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アセイミナイフ -びっくり!転生したら私の奥義は乗用車!?-

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第3話「私、試してみる」

翌日。その日は日が照って、とてもとても過ごしやすい日だった。万人にとっては。

…しかし、イダにとってはそうではなかったようだ。まあ、仕方ないといえるだろう。

(…どうしてこうなった)

イダはそう思いながら、目の前で目を輝かせる桃色のグラスランナーと、鋭い目線を向ける金色のエルフを

苦々しげに見つめていた。

「…話してくれ。あのバッグはなんだ?この箱は?それに、なぜ…」

詰問する口調のエルフ…ジェイガンはそこまで言って言葉を継ごうとした。それを阻んだのは

桃色のグラスランナー…グウェンだった。

「そんなきっつく言うもんじゃないにゃ。にゃあ、マイシスタ?教えてよう。あのでかい車なにィ?

わちき、超欲しいから今すぐ寄越せ☆」

グウェンは好き勝手なことをほざくが、イダには困るばかりだ。

「いや、あの…それは…ええと」

困った。その思考がイダを支配している。昨日の意気揚々とした眠り際が嘘のように狼狽していた。

「それは…その、うん…私にもわかんない。なんか急に使えるようになったんだけど…」

イダはそう言って頭を振る。はっきり言って、「私転生者でした!魔王を倒す勇者候補です!」なんて、

言ったところで狂人扱いがオチだ。だったら、突然芽生えたちから、ということにしておこう、と思っていた。

「…わかった。信じる。だけど、教えてくれ。この箱はなんだ?そして、なんでお前の波動…マナやエーテルの

流れが変わってるんだ?それを聞かないと、俺は安心できない」

ジェイガンは至極まじめにいう。マナやエーテル…この世界の根幹をなす精神的物質と半精神的物質である。

それらは魔素、神素とも呼ばれ、この世界のあらゆるものに宿り、そして生み出されている。

その流れが、今までと異なっているという。それは普通には起き得ないことであった。

「…そんなの…いや、この箱はわかるよ。この箱は「ノートパソコン」って言うの。それはわかる。

でも、私の魔素や神素がどうこうなんて、私にはわからないって…」

その言葉にジェイガンは一瞬目を細め、そしてため息をつく。

「なるほどねえ…時たま居る、って聞いたことがあるが、お前がそうなのかあ…なんてこったい」

嘆息するジェイガンに、イダは「たまに?」と聞き返した。

「ああ。この世界の法則と違うものを呼び出せる奴がたまにいる、って話さ。詳しくは識らないぜ。

族長や長老でも断片的にしか識らない話しらしいしな…そうか、そういうことか」

一人うんうんと納得する彼に、イダは逆に聴き始める。

「それってどういうこと?私以外に、こんなこと出来る人がいるっていうの?」

「…族長がもう400歳を超えることは知っているな?族長がまだ100歳にもならない頃、この世界のものではない

存在を呼び出す女性に会ったことがあるそうだ。彼女はプロイスジェクの初代皇帝に近しい人物で、

その力で皇帝を助けていたらしい。俺も、よくは知らんが」

イダの質問に軽くそう答えると、ジェイガンは黙りこくる。その代わりに話し始めたのはグウェンだった。

「えー、マジで初代皇帝のあの噂ってマジだったんにゃ?妾を参謀にしてたとかなんとか。ほむぅ~?」

グウェンはひとしきり驚いた素振りを見せると、ニカ、と笑ってイダを振り向いた。

「じゃーさぁーやっぱり秘密にするしかないよにゃあ、ウェヒヒヒ♪エルフの族長とかの説得はお任せなり☆」

グウェンが悪い笑みを浮かべてイダに近寄ると、その胸に飛び込んだ。

「まあ、そういうわけにゃんで、あの車、わちきにちょーだい。ねえ、マジでマジで♪」

楽しげにそう言って、彼女の胸に顔を埋める。「きゃ~いいにお~い~うへへへへ…」と言いながら。

「ええい!やめい!暑っ苦しい!!」

ガス、とグウェンの顔面を縦に割るように手刀をぶちかまし、イダはジェイガンを振り向いた。

「…ほんとに、信じていい?あの…ごめん、その、これって多分、今は秘密にしておきたいの。でも…」

「でも、なんだ?」

イダの珍しい気弱な声に、ジェイガンもまた真剣になって短く尋ねた。

「でも、この力、宿を…カヴェリを建てなおすのに使いたいの。お願い。一緒に考えて!ジェイガン、グウェン!」

…まるで迷子の子供のようにイダは叫ぶ。その声に欠片も巫山戯た色は見えない。いつもの彼女らしくもなく。

「…わかった。ただ、一つだけ約束して欲しい。必要な時になったら、その力…我らが族長、

そしてグラスランナーの長には知らせて欲しい。もちろん、必要な時が来たら、でいい。あの車のことは、

俺とグウェンでごまかしておくよ」

ニコリと笑ってそういうジェイガンに、先程までの剣呑な雰囲気はもう見えなくなっていた。

「…ありがとう。良かった…ほんとに。」

イダは安堵してそうつぶやく。呟いたら、急にお腹が空いてきた。そういえば、もう太陽は中天を過ぎている

というのに、彼女は今日何も口にしていない。両親が、さすがに疲れているだろう、と慮ったお陰で。

ぐう、と小さく音が鳴る。イダのお腹が鳴った音だった。

「あう…やばい、お腹すいた…」

イダは弱々しくそうつぶやくと、ベッドに座り込んだ。そして、ふと思い出す。

(…そういえば、そう言えばが多いけど、あのバッグ…あの同意書と一緒においてあったものだよ…ね。

じゃあ、一緒にあったズタ袋はなんだろう…)

そう考えたら、後は行動あるのみ、と彼女は考えをお腹からその袋へと切り替えていた。

「…じゃあ、もうひとつ、使える力があると思うんだ。見てて」

イダはそう言うと、驚く二人を尻目に手に意識を集中した。

(お願い、出て。あのズタ袋…!)

