剣の丘に花は咲く
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第十一章 追憶の二重奏
第二話 家族
前書き
う~……ん……上手くまとめられない……。
「……は? あ、す、すみませんが、もう一度お聞きしてもよろしいですか?」
暖炉の火が映る窓の向こうに、日が落ち星に満ちた空が広がる頃、アンリエッタを前にラ・ヴァリエール公爵が目の前に座るアンリエッタに問い返す。椅子に座る公爵の後ろには、マンティコア隊隊長の装いを改め、公爵夫人の姿に変わったカリーヌが立っている。その母の後ろに控えるように立っているのは、ルイズの姉であるカトレアとエレオノールの二人。三人は父である公爵の言葉に同意を示すように見開いた目をアンリエッタに向けていた。
その視線は時折アンリエッタから外れ、チラチラと部屋の隅に設置されたソファーに向けられる。そこには士郎とルイズが並んで腰掛けていた。姉や母からの視線に晒されたルイズは、乾いた笑みを返しながら、隣に座る士郎の腕を握った。
カリーヌの目が微かに釣り上がり、エレオノールの目が大きく釣り上がり、その横ではカトレアは頬に手を当て微笑ましそうに口元を綻ばせ、士郎は背筋に走る寒気にブルリと身体を震わせていた。
そんな静かな攻防? を尻目に、アンリエッタは公爵の願いに小さく頷くと口を開く。
「ええ、構いませんが、何度でもいいましょう。ルイズが目覚めた系統は『火』の系統ではなく、伝説の系統である『虚無』です」
アンリエッタの言葉に公爵は目を閉じると背もたれに深く寄りかかった。天井を向く顔を手で覆い、小さく唸り声を上げると、突如椅子から立ち上がり、ルイズに向かって歩き出した。近づいてくる父親の姿に、ルイズは慌てて士郎の腕から手を離すと、勢いよく立ち上がった。
足を止めた公爵は、目の前のルイズの頭に手を置くと、その手をゆっくりと動かし始める。
「『虚無』とは……陛下のお話しを信じないではないが……それでもやはり……このルイズが……伝説に詠われるだけの『虚無』。それがどうのような魔法だったのかもその詳細は全くの不明。表立ってではないが、そんなものは存在しなかったと言う者までいる魔法を……神学者の中には強固に存在すると言う者はいるのはいるが……」
ぶつぶつと呟きながらルイズを見下ろす公爵の背中に、カリーヌの短い言葉が投げかけられる。
「わたくしは信じますわ」
「……何故だ?」
首だけで後ろに振り返り、公爵は自分の妻を見る。
「ルイズを迎えに行った際にですが、この子はわたくしの魔法を打ち消しました。あの魔法……少なくない数の魔法を知るわたくしにも知らない魔法でした。あれが『虚無』なのでしょう。そうよね、ルイズ?」
母から尋ねられたルイズは、小さく首を縦に振る。
「はい」
「……『虚無』、か」
公爵がルイズの頭に乗せていた手を、自身の額に当てる。顔に浮かぶのは硬い表情であった。
その背後では、驚愕の真実に上手く理解が追いつかないでいるエレオノールが頭を抱えて膝を曲げて座り込んでいた。
「いえ、ちょっと待って、『虚無』ですって? ありえないでしょ? あのおちびが『虚無』? 伝説の魔法を? はは、駄目ね、きっとこれは夢よ。そうに決まっているわ」
「あらお姉さま? 駄目ですわ。早く現実に戻って来てください。お得意の現実逃避にはまだ早いですよ」
「何がお得意の現実逃避よっ!? 私が何時現実逃避しているっていうのよっ!!」
「あら? この間もなさっていませんでしたか? 手紙を持ったままブツブツと何か言いながらふらふらと外へ向かって歩いていましたが……あの時も『これは夢、これは夢よ』などと口にしていたような……」
「か~と~れ~あ~ッ!!?」
婚約破棄と言う思い出したくもない記憶を思い出させた妹に対し、凄まじい殺意を覚え髪を逆立てにじり寄る姉の姿に、カトレアは変わらぬ柔らかな笑みを浮かべたまま頬に手を添える。
「駄目よお姉さま。陛下が見ていますわ」
「―――ッッ!!?」
