魔導兵 人間編
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誓い
セイレイとは高等種族である。セイレイカイに住むありとあらゆる形をした有機生命体。人類が生まれるはるか昔から存在する魔を操る種族。人は、セイレイの干渉なくしては生きていくことは出来ない。人間界に在住するセイレイもいて、日常的に人と協力し合いながら生きている。こういったセイレイは人間好きで――――正しくは人間から発生する活力、エネルギーを摂取して生きている。その代わり、セイレイは人の目に見えない力で何かと人の助力になることをしている。一概にはここで説明することは出来ないが、セイレイを見ることが出来る者、魔力を体内に持つ者たち――――魔術師は、その意味を知っている。
「セイレイ……ね。私は未だ見ることは出来ないけど、ちゃんと見ることが出来るのかしら?」
雪子は自室のベットに寝転がりながら独りごちた。お風呂に入り、濡れた髪を痛めないように丁寧にタオルで乾かし、仕上げにドライヤーでブロー。明日の準備も終わり、あとは寝るだけなのだが。
――――時刻は夜の九時。こんな時間に寝る高校生などいるはずがない。昔の侍は夜八時に寝て、朝の三時に起きたらしい。だが、雪子はこう思う。きっと照明器具が充実していたらなら侍だって夜ふかしくらいするだろう。そんなことはどうでもいいが、雪子は夜が好きだ。まだまだ寝るなど有り得ない。自室の大きすぎるベットの上に埋もれながら何をしようか考えた。が、考えるまでもなかった。
「勉強、しなきゃね……」
雪子は自宅で勉強したことなどない。お利口さんであると自分で豪語するくらい、雪子の学校での点数は高い。皆がなぜあれだけ勉強にあくせくするのか、昔から理解が出来なかった。
そう、理解が出来なかった。だから、自分は周りから一歩離れた場所から物事を見るしかなかった。
雪子ちゃんは頭がいいね。雪子さんはお利口さんね。雪子さんには敵わない。雪子さんは『私たち』とは違う。
そして『私たち』と違った雪子は神聖化された。教師にも崇め奉られた。雪子! 雪子さん! 雪子様―!!
「バカタレ! アホー! ウンコマンーーーー!!」
「これ、雪子や。汚い言葉を使うでない。全く誰に似たんだか……」
母だけは自分のことを見てくれた。血の繋がりのない私を引き取り、令嬢として育ててくれた母だけは。自分が、一人の人間だと認めてくれた。雪子がグレて、夜の帳の中に盗んだバイクで走り出さなかったのは全て雪江という理解者がいたおかげなのだ。
小さな養母の胸にうずくまり、ありったけの暴言を吐いた。そこだけが自分の本音を言える場所。体は小さいはずなのに、その懐は広大な宇宙のような広さだった。嗜好品のパイプを吸いながら、小さな手でめごや、めごや(可愛い子)と撫でてくれた。
「あいつら皆何なんじゃ……私を何だと思ってるんじゃ!」
「ふむ……雪子はちょっと頭がいいだけなのにな。本当は甘えん坊のバカタレなのにな」
「バカタレじゃないもん!」
「クックック、そうだな雪子は普通の女の子だな」
「うん……そうだよ。私は普通の子。なのに……」
その日、小学校で学力テストがあった。全国の学校で同時に行われ、勝手に名前が載る忌まわしいテストだ。そのテストで雪子は満点を叩き出した。しかもその日は少女漫画を貫徹して読破した後だった。にも関わらず開始から二〇分で全ての枠を埋め、おにぎり鉛筆を握り締めながら死んだように眠ったのだ。教師はその姿を熟考しているのだと判断。貫徹していることがバレ、雪江にお尻を叩かれたのはかなりのトラウマだ。
