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魔導兵 人間編

作者:時計塔
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弟子

 学園長室は静まり返っている。ティーカップに入れたそれぞれの紅茶は冷め切ってしまい、とても飲めたものではない。一人は目を瞑り沈黙を決め込んで、一人は生徒をジッと見つめ、肝心の生徒は、居心地が悪そうに俯いていた。

「あの、あの、私――――」
「黙っていなさい、雪子。左霧、隠していても仕方ない。何もかも話すことにする。遠慮なく質問してくれたまえ」

 母親は静かに、そして厳かに雪子を窘めた。かつてここまで母親を怒らせてしまったことがあっただろうか。そもそも母親の怒った顔など見たことがなかった。それが、ただ、雪子は悲しくて情けなくて両方の手を強く握り締め、スカートは皺だらけになってしまった。

「……では学園長。あなたは『魔術師』ですね?」

 等々、その言葉が表舞台に現れた。雪子は場違いな興奮を必死で抑えた。これ以上自分が口を挟むことは許されない。母が頑なに拒んでいた事実を、先生は堂々と質問した。母は苦々しくその口を開いた。

「――――私は、『魔術師』だ」
「……雪ノ宮、という家系は今まで聞いたことがありませんが……」
「当然だ。私の一族は、私だけが魔術師なのだよ。そして、私も雪ノ宮家の養子だ……雪子と同じ、な」

 隣に座っていた雪子の髪の毛を、母のように、慈しみようにそっと撫でた。途端に雪子は泣き出しそうになる。あの、母が、養子? 自分と同じ? どういうことだろう?

「雪ノ宮家は、どこから仕入れたのかは知らんが、魔術師の血を欲していた。自らの利益、莫大な権力を手に入れる為にな。そのため、前の当主、雪子の祖父は私を買ったのだ――――金で」

 何かを思い出すようにゆっくりと学園長は瞳を閉じた。雪子は母親の手を握りしめた。左霧は言葉を反芻した。買ったのだ……買ったのだ……買ったのだ……。

(……きな素体だ。……よくやく……至高の……だ)

 白い壁、薬の匂い、虐殺、廃棄、殺し合い。くるり、くるり、くるくるくるくる……。

 左霧は手を口に当て、吐き気を抑えた。幼い学園長。魔術師。合点がいく。なるべく不審に思われないように必死に隠したが、学園長にはバレているだろう。穏やかな目つきで左霧の奥を見通してるような気がした。

「左霧よ……知っているか? この世界には、純粋な魔術師の一族は三つしかもう存在せんのだ。一つは英国、一つはドイツ、そして天王寺――――我が国の魔術師だ」
「……はい」
「この先は……もう言わなくてもいいな? お前も私も、つまりはそういうことだ」

 雪子は何の話をしているのか分からなかった。だが、左霧と母の目が、悲しげに映るのを見て、声を出すのをやめた。つまりどういうことだろう? 二人は魔術師なのか? いや、先生は間違いなく魔術師だろう。あの力は、絶対にそうだ。

「この子は、『最後の生き残り』なのだ。私が引き取り面倒を見てきた。おかしいか? 私のやっていることが?」
「いいえ、そんなことは」
「おかしいと思っているのだろう!? 私が、こんな私が! この子を引き取ったとき、母性を感じてしまったことが!」
「いいえ! 決して、学園長、決してそんなことは……」

 雪江は自らが取り乱したことに恥じて謝罪した。母の頬は真っ赤に染め上がり興奮していた。雪子の知っている母は少なくとも冷静で、時に子供じみたところのあるおかしな人ではあったが、こんな表情は初めて見た。

「……雪子が何か探っていることは分かっていた。お前に行かせたのも、『魔術師』として信用していたからだ。話には聞いているよ?『霧島には鬼がいる』のだそうだな?」

 ピクリと左霧の体が反応したことに雪江は見逃さなかった。雪子は左霧の苦しそうな表所の訳を聞き出せるはずもなかった。

「だが……雪子があの本『悪魔の書』を持ち出していることは気づかなかった。私の監督不行き届けだ。左霧、雪子の命を救ってくれて、本当にありがとう……」

 チョコンと頭を下げた雪江に習い、雪子も慌てて前に出した。左霧は両手を振って「そんな、別に、僕は」などあわあわと普段通りに接していた。昨日はあんなにキリっとしていたのに、雪子は何となく残念に思った。
 雪子が入った教会やそれに関連する場所、例えば祠や神社などは比較的魔力の溜まりやすい場所で、魔術を行使するのに便利なのだとか。雪子がなぜあの古ぼけた教会をわざわざ選び、悪魔を呼び出してしまったのか。それは無自覚に、魔力の流れを辿ってしまった結果なのだとか。雪子自身は、ただ魔道書――――悪魔の書の言うとおり、埃っぽくジメジメした場所が最適と書いてあったから潜りこんだだけなのだが。