ぼそりと耳元に告げられた言葉に、エレオノールは苦虫を飲み込んだような表情を浮かべる。
くすくすと笑う妹の姿に、重く苦い溜め息を吐いたエレオノールは苦々しい顔をカトレアに向けた。
「あなた学院に行って性格悪くなってない?」
「あら? そうですか?」
「……絶対にね」
首を傾げる妹の姿に溜め息を吐きながら立ち上がったエレオノールは、先程まで感じていた目眩がすっかりなくなっていることに気付いた。カトレアとのやり取りが、ある意味気付薬になったのだろう。混乱していた思考が落ち着きを取り戻していることに気付いたエレオノールが、まさかと思い妹を見返すと、カトレアはただにこにこと何時もの笑みを浮かべているだけ。その姿に毒気を抜かれたように、同じように笑みを浮かべたエレオノールがルイズに向き直った。
それを待っていたかのように、アンリエッタの声が部屋に響く。
「驚くのも無理はありませんが、事実です。伝説に語られるだけの系統が蘇り、そして、その担い手はルイズだけではありません」
「……陛下がここへ来た理由をお聞きしてもよろしいか」
横目でルイズを一度見た後、アンリエッタを見返した公爵は低い声で問いかける、低く平坦なその声音は、公爵の娘たる姉妹たちさえ聞いたこともないようなものであった。それに不吉を感じたように、エレオノールは顔を若干青くし、ルイズは硬い唾を飲み、カトレアは小さく顔を伏せた。
公爵のことをあまり知らないアンリエッタもそれを感じ取ったのか、身から生まれた動揺を抑えるために気づかれぬようにゆっくりと、そして静かに大きく息を吸い込んだ。
「罰を、与えに来ました」
「……越境行為に対するものですな」
「はい」
アンリエッタは静かに首を縦に動かす。
公爵たちの顔が僅かに歪む。無断で国境を超えることに対する罰が、どれだけのものになるかは未だ不明であるが、普通に考えればそれは軽いものではない。だからこそ、多少? 無茶であれ、カリーヌがあれ程の無茶をしたのだから。硬い表情で公爵たちがアンリエッタを見つめる中、アンリエッタは足元に置いていた大きな革鞄を開けると、黒いマントを取り出した。アンリエッタがそれの端を握って立ち上がると、公爵の目の前にマントが翻りながら広がる。マントが広がりながら翻った瞬間、その紫色の裏地に記された百合紋に気づいた公爵の目と口が大きく開かれた。
「そ、それは王家の紋ではありませんかっ! っ、陛下、一体これは……」
マントを持ったアンリエッタは、見開かれた公爵の目をしっかりと見返した後、ルイズに向かって歩き出した。
慌てて立ち上がるルイズの前で立ち止まるアンリエッタ。
「ルイズ。これがあなたが無断で国境を超えた事に対する罰です」
「ひ、姫さま」
「これを着用すれば、あなたはわたくしの姉妹となります。それはつまり、王位継承権の第二位となることを意味します」
「そっ、そんなものを―――」
「手にっ―――取りなさい」
拒否の声を上げようとしたルイズを遮るように、鋭く声を上げたアンリエッタは手に持ったマントをルイズに差し出す。
ルイズの視線がふらふらと彷徨う。父に、母に、姉の間で彷徨った視線は最終的には士郎で止まることになった。不安に揺れるルイズの瞳を向けられた士郎は、受け止めるように笑みを浮かべると小さく頷いた。それを見たルイズは、何処か安心したように口元に小さな笑を浮かべると、アンリエッタに向き直った。
「……謹んで、受け取らせてもらいます」
ルイズと士郎の姿を見つめるアンリエッタの瞳に羨まし気な色と……嫉妬の色を帯びる。それは、ルイズが向き直ると直ぐに掻き消え、誰もそのことには気づくことはなかった。
否……。
「…………」
一人だけ気づいていた者がいた。
「ルイズ。これは罰です」
ルイズを前にしたアンリエッタは、ルイズが手に持ったマントを見つめながら、静かに語り始める。
「『虚無』という力は、余りにも強大です。そして力には、相応の責任と義務が付いてくるものです。特にあなたは公爵家の娘として、その責任と義務は強いものになるでしょう。……あなたが持つそれは、それほどのものなのです」
