魔導兵 人間編
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私は何者
事件から数日、学園では学園長の手によって事件の真相は闇の中へと消えた。当事者である雪子はもちろん、左霧が関わっていることも秘匿。以後、そのことは口にするなと先生方にもお達しがあった。それでも砂上などの一部の者からは事情の説明を要求する声が出たが、「黙れ」の一言で終了。権力の恐ろしさ改めて知る左霧だった。
「それじゃあ……本っ当に、何もなかったんですか?」
「はい」
「ほんっとうに!! ほんっとうに!! あのボロボロの教会が更に凄いことになっちゃった事件とは、左霧君は関係ないのよね」
「は、い」
「どうして苦しそうなの?」
「心、胸が痛くて」
「ふ~~~~ん」
砂上と左霧は二人並んで教室へ向かう。砂上の疑惑の眼差しが左霧の顔近くへ接近してくるため、女性特有の甘い香りと、ほのかに香る香水の匂いを存分に浴びた。ドキドキと高鳴る心――――嘘をついていることに対する焦燥感をここ毎日左霧は耐えている。どうにもこうにも、砂上は左霧の口を割りたいようだ。学園長から聞けないのであれば、当日居残っていた左霧に問いただすのは必然。そこまでは学園長のフォローは届かない。自らの娘さえ守れれば、あとはどうでもいいらしい。世間の冷たさと、目の前の捜査官の尋問に必死で耐え忍ぶ左霧であった。
「あ、そろそろ教室ですね!」
「そうね、教室ね。だけど行かせないわ」
安堵の息を吐き、自らの愛すべき生徒たちと待つ教室へと足早に向かおうとした左霧は、残念ながら目の前にシフトしてきた砂上によって防がれてしまった。
「あの、ホームルーム、始まっちゃいますよ?」
「そうね。けど昨日もここで逃げられちゃったから。左霧君、あれから私になるべく合わないように時間を上手くずらしてたでしょ? 昼休みなんて、私が教務室に入った途端資料室に潜り込んじゃって」
「う……」
砂上の追随は厳しい。当事者を左霧と断定し、毎日のように質問を繰り返してくるのだ。一般人にはとても話せるような内容ではないし、話したとしても信じてもらえるような話ではない。正直、左霧はお手上げ状態だ。
「先生? 何をやっているんですか? 早くホームルーム、始めてください」
そこへいいタイミングで雪子が教室から顔を覗かせた。事件からまだあまり経っていないにも関わらず、その表情はいつもどおりだ。普通の人なら今でもパニック状態にあってもおかしくない。
「……ええ、そうね。雪ノ宮さん、あなたも早く席につきなさい」
「……はい、分かりました」
砂上と共に席に戻った雪子。一瞬だけ左霧の方を半眼で睨んでいた。学校では品行方正でお淑やかという羽衣を身にまとっていることは、この数日で大体分かった。権威の下に生まれた人間の苦労は左霧にもわかる。心の中でありがとうと口にして左霧も教室へと入っていくのだった。
「バッカじゃないの? 先生一人くらいにおどおどしちゃって!」
「でも、一応先輩だから……」
「そんなこと言ってたらいつまで経っても怪しまれるだけじゃない。全く、世話のやける……」
キツい。とにかくキツい。雪子は左霧の前では本性を表すのだ。なぜそうなってしまったのかは本人にしか分からない。あの日、悪魔に襲われた時は、あんなに自分に抱きついて震えていたのに……。女性という生き物は左霧にとっては未知の生物に見える時がある。
「何? その目は?」
「い、いや別に……それよりも、どう調子は?」
「ふん……まぁ、一応一通り目は通したけど……魔道書って一々言い回しが面倒でよく意味が分からなかったわ」
雪子はカバンに入れてあった左霧おすすめの魔道書を乱暴にめくった。ただでさえ教科書から体操着やらで重たい荷物を毎朝学校まで持ってきているにも関わらず、広辞苑も顔負けのヘンテコな本を持ち歩いているのだ。か弱い女子学生にはあまりの仕打ち。周りからは変な目で見られる。雪子は今日も最高に苛立っていた。
「でも……読めたんだよね?」
「そりゃそうよ。読めなきゃ本じゃないでしょ?」
「うん。その本は『魔力』がない人には読めないんだよ」
「え……?」
魔力、という言葉に雪子は素早く反応した。つまり、自分には多少なりとも魔力があるということだ。嬉しいような迷惑なような少し複雑な感情が入り混じる。左霧や母のような、普通の人とは違う者たち。
――――魔術師。私は、魔術師なのだ。
「そんなに固くならないで? 雪子さん。君に教えてあげる魔術は、自分の身を守るための力だ」
「守るため?」
「そうだよ。僕が教えてあげる魔術は『光』だ。魔術の中で最も守備に特化した力なんだ。比較的安全な術だから安心して」
「でも、あの悪魔から逃げた時の術も使うのでしょう?」
雪子はあの日のことをしっかり頭に刻んでいた。確かに左霧は悪魔を光の術とやらで牽制していた。それも無数の弾丸を浴びせるような、かなりえげつない方法で。
左霧は清々しいほど笑顔だった。まるでそんなことは当たり前のように。
「身を守るってことはね、雪子さん。攻撃しないってことじゃないんだ。光の魔術は守りに特化した力、だけどもちろん攻撃の術も存在する」
「……あなたは何が言いたいの? 先生?」
もどかしそうに雪子は問いただした。左霧は言いにくそうに口を閉ざしていたが、やがて雪子の方を真剣に見つめ、言葉にした。
「君に――――人を傷つけることが出来るのかい?」
「――――!」
今更ながらに、雪子は左霧の言葉に衝撃を覚えた。母に流されるまま、魔術を教えてもらうことになったが、果たして自分は覚悟があるのだろうか?
