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A's編
第三十一話 裏 後(なのは、レイジングハート、リィンフォース、武装隊、すずか)
高町なのはは空を駆けていた。
その背中に蔵元翔太の声援を受けて。今のなのはであれば、何者にも負けないような気がしていた。少し浮ついたような、ふわふわしたようなそんな気分である。
彼女が向かう先は、翔太が横になっていたビルの屋上から少し離れた空だ。そこでは、なのはが召喚した守護騎士たちが闇の書の管理人格と思われる女性と戦っていた。
シグナムが炎を纏わせた剣で斬りつけ、ヴィータがその体躯に似合わない巨大なハンマーを振るい、シャマルが後方から援護し、ザフィーラが、闇の書から出される攻撃をその肉体と防御魔法で防ぐ。
それは守護騎士としての一つの形だ。だが、それらを駆使したとしても闇の書である彼女にダメージが与えられたとは思えなかった。いや、攻撃自体は当たっている。シグナムの炎が、剣が、ヴィータのハンマーが、それぞれ確実に闇の書に命中している。
しかし、しかしながら、それだけだ。
不可視の衣を羽織っているように闇の書の本体へは攻撃が通らない。そよ風が当たっただけのように平然とその場に佇みながら、逆に攻撃を仕掛けられる始末。常人ならば彼女を恐れて撤退していたかもしれない。
だが、彼らにそれはできない。なぜなら、主である高町なのはから受けた命令は、闇の書への攻撃なのだから。システムであり、騎士である彼らに『撤退』の二文字はありえない。
そんなことは、なのはも承知の上だ。そもそも、彼らにはそこまで期待していなかった。闇の書と彼らの魔力の量には圧倒的ともいえる量があったし、何よりも例え、なのはが彼女を××したいと思ったとしても、彼女は闇の書であると同時に翔太が世話をしていた八神はやてでもあるのだ。翔太の意向を聞く前にどうこうできるはずもなかった。
なのはが、彼らに望んだことはただの時間稼ぎで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
その点だけでいえば、彼らは自分の役目を十分に果たしているともいえる。
先ほどまで激しくぶつかっていた両者だったが、なのはが戦場に現れたことで一時的に仕切り直しになったのだろう。守護騎士たちはなのはの周囲に集まり、闇の書は少し離れたところから様子をうかがっていた。
もちろん、お互いの間に気を緩めるというようなことはない。お互いにお互いの出方を見守っているというほうが正しいのだ。どちらかが動き出せば、即座に先ほどと同じ光景が始まるだろう。ただし、今度はなのはを加えて、のこのとではあるのだが。
「主、申し訳ありません。なんら成果はなく―――」
「別にいい。そんなことよりも―――止めるよ」
様子をうかがっていたなのはの隣にシグナムが申し訳なさそうな顔で立つ。しかし、なのははその謝罪を一蹴し、次の指令を与える。
なのはからしてみれば、本当に先ほどまでの命令は単純な時間稼ぎなのだ。今、この時からの命令は本物。本気の指令だ。今度こそは従ってもらわなければならない。
「「「「御意」」」」
またしても、唱和した承諾の声とともに彼らは散開する。それが次の戦いの合図だった。散る守護騎士の面々。それを見送るなのは。なのはとて、何もしないわけではない。しかし、彼らの主であり、彼女の得意魔法を考慮した場合、彼女が動くのはあまり得策ではない。
ここで問題となってくるのは、たった一つだけだ。
如何様にして闇の書の管理人格となっている彼女を止めるか、である。力づくで押さえつける、彼女が暴走する原因となっている根本から解決するなどが考えられる。ちなみに、後者の案は不可能であることをレイジングハートが伝えてくれた。闇の書へのアクセスが不可能だからだ。
もしも、守護騎士が未だに闇の書とつながっていたならば、その方法も可能だったかもしれないが、守護騎士が切り離された以上、考えても詮無きことである。
ならば、前者となる。しかしながら、バインド系の魔法があまり得意とは言えないなのはでは、拘束という手法では、不可能である。なのはの守護騎士であるシャマルは、その手の専門家ではあるのだが、闇の書を拘束できるほどではない。
つまり、最終的に残った唯一の案は驚くほど単純だった。