アンリエッタの手が伸ばされ、指先がマントの生地を撫でる。
「これは、それを二度と忘れないようにするためのものです」
マントに触れるアンリエッタに対し、公爵が口を開く。
「陛下。娘に対する寛大なご処置と過大な厚遇に感謝いたします。対する報いが考えつかぬほど……ですが、陛下にお尋ねしなければならないことがあります」
「なんなりと」
振り返り、公爵を見つめるアンリエッタ。
「娘が持つ力を使い、陛下は一体何をなされるおつもりでしょうか? 陛下の言われる通り、『虚無』の力は絶大でしょう。カリーヌの魔法を打ち消したと聞くだけでも、その強大さがわかります。ですが、力には使い方がございます」
アンリエッタを見る公爵の目の輝きが強まる。
「……陛下は『虚無』の力を持って何をするおつもりでしょう? ……戦争の兵器とするおつもりでしょうか」
「父さまっ!」
ルイズの悲鳴のような怒りの声が響く。
だが、それをアンリエッタは手を上げることで抑えた。
「公爵のご心配も最もです。残念ですが、わたくしはその問いに否と答えることはできません」
「それは、どういうことでしょうか……もし、陛下が娘に対し何らかの勘違いをお持ちになっているというのならば、我らは悲しい決断をしなくてはなりませんが……」
公爵の顔に色がなくなっていく。それは顔色というわけではなく、そこから見える感情の色が見えないのだ。どんな感情を抱いているか分からない無表情の中、唯一目だけが強い意志に応えるように輝いていた。
意思の弱いものであれば、膝をついてしまいそうなほどの眼光を前に、しかしアンリエッタは微かに悲しげな色を浮かべた顔を小さく伏せるだけであった。
「それについて答える前に一つだけ、公爵にお聞きしたいことがあります。この国の品位、礼節、知性の守護者である旧い貴族であるあなたにであり、そしてまた、国民の一人として……」
「なんでしょうか」
静かに息を吐いたアンリエッタは、一度目を閉じるとゆっくりと開いた。
「王とは一体―――何なのでしょうか?」
言葉に詰まるように息を飲んだ公爵を見つめ、アンリエッタは自身の胸をそっと触れた。
「わたくしは王となりました。望まれ、そして望んで王座に着きました。国には王がいなければと言われ、王になれば何かができるのではと……ですが、王となったわたくしが成したことで、王でなければ成せなかったもの等一つもありませんでした」
「そんなことは……」
公爵の開きかけた口は、アンリエッタの静かな瞳を受けて閉じることになった。
否定することができなかったからだ。事実、アンリエッタの父親である前王が崩御してからアンリエッタが王座に着くまでの間、枢機卿であるマザリーニが中心となって政務は行われ、結果として大きな問題は起きることなかった。
それはつまり……。
「それでは、王とは何なのでしょうか?」
「…………」
「平民、商人、兵士、貴族……様々な人や物が集まり国となり、その国を王が治めることで国は王国となります。国を形作るものたちはそれぞれに役割というものがあります。平民は食べ物を作り、商人は様々な物を流通させ、兵士は外敵から国を守り、貴族はそれらを管理する……では、王は何を?」
手を前に、視線を自身の掌に落とし、アンリエッタはポツリと呟く。
「貴族をまとめる? ですが、それは王でなければ絶対に無理というものではありません。大臣たちの提案の決済をする? それもまた、王でなければならない理由はありません……」
「……確かに王である必要はないのかもしれませんが、王がいなければ遅々と進まない案件もあります。必要はなくとも、理由はあるのです」
苦く、硬い公爵の言葉に、アンリエッタは顔を上げると、口元に小さな笑を浮かべた。
「ええ。その通りですわ。だから、わたくしは王になったのですから……」
アンリエッタが浮かべた儚げな笑みに、公爵を歯を食い締める。この目の前いる娘と変わらぬ少女が王となったのは、アルビオンが攻めてきた際、遅々と進まぬ対策に対し業を煮やすたことから玉座に着いたと聞く。ならば、そんなことはとうの昔に気付いていることである。