念じて直ぐに反応がある。ズン、となにか大きなものを地面に落としたような音を立てて、何か手に握られる。

「…これは…」ジェイガンは訝しげに、グウェンは目を爛々と輝かせて彼女の手に握られた大きなズタ袋を

見つめている。それは、本当に汚いズタ袋、という体で口が彼女の手に握られていた。

「…何が入ってるんだろう」「やめろ!危険かもしれないぞ!」ジェイガンの声が聞こえる。だけど、イダは。

「試してみないとわからないから、試してみる。危険そうだったら、離れてて」

まるで危険などない、と確信しているかのように、ズタ袋に手を突っ込み、そして引きぬいた。

…引きぬいたその先に何があったか。それは…

「うおおおおおおおおお!?!?すんげーにゃ!これ、りんご!?ねえねえ、りんごでしょ!?」

グウェンが足をばたつかせながら、イダが手に持ったそれを奪い取った。

それはまさにりんごだった。それも、見よ。最高の「ふじ」だ。生前のイダ…つくしが一番好きだった品種のりんご。

それはイダの昨晩の想い…「甘いモノが食べたい」という欲望を忠実に具現したかのような、

見るだけで喉の鳴るような見事なりんごだった。

「…おいおい、マジか。りんごなんて、大陸西部まで行かないと食べられないっていうのに…!?」

ジェイガンは心底の驚愕とともに、グウェンからその熟した身を奪い取る。

「…俺も実物は初めて見るぞ。どういうことだ?その袋…中を見ていいか?」

ジェイガンはそう言うと、イダが促されるままに渡したズタ袋の中身を見る。

「…何もない、だと?」

そう、その袋には何も入っていなかった。それこそ、何も。空気すら入っていないのではないか、と

思えるほど、チリひとつ入ってはいなかった。

「ほんとに何も入ってないわね…えっと、じゃあ、私がなにか取り出してみるね。うーん…よっと」

イダが再び手を入れると、手を入れた一瞬、中身が何も見えなくなる。そして…次の瞬間。

「これは…柿、伝説の柿にゃ!?うそーーーーーん!?ええええええ!?マジカ!マジかにゃ!?」

今度はグウェンが素っ頓狂な叫び声を上げた。そう、それはイダも知っている。柿はこの大陸に一切ない。

荒れる大洋とも言われる東方大洋を乗り越え数千里を行ったところにある東方大陸にしか存在しない、

この大陸では柘榴などと共に「伝説の果物」とまで呼ばれる貴重な果物であった。

「ねぇねえ!食べていい!?食べていいかにゃ!?ねえねえ!!にゃあにゃあ!」

グウェンが体中を躍動させながら、イダの腕の中で悶える。その勢いに負け、イダがそれを渡すと、

彼女はまるで飢えた餓鬼のようにそれを貪り尽くした。

「あめええええええ!!まじあめえええええ!やばい!死ぬ!死んでもいいにぇええええ!!」

すると突然叫びだす。無理もないだろう。砂糖ですら貴重なこの遣いの森。

…その中で、柿、それも甘柿とは「和菓子の基準」とまで呼ばれる糖度の高い果物である。

彼女が叫びだすのも、むべなるかな、と地球の歴史を知るイダは思っていた。

「ああーーーーー!!?俺にも、俺にも寄越せよッ!どういうことだグウェエエエエン!!出せえええ!!」

「早い者勝ち!早い者勝ちにゃあああ!!もう食べたから!食べたから無理にゃああああ!!

お前はりんごを食べろにゃあああああ!!」

「おう分かった!欠片も残さず食ってやる!!」

普段冷静なジェイガンまで叫びだす。もはや混沌とした場で、イダは逆に冷静になっていた。

(…これは、多分…食べ物。それも私が知ってる食べ物を出す道具なんだ。やばい。チートすぎる)

そう思いながら、彼女は三度袋に手を突っ込む。今度は、もっと食べでのある食べ物がいいと思いながら。

(カレーライス~~~カレーライスでろ~~~カレー~~~!)

