フォークボール

第一章

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　フォークボール
　中日のエース杉下茂の切り札はフォークだった。そのフォークはとにかく落ちた。
　それでだ。巨人のコーチである青田昇は選手達にいつもこう言っていた。
「いいか、杉下のフォークはな」
「あれだけ落ちるボールなんてないですよ」
「何十センチも落ちてますよね」
「あんな変化球はじめてですよ」
　選手達もだ。彼のフォークについてだ。
　驚きを隠せない顔でだ。こう青田に答えるのだった。
「急にガクン、と落ちる感じで来ますから」
「あんなのどうやって打てばいいんですか？」
「とてもじゃないですけれど打てないですよ」
「ああ、だからだ」
　ここからが本題だった。青田の言いたいことは。
　それをだ。選手達に言ったのである。
「あいつのフォークは見送れ」
「フォークが来たらですか」
「もうそれはですか」
「ああ、見送れ」
　真剣そのものの顔でだ。青田は選手達に話す。
「振ったら負けだからな」
「そうですね。だからストレートをですね」
「それとスライダー」
「そういうのを狙って」
「ああ、打て」
　こうだ。杉下の切り札であるそのフォークは絶対に見送れとだ。青田は選手達に言った。しかしだ。
　その中日戦にだ。杉下はマウンドにいた。そして彼はそこからだ。
　巨人側のベンチにいる青田にだ。ボールの握りを見せて来た。それはだ。
　人差し指と中指でだ。ボールを挟んでいる。それはまさにだった。
「フォーク！」
　青田はその握りを見て顔色をさっと変えた。
　そしてそのうえでだ。こう僭主達に言ったのだった。
「あいつフォーク投げるぞ」
「そうですね。じゃあここはですね」
「見送るんですね」
「絶対に」
「あいつのフォークはボールになる」
　あまりもの落差故にだ。そうなるというのだ。
「そうなればボールは一球余計に投げさせられる。それでいいんじゃ」
「ですね。じゃあここはです」
「フォークを見送りましょう」
「何としても」
　こう言い合いだ。選手達は青田の言葉に頷いた。そしてだ。
　監督である水原茂もだ。ベンチでその姿を見て言った。
「ここは打たせるな」
「はい、じゃあカワさんにも」
「そうサインをですね」
「そうする」
　水原はこう僭主達に言ってだ。ブロックサインでだ。バッターボックスにいる川上哲治、打撃の神様とまで呼ばれている彼にだ。見送りのサインを出した。
　川上もそれを受けてだ。今はだった。
　見送ることにした。フォークが来るならだ。
　川上もまた杉下のフォークはボールになると確信していた。それ故にだ。
　見送ることにした。その中でだ。
　杉下はその長身から振り下ろす様にしてだ。フォークを投げて来た。そしてそれは。
　ボールになる、誰もがそう思った。川上はバットを振らない。
　だがボールはだ。誰が見てもだった。ストライクだった。紛れもなくだ。それを見てだ。
　水原も青田もだ。唖然となって言った。
「何っ、ストライクだと！？」
「そんな、スギのフォークは」
　必ずボールになる、あまりもの落差故にだ。
　しかし今はストライクだった、それで唖然となったのだ。
　そしてだ。青田はその唖然となった顔で言うのだった。
「わしの言うたことを受けてか」
「そうだな」
　水原は難しい顔になりその青田に応えた。
「フォークでもストライクを取れるということをな」
「あえて言ってきたか」
「フォークでもストライクを取れるか」
　そしてだ。一つの重いものがだ。巨人に覆被さって来たことも感じ取った。
「そうなったのか」
「これはかなり」
「辛いな」
　フォークを見送っても無駄ということがわかったのだ。それでだった。