「王になれば何かができる……そう思っていました……ですが、その結果はご存知の通り……復讐に狂い、戦を起こし、ただいたずらに民を傷付けただけでした……何千という命を散らし、その何十倍もの家族に、恋人に、友人に悲しみと絶望を与えました……」
「何もそれは陛下だけのご責任では……」
「いいえ。いいえ違います。わたくしのこの名で、この口で命じて起きた戦です……わたくしが背負わなければならないものです」
静かに諭すように口にした言葉に、公爵はただ黙り込むしかなかった。
遠くを見るように、アンリエッタの視線が朧に揺れる。
「失ったものは取り返すことはできません。彼らが守る筈だった……守りたかったものを……わたくしは守らなければいけません。だからこそ……この国に災が降りかかるというのなら、わたくしはそれに対しあらゆる手を使ってでも守り抜きます」
もう、決めてしまったと、そう覚悟を宿した目で公爵を見るアンリエッタ。
「なので、わたくしは先程の公爵の問いに否とは言えなかったのです。ルイズの力で国を守れるというのならば、わたくしは躊躇うことなくその力を振るうつもりでいます」
「…………それ以外に力を使うつもりはないと保証は出来るのですか」
公爵は小さく開いた口からざらついた声を絞り出した。
「保証することも、公爵にそれを証明することもできません。戦争を一度でも起こしたわたくしの言うことを信じられないこともわかっております」
小さく頷いたアンリエッタは、先ほどとは別人のようなふわりとした笑顔を浮かべると、公爵とルイズを見返す。
「ですから、公爵はわたくしではなくルイズを信じてください。もしわたくしが何か道を踏み外してしまった時、それを声を上げて指摘できると、杖を向け間違いを正そうとする事が出来ると」
公爵は先程ルイズを見つめていたアンリエッタの目を思い出していた。疑いも何もなく、ただ純粋に信頼だけがある目を……。
顔に手の平を当てた公爵は、指の隙間から深々と溜め息を漏らすと、指と顔の間からルイズを盗み見た。
「娘を信じろと……」
手から顔を離した公爵は、強く目を瞑った後、開くと同時に「ルイズ」と娘に呼びかける。父から呼ばれたルイズは、一つ頷くと公爵に向かって歩き出し父の前に立つ。目の前に立ち止まったルイズを、公爵は床に膝を着くと優しく抱き寄せた。
「何時の間にか大きくなっていたのだね。知らない間に陛下からそれほどまでの信頼を受けるようになっていたとは……とっくの昔に巣立っていたのだねお前は……」
娘の頭を撫でながら、公爵はその耳元に囁くように話しかける。
「陛下のご期待に応えられるように頑張りなさい。ルイズなら出来ると信じているよ。周りに流されることなく、真実を見抜けるようになりなさい。間違ったことを間違いと言えるように……」
最後に髪を上げ広がる額にキスをした公爵は、少し乱れたルイズ髪を整えた。
「辛くなれば何時でもここに戻ってきていいんだよ。遠慮することはない。ここはお前の家であり、お前は私の娘なのだから」
立ち上がった公爵は、アンリエッタに身体を向けると深く頭を下げた。
「陛下のおっしゃった通り。私はただ名誉と誇り、そして忠誠さえ守ればそれで良かった時代の旧い貴族です。ですから、『虚無』という伝説の力が蘇り、新しい時代が始まるだろう今の時代に、私のような旧い貴族では力になれない事が多くあるでしょう。まだまだ未熟な娘ですが、陛下が今から歩まれる道の力になれる筈です。これからあなたが歩まれる王の道に、始祖のご加護があるよう祈っております」
下げていた頭を公爵が上げると、今まで黙って見ていたカリーヌが手を叩きながら声を上げた。
「さあ、話が纏まったのならば、遅くなりましたが夕餉にいたしましょう。陛下には物足りなく感じられるかもしれない質素なものですが、よろしければご列席をお願いしてもよろしいでしょうか?」
カリーヌが頭を下げて尋ねると、アンリエッタは笑みを浮かべ小さく頷く。それを確認したカリーヌは顔を上げると後ろにいるカトレアたちに振り返る。