―――非殺傷設定における魔力ダメージによる昏倒。
これがなのはの唯一とれる方針であった。
方針が決まってしまえば、なのはの行動は早い。そして、彼女は必ず、それを実行するだろう。翔太が応援してくれているのだ。なのはにとってこれ以上、力強いことはないし、さらには翔太が見てくれているのに失態を見せるわけにはいかない。
だから、なのはは、この件に関しては万全を期して挑むのだ。
それになのはにはもう一つ期待していることがもう一つある。それは、つまり今回の―――闇の書を止めるということが成功すれば、翔太に褒めてもらえるかもしれないということだ。
いつかのように頭を撫でてもらって、「頑張ったね、なのはちゃん」と笑顔で言ってくれる様子を想像するだけで、なのはの身体の底から力が湧いてくる。やり遂げようという意志が漲る。
―――絶対、やり遂げてショウ君に褒めてもらう。それにきっと、今回のことも頑張れば、もっと私のことを見てくれるよね。
そんな期待を抱きながら、なのはは彼女―――闇の書と対峙する。
◇ ◇ ◇
―――使えない、とレイジングハートは思った。
すでになのは+守護騎士と闇の書の戦いが始まって五分ほど経過している。
その間に闇の書はさらに暴走のレベルを上げたのか、己が魔力を大地と呼応させ、地面から火柱を立たせるなどといった、おおよそ荒唐無稽としか言いようのない風景を作り出していた。しかも、それは、闇の書自身が作り出したものではない。ただ単にこの位相空間の魔力が呼応しただけの結果なのだ。
普通に考えれば、天災レベル。つまり、地面に伏して通り過ぎることを待つしかないような空間。だが、それでもレイジングハートのマスターである高町なのはは立ち向かう。そう決めたから。彼女の友人である蔵元翔太に闇の書を止めることをお願いされたから。だから、彼女は立ち向かう。
ならば、彼女のデバイスであるレイジングハートがとりうる道は一つしかない。マスターの願いを叶えてこそデバイス―――インテリジェンスデバイスの本懐。よって、共にこの災害に立ち向かうしかないのだ。
そして、そのために出した手札の一つ。元来の闇の書から無理やりはぎ取ったとでもいうべき守護騎士システムとそのデータたち。毒には毒を、と言わんばかりにもともとの持ち主にぶつけてみたものの全く使えない。
彼らの魔法による攻撃、デバイスによる攻撃。そのすべてが闇に書にとってはなんら意味を持たないものなのだろう。まるで、空気のように彼らの攻撃を無視している。今の彼らは、相手の注意を逸らせるという意味で言うならば、蚊にも劣る存在だった。
だが、解析してみても不可解な話だ。彼らの攻撃力は決して低いわけではない。魔力ランクで言うならば、Aクラスの攻撃はされているだろう。だが、それでも闇の書はまったく意に介した様子はない。闇の書が対処するのはレイジングハートのマスターであるなのはの砲撃だけである。
何かしらの魔法が作用していると考えるのが妥当か。闇の書から感じる魔力を換算しても、その身に纏うAランク相当の魔力だけで掻き消せるような量ではない。単純に何かしらの作用が働いていると考えるべきである。何らかの魔法ではあろうが―――仮に命名するとすれば、『闇の衣』であろうか。
もっとも、そんなものを気にせずに、守護騎士すら無視してなのはが勝負を決めることは可能だ。JSシステムという切り札の一つを使えば。しかし、それは彼女を『止める』という条件によって切れない手札になっていた。
止める方法としては、魔力ダメージによる気絶が考えられる。しかし、JSシステムを稼働させた場合、出力を最低に絞ったとしても彼女が―――闇の書はともかく、中の主である八神はやてが無事である確証はないのだ。大丈夫と断言するためには今しばらく解析の時間が必要である。だからこそ、なのははJSシステムを使わずに単騎で勝負を仕掛けている。
それでも、砲撃がしっかりと入ってしまえば、気絶させることは可能だろうとレイジングハートは試算している。だが、砲撃を直撃させるためには、守護騎士が動いて意識をそらせるか、なのは自身が動いて隙を見つけるしかない。前者は守護騎士たちの攻撃力が低すぎて解決策にならないし、なのはが動くこともなのはの背後にいる翔太のことを考えると不可能だ。