「お尻痛い……バカタレババァ(ボソッ)」
「やれやれ。飛んだ跳ねっ返り娘だな。まだ叩かれ足りないと見えた」
「そ、そんなことないもん! とにかく学校なんて嫌! もう行くたくない!」
教師やクラスメイト目が突然変わった。常々から崇拝の念を抱かれていたことはあったのだが、ここ最近は何か恐ろしいものでも見るかのような、そう怪物でも見るような瞳をする者さえいる。子供だったこともあり、そのあたりの感情のコントロールが難しかった。自分はただ、普通に考え、普通に解答を埋めただけ、正しいことをしただけなのだ。
「学校は、楽しくない、か?」
「それは……」
楽しくない、などと言えるわけがなかった。母が作り、母が管理し、母が治めるこの学園を、その娘が否定することなど、出来るわけがなかった。困ったような笑みを浮かべる雪江をこれ以上困らせることなど出来るわけがない。だって大好きだから。
「あの学園はな、雪子。いずれこの国の中枢に飲み込まれる運命を背負った子供が、最後に逃げ込むことの出来る場所。いわば楽園だ」
「楽園? 学園が?」
楽園という言葉に、幼い雪子が連想したのは、楽しい場所。素敵な場所。笑顔の溢れる場所。残念ながら、雪子にはひとつも該当するものがなかった。
「そうだ。いずれ彼女たちは学園を卒業し、結婚する。お前にはまだ分からないかもしれないが、それは拒否することは出来ない」
「結婚? 結婚って好きな人が好き合ってするものではないの?」
「クスッ……そうだな、その通りだ。だが、そうならない場合もある。特に、高貴な者、優秀な遺伝子とやらを持つ人間は、な」
「よく分からない」
「そうだとも、雪子は普通のおこちゃまだからな」
「む……」
雪江はさもおかしげに笑った。母は結婚をしていない。それは母の強さの現れだった。男が強い権力を持つ時代であっても、引かぬ、媚びぬ、省みぬ、は雪ノ宮家の当主たる雪江の合言葉のようだ。そんな母を、雪子は誰よりも尊敬している。
「雪子。お前は私の娘だ。どんな輝かしい栄光よりも、溢れんばかりの財宝よりも、たった一つの大切な命。私はお前を愛している」
「お母様……」
「だから、お前は何も心配しなくていい。言いたいやつには言わせておけばいい。どんなに愚かでも、賢くても、醜くても、美しくても、お前は私の娘だ」
そっと小さな両手で抱きしめられた。母の温もりに、優しさに、大きさなど関係ない。血の繋がりない自分を、どうしてここまで愛してくれるのか。我侭な自分をどうして慰めてくれるのか。それは、雪江にしか分からない。だが、その思いは、確実に雪子の胸の奥まで行き届いていた。
「わかった。私、強くなる!」
「雪子……」
「強くなって、お母様みたいに男も従わせてやるわ! そして皆、私にひれ伏すの! ああ、なんて素敵な夢なのかしら!」
「ん? んん? ……まぁいいか。元気なら」
「オホホホホホホホホオホホホホホホホ!」
「クックックックックックック!」
「オホホホホホホホホホホホホホ! げほっげほ!」
「クックックックックックックッ! おぇ!」
雪子はベッドで高笑いし、雪江はそんな我が子を褒め称えた。結果的に雪子はとても強くなった。精神的にも肉体的にも頑丈になった。この国に飲み込まれないこと。それが自分の宿命なのだと、言い聞かせながら。
