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銀河英雄伝説~美しい夢~

作者:azuraiiru
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第八話 ベーネミュンデ侯爵夫人(その2)

■ 帝国暦486年7月25日  オーディン ブラウンシュバイク公爵邸  アントン・フェルナー



エーリッヒは居間で大公夫人、フロイライン・ブラウンシュバイクと供に三時のティータイムを楽しんでいた。今日は仕事は休みだ、エーリッヒは軍服ではなく私服を着ている。薄地の淡いブルーのワイシャツと白のスラックスだ。帝国の実力者というよりごく普通の穏やかな若者にしか見えない。

大公夫人もフロイラインも楽しそうに笑い声を上げている。あいつは女性受けが良いんだよな、穏やかで優しくてちょっと鈍感で不器用な所が有る。どういう訳か女達はそういうエーリッヒに弱いらしい。ほっとけなくなるんだな。そのくせ本人は女にはあまり関心を持たない。もったいない事だ。

さて、どうしたものか……。エーリッヒに対してベーネミュンデ侯爵夫人の不穏な動きを伝える手紙が届いた。エーリッヒは侯爵夫人の周辺に手紙を書いた人間がいると見て俺に調査を命じたが……。ティータイムが終わるのを待つか、それとも呼び出すか、考えていると大公夫人が俺に気付いた。

「フェルナー大佐、エーリッヒに用かしら?」
「はい、ご休息中申し訳ありませんが……」
俺と大公夫人の遣り取りにエーリッヒが静かにティーカップを下ろすのが見えた。

「頼んでおいた例の件かな」
「はい、御報告をと思いまして」
「分かった。アントン、私の部屋に行こう」
「恐れ入ります、公」

「申し訳ありません、義母上、エリザベート。急用が出来ました」
「残念だけど仕方ないわね、エリザベート」
「はい」

残念そうにする女性二人に謝罪をするとエーリッヒは席を立った。鈍感なんだよな、それとも仕事熱心なだけか、どちらも女性にとっては嬉しい事ではないだろう。エリザベート様も苦労するな。

居間を出てエーリッヒの書斎に向かう。殺風景な部屋だった。絵画や彫刻などは欠片も無い。本棚の他には執務用の机とソファーと通信装置、それと休息用の簡易ベッドが有るだけだ。おかげで部屋がやたらと広く感じるし唯一目を引く本は実用書ばかりで殺伐としている。

官能小説を置けとは言わないが恋愛小説とか詩集とか置けないものか……。どんな貧乏貴族でもこれよりはましな部屋に居るだろう。絵でも飾るようにするか、余り大きいのは駄目だな。適当な大きさの風景画ならエーリッヒも嫌とは言わないだろう。

ソファーに座るとエーリッヒが話しかけてきた。
「どうかな、何か分かったかい?」
「はっ、公爵閣下の……」
「アントン、その公爵閣下というのは止めてくれないか」

エーリッヒがうんざりしたような顔をした。
「人前では仕方ないが、二人だけのときは名前を呼んでくれ、これまでのように」
「……」
「私は私で有りたいんだ、公爵閣下と呼ばれて喜ぶような人間にはなりたくない。変な特権意識など持ちたくないんだよ、アントン」

思わず苦笑が漏れた。普通の奴なら喜ぶんだけどな。まあでも、こいつは普通じゃないか……。ブラウンシュバイク公爵家は妙な当主を持つことになったな。
「分かった、但し二人だけの時だけだ。俺も新当主の友人である事を故意にひけらかしている等とは周囲に思われたくない」

俺の言葉にエーリッヒは頷いた。
「仕方ないね、お互い窮屈になった。それでどうだった?」
「卿の睨んだ通りだ。グレーザーという宮廷医がベーネミュンデ侯爵夫人の下に時々出入りしていた。手紙を書いたのはグレーザーだ」
「彼と話は出来たのかな?」
「ああ、酷いもんだったよ、あれでは逃げ出したくなるのも良く分かる」

グレーザーの話ではベーネミュンデ侯爵夫人のグリューネワルト伯爵夫人、ミューゼル大将への敵意は尋常ではないのだと言う。ミューゼル大将へ何度か暗殺者を送った事もあるらしい。そして今度は伯爵夫人を身篭らせろと命じた、もちろん皇帝以外の人物とだ。そうすれば、ミューゼル大将も、伯爵夫人も一挙に始末できる。

