知と知の死闘 第二幕
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第四章
第四章
第四戦。この試合に勝てばヤクルトは王手をかける。西武が勝てば五分と五分に持ち込む。そうなれば西武は息を吹き返すだろう。このシリーズのターニングポイントとなるであろう。試合だった。
西武の先発は前のシリーズMVPの石井丈裕、対するヤクルトは川崎であった。
彼は昨年右肘の故障により一度もマウンドに立っていない。そしてこのシーズンは復活し十勝を挙げたものの胴上げの時には風邪をひきいなかった。巡り合わせが悪いのか運の無い話であった。だからこそこのシリーズにかける意気は違っていた。
彼は投げた。飛ばした。この日神宮はセンターからホームにかけて強い風が吹いていた。彼はそれにボールを乗せストレート主体のピッチングをし西武打線を寄せ付けない。その彼に対して打線も応えた。
四回裏古田、広沢等の連打で一死満塁のチャンスを作る。ここでバッターボックスに池山が入る。
池山は『ブンブン丸』のあだ名が示す通りパワーヒッターとして知られている。とにかく豪快なバッティングが有名な男である。
当然この時も長打を狙っていると誰もが思っていた。だが彼は違った。
彼はこの時神宮に吹く強い風を意識していた。そして長打狙いを止めた。
石井の手からボールが放たれた。池山は足を高く上げる。
いや、上げなかった。何と風に逆らわず右に流したのだ。
ボールは外野フライとなった。そしてそれが犠牲フライとなり一点が入った。貴重な先制点だった。
いつもの強打を棄てたチームプレーに徹したバッティング、それが功を奏したのである。
試合は進み八回表、西武の攻撃であった。川崎はコントロールを崩し連続で四球を出す。西武は二死一、二塁。森はここで二塁ランナーに代走で苫篠誠治を送る。俊足の男である。
バッターは三番鈴木健。一発がある。だが野村はバックホームも考慮に入れ外野陣には中間で守らせていた。
だがセンターの飯田は違っていた。野村のサインを無視して定位置より前に出て守っていた。
「あいつは何を考えとるんや」
野村は眉をひそめた。だがベンチからではどうしようもない。とりあえずは黙っていた。
川崎は初球を投げた。ストレートだ。鈴木はそのストレートを弾き返した。ボールはセンター前に飛んだ。
二塁ランナー苫篠は三塁ベースに向かう。伊原がその右手を激しく回している。それに応え三塁を回った。誰もがそれを見て思った。
「同点だ!」
神宮の社を悲鳴と歓声が覆った。川崎も覚悟した。森はニヤリ、と笑った。
だが次の瞬間森の顔は凍り付いた。彼は信じられないものを見たのだ。
何と飯田がボールに突進している。そしてそのボールを絶妙なステップで素早く処理するとすぐさま全力で投げた。白い球が今流星となって神宮の緑の芝の上に放たれた。
ボールはダイレクトでホームを守る古田のミットに吸い込まれた。苫篠は驚愕した。だが彼もその足を知られた男である。そのまま突入し古田の鉄壁の防御を打ち砕かんとする。
両者は激突した。球場が一瞬静まり返った。
「セーフか?」
「それともアウトか?」
皆ホームに目を集中させる。主審の手がゆっくりと動きはじめる。
彼はその上げた手を次第に拳にしていく。そして突き上げた。
「アウト!」
彼は叫んだ。その瞬間神宮は再び歓声と悲鳴に包まれた。飯田のまさかのファインプレーであった。
このプレーが決め手となった。最後は高津がマウンドに上がり西武を退けた。一対零、かろうじて、だが確かに掴んだ勝利であった。これでヤクルトは王手をかけた。
時として野球は守備がものをいう。五九年のシリーズにおいて大沢の守備が杉浦を助け、七九年前期の近鉄の優勝が平野の執念のバックホームで決められたように。それを世に知らしめたのが他ならぬ西武であった。西武の強さはその絶対的な守備によるところも大きかったのだ。
その西武を驚かせた飯田の守備、それこそがヤクルトの成長の証であったのだ。
このシリーズ、西武にとってホームは遠かった。前年以上に苦しい戦いであった。
「これで後が無くなったな」
森は静かに呟いた。最早劣勢は明らかであった。
「だが負けるわけにはいかん」
森もまた一代の知将である。そう簡単に負けてはその名が廃る。そして彼はまだ自分のチームの力を、そして勝利を信じていた。
「見せてやる、うちの底力を」
西武はその土壇場での恐ろしいまでのしぶとさで知られていた。彼はそれを見せつけるつもりであった。
誰にか。野村やヤクルトナインにか。確かにそうである。だが彼等に対してだけではない。自分達を応援し、日本一を待ち望んでいるファンにも見せたかったのだ。
それがプロだ。勝ちファンと喜びを分かち合う。その為にも彼は諦めるわけにはいかなかった。
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