そう思いながら手を外に出した時、手とともに大量の「香辛料」と「籾米」、そしてドロドロとした蜂蜜が

飛び出していた。

「のえええええええええええええ?!!!なんじゃ、なんじゃこりゃああああああ!?!?」

手にベッタリと蜂蜜が、そして床には香辛料と籾米の粒が大量にぶちまけられる。

イダも混乱して叫び始め、もはや収集など付きようはずもなかったのである。



―――混乱が収まるまでおよそ15分。

正気に戻った三人は肩で荒い息をつきながら、床にぶちまけられた香辛料や籾米、蜂蜜…

そして、それらについで現れたバターの材料と思われる牛乳やルーの元ネタと思われる小麦、

牛肉の塊に各種野菜など…

カレーの材料の掃除をしていた。いや、それは掃除というよりも収拾に近かった。何故ならば…

「…クミン、コリアンダー、それに胡椒に唐辛子…山椒…なんだこれは…見たことねえ。うわあ、うわあ…」

金の髪をかき乱して、ジェイガンはそれらを一粒一粒丁寧に拾い集めていた。

「まるで宝の山にゃ…この香辛料、多分、全部でカサス金貨3~4枚になると思う」

グウェンは呆れた顔でそれを拾い集めるジェイガンを横目に見てそう言った。

「…だよ、ねえ。私も…見たことないのばっかりよ」

イダはそう言って心の中で「この世界では」と付け加えた。

彼女の知るかぎり、この世界の技術レベルは中世から近世の辺り。

火縄銃や大筒が存在するのは、おそらくプロイスジェク帝国だけだ。

その世界で…しかも温暖湿潤とはいえ香辛料の生息には適さない森の国プロイスジェクで、香辛料は値千金の存在である。

香辛料自体は南方諸国で栽培されてはいるが、彼らの政策により一般に流通するほどの量は作られてはいない…

因みに、カサス金貨とはプロイスジェク帝国で流通している金貨である。1枚でヘリク銀貨10枚、ケーロス銅貨200枚になる。

それが3~4枚…普通の一般庶民はカサスが5枚もあれは1年は遊んで暮らせる。

つまり、あのズタ袋から出たものはそれだけの価値を秘めているということだ。しかも。

「しかもーしかも。これ、イネだよ、イネ。柿ほどじゃないけど超珍しい食べ物にゃ。アルロヴァーナにゃあ、

南方のあっついトコじゃないと作れないやつだよね~これも全部で銀貨2~3枚の値段はするなり」

グウェンはニコリとも笑わずそれを手に取り、香辛料たちと慎重に選り分けて袋に詰めていた。

「一体何を出そうとしたニャリ?」

グウェンが多少咎めの色をにじませながら、イダに問いかけた。

「いやあ、南方の王宮料理で、香辛料とか野菜をいっぱい使った料理があるって聞いててね。それを出そうと」

慌てふためきながら、わてわてと言葉をつなぐイダの姿を見て、二人は嘆息した。

更にグウェンはその言葉に「うっは、贅沢極まる願い事にゃあ」と呆れ半分な声を出し、収集作業を再会するのだった。

「料理の材料になる実や肉を喚び出すことの出来る袋か…これは、やばいな。

これを人に知らせるわけにはいかんだろう。ヘタな材料で料理すりゃ、噂が広がって…最悪、官吏に捕まっちまう」

ジェイガンは至極まっとうな意見を言いながら、その香辛料…胡椒の最後の粒を自分の袋に入れていた。

「いくら俺たちエルフが現世利益に疎いからといっても、こんなもんを見せたらそうなることくらいはわかる」

ため息をつきながら、彼は難しい顔をして腕を組みうつむいた。

「…ええっと…」

冷めたグウェンと困るジェイガンを余所目に、イダはそれがどんなものなのか考えていた。

(…材料、材料ね。このズタ袋は材料を喚び出すもの!これは使える!)