「だってのに、だってのに!」
魔道書を放り出し、深くベッドに沈み込んだ。何をそんなに苛立っているのか、それは明白だ。ひとえに、自分のせい。
「全く、召喚出来ない……」
約、一ヶ月。雪子は霧島左霧の家に通い詰めた。昼間の気だるい授業を我慢し、疲れの残る放課後の秘密授業へと、毎日休まずに。であるのに、未だ、雪子は魔術師としてのスタート地点にすら立てないでいるのだ。
「大丈夫だよ雪子さん。焦らないで!」
そう言っていたあの優男も、日にちが経つにつれ、遂に、
「才能、ないねっ!」
と笑顔で突き放した。信じられない。私が? 才能がない? あらゆる技能で、溢れんばかりの神童ぶりを披露してきた私が? 目の前が真っ暗になった。
雪ノ宮雪子は、魔術の才能がない。ないったらない。これっぽっちもない。
ちなみに初回で悪魔を召喚出来たのは、あの『悪魔の書』のおかげで、あれ単体があればどんな人間でも簡単に悪魔を召喚出来るのだ。場所さえ選べれば。つまり雪子の才能は全く関係ない。
「ふふふふふふふふふふ……嘘よ、私が、嘘よ……」
別に手を抜いていたわけでない。成り行きとはいえ、自分に魔術の才能が多少なりともあると言われたときは、嬉しかった。危険だと言われても興奮した。今回もぱぱっと天才ぶりを発揮してさっさと魔王になって、あの男の契約を解消してやるんだ。そう思っていた。
「努力、しろというの? この、私が?」
「うん。それも死ぬほど苦しくなるかもしれない」
死ぬなどとは大げさな。自分を追い込むような言葉を使い、鍛えるつもりだろう。なかなか師匠らしいではないか。そう思っていた時期も雪子にはあった。ところがどっこい、この男にそんな芸当が出来るわけがないのだ。
「例えば?」
「毎日走り込み二十km。腕立て千回。腹筋五千回。滝行三時間」
「た」
「た?」
「滝行は、無理じゃない?」
「出来るよ。水を魔術で強化して、擬似的な滝行なら」
この男が何を言っているのか分からない。分かりたくもない。あえて言うなら、二つの膨らんだ果実を揉みしだいてやりたい。
「た」
「た?」
「体育会系か!!!」
そんなしょうもないツッコミしか雪子は言葉に出来なかった。あの男曰く、圧倒的に才能がなく、それを補うには『基礎体力』を強化するしかない。基礎体力、とはつまりスタミナ。どんなに優れた魔術師でも、スタミナがなくなれば、ただの人間。つまるところ、魔術師も人の子だということだ。
「はぁ、こんなはずじゃなかったのに……」
雪子は華麗なる魔術師デビューを確信していた。そうなれるほどの自身が胸の内にあった。人の頂点に立つために自分は生まれてきたのだ。そうに違いない、絶対!! だというのに。
「大丈夫だよ雪子さん。君が立派な魔術師になるまで、僕が徹底的にサポートしてあげるから」
「はぁ、ありがとうございます。お手柔らかに」
「うん、明日から死ぬほどキツくなるけど、よろしくね!」
「はぁ、お手柔らかに」
「よろしくねっ!」
「お手柔らかに!!」
ニッコリと満面の笑みを浮かべる師匠。その笑みは凶悪に見えたのは雪子だけではなかったはずだ。そう、明日から、自分には過酷な修行が待っているのだ。
逃げたい。激しく逃げたい。どうして自分はこんなことで悩んでいるのか? だって魔術の勉強なんて、本を読んで呪文を唱えて炎がボッと燃えてわぁすごい! ってなるものだと思っていたのだ。今更ながら自分の頭の中がお花畑だったことに気が付いた。馬鹿雪子! しっかりなさいよ!