彼女が先ほどから投げてくる炎の球は、直径がなのはの倍ぐらいある。さらに、その火力は到底信じられるものではなく、鉄筋コンクリートでできたビルが飴細工のように曲がると言えば、その火力がいかほどかわかるだろう。
そんなものが後方にいる翔太に向かって投げられれば―――彼の命運は明らかである。ゆえに、なのははその一つ一つを防ぐか、砲撃で潰していくしかない。だからこそ、闇の書への攻撃の手が薄くなるのだ。
これらの要素によって戦況は膠着状態へと陥っていた。このままでは千日手になるだろう。
それもこれも、守護騎士が使えないからだ、とレイジングハートは結論付ける。
もしも、守護騎士の攻撃が見えない衣を通せたならば、闇の書の意識を彼らに向けることもできるし、少しずつダメージの蓄積にはなるだろう。闇の書の炎の球が防げたならば、なのはが移動可能になって闇の書に直撃を与えることもできたかもしれない。
一手、一手異なるだけで戦況は様変わりするのだ。
ならば、それで、それだけで戦況が変わるようであれば、そうするだけの話である。つまり
―――使えないのであれば、使えるようにすればいいだけの話である。
『Master, can I have the action to change the situation?』
そのためには、レイジングハートの主の許可が必要だ。いくら状況を変えるためとはいえ、許可も得ずにデバイスたるその身が動けるはずもない。しかし、レイジングハートは、なのはが断るわけがないと思っていた。なぜなら、この状況がじれったいと一番思っているのはなのはだろうから。
「―――うん」
だから、間髪入れずに返答が返ってきたことは、レイジングハートにとっては既定路線。主から許可をもらったレイジングハートはすぐさま状況を変えるための一手を打つための行動に出る。
「でも、どうするの?」
―――ああ、そうだ。大事なことを告げることを忘れていた。
つい、目先の行動に処理の大半を割いていたレイジングハートは何をするかを主に告げていなかった。だが、次にレイジングハートが何をするかなど、一言で済む。そう、実に―――実に簡単なことである。
『I just customize a bit』
なのはが、そう、と自分で聞いた割にはあまり興味がなさそうに呟くのと同時にレイジングハートの準備は整っていた。後は手元にある実行ファイルを実行するだけである。それを躊躇する理由はどこにもなかった。すでに主の許可ももらっているのだ。だから、レイジングハートは手元にある実行ファイルを起動した。
―――使えない、と評した守護騎士を改修するための実行ファイルを。
『Install start―――』
変化は如実に表れた。
今まで闇の書を攻撃していた―――それが無駄だとわかっていても彼らが守護騎士である以上、攻撃の手を休めることはない―――手を止める。そして、一瞬怪訝な表情をしたかと思うと同時に彼らは呻く。
苦痛を押し殺したようなうめき声。それぞれが異なるとはいえ、額に脂汗までかいている以上、その苦痛は筆舌にしがたいものがあるだろう。守護騎士の将を自負しているシグナムでさえそれなのだ。彼らが感じている苦痛がいかほどか想像もつかない。
だが、それでもレイジングハートは改修実行ファイルのプロセスをやめない。
『First phase ……… clear. Next second phase start. ……Secure memory. Set up Jewel Seed. ………』
レイジングハートからしてみれば、彼らはしょせんプログラムなのだ。プログラムが使い物にならないことを理解して、改良することを躊躇するシステム屋がどこにいるだろうか。たとえ、彼らからしてみれば、体の中を麻酔なしに弄られているものと変わらないとしても、彼らがプログラムであると認識している以上、レイジングハートの手が止まることはなかった。
彼らの苦痛の時間がどれだけだっただろうか。急に痛みに襲われた彼らからしてみれば、一分が一時間にも感じたかもしれない。正確には三分四十三秒だが。それだけの時間、苦痛に耐えた彼らは間違いなく変わっていた。纏う空気も、彼らから感じられる魔力も。
外見上の変化はほとんどない。だが、そこから感じる威圧感などは全くことなるのだ。その変化に今まで気にせずなのはを攻めていた闇の書さえ手を止めて彼らの変化を見る。何が変わったのだろうか、と守護騎士たちを上から下まで見る闇の書。