「カトレアとエレオノールはホストをしなさい。ルイズはお友達を呼んでいらっしゃい。お友達にはまだ簡単な軽食しか出していませんからお腹を空かせているでしょう」
家長たる公爵を背中に、かつての姿を思わせるような騎士団長が団員に指示するようにカリーヌは各自に指差し命じ始めた。ルイズが母親の言葉に頷き駆け足で部屋を出ていき、その後をアンリエッタをエスコートしながらエレオノールとカトレアがついていく。
しかし、退出したアンリエッタとエレオノールの後を追ってドアをくぐり抜けようとしたカトレアが、
「お母さま?」
部屋から出ようとしない母親に向かって振り返る。カトレアの呼びかけに、しかしカリーヌは応じず顔を横に向けたまま口を開いた。
「わたくしは少しやることがあります。失礼がないようしっかりとホストを努めなさい」
「え、えっと。やること……とは?」
母の視線に辿り、カトレアの視線が部屋の隅へと向けられる。そこにはソファーが一つ置かれており、その上に一人の男が座っていた。
「………………………………………………」
「……いえ、シロウさん。後ろには壁しかありませんから」
カリーヌとカトレアから向けられる視線から逃げるように、ゆっくりと背後を振り向く士郎。後ろに誰かが立っていてくれと願うようにゆっくりと振り返る士郎の姿に、見ていられないとばかりにカトレアは目を伏せ悲しげなツッコミを入れた。
若干肩を落としながら顔を前に戻した士郎に向かってカリーヌがゆっくりと近づいていく。歩幅は狭く、ゆっくりと。それはまるで大型の肉食獣が獲物に近づくかのようで。
「あの、何か?」
引きつっていることを自覚しながらも、士郎は近付いてくるカリーヌに笑みを向ける。向けられる笑みに、カリーヌも笑みで返す。それは確かに笑みではあったが、向けられる当の本人たる士郎にとっては、危険な肉食獣に威嚇されているような気がして内心この場から逃げ出したい思い出いっぱいであった。
「ええ、色々と調べたいことがありまして、少しあなたの時間をいただきます」
―――断定ッ?!
拒否権はないのかッ?! と内心の驚愕を一切顔に出すことなく、士郎は努めて冷静な顔でソファーから立ち上がった。
「調べたいこととは?」
「そうですわね。まずは、あなたとルイズとの関係を……」
バタンとドアが閉まる音が聞こえ、士郎は顔をドアの方向に向ける。そこには何故か杖を片手にドアの前に立つ公爵の姿が。
「……私はルイズの使い魔ですが」
何も問題はないですよとばかりに口元に笑みを浮かべたまま顔をカリーヌの方に戻す士郎だが、背中にはねっとりとした感触の汗が吹き出ているのを感じていた。
「ほう……使い魔ですか」
「はい」
スッと目を細め細い指を当てた顎を引き、何やら考え込む仕草をカリーヌはとる。士郎は口元に笑みを浮かべたままカリーヌを見下ろしていたが、
「てっきりわたくしはルイズの愛人かと思っていました」
「――――――――ッ!!?」
ミジリッ! と何かが軋む音が部屋に響いたのを士郎は聞く。額に噴き出した汗を拭くことも出来ず、士郎はただ乾いた笑い声を上げた。
「は、ハハハハ……な、何を言って―――」
「中庭の池の上……小船の上であなた、ルイズに何をしていたかお忘れに?」
ひゅっ、という鋭く息を吸い込む音を士郎は耳にした。それは二つ。近くと遠く。近いのは自身の口元から、遠いのは……
「―――――――――ッッッ!!??」
杖を握る手だけでなく全身を震わせながら顔を真っ赤にした、視線で人を殺せたらとばかりに目を剥いて睨んできている公爵から……。
「………………………………」
「ワタクシハナニモミテハイマセン」とばかりに自然な動きで公爵から視線を外した士郎は、完全に引きつった笑みをカリーヌに向けて乾き切った笑い声を上げた。
「ハハハッハハハ…………失礼ですが、見間違えでは?」
「わたくしが耄碌しているとでも?」
「いえ、そのようなことは……ぁ」
