秋雨の下で
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第五章
第五章
打席に入るのは平野光泰。俊足強肩の外野手だがパンチ力と勝負強さも備えている。侮れないバッターであった。
西本はここでも揺さぶりをかけてきた。伊達にそれぞれ全く異なる三つのチームをそれぞれ優勝に導いてきたわけではない。吹石にスチールを命じたのだ。
これに対し広島ナインは動けなかった。下手に動けば三塁の藤瀬がホームに突入するだろう。そうすれば同点である。それだけは避けたかった。
「仕方ないな」
古葉は顔を顰めてこう呟いた。そして平野を歩かせ満塁策をとることにした。
長いシリーズの歴史においてもこのような場面はかってなかった。最後の場面でノーアウト満塁。さしもの江夏の顔からも脂汗が流れ落ちた。
「おい」
古葉はブルペンに電話をかけた。
「いけそうか?」
彼は慎重な男である。こうした時に備え既にブルペンにピッチャーを送っていたのである。
この時ブルペンには池谷公二郎がいた。長年広島を支えてきたベテランである。
だが古葉はそれでもまだ危ないと感じた。球場の流れは完全に近鉄のものであった。
「いけるか」
そしてベンチに座っている北別府学に声をかけた。
「はい」
後に名球界に入るこの男は抜群のコントロールと多彩な変化球で知られる。急成長中の若きエースであった。
彼もブルペンに送った。そして古葉は元の場所に戻った。
監督としては当然の行為である。だがブルペンにいるピッチャーにとってはそうではない。
その一連の動きを見た江夏は顔を顰めた。彼はマウンドにいても常に球場全体を見るようにしていた。野球はマウンドだけでするものではない。グラウンド、そして両軍のベンチも含めた全体でするものだということをよく認識していたのである。
江夏はベンチの動きはよく理解できた。監督としては当然の行動である。
だがそれは監督としてであり選手、特にマウンドにいるピッチャーとしてはどうか。
ピッチャーは特別な人間だと言われる。マウンドで投げる。それだけのように思えるがそうではない。野球においては特別な意味を持っている。
野球はまずピッチャー、とよく言われる。投手陣が悪いチームは負けると言われる。実際にそれはかなりの部分であっている。この広島がここまでこれたのもストッパー江夏の存在が大きいことは否定できない。近鉄も井本隆や山口哲治の頑張りがありここまでこれたのだ。
その為にプライドが高い。我が儘で我が強いと称されることもある。
江夏は特にそうであった。彼は長年阪神のエースであった。そして今はストッパーである。大投手としてその自信は絶対的なものがあった。
「わしを信用せんのか」
江夏はそう思った。ここで広島ナインが彼のもとに集まった。
「監督のあれ見たか」
江夏はナインに対して言った。
「ああ」
彼等はそれに対して頷いた。古葉は表情を変えず彼等を見ている。
古葉という男は外見は温和だが内面は違っていた。策士であり勝つ為には何でもするところがあった。相手の弱点を徹底的に探し出しそこに集中攻撃を仕掛ける。実際にこのシリーズをここまで進めたのは彼のその采配によるところが大きかった。
近鉄の打の中心はマニエルである。確かにバッターとしてのマニエルは脅威である。抑えるのは容易なことではない。実際に江夏が第二戦で打たれ第四戦では先制アーチまで打たれている。だが彼にも弱点があった。
それは何か。守備である。マニエルの守備は呆れる程酷いものであった。
かって彼はヤクルトにいた。そして優勝に貢献した。だがそれでもヤクルトの監督広岡達郎は彼を放出することにした。
「守れない奴はいらない」
広岡はそう言い切った。彼はマニエルの守備に対し失格の烙印を押したのである。
それを受けたマニエルは近鉄に移った。近鉄はパリーグである。指名打者がある。マニエルはそこで打に専念し打ちまくったのである。
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