彼女の視線はただ守護騎士たちのある一点を見て止まる。
シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ。彼らの変化は纏う空気、彼らから感じられる魔力だけではない。外見上の変化はほとんどないと称したが、ただ一点のみ異なる点があった。それは、彼らの胸元に爛々と輝く蒼い宝石。埋め込まれたように輝くそれだけが、彼らの唯一の変化といえた。
それは、四月に海鳴を人知れず事件に巻き込んだロストロギアと呼ばれる古代の遺物。レイジングハートはそれを20個所持している。15個は使い道がある。主を護るために、主の願いをかなえるための力を得るために。しかし、残りは使い道がなかった。もてあますだけの代物。ゆえに、今回のことで使っても全く問題なかった。いや、むしろ主であるなのはの力になるのだから有効的な使い方ともいえるだろう。
『Final check started……… All right!! Success customize!!』
彼らから感じる魔力、何事も問題なく定着したジュエルシードを見て、レイジングハートは満足そうに彼らの改良の成功を宣言するのだった。
◇ ◇ ◇
これは………すさまじいな。
先ほどまでは蚊ほどにも気にしなかった守護騎士たちの猛攻を受けながら闇の書―――いや、闇の書を闇の書足らしめている防衛システムに浸食された闇の書の管理人格は、評価を改めていた。
「破ぁぁぁぁっ! 朱雀一閃」
「ギガントグラビトンクラークっ!!」
シグナムの巨大な鳥のように形取られた炎が、ヴィータの自身の身の丈の四倍はある巨大なハンマーで押しつぶすような猛攻が挟撃されるように襲いかかる。先ほどまでに無視していれば、いくら闇の書に常時結界のように展開されている自身のスキルである『竜の衣』をもってしてもダメージを受けることは間違いない。
だから、闇の書としてはシールドで防御するしかない。666頁を埋めた闇の書が持つ魔力は膨大だ。少々守護騎士たちがパワーアップしたところで闇の書の防御を貫けるはずもない。しかし、先ほどまでは防御させることすらできなかったことを考えると格段の進歩だともいえる。
それに、そもそも、闇の書に防御させることこそが彼らの役目。一瞬だけでも本命から注意を逸らせばいいのだから。その一瞬を彼らの主は、勝利への道筋の一つへと導くのだから。
「くっ……」
今まで焦ることなく淡々と戦闘を繰り返していた闇の書が初めて焦るような声を漏らした後、ブラッティダガーでシグナムとヴィータを薙ぎ払った後、両手を重ねて、正面から来る砲撃を受け止める。シグナムとヴィータの攻撃を受けながら受け流せるような魔力ではなかった。間違いなく闇の書以外が喰らえば一撃必殺となる砲撃だった。
その砲撃を放った持ち主は闇の書から離れた場所から、銃を持つように桃色のデバイスを構えていた。赤い宝石部分から放たれたであろう砲撃魔法は、第二射があるように、周囲に環状魔法陣を展開しながらスタンバイしていた。おそらく、第二射は、すぐにでも放たれるだろう。
しかしながら、その状況において、彼女の身に注意を払うわけにはいかない。何せ、現状は三対一なのだ。いや、実質はもっとひどい。たとえば、せめてもの反撃とばかりになのはに向けてブラッティダガーを放てば、それはザフィーラによる白銀の盾に阻まれる。パワーアップするまえであれば、容易に砕けたであろうに。
ならば、とシグナムやヴィータを狙う。命中こそさせられないものの、傷を負わせることはできた。しかしながら、その傷は即座にシャマルによって癒される。彼女自身は距離を置いているにも関わらず、その魔法が届くのだ。魔法の有効範囲が伸びていた。しかも、ザフィーラの近くにいるため、彼女をつぶすこともできない。
このままではまずい、と防衛システムが判断するまでには一時も必要なかった。何も手を打たなければ、いつかなのはの砲撃を喰らってしまうだろう。一度や二度ならば、耐えられる自信もあるだろうが、それ以上となれば厳しいものがある。超高魔力の砲撃を喰らってしまえば、闇の書は耐えられない。その結果、支払わなければならない代償は決まっている。
―――守れない。護れない。零れていく。
それは許されないことだった。闇の書にとって、闇の書の防衛プログラムとして。護る、守護する、それこそが防衛プログラムの存在意義。