そう心の中で思い、グウェンとジェイガンを見やる。彼らはいつの間にか少女を見つめ、何事かを言いたそうに

していたのだが…口火を切ったのはイダの方だった。

「…多分、ジェイガンが言った通り、料理の材料を喚び出すものなんだと思う。

私、もし、できたら、と思って色々思い浮かべてみたんだけど…」

イダはわざと自信無さ気にそう言った。内心では、かなり自信を持っていたが、あまり気取られたくもなかった。

そうして、これの有効な使い方を考えよう、と彼女は呟いた。

「そりゃ、考えるけどな…まさか、店で香辛料やイネをふんだんに使った料理を出すわけにはいかんだろ。

どう考えてもすごい噂になるぞ。あの小さな森の宿では、王宮でも食べられないような料理を出す、なんて恐ろしいことになる」

ジェイガンが確信を持ってそう言うと、イダも「そうだよねぇ…」とため息を付いた。

「それでどっさりリピーターがついちゃったら、それこそ族長さんに怒られちゃう」

「にゃ。それはエルフのほーだけにゃ。わちきらの大爺さんはむしろ金が手に入る、って喜ぶと思うにゃりん」

イダのため息に、グウェンの楽しげな声が重なり、ジェイガンははぁっ、と溜息をついた。

「我らが族長を怒らせるとあとが怖いぞ。そもそも、あの方が…」

ジェイガンがゴニョゴニョと族長について、何やら良からぬ悪口に類する言葉を連ねていると、グウェンが口を開いた。

「べっつにリピーターが増えてもいいんじゃにゃいかにゃ~要は、リピーターが新客を連れてこなきゃいいにゃ。

だとすると、会員制ですごい料理を出すけど会員数は決まっていて…とかスレばいいんじゃないかにゃ。

元々冒険者の連中も、そんなに大量に来るわけじゃにゃいし、口止め料的に超豪華なのを出せばいいにゃあ」

グウェンは袋の中の香辛料の匂いを嗅いで、恍惚としながらそんなことを言っていた。

「うーん、とりあえずそのへんはおいおい考えるとして、今はこの力の内容を見極めることを考えようか」

イダは考えを切り替え、そう二人に言うとバッグのほうを呼び出した。

「とっころでえ、そのの~とぱそこん、とかいうのどんなものなの?わかるって言ってたよにゃ?」

少女は目を輝かせ、見た目は彼女よりも少し年上の少女のパーソナルスペースに躍り込み、その胸にすがりついた。

「…相変わらず、ロリコンなのね、グウェン。もう22歳のくせに。だから同世代の同族にモテないのよ。顔はいいのに」

イダがげんなりと窘めると、グウェンは悪びれもせず「にゃあ、わちき、「黙ってれば美人」を目指して邁進中にゃあ」と

割りと顔の作りの普通、或いは悪い人からすれば殺意の沸く言動を吐いていた。

「で、ロリコンって何?稚児趣味のこと?うへへへ、それどこの言葉?」

―――こいつ、どっか気づいてんじゃないのか、と思いつつイダは軽く「そーよ。どこの言葉とか知らない。

いつもどおりよ」と流して頭を垂れる。彼女は記憶を取り戻す前、日本人だった頃の言葉を時たま使っていた。

故に、いつもどおり。ふたりとも慣れたもので、そういうものか、と頷く。

「うーん…とりあえず起動してみるわ。」 ―――動くかどうかもわからないし。

心の中で付け加え、イダはつくしだった頃愛用していたノートパソコンの電源を上げる。よかった。動く。

かつては見慣れていたWindowsのロゴを懐かしく眺め、そして驚嘆の表情を浮かべる友人二人をちらりと見ると、