慌てて否定した士郎だが、自分が口にした言葉を理解すると、思わず一歩後ろに足を下げてしまっていた。
その姿を炯々と光る目でカリーヌは見つめていたが、不意に目を閉じると小さく首を左右に降り始めた。
「……別に今更あのことについてあなたに問い詰めようという気はありません」
「そんなッ!?」という悲哀やら怒りやらが混じった声がドアの近くから聞こえたが、カリーヌが振り向き一睨みするとそれは急速に小さくなった。顔を前に戻したカリーヌは、自分の杖を抜き放つと、士郎の眼前にその切っ先を突きつけた。
「実のところ、あなたの噂は以前から耳にしていました。何万もの軍をたった一人で撤退に追い込んだと……その時の功績により陛下から新たな近衛騎士隊の隊長を命じられたと……そんな人物の首を独断ではねるわけにはきません。ですので、その点だけは安心なされて結構です。が、しかし、それとこれとは話は別です。わたくしはあなたの実力の程を知りたいのです。先程は油断をして取り押さえられましたが、今度は油断はしません。あなたが陛下の近衛騎士として、ルイズの使い魔として相応しい実力を持っているか調べさせていいただきます」
爛々と光る目で刺し貫かんとしているかのような視線を向けてくるカリーヌの姿に、士郎は
―――どうして俺の周りにはこの手の女が多いんだッ?!
その眼光と立ち居振る舞いから何処かの撲殺バーサーカー女のことを思い出しながら内心で悲鳴を上げる。
つまるところは自分が戦いたいだけじゃないのかこの人はっ!?
助けを求めるように士郎の視線が部屋の中を回るが、とっくに皆は部屋の外に出ていってしまっている。部屋の中に残っているのは自分とルイズの母親であるカリーヌ―――そして……
「ふむ。それは確かに気になるな。それには私も興味があるので、ぜひ参加させてもらうぞ」
士郎は目があった瞬間に反射的に視線を逸らしてしまうほどの引きつった笑みを浮かべる公爵の姿が。友好的を現すかのように両手を広げて近づいてくる公爵のぶっとい血管が浮かぶ右手には杖の姿がある。友好というよりも、逃がさないようにしているとしか見えない公爵に、結構ですとばかりに上げた顔を、士郎は小さく笑みな浮かべながら首を横に振った。しかし、公爵は止まることなく、ぶっとい血管が浮き出た手で杖を握り締めながら作り物のような笑顔を顔に貼り付けて近づいてくる。士郎は「最初からそのつもりだっただろ!」と言うツッコミを入れたい衝動を必死に抑えながら少しでも離れようとばかりに足を後ろに動かすが、直ぐに踵にソファーが当たって動くことさえままならない。
士郎の立つ位置から左右斜めよりゆっくりと歩いてくる相手を前に、士郎は部屋を見渡し逃げ出す方法や理由が見つからないと分かると、顔を上げ大きく溜め息を吐き……。
「…………はぁ……なんでさ」
肩を落とした。
晩餐は盛大に行われ、様々な料理を前にルイズたちは良く食べ、笑いあった。女王からの罰に不安に震えていたギーシュやマリコルヌは、お咎めなしと聞き安心し、思い出したかのように湧き上がる食欲に身を任せ腹回りが倍になるほど出てくる料理を食いまくっていた。食事の合間に上がる話題には主に士郎の話が上がり、その度に士郎はカリーヌから色々な質問を投げかけられていた。ルイズたちは、自分たちを守るためとは言え、カリーヌを取り押さえたことに不安を感じていたが、蓋を開けてみればどうということもないどころか、随分と士郎の事をカリーヌは気に入っていたのである。夕餉が始まるまでの約一時間余りの間に何があったのか、満足気な表情をしたカリーヌは、何処となく疲れた様子の士郎に機嫌よく話しながら晩餐会室に入ってきた。何故かそこにはルイズの父親である公爵の姿はなく、カトレアが皆を代表して聞いてみると「年甲斐なくはしゃいで腰を痛めたので今は部屋で休んでいます」との返事が帰って来た。その言葉でその場にいた皆は大体の事情を察し、カリーヌの後ろに立つ肩を落として引きつった笑みを浮かべる士郎に同情の視線を送ったのだった。
