奇跡が起こる時
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第二章
第二章
だがチームの雰囲気は違っていた。明るく勝利への執念に満ちていた。
「何かが違うな」
彼はそう思った。そして不思議と練習に身が入り何時しか代打の切り札として重用されるようになった。
こうなると俄然やる気が出てきた。彼は元々明るい男である。近鉄の水がよくあったのだ。
時にはサヨナラ打も打った。そして近鉄の一員として活躍した。
「実績も何もない俺にここまでやらしてくれるなんてな」
彼はそれが嬉しかった。そして監督からの信頼も得た。だからこそこの日も声をかけられたのだ。
「今日は出てもらうぞ」
梨田は彼に対して代打の用意をするよう告げたのである。
「わかりました」
彼は答えた。そして気合を入れなおしマウンドに視線を送った。そこにはオリックスのストッパー大久保勝信がいた。彼は仰木に見出されそのシーズンはストッパーを務めていた。ルーキーながら見事な投球であった。
だがこの日の彼は好調とは言えなかった。まずは先頭打者の吉岡にいきなり甘い球を投げてしまう。
「来た」
物静かな男である。その声も小さい。だが意外な程のパワーがありそのバッティングは侮れない。
吉岡はほぼ無心でバットを振った。それはレフト前に行った。
続いて川口が入る。そのバットが唸り打球は右へ飛んだ。
それはツーベースとなった。一点入るか。だがそれは三塁ベースコーチが止めた。
次は助っ人ギルバートである。だがここで梨田は代打を送った。
「代打、益田」
増田大介、中日から移籍してきた男である。近鉄で頭角を現わし代打の切り札的存在となったところは北川と似ている。この時の近鉄の特徴としてこうした移籍組が活躍したことであった。派手なスラッガーだけで野球ができるのではない。それをわかっていない者が多いのも我が国の野球ファンの悲しい部分の一つだ。
益田は四球を選んだ。これで無死満塁である。
「満塁か・・・・・・」
観客達はゴクリ、と喉を鳴らした。
「もしかすると・・・・・・」
北川は以前にもサヨナラヒットを打っている。明るく波に乗りやすい男だ。
「一気に形勢が変わるかもしれへんな」
「そうやな。そやけど」
無死満塁、それを聞いて年配の近鉄ファンの間であの時のことが思い出された。
昭和五四年日本シリーズ第七戦。近鉄は九回裏に広島の守護神江夏豊を無死満塁にまで追い詰めた。今日のように。
だがその時は江夏の神懸りのピッチングにより抑えられた。この時の勝負は伝説になっている。
「けれど今日はあの時とは違うで」
誰かが首を横に振って言った。
「はっきり言ってしまえば明日勝っても優勝や」
そうであった。最早近鉄の優勝はほぼ確実である。だがファンの考えは違っていた。
「けれど今日優勝を見たいな」
「ああ」
それは皆同意見であった。次の試合からはロードだ。やはり優勝、そして胴上げは本拠地で見たい。そういうファンがドームに詰め掛けていたのだ。
北川は打席に入った。そして大久保を見た。
「よし」
だが大久保も負けてはいない。ここで意地を見せた。彼もルーキーで抑えを任されたプライドがある。
忽ちツーナッシングに追い込む。それを見たファンは駄目かと思った。
「ゲッツーだけはやめてくれよ」
北川は併殺打の多い男であった。どういうわけか勝負強さとそれは裏返しのような関係であったのだ。
「あの二人にまで繋ぐのは難しいかな」
梨田は北川を見てそう呟いた。あの二人とは言うまでもなく近鉄の二人の主砲ローズと中村である。
大久保は一球外した。これでツーストライクワンボール。だが投手有利な状況には変わりない。
「ゲッツーだけは勘弁してくれよ」
それは近鉄ベンチ、そしてファンの共通の考えであった。皆北川を祈るような目で見ていた。
「ここで見たいんや」
「頼むで」
祈るように見る者もいた。だがそこにいる者は皆奇蹟を信じていたわけではなかった。ただ繋いでくれることだけを期待していた。
大久保が投げた。そのボールを見た瞬間北川は思った。
「いける!」
打てる、そう確信した。ボールの動きにバットを合わせる。
スライダーであった。北川はそれをすくい上げた。そしてバットに乗せそのまま振り切る。
ボールは高く上がった。そしてそれはゆっくりと天を舞った。
「何ッ!」
それを見た近鉄ベンチが思わず総立ちになった。そしてボールの行方を見守る。
「まさか・・・・・・」
ボールは落ちていく。その場所は。
バックスクリーンの左奥であった。ボールはそこに飛び込んだ。
「な・・・・・・」
それを見て呆然となったのは近鉄ナインやファン達だけではなかった。オリックスのベンチにいる仰木も思わず我を失った。
入った。ホームランである。サヨナラだった。
ただのサヨナラではない。代打逆転サヨナラ満塁ホームラン。長い我が国のプロ野球の歴史においても数える程しかない極めて稀少なサヨナラアーチである。
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