今まで平凡に――――平凡ではない、金があり権力があり、あらゆる贅を尽くしてきた箱入り娘が(自分ではそう思っているらしい)これから未知の世界へと足を踏み入れるのだ。その道筋には、おそらく想像もできない恐怖が待っているかもしれない。普通に過ごしていれば、絶対に体験することのない恐怖。
――――あの悪魔の襲われた時のように。
だけど、だけれども。
「私は、どっちみち危険なんでしょう? お母様から聞いたわ。私の魔力量は年々増え続けているのよね」
「うん……君の『体』は魔力を欲している。今回の事件も決して雪子さんだけの責任じゃない」
雪子はあの日、母から様々なことを聞いた。自分の体は、無意識に魔力を求めていること。魔術師は互いに争い、自らの強さを求めること。そのためならあらゆる犠牲もいとわない、悪辣な魔術師も存在すること……。
「先生、私、魔王にならなくちゃいけないの?」
魔王とは――――
決してファンタジーの世界に存在する、悪の帝王ではない。
魔術師の頂点に君臨者。そこに行き届いた者は、一年に一つだけ神に願いを叶えてもらえる。どんな願いでもいい。死んだ人を生き返られることも、大金持になることも可能なのだ。
なぜ、魔術師たちが魔術師と争うのか、それは魔王になるためなのだ。魔王は実力主義で、一年の終わりまでにその魔王を倒し、自らを魔王と名乗り上げれば、その年から倒した者が魔王になる。魔王になれば願いを叶えてもらえる。
何とも、怪しいシステムだ、と最初雪子は思った。それもそうだ。人が苦労して築き上げた権力も財力も、魔王になれば何なく手に入れられる。雪ノ宮が雪江を欲したのもそのためなのだ。最も、雪江はそんなものに興味はない。神という存在が大嫌いなのだとか。何とも母らしいと雪子は苦笑した。
「君に、叶えたい願いがあるのなら」
左霧は端的にそう言った。まるで自分には願いなどない、とでも言いたいかのように。
雪子を弟子にしたということは、自分は魔王になるつもりがないということになる。魔王になりたい者なら、むやみに魔術師を増やしたりなどしない。あくまで彼は雪子を危険から守るために術を教えてくれるつもりらしい。
「願いねぇ……私、お金持ちだから特に欲しいものはないけど」
けど、一つだけ、あるのだ。自らが犯した責務は、自らで拭わなくてはならない。雪ノ宮雪子、最大の過ち。本当に魔王になれば、叶えられるのならば自分は彼に果たさなくならないことがある。
「そうね、悪魔の契約とやらを解いてもらいましょうか」
「え……?」
「だってあんたは魔王にならないんでしょう? だったら私が魔王になってあんたの契約を解いてやるわ。まぁ私の方にも多少なりとも責任がなくもないわけだし? やってやるわよ、ええ」
長い黒髪をバサリと翻し、鋭利な目を真っ直ぐに左霧に向けた。その姿に、不覚にも左霧は見惚れてしまった。
「ふふん。嬉しいでしょ、先生?」
「――――僕のことは、気にしないで。君は、あくまで君だけの為に力を使うべきだ」
「――――は?」
だけど、左霧は拒絶した。自分の為に、そんな危険なことを犯す必要はない。まるで、自分のことなどどうでもいいような、そんな風に捉えてしまうのは雪子の気のせいだろうか。
自分の好意を無下にされたことよりも、年老いた老人のように達観した左霧の目が雪子は気に入らない。気に入らないったら気に入らないのだ。目玉が飛び出すくらいビックリさせてやりたい。優しそうな目で見ないでほしい。あなたは命が惜しくはないの? 雪子の疑問は膨らむばかりだ。
悪魔と契約した人間はその生涯を全うした後、魂を狩られ悪魔界へと誘われる。雪子は悪魔界という言葉を聞いただけで震え上がりそうになる。あんな怪物がたくさんいる場所で自分の魂が過ごさなくてはならないなんて、絶対にごめん被る。だが、この先生と来たら、
「きっと、そんなに悪い所じゃないと思うよ、うん」
「悪い場所に決まってるでしょ! 私たちあの乱暴な悪魔に襲われたのよ! 死にかけたのよ!?」
「ん~……でも、律儀に契約なんて面倒なことしてくれたでしょ? その気になれば、殺すことだって出来たはずなのに」
「! それはっ! 確かに……」
ヴェルフェゴール、とか言ったか。あの赤髪の悪魔は雪子たちを弄ぶだけ弄んだあと、気が変わったように左霧と契約を取り付けたのだ。本来、人間が悪魔に勝つことなど不可能だ。にも関わらず、悪魔という生き物は基本的に契約を律儀に守るのだ。そのあたりは、人間よりも正直なのかもしれない。
「きっと管理が行き届いているんだね。むやみに人の命を刈り取らないようにって」
「そんなの……当たり前よ。あんなのがたくさん現れたらたまったもんじゃないわ」
「そうだね。できればもう会いたくはないね……さて」
左霧は時計を確認し、立ち上がった。それは雪子にとって、胸の高鳴るお勉強の時間。昼間の授業などよりも刺激的で、興味深い。左霧という先生が、ようやく先生らしくなってくれる唯一の時間。
「魔術の勉強を始めよう、雪子さん」
「はい、先生」
その時だけは、雪子も素直に従うことが出来るのであった。だが、決して左霧の言う通りになどしない。この精神年齢が八〇くらいのおじいさん先生をある意味で生き返らえたい。その為には自分のような若くて美人な娘が必要なのだ。雪子は勝手にそう解釈しながら生き生きとした表情で放課後の特別授業に勤しむのだった。
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