いつもどおりにパスワードを入力してログインを行った。ログイン音は「You Are My Sunshine」の歌い出しだ。

「ちょ…声が出た!?声が出たにょ!?」

大げさに驚くグウェンの頭を避け、ジェイガンがつぶやく

「…どこの言葉だ、これは。全然読めないな。」

英語や日本語の羅列を見て、それがおそらくは文字であることがわかったのだろう。ジェイガンはそう呆然と呟く。

「さあ…でも、私、読めるわよ。なぜか」 ―――なんてことはさらさらなく。日本人だったのだから当然だ。

イダはそう軽く流し、「うん…うん。体が覚えてる。やっぱり、これは私にものだね…」とつぶやく。聞こえるように。

彼らにウソを付くのは少し気が引けたが、それでも自分の身を守るためには最低限の秘密は持つべきだから。

「そうか。しかし、不思議な箱だ…これは…雷の精霊か?まさか、こんなに弱く雷の精霊の匂いがするなんてありえん」

ジェイガンやグウェンは族長たちの使う映像を写す魔法を見たことがある。なので驚きは少なそうだった。

つぶやくジェイガンを半ば無視して操作を続ける。今は無性に、起動音に設定していた「You are my Sunshine」が聞きたい。

―――探すこと数分。見つけた、とイダがつぶやき、そのMP3ファイルをダブルクリックする。すると…

『You are my Sunshine...My only Sunshine...』

君は僕の輝く太陽。かけがえない僕の太陽…甘く囁くような男性の歌が聞こえてくる。懐かしい。

彼女の時代から数えて、70年以上も前に二人の音楽家が作り、そしていまもアメリカ国民に愛されている曲だ。

イダは、つくしはこの旋律を愛していた。欲望をあまり持たない彼女にとっては、数少ない好きな曲。

心に染みて、涙がこぼれ落ちた。

「あ…」

涙が溢れる。懐かしい。自分にもそう思う感情があったのか。一つだけの願いを胸に生きてきたのではなかったのか。

だから、過去のために流す涙に、少しだけ混乱した。少しだけ混乱して、そして。

ギュ、と布が擦れる音がして。

「ジェイガン、グウェン…?」

彼女は二人に抱きしめられていた。震えて、消えてしまいそうな彼女を引き止めるかのように。



結果的に、その行為は逆効果に終わった。なぜなら、彼女の混乱を押し留めていた感情の堰き止めを、彼らが情を持って

破壊してしまったからだ。イダは涙が滔々と溢れるまま泣き続け、その間ずっと「You are my Sunshine」は流れ続ける。

明るいラブソングと思われているこの曲は、本来失恋の悲しみと恨みを綴った歌である。

そこに悲しみの精霊が集まってきたのであろうか、と思えるほどに泣きじゃくる彼女を留めるすべは、今はない。

この部屋は今、ジェイガンが音の精霊を使役して音をカットしているので、外には物音が聞こえることはなかったが…

その間、彼らはその涙も、ノートパソコンも止めるすべなく、ただイダを宥めるだけの時間が過ぎていった。

やがて一刻、つまり二時間ほど経って、ノートパソコンの電源が落ちる。イダは「待って…落ちないで…」と弱々しく言いながら

泣きじゃくる。イダが落ち着いたのは、それから更に2時間ほどしてからのことだった。



「…ごめんなさい。その、何故か懐かしくて、取り乱してしまいましたッ!」

正気を取り戻したイダは二人に土下座すると、泣きすぎて真っ赤になった目をこする。