「魔術師って、皆こんなに頭がいいの? 信じられない……」
魔道書はちんぷんかんぷん。男曰く、今はそんなに気にしなくていい。ざっと目を通して基本的な内容を理解できれば、だと。基本的な内容? どこにそんなことが書いてあるっていうのよ? クソ重い上に、びっしりと書かれた魔法文字。言葉は理解できるが、内容は理解できない。開始十分で雪子は焼却炉にぶち込んでやろうかと思った。
「ほう、なかなか面白い物を読んでいるな」
「……ひゃ! お母様! いつ入ってきたの!?」
「クックック、魔術師なら当然これくらい簡単だ」
「勝手に入ってこないでください! いくらお母様でも怒りますよ?」
いきなり雪江が後ろからちょこんと顔を出し、雪子の肩に寄り添ってきた。いきなりの出現に苛立った声を思わず出してしまった。出してしまってあっと口に手を当てた。恥ずかしい。勝手に入ってきたことは確かに腹立たしいが、決してこんなにはしたない声を出すつもりではなかった。さっきまで、母のことを回想していたこともあり、少し落ち着かない。
我が子を驚かそうと後ろから顔を出した雪江は、娘のそんな行動をじっと見ていた。
「ゴメンなさい、お母様。私、今自分がとってもちっぽけな人間だって気がついたのです」
「ほう……さしずめ、魔術の勉強につまずいてしまった、というところか?」
「はい、今日、才能がないとはっきり言われてしまったんです」
「そうか――減棒だな」
何やら物騒なことを口にしていた。それは、おそらくあの男を恐怖に淵に叩き込む必殺の一撃だろう。だが、それを母にやらせてしまったら自分のプライドが許しさない。何よりあの男が哀れだ。三人を養う貧乏亭主。雪子にだって良心くらいはある。
「お、お待ちくださいお母様。私、これでいいんだと思います、これで」
何かがわかったような気がした。この一ヶ月、自分にとってプラスになったことと言えば、自分に対する慢心が改善されたということだ。今まであらゆる面に秀でていた自分が、魔術に関わることでは、底辺にも等しい。屈辱。そう雪子は生まれて始めて屈辱という言葉を使えた。もちろんそんな思いなどしたくはなかった。だが、この世に生きている人たちは日々様々な屈辱に耐えて生きている。それを知ることが出来ただけでも雪子は成長したような気がした。逆にここで知ることができなかったら、自分は社会に出て大変な目にあっていただろうと思う。
雪子は人の負の感情を知ることが出来た。そして気が付いた。自分は、自分から相手のことを理解しようとしたことなど一度もなかった。
「……何か、一皮むけたような顔だな」
「ええ、魔術はまだ……ですけど、なんとなく」
「そうか……ふむふむ、そうか」
雪江は我が子の成長を顔をほころばせながら喜んだ。手元にある魔道書をパラパラとめくりながらも、その思考は娘の方へと向かっている。が、次の瞬間持っていた魔道書に目を僅かに見開きブツブツと独り言を囁いていた。
「……光? ……なんだこれは? ……聖者の血。 ……馬鹿な」
「お母様……?」
「あ、ああ。うむ、可愛い我が娘よ、よくぞ成長した。そうだな、霧島には報告も兼ねて明日学園長室に来いと言っておいてくれ……」
「? わかりました。お休みなさいお母様」
「ああ、お休み……」
雪子は再び魔道書へとのめり込んだ。これは意地である。天才と言われた自分に与えられた試練。認めたくはないが、どうやら自分は『落ちこぼれ』という奴らしい。だからといって特にライバルがいるわけでもないし、気楽にやればいいと思うのだが、それは凡人の考えてあって、天才の自分の思考は違う。どんな分野でも、例え魔術などというふざけた分野であっても、自分は頂点にいなければ気がすまないのだ。
天才でないならば、秀才になるまでよ。今までの自分という鎧を脱ぎ捨て、雪子はプライドと憧れの為に今日も努力をするのであった。その先にあるものが、一体どんな運命なのか、知るものはまだいない。そして雪子は自分の存在の意味すらも、この時はわかっていなかったのだ。
「光の術など、とっくに潰えたはずなのだが、な」
