げ出すイリヤの姿に、カトレアは椅子を蹴倒した姿のままで呆然と立ち尽くす。
 そんなカトレアに向け、もう手のひら大の大きさにしか見えない距離に立つイリヤから声が掛けられる。

「……―――シロウから貰った守刀はちゃんと身につけておくのよっ! いいわねっ! それじゃあっ!」
「あっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいっ! 聞きたいことがっ! まさかとは思いますが、覗い―――」

 言いたいことだけ言うと、身体を反転させ駆け出していくイリヤの背に、カトレアの悲鳴混じりの切羽詰った声が向けられるが、返答が帰ってくる筈もなく。全てを言い切る前にカトレアの姿は煙のように掻き消えてしまった。 





「っふぅ……危なかったぁ」

 カトレアが帰ったのを感じたイリヤは、足を止めると額に浮いた汗を手で拭い小さく息を吐いた。

「暇なのが悪いのよ……ええ、そう……暇という悪魔が私に囁いてしまったの……」

 腕を組み誰に言うともなく呟きながら『うんうん』と頷いたイリヤは、頬に手をやると雲一つなく晴れ渡った空を見上げる。空を見上げる目を細めると、苦笑混じりの声を漏らし、小さく肩を竦め顔を横に向ける。視線の先には満開の花が無数に咲き誇っていたが、イリヤの目はその中の一つ、いや、二つに向けられていた。

「はぁ……しかし『ルイズ』と『カトレア』ねぇ……『姉妹』か……あの二人とはある意味逆ね……」


 イリヤの視線に映る二つの花。

 
「ふふ……早くしないと取られちゃうんじゃない? 急いだ方がいいんじゃないの?」


 空を覆うように広がる淡桃と、凛と咲き誇る赤……。





「―――ねぇ……サクラ…………リン………」


 



 
 

 
後書き
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