「気をつけてくれ…なんの歌かは知らんが、呪歌だろう、アレは。君だけじゃなく、俺までおかしくなるかと思った…」

ジェイガンは憔悴しきった表情で、笑うイダにデコピンを食らわせた。

「痛っ!?」

痛みにおでこを抑えるイダの腕を掴み、更にデコピンを一発。そして、「何が危険だったら、だ。自重しろ」と言って

彼女をベッドに座らせた。

「はぁい…」

不満そうに彼女はベッドに座ると、涙で腫れた目をもう一度こする。

いつもクマの出ている顔に真っ赤な目なので、まるで山姥のような風体になってしまっていた。

逆に顔の造りがいいことがどこかおかしげな雰囲気を醸し出している。

そんな彼女を指さして、全力で笑うのは桃色のグラスランナーだった。グウェンは息も絶え絶えに笑い続ける。

「ぶわっははははははははっ!何その顔wwwにゃっはっはっはっはっはっはwww」

言葉尻に草が生えておる。イダはそういう感想をいだき、そして感謝する。ああ。こいつらも普通じゃねえ、と。

だからこそ、彼らの詰問をあえて受け、そして相談をしたのだ。

「…まあ、大体わかった。とりあえず、君はおそらく前世の記憶でも持っているのだろう。この世界に生きるものには魂がある。

死すれば肉体は朽ち、やがて土に帰る。だが魂は時を超え、場所を超えて再び別の生き物へ生まれ変わる。

そうした俺達の魂の中には、将来から流れてくるモノもあると族長は言っていた。

そういうことだろう。あの「のーとぱそこん」とやらは前世の君の持ち物。

そして、それらを呼び寄せる力もそれが原因…とは考えられるか」

ジェイガンはそう言って嘆息する。驚いた。ほぼイダの状況を当てている。イダはそう思い彼を、どこか尊敬の眼差しで見つめた。

「おいおい。そんなに見つめるなよ。照れるじゃないか。それに…もうひとつ考えられるが…」

ジェイガンは言い難いことから逃げるように最後の言葉を、音は小さく言葉尻は濁らせ、そしてイダから目をそらすと、

放置されているバッグに目をやった。

「まあ、それはともかく、だ。さあ、実験を再開しようじゃないか。はっきり言って、今のままじゃその力は危険すぎる。

あの誘拐犯たちはそれを知っていたのかもしれない。生き残りは尋問しているが…」

ジェイガンがつぶやくと、ため息をつく。

「やっぱりただの下っ端のようでな。何も知らなそうだ。あの車の件もあるし、アタマが痛いよ」

「…ごめんなさい。ま、まあ、誘拐されそうに鳴ったのは、私のせいじゃないし」

イダが冷や汗を流しながらそう弁解すると、ジェイガンは「されそう、じゃない。されてた、だ」と訂正して続ける。

「宿のために役立たせるにしろ、徹底して隠すにしろ、どっちにしろ能力の概要は知るべきだ」

ジェイガンはそう言うと、目の前で笑い転げる桃色のグラスランナーに声をかけた。

「カヴェリの中じゃあ手狭だ。グウェン、あの場所へ行くぞ。もう夜だし、あの場所なら誰にも邪魔されん」

ジェイガンはそう言うとニヤリ、と笑った。その笑みは、勇気を与えるような笑み。

彼はもう勇気の精霊の加護を得ているのだろうか。その笑みを見て安心したイダは彼らに促されるまま家を出る。

もっと試さなければ。両親のためにも、この二人の献身のためにも、この力を使いこなさなければと誓うイダであった。



続く 
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