「雪子、魔術とは一つ道を謝ると今回のようなことや、それよりも酷い事件に巻き込まれることがあるのだ」
「はい……」

 もう雪子は懲り懲りだと思った。あんな恐い思いをするくらいなら、普通に生活して、普通に友達とおしゃべりして――――友達はいないけど。でピアノや習い事をしながら優雅にお嬢様らしく暮らしていく方がいいと決まっていた。このことを反省して、いい加減夢見がちな性格を治そう。そして普通に結婚して、普通に暮らしていくのだと改めて目標をたてていたのだ。母親だって、これ以上自分を危険な目に合わせたくないと思っている。だったら自分にはこの考えが最適だ。ていうか魔術なんて嫌いだ。そう思い始めていた矢先――――。

「左霧、この子を弟子にしてはもらえないか? ていうかしろ。これ学園長命令ね」
「ええ!?」
「学園長……どういうことですか?」

 雪江はいつものように開けっぴろげに笑ってた。今までのことは今まで、これからのことはこれから。そうとでも言うように、自分だけ勝手に心を入れ替えたかのようだった。
 一方の左霧は困惑していた。これ以上関わらせないことが前提ではなかったのか? 生徒を危険に巻き込む可能性は昨日の夜、指摘されたはずだ。教会の事件は不明の爆発となっているが。とりあえず雪子は自分の意思とは全く正反対に動いていることに戸惑っていた。

「悪魔と、契約してしまったらしいな?」
「あ……!」

 雪子は自分を守ってくれた先生の姿を思い出し、胸を痛めた。あの時先生は本当に、映画に出てくる魔法使いみたいだった。私を助けてくれた、正義の魔法使い。

「それは、自分が勝手にやったことです……」
「もちろん、取り消すつもりなのだろう?」
「…………」
「馬鹿者。そこは嘘でもはいと言え。まぁ、お前にそこまでさせてしまった以上、私にも意地がある。この子、教育してはもらえないか? ……経験はなくとも、『魔導』の力を持つ者だ。役に立つ」
「あなたは、自分の子供を人質にするつもりですか……!」

 それならば尚のこと聞き入れるわけにはいかない。自分は生徒を守ったはずなのに、再び危険にさらすことになるのだ。これ以上、この子を恐怖の渦中に叩き込むつもりならば、阻止しなくてはならない。しかし学園長は無言で否定を示した。

「左霧、今回のことで分かった。魔術を否定し続けても、いずれまた今回のようなことが起こる危険がある、ということがな」
「それは、雪子さんがこれ以上魔術と縁を切れば」
「本当にそれで終わると思うか? 魔術師が何を目指して生きているか、お前は知っているだろう?」

 そんなことは分かっている! 自分や、学園長以外の魔術師がどれだけ危険な存在なのかぐらい! 左霧は大声で怒鳴りたかった。前にいる者が自分の上司でなかったなら、そうしているところだ。

「魔王……!」
「そうだ。魔王不在のここ数年、どれほどの血が流れたか! 裏でどれほどの魔術師たち一派が滅んでしまったのか! 本当に、関わらせないというだけで、この子は、生きていけるのだろうか? なぁ左霧、本当にそう思うのか?」

 思う、と断言できるわけがなかった。そんなことなどお構いなしに襲ってくる連中だってぞろぞろいる。悪魔も人をたぶらかす。魔力など、もっていれば持っているだけ、人間には危険な所有物なのだ。

「僕が、守ります」
「自惚れるな小僧! お前一人に何が出来る? いや、私とお前だけで、本当に守りきれると思っているのか? 雪子が、下手をしたら学園の生徒たちすらも危険に晒すことになるのだぞ? いや、お前の、お前の家族すらも……!」
「そ、れは……」

 ただ一人、たった一人。守りたい少女がいた。その少女を守ることは出来なかった。今でも思い出すと胸が苦しくなる。自分は無力で、何も守ることが出来なかった。ただ一つを除いて――――。
「魔術師は動き出しているぞ、左霧。天王寺の一派がな」
「……くっ……僕は」