「しかし、そんな事は不可能だろう?」
エーリッヒが呆れたような声を出した。
「もちろん宮中にいる限りそんな事は出来るわけが無い。だから……」
「だから?」

「伯爵夫人を宮中から追い出せと命じたらしい、それからなら出来るだろうと」
「やれやれだね」
エーリッヒがウンザリした様な口調で首を振った。俺も肩を竦める。

「常軌を逸しているよ、グレーザーは恐怖に駆られて手紙を出した。俺に話した後はホッとしていたよ」
「巻き添えは御免という事か」
「ああ、俺だって同じ事をしただろう」
「卿にそう言わせるとはよっぽどだな」
思わず二人で顔を見合わせ苦笑した。

「エーリッヒ、グレーザーがブラウンシュバイク公爵家の庇護を願っている」
「……」
「俺が思うにグレーザーは限界だな、こちらで保護した方が良いと思う」
エーリッヒは小首を傾げて俺を見ている。はてね、保護には反対か? こいつは弱者には結構甘いんだが……。

「それを決める前に確認したい事が有る。侯爵夫人を煽っている人間はいないかな、私の考えすぎかい、アントン」
なるほど、確かにまだ報告が途中だった。いかんな、これは友人への相談じゃない、主君への報告だ。気を引き締めろ、アントン・フェルナー!

「済まん、順序が逆になった。侯爵夫人を煽っている人間は確かに居る、流石だな」
俺の言葉にエーリッヒは顔を顰めた。
「おだてても何も出ない。……やはり居たか」
「ああ、煽っているのはコルプト子爵だ」
俺の言葉にエーリッヒの顔がますます渋くなった。

「……フレーゲル男爵が居なくなってコルプト子爵が後釜になったか……」
「卿、知っていたのか」
「……まあね」
俺の問いかけにエーリッヒは曖昧な表情で頷いた。

なるほど、既にブラウンシュバイク公爵家の事は調査済みだったか。おそらく親族であるフレーゲル男爵の事も調べたのだろう。その過程でベーネミュンデ侯爵夫人の事も調べた。となるとグレーザーの事も既に知っていた?

やれやれ、新公爵閣下は見かけによらず手強くなかなか喰えない。もっともそのくらいでないと仕えがいが無いのも確かだ。楽しくなりそうだな、思わず苦笑が漏れた。

「ミューゼル大将を誹謗していたそうだ、ミッターマイヤー少将のこともね」
「コルプト大尉の射殺を恨んでということだね」
「ああ、そうなる」
コルプト子爵は弟をミッターマイヤー少将に射殺された。非は軍規を乱したコルプト大尉にある。しかし子爵はそれを受け入れられないのだろう。

そしてミッターマイヤー少将はミューゼル大将の部下になった。ミッターマイヤー少将に復讐するにはミューゼル大将が邪魔だ。そこで子爵はミューゼル大将に敵意を持つベーネミュンデ侯爵夫人に目をつけた……。敢えて説明するまでもないだろう。

「どうする、エーリッヒ」
俺の問いかけにエーリッヒは視線を落とし伏し目がちになった。考え事をする時の癖だ。水が有れば飲んでいるところだな。

「グレーザー医師はブラウンシュバイク公爵家で庇護しよう。今回の一件の生き証人として使える」
「それで、コルプト子爵、ベーネミュンデ侯爵夫人は?」

「放置は出来ない、先ずはコルプト子爵を抑える必要があるだろうね。彼を抑えグレーザー医師がこちらに居るとなれば侯爵夫人も少しは大人しくなるだろう」
「いっその事ミューゼル大将、コルプト子爵、ベーネミュンデ侯爵夫人をまとめて始末するというのはどうだ」

冗談めかして提案したがエーリッヒは笑わなかった。少しの間俺を見ていたが俯くと考え込んだ。
「……」
「喉が渇いたな、水を持って来よう」
「うん」

生返事をするエーリッヒを部屋に残し水を取りに行く。本来なら誰か人を呼べばいいのだが今は一人にした方が良いだろう。やはりエーリッヒはミューゼル大将を恐れている。今のところ友好的ではあるが以前公爵になる前に言った通り、危険だという認識は変わっていない様だ。或いは払拭できずにいると言う事か……。

水を持って部屋の戻るとエーリッヒはまだ俯いていた。グラスを渡すと一口飲んでテーブルに戻す。
「で、どうする、やるか?」
問い掛けるとようやく顔を上げた。

「いや、それは駄目だ」
「……駄目か」
「うん、彼はこちらに協力的になっているし対同盟の事も有る」
エーリッヒの答えは自分を納得させようとしているかのようだった。かなり迷ったな。

「対同盟と言うと」
「手強い相手がいるからね。彼に勝てるのはミューゼル大将ぐらいのものだろう」
「そんな手強い相手がいたかな」
俺の見る限り、エーリッヒの軍人としての能力はかなりのものだ。ナイトハルトもやるがエーリッヒには及ばない。そのエーリッヒがそこまで恐れる? ミューゼル大将以外にか? 一体誰だ?