強大過ぎた力は、滅びの運命を辿る。歴史を見てもその言葉の通りだ。魔術もまた然り。もちろん魔術に歴史などない。古文書に残された薄れた文字と口述により伝えられた言葉を代々その血筋の者に伝承することによって魔術師は成り立つ。名家と呼ばれた家柄の者たちはその封権的な制度を未だに保っているにはわけがある。魔術を、他家に漏らすことがないようにするためだ。魔術師として生まれた人間は、その地点で戦いの中に放り込まれる。どんなに幼くても、か弱くても、戦う。
霧島左霧という男が――正しくは男であって男ではない。ややこしいのでここでは男とする。その男が学園に侵入してきた時は驚いた。霧島の手先だと疑いもした。雪ノ宮を叩き潰すことなど名家の『霧島』なら容易に出来るはずだ。そう思いもした。
「霧島家の嫡男――いや嫡女。ええいややこしいな本当に……まぁ本人が左霧と名乗っているからには男なのだろう。……ふん」
血筋にすれば霧島の当主の座を継がなくてはならない者だ。にも関わらずそんな男がわざわざ学園に求人を出してきた。どう考えても異常な事態。一体何があった。
普通に考えれば別に何の問題もない。性別不明(?)の若者が、教職を目指して就職活動をしていただけだ。たまたま縁があってマリアナ学園――雪江のアジトに潜り込んだだけのこと。
調べたところによると、この男は現在本家とは別居状態にあり、他二名と暮らしながら生計を立てているらしい。妹と従者一名。つまり、本家には今、『霧島霧音』あのおぞましい『霧の女王』しかいないというわけだ。何とも間抜けな話だ。どんな理由があれ、自らの血縁に逃げられ、挙句、敵対関係にある雪ノ宮へと潜り込んでしまったというわけだ。最も、本人は特にそのことに関して気にしていない。雪江からその話題を出そうとも思わない。彼は純粋に教師になりたいという夢を追ってここまで来たのだ。そして雪江は魔術師を探していた。この『学園』を守るために。
「とはいえ、不安要素はかなりあるが……よもや光の魔術とは……霧ではないのか?」
雪江はこの際、雪ノ宮に新たな力を導入するべく左霧――霧島家の魔術を盗んでやろうと思った。無論、無理強いをするつもりなどなかった。そんなことをすれば、バックにある霧島がどんな具合に攻めてくるか分からない。ただでさえ、今は敵の対処に困っている時期だというのに。
だが、彼は一言二言で了承した。雪子を、雪江の娘を弟子にした。一緒に学園を守ってくれると約束した。他家であるにも関わらず、当主であるにも関わらずだ。実を言えば、左霧の処遇については困っている。雪ノ宮の教師たちは、全て『魔術師』だ。砂上を筆頭に学園に関わる全ての者は『雪ノ宮』の息がかかっている。となれば、左霧にも雪ノ宮に入ってもらうことは必然である。だが、他家の者を取り入れるなどということは先例がない。どうしたらいいか、頭を悩ませていた。
「……む? またか……雪子のやつ、余計な心配をしおってからに……」
雪江は自らの部屋に置いてある全国的結婚情報誌『ゼ○シィ』をゴミ箱へと叩き入れた。どうゆうつもりか、最近になって雪子は急にこんなものをこそこそと置いては、母親の反応を盗み見ている。父親が欲しいのか、と聞けば別に、とか特に、など口を濁すばかり。ならこれは嫌がらせの類にしか感じられないのは、雪江の性格が曲がっているからではない。
どうやら雪子は母を心配しているらしい。この年になっても自らの幸せを顧みない母親のことを生意気にも気を使って行動で示しているのだ。
雪子は自分がいることで雪江は結婚できないと考えているらしい。コブ付きは敬遠されがち、というどこから聞いたのかくだらない与太話を鵜呑みにしているのだ。
馬鹿なことだ。雪江は嘆息した。自分にとっては結婚など財産や権力を絡む、至極メンドくさい儀礼に過ぎない。必然的に雪ノ宮の婿なり逆玉ラッキーとなり、愚かにも雪江に利用され、傀儡となるのが関の山。簡単に想像できる。想像して呆れた、自分の腹黒さに。
「大体、私はもうすぐ五十過ぎだぞ、今さら結婚なぞ……」
そこまでいい、雪江の頭に一つの案が思い浮かんだ。まるで今まで曇天だった天気が、快晴になったように、真っ直ぐに一つの道を照らし出した。
天才だ。分かってはいたが、自分は天才だ。なぜこんないい案が出てこなかったのか不思議でならない。一人でに不気味な笑みを浮かべた雪江。その姿は、誰がどう見ても雪子と重なることを否めない。
「そうと決まれば、早い方がいいな……」