食後のお茶を飲み終える頃には、満腹感や疲れから眠気が襲ってきたのか、口元を抑えアクビをする者が増えてきた。夜も更けてきたと言うことで、晩餐が終わり、皆それぞれ晩餐会室を出て行き始める。行き先は各自にあてがわれた部屋。晩餐会室を出たルイズたちは、それぞれ挨拶をすると自分たちの部屋へと足を向ける。そんな中、自分の部屋に向かうことなく、一人廊下に設けられたバルコニーに立ち、星空を見上げる者がいた。
「……家族……か……」
士郎である。
柵に手を乗せ夜空を見上げる士郎は、ルイズの父親と母親の事を思い出す。色々と無茶苦茶な両親であったが、ルイズへの愛情は確かであった。アンリエッタから聞いた話から考えれば、ルイズを襲ったのも、ルイズに対する刑罰を少しでも小さくするための苦肉の策であったのだろうと今は思う。それでも流石に竜巻はないだろうと思いながらも、まあ自分の周りも大概だったし、そういう親子もいるだろうと納得する。
そう、自分の家族も色々と……本ッ当に色々と大概であった。
何が原因なのか唐突に始まる姉妹喧嘩で家の一部は吹き飛ばすは、知らない間に借金の担保にされた挙句、金の悪魔の元に半ば……というか完全に拉致されて何故か執事として働かせられたり。一人で寝ていた筈なのに朝起きたら布団の中に「ちょっと寒くて」と真夏に潜り込んでくる姉がいて、そう言う時に限って仲良く起こしに来た姉妹二人に殺されかけて……。
本当に大概だな……と手摺りに倒れこむように寄りかかった士郎だが、俯いた顔は柔らかく綻んでいた。
今頃自分がいなくなったことで心配しているだろうが、色々と無茶をやったため、あれ以上あそこにいれば巻き込んでしまう恐れがあった。口にすれば怒って否定するだろうし、引きとめようともするだろう。ついてこようとする者さえいただろう。
だが……だからこそ駄目であった。
皆……才能や夢があり、家族がいた。
それでもと言うだろうが、士郎はそれだけは我慢できなかった。
こんな壊れた俺でも……俺がいいと言ってくれた人たちだからこそ…………。
―――好きにしたら。
ふと、思考に言葉が過ぎる。
それは一年程前、この世界に来る前に聞いた言葉。とある死徒との戦いを前に、最後に立ち寄った家から出る際、玄関の外に一人立つ女の姿。
―――何処に行っても、何をしても……。
夜が明け切らぬ、未だ星の明かりがちらつく空の下、うっすらと漂う朝霧を纏いながら女は背を向け声を掛けてくる。
―――士郎がしたいことをしたらいいんじゃない。
小さな欠片のような光を受け、夜の闇よりも深く美しい黒髪は時折吹く風に揺れていた。
―――ただ、これだけは覚えときなさい。あんたが何処にいようと何をしていても……。
ゆっくりと振り返った女は、
―――あんたはね……一人じゃないってことを、ね。
優しい笑みを浮かべていた。
思い出に浸るように、閉じた目で夜空を見上げる士郎は、あの時彼女が口にした言葉の意味は今でも良く分からない。あの時の彼女は俺が何をするつもりか知っていた筈だし、彼女の性格ならば、止めようとするか、それか着いていこうとしたはずであった。だが、彼女はあの時ただそれだけしか口にせず、黙って俺を見送るだけだった。
「……一人じゃない……か……」
何を思って言ったのか未だにわからないが、その言いつけは今のところ守っている。
……何とか守っていた。
巨大なゴーレム程度のレベルならあっちの世界でもそれなりにあったが、万単位の軍を相手に取ったのは流石に……いやしかしだな、あの時はそれ以外に方法がなかったというか……。
と、士郎が誰に言うでもなく言い訳を考え始めた時、
「ここにいたんですね」
後ろから柔らかな声を掛けられ、士郎はゆっくりと後ろを振り向く。
そこには、
「何をしているんですかシロウさん?」
そこには長い桃色の髪を風に靡かせながら、柔らかで暖かな笑みを浮かべるカトレアの姿があった。
後書き
感想ご指摘お願いします。
第三話はもしかしたら早めに上げられる、かも?
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