「……ヤン・ウェンリー」
「……エル・ファシルの英雄か」
俺の言葉にエーリッヒが頷いた。
「恐ろしい相手だ、戦術レベルではミューゼル大将でも勝つのは難しいだろう。良くて引き分けかな」

「卿とはどうだ」
「話にならない、負けないように戦うのが精一杯だ。それでも負けるだろう、長引かせるのが精々だよ」
「ふむ」
エーリッヒは渋い表情をしている。この手の判断でエーリッヒが誤まる事は滅多にない。しかし、それでも疑問が有る。

「まぐれじゃないのか、あれ以降はパッとしていないが」
俺の問いかけにエーリッヒはすっと視線を外した。
「いや、まぐれじゃない。用兵というのは結局のところ個人の能力と感性に負う部分が多い。同じような戦局でも指揮官が違えば戦闘推移も結果も違うのはその所為だ」

確かに、人によっては攻勢を執るだろうが別な人間なら守勢を執る……。エーリッヒが視線を上げた。そして俺に視線を当てた。
「つまり軍事的な才能と言うのは努力よりも持って生まれた資質の方に左右されるんだと思う。自由惑星同盟のビュコック提督は兵卒上がりだが同盟でも帝国でも名将と評価されている事を思えばどうしてもそう考えざるを得ない」

「なるほど、努力より才能か。非道徳的な学問だな、努力を虚仮にするとは」
俺の言葉にエーリッヒはニコリともせずに頷いた。冗談だったんだが面白くなかったか……・

「士官学校での教育は軍人として最低限の知識を与えるという事だと思う。そう考えると軍人としての能力、これは与えられた知識をどう活用できるかという事だろう」
「そして感性と言うのはどの知識を選択するかという事だな……」
エーリッヒが頷いた。水を一口飲んでから言葉を続ける。
「戦術シミュレーションはその選択肢を増やすという事だと思う」
「なるほど」

「エル・ファシルの一件は将に彼の能力が顕著に示されたケースだと思う。ああいう敵に包囲されてから民間人を連れて脱出なんてシミュレーションをやった事が有るかい?」

「いや、無いな。シミュレーションは殆どが艦隊決戦を前提としている」
「その通りだ、つまりヤン・ウェンリーは参考にすべき事例を持っていなかった。あの作戦は彼のオリジナルの作戦なんだ。怖いとは思わないか?」
「……」

「彼は民間人を押し付けられ、しかも味方から切り捨てられた。しかし自分が切り捨てられたことを的確に察知し、それを利用して奇跡を起こした。味方を囮にしてね。奇跡と言う言葉に惑わされがちだが冷徹だし非情と言って良い。能力、冷徹さ、非情さ、そのどれが欠けてもあの奇跡は無かった。極めて危険な相手だよ」

なるほど、まぐれではないか。ただ単に味方を利用したなどという事ではない、だとすれば恐るべき存在なのかもしれない。それにしても良くそこまで相手を見ているものだ。俺がヤンならエーリッヒこそ恐ろしいと言うだろう。ヤン、ミューゼル大将、そしてエーリッヒ……。一体これからどうなるのか……。

「手強いな」
「うん。今は未だ階級が低い、だから自由に動く事が出来ずにいる、力を発揮できずにいるんだと思う」
つまり、これから先階級が上がれば、自由裁量権が大きくなれば手強くなる……。

「ミューゼル大将は必要か……」
「彼がいなければ帝国軍の被害はかなりのものになる、私はそう思っている」
毒を以って毒を制す、そんなところだな。エーリッヒは冴えない表情をしている。内憂外患、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。

「となると先ずはどうやってコルプト子爵を抑えるかだな」
俺の問いかけにエーリッヒは嬉しそうに微笑んだ。
「私はブラウンシュバイク公爵家の当主だからね。せいぜいそれを利用させてもらうさ。私を嵌めた連中にも協力してもらう」
また碌でもないことを考えているな、こいつ。最近皆の玩具にされてて鬱憤が溜まっている、哀れなコルプト子爵をいたぶって楽しむつもりだ。

「アントン、楽しくなりそうだね。卿はこういうのが好きだろう」
「まあ、嫌いじゃない。俺だけじゃないぞ、アンスバッハ准将もシュトライト准将も好きさ」
「じゃあ、さっそく始めようか」

にっこりと笑うエーリッヒにほんの少し悪戯がしたくなった。
「公爵閣下の御心のままに」
途端にエーリッヒが憮然とするのが見えた。


 
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