ゴミ箱から嫌そうにゼ○シィを取り出し、雪江は読み耽る。その姿はまるで結婚を間近にした少女のよう――ではなく、おませな少女が自分サイズのウエディングドレスがないことに憤慨している可哀想な姿にしか見えなかった。
「――くしゅ!」
「風邪ですか左霧様?」
「うーん、僕風邪なんてひいたことないんだけどね」
「大事になさってくださいね――馬車馬のように働いてもらうんですから」
「酷いなぁ……くしゅ!」
「ん……ふゅ……にーしゃま……」
恐ろしい計画が立てられていることも知らず、霧島家は今日も平和だった。兄の膝で幸せそうに眠る桜子とその傍で静かに縫い物をする女中。家族団らんのひと時は何にも代え難い。働き初めて、より一層わかる。何のために働くのか。それは人それぞれだが、大抵の者は家族のために、その身を粉にして働くのだろうと。
「あの女……失礼、雪子様の教育はいかがでしょうか?」
「う~ん……これからだね。でも間違いなく『原石』だよ」
「それは、磨けば光る、という例えでよろしいのでしょうか?」
「うん。だけど、どう磨くかによって石ころにもなったり金剛石にもなったりする」
「驚きました。まさか光の魔術をお教えするなんて」
「流石に、霧は、ね。おか、霧音様に怒られちゃうよ」
「左霧様……」
自分が他家の者を弟子したと聞けば、あの人はどう思うだろうか。いや、おそらく耳に届いているかもしれない。だとすれば音沙汰ないのが不思議だ。いや、当然か。家出同然に家を飛び出し、連絡も寄越さない親不孝者など。厳格なあの人が切り捨てないはずがない。元々情など持ち合わせていないのだろう。左霧はあの人が恐ろしい。あの眼、あの存在そのものが。まるで年を取ることを知らない容姿。思い出しただけでも震え上がりそうになる。
それと同時に、左霧は精一杯反発したくなる。全ての事柄に意味があるとすれば自分はなぜ存在し、あの人もまた、なぜ自分という存在を作ったのか。まるで謎だらけだ。
精一杯の反抗。この成れの果てが家出。どうせ自分は消える運命だ。なら、一生のうちに好きなことをやろう。そう思いついたのが逃亡。あの時のあの人の驚いた顔が今でも忘れられない。いたずらをやらかした子供のようなに心が踊った。同時に深い罪悪感にも苛まれた。
「いずれ、本家から正式に連絡が来るかもしれない」
「その時は、この華恋も一緒に裁きを受ける次第でございます」
「クスッ大げさだなぁ」
妹を連れて逃げたのは、ただあの人が大事に育てたものを奪ってやりたかっただけ。最初はそうだった。
……言ってしまえば、最初は妹が憎かった。明らかな差別があった。愛される妹。憎悪の対象である自分。外で遊び呆ける妹。一室に幽閉され日が暮れるまで勉学に励む自分。
なぜここまで扱いが違うか。当然聞いたことがある。
「あなたが鬼子だからです」
あの人はいつものしかめ面で答えた。思えばあの人はいつも一緒だった。どんな時も、自分を貶し、貶め、蔑んだ。褒められたことなど一度もない。あるのは灰色の日々。屈折した愛憎模様。いや、愛されたことなどなかったか。
あの人は、いつか自分を殺すのだと言った。決定的な決別を決めたのはこの日。全てを切り捨てて唯一信頼出来る者と逃亡を決めた日。
「にーたま、どこへ行くの? あたくしもつれていって!」
「桜子。君はここにいるんだ」
「いや、にーたまと行くの! 行くったらいくの!」
道理で愛されるわけだ。こんなに可愛らしくねだり。潤んだ瞳で泣き喚く。誰であれ、少女を愛してやまないだろう。なぜこうも違うのか。
「僕と一緒に、いて、くれるの?」
「はい、にーたま!」
「どう、して?」
「あのね、桜子ね。にーたまのこと大好きなの! だから一緒にいたいの! いい?」
この日、左霧はようやく妹を愛そうと決めた。と同時にようやく自分の運命を決めた。
それは決してあの人に定められ道を行くのではない。だが、その運命には従う。
自分の生まれた意味など知りたくもない。知ったところで意味などない。この体に宿る者が誰であれ関係ない。自分は妹と行く。その道に破滅しかなくとも。握り締めた小さな手だけは離さない。
「――死が、分かつその日まで」
暖かい体温を感じながら、『魔導兵』はその日『母性』を手に入れたのだ。
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