奇策
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第一章
第一章
奇策
単純に奇策と言っても色々あるものだ。戦術や人材の起用等それは幾らでもある。
野球の世界においてもそうである。そしてその奇策が時には勝負を決定付けるのである。
この時もそうであった。昭和五七年、パリーグは二つのチームの一騎打ちの状況であった。
「またここまで来ちまったな」
日本ハムを率いる大沢啓二は高笑いと共にこう言った。日本ハムはこのシーズンの後期圧倒的な勢いをもってペナントを制していた。そして前期の覇者西武との対決を控えていたのだ。
「どうせならシリーズは巨人に出て来て欲しいな。中日じゃなくてよ」
彼はその独特のべらんめえ口調で威勢のいい言葉を口にしていた。
「去年の仇があるからな。やられたらやりかえす、そうでなくちゃあいけねえ」
いつもの調子だな、と記者達は大沢を囲んで笑っていた。大沢は口ではかなり威勢のいいことを言うがその内心では実に緻密な作戦を駆使するのだ。
「野球は面白くなくちゃいけねえんだ」
そう言って機動力を駆使した。時には豪快な長打攻勢も使う。ピッチャーの起用も上手い。そして何より選手達をよく育て、我が子のように可愛がった。
「あの人は男だよ」
皆口を揃えてそう言った。彼の凄いところは移籍により入団してきた選手でも生え抜きと分け隔てなく使ったことである。
柏原純一もである。間柴茂有もだ。そしてあの江夏豊も。
当初江夏と大沢の仲を危惧する者もいた。だが大沢は江夏を認めた。
「ピッチャーはああじゃなくちゃいけねえ」
江夏もまた大沢の度量に感じ入った。
「器の大きい人やな」
この二人の出会いが日本ハムの運命を決定した。不動のストッパーを得た日本ハムは昭和五六年見事にリーグ制覇を達成したのだ。
シリーズは巨人とであった。世に言う『後楽園決戦』である。これは藤田元司により生まれ変わった若手を主軸とする巨人により敗れ去った。
「負けたけrど選手達はよくやってくれたよ」
彼はそう言って選手達を労わった。悔しかったがそれで決して選手達を責めたりはしなかった。
勝負は翌年に持ち越されることになった。大沢には自信があった。
だがここで思わぬ勢力が伸張してきた。所沢の西武である。
田淵幸一、山崎裕之等かってそれぞれの球団でスターと謡われた男達と西鉄時代からのエースだった東尾修、新しく入って来た期待の若手石毛宏典等を主力とする混成部隊であった。率いるは巨人で名ショートと言われた広岡達郎。参謀に森昌彦を置いた隙のない戦力であった。
彼は徹底した管理野球で知られる。選手達に米食や肉食を禁じ、酒も煙草も麻雀すらも許さなかった。炭酸飲料も禁止し、練習もまずは守備からであった。
「幾ら打っても守れなくては駄目だ」
彼の持論であった。ヤクルトの監督時代はスラッガーマニエルをその理由で切っている。
昼も夜も練習した。そしてミーティングも徹底して細かいところまでやった。
「こういう場合にはどうすべきか」
選手達に考えさせた。そして意見を出させる。広岡式のシンキング=ベースボールであった。
そして相手チームのデータもこれ以上にない程収集した。そしてそこから弱点を分析するのだ。
サインも多くなった。身体で触る部分がなくなる程であった。
実に緻密な野球であった。大沢はそんな広岡のやり方を嫌った。
「あんなチマチマした競馬の管理みたいなのはいけ好かねえな」
彼の他にも広岡のやり方を嫌う者は今でも多い。坂東英二はことあるごとに批判の限りを尽くした。西武でも東尾や太田卓司など広岡と不仲が囁かれる者は多かった。そしてそれは事実だった。東尾は後に西武の監督になった時に広岡のやり方を真っ向から否定した。そして投手出身者独特の采配やチーム育成を行ったことで知られている。
確かに広岡の野球には批判は絶えない。本人もそれは自覚しているがあらためる気はない。
「言いたい者には言わせておけばいい」
これが彼のスタンスである。
「勝てればそれでいいのだからな」
だが選手達に厳しい食事管理を強制しておきながら自身が通風になり、それを後をつけていた田淵に見つかり肉食禁止を解いたり、徹底した勝利至上主義を掲げながらロッテのゼネラルマネージャー時代にはバレンタイン監督とコーチ陣の不仲を聞いて驚いたりしている。そしてこれは彼が何故今一つ球界で力を持ち得なかったかという原因であるが口が悪い。しかも言いたいことは絶対に言わずにはおれないのだ。
「あれは長嶋君のミス以外の何者でもありません」
解説者時代に歯に衣着せず平気でこう言った。
「私がいればああはなりません」
こう言ったりもする。
「高校野球より下手ですね」
実は長嶋とは仲がわりかしいいのだが、それでもこんなことを言う。
「長嶋君に原君を次の監督にするように言ったのは私だ」
これでは長嶋も困るのではなかろうか。と思うが長嶋がこのようなことを気にする人物かといえばそうではない。そもそも長嶋の後見人を自認する時点で隠し事をするつもりなぞない広岡もある意味流石だ。その原に対しても平気でこう言ったりもする。
「優秀だがまだ若い。その若さに気をつけるように」
こうしたタイプは案外多いものだ。何か言わずにはおれない。言わないと気が済まない。かってこれで巨人を追い出されたりもしている。だが何処か腹が綺麗なのはわかる。要するに頭は切れるがプライドが高く、口が何よりも先に出てしまう。今も堂々とかっての古巣巨人を批判したりしている。
嫌う人物は多いがわかり易い。だからこそ彼については好き嫌いがはっきりと分かれるのだ。
「私は他人からどう思われようと一向に構わないが」
そういう時に彼はいつもこう言う。あくまで済ました紳士であろうとする。だが口がまた出るのだ。
「ああ、広岡さんまた言ってるんだ」
長嶋はそれに対していつもこう言う。この二人程不自然な組み合わせもないが案外こんな二人だからこそそれなりに上手くいっているのかも知れない。なお広岡と森が犬猿の仲なのは今ではあまりにも有名だが、長嶋はその森とも結構仲がいい。これも不思議な関係といえばそうだ。これが長嶋の不思議なところか。
「あいつはまた特別だよ」
大沢は長嶋についてこう言う。実は彼は長嶋の大学の先輩である。
この二人の関係もまた微妙だ。大沢はある時長嶋の悪口をこれでもかと言った。だが最後にニヤリと笑って言った。
「だがあいつには巨人のユニフォームが一番似合うかもな」
とあるテレビ番組でも色々言う。だが長嶋を常に意識しているのだ。
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