 こんなことの為に、学園に赴任したかったわけではなかった。だが、学園長は、おそらく最初からそのつもりで自分を採用したのだ。初めから自分の『そちら』の能力にしか興味がなかったのだ。

「お前が、なぜそこまで魔術を遠ざけようとするのか、まぁ私もわかる。母親だからな……。妹を、巻き込みたくないのだろう?」
「――――!」

 桜子! 自分の命よりも大切な少女! 自分の良心回路だと言ってもいいだろう! あの子がもし、もしだ、もし命を狙われ、死ぬようなことがあった場合? ああ! あった場合、自分はどうなってしまうのだろう? そんなことは考えたことがなかった! 考えたくなどなかった! だが時はそれを許さなかった。まだ六歳だぞ? それなのに! それなのに連中は、あの子の命すら平気で摘み取るのか?

 ――――やるに決まっている。左霧は確信した。その確信に足り得る経験を、自分はもうしたではないか? 無力で無垢な笑顔を、残忍に奪ったではないか。

「先生、私――――やります」
「雪子さん……?」
「やっぱりいけないと思うんですこのままじゃ。悪魔との契約って危険なんですよね? その他のことはわかりませんけど、でも私がお役に立てるなら、その、お願いします」

 それまで黙っていた雪子は、左霧の尋常ではない戸惑いに助言を処した。その目は決意と迷いを帯びていた。若くて、純粋で、愚かだと左霧は思った。

「今までの生活が、一変するかもしれないんだよ?」
「あんなの見ちゃったらもう仕方ないっていうか……確かに恐い思いはもうしたくないけど、逃げることは――――もっとしたくないから」

 逃げる? その言葉は、まるで左霧に向けた言葉のように思えた。もちろん雪子は、自分自身に言い聞かしているだけのはずだ。そう思うのは、そうだ。

 自分が、現実から目を背けているから――――。

「学園長、まだ雪子さんへの処遇は保留状態でしたよね?」
「ああもちろん。煮ようが焼こうが君次第だ」

 そういえばまだそんなのがあった……。雪子は頭を悩ませた。母はこんな時、非情である。いずれにせよ、先生の意見はまとまったようだ。さっきよりは顔色がいいし、何か吹っ切れてようにも見える。昨日、自らの命を呈して守ってくれた時のような姿、悔しいが格好良いと思えた。――――次の発言さえなければ。

「じゃあ、雪子さんを僕にください」
「はぁ!?」
「よかろう! 大事にしてやってくれ! 口先は悪いが、器量はいいからな。あと――処女だ!」
「ちょっとお母様!? 何言ってんのよ!」
「よろしくね! 雪子さん!」
「よろしくね! じゃない! あんた言っている意味分かってんの!?」

 仮にも先生になんていう態度。だが、そんなことはもうどうでもいい。雪子は何が何だか分からなかった。そして処女だった。

「うん! 君は今日から僕の弟子だよ? よろしくねっ!」
「……は?」
「じゃあ早速今日から勉強だね。まずは一冊魔道書を読んでもらおうかな。う~んどんなのがいいだろう? 弟子なんて初めてだから照れるなぁ~。あ、僕のことは普通に先生でいいからね? 師匠なんて恥ずかしいし、柄じゃないから」

 そう言いながら目の前の男はウンウン考えだした。母親は腹を抱えて笑っている。自分は大きな間違いをした。顔から火が出るほど、恥ずかしい間違えを。だが何よりも許せないのは、間違いなくこの、能天気男だ!

「……れが呼ぶか」
「え? 雪子さん何か言った?」
「誰が先生なんて呼ぶか! あんたなんか呼び捨てで十分よ! この! この! ポンコツ! ダメ男! ダメ男!」
「え!? 何!? どうして!? 僕、担任なのに!」

 自らの勘違いからきた恥ずかしさを左霧に向けた雪子は、ポカポカ、というかガンガンと左霧の胸を殴った。そして自分より『それ』が大きいことに落胆した。自分は女で、この人は男のはずなのに負けたのだ。
 そんな教師と生徒らしからぬ関係に、雪江は苦笑しつつも暖か目で見守っているのだった。

「行くわよ左霧! もう授業が始まるわ!」
「それ僕のセリフー!」

 本当に大丈夫なのか? どちらが教育されるのかわかったものではない。とりあえず、デコボコ師弟関係が、今ここに誕生した。
 それは後の大魔術師にして九九代目『魔王』雪ノ宮雪子の輝かしき誕生の、瞬間でもあった。それはまた別のお話。ここがスタート地点。そしてまだまだ続くのであった。
 
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