だからこそ、だからこそ、主を苦しめる、主を絶望へと陥れた世界を壊そうとするのだ。護るために、ただ護るために。
主を護れない。それは自らの存在意義の否定だ。そんなことはできるはずもない。己は己であることを自覚して初めて己たり得るのだから。特にプログラム―――システムである闇の書はその本能ともいうべき部分が顕著だった。
だから、闇の書は手札をもう一枚切ることにした。いや、切らなければならない。護り、守り、衛るために。
「闇よきたれ」
その言葉で発生する暴力的な魔力の解放。それは闇の書を中心として球を描く。高密度の魔力の中だ。いくらシグナムやヴィータであろうとも、それをまともに受けようとは思わない。結果として、闇の書からずいぶんと距離を取ってしまうことになってしまった。
―――それこそが闇の書の狙い。
この場に必要だったのは仕切り直しだ。闇の書の手札を切るためにも。
「来たれ、来たれ、来たれ。我が兵たちよ」
その呼びかけが呼び水だった。その声に惹かれたように周囲に大きめの闇の球ができる。その数、およそ五十。まるで卵のような闇の球が上から闇のヴェールを外すようにはがれていく。その闇の球が完全に晴れた時、その場に姿を現したのは、なのはたちにとってはよく知っている生物だった。
―――竜。
なのはたちが闇の書の頁にするためにひたすらに狩ってきた竜。その姿が海鳴の海上を埋めるがのごとく、空の王者のごとく埋め尽くしていた。
「「「「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」」」
まるで呼ばれたことを歓喜するがのごとく五十もの竜たちが吼える。内包する魔力もほとんど竜と変わらない。本当になのはたちが狩ってきた見捨てられた世界から呼び出したごとく竜たちは顕現していた。
その姿を見て、一切ひるまなかった守護騎士たちとなのはを見て、闇の書はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「卑怯と言ってくれるなよ。私の騎士を奪ったのはそちらだ」
行け、と闇の書が腕を指揮棒のように振ったその瞬間から第二ラウンドの始まりを告げていた。
◇ ◇ ◇
「すげぇ………これが竜滅者≪ドラゴンスレイヤー≫……」
周囲にいた誰かが、モニターに映る少女の姿を見ながら信じられない、と言ったような感情を隠すこともなくつぶやいていた。しかしながら、その感想にも彼―――時空管理局武装隊の彼も同意だった。
竜―――それは、ある場所では架空の生物として扱われる存在ではあるが、次元世界には実在している。竜を神とあがめる部族もあり、また友として、共に歩むものとして助け合う部族もあるぐらいだ。
その力はまさしく生物の頂点に立つにふさわしいほどの力を持っている。最上級の力を持つ竜ともなれば、まさしく神の力を持っているといっても過言ではない。最下層の竜としてもそこら辺の魔導師が太刀打ちできるような存在ではない。
モニターに映っている竜も最下層ではないにしても、そこら辺の魔導師が太刀打ちできるような存在ではないことは明白だ。
だが、そんな竜たちがまるで射的の的になったかのように次々と撃ち落とされていく。撃ち落とすのは、彼の半分も生きていないであろう少女だ。彼女が桃色のデバイスを振るえば、一つの環状魔法陣から放たれた九条の砲撃が竜を貫く。それだけで、竜たちは一瞬で気絶し、海へと落ちていく。
本当にまるで、訓練用の射的をするがのごとく竜が堕ちていく。その光景を見るだけで彼の中の常識が覆されていくようだった。
彼とて噂では知っていた。今回の闇の書の魔力を蒐集するために竜から魔力を集めており、また、その竜を相手にしているのが、執務官ではなく、まだ年端もいかない少女だと。その姿を見てきた武装隊員によって彼女の実力は知られることになる。本来、狩る立場の竜を、逆に狩る魔導師―――竜滅者≪ドラゴンスレイヤー≫として。
彼も噂を半分程度しか信じていなかった。
せいぜい、武装局隊員の力を借りて狩っているのだろう。とどめをさしているだけでも十分すごいのだ。尾びれ背びれがついて大きくなったのだと。
だが、その姿は事実だった。彼女は一人で竜を狩っている。しかも、一度に複数の竜を。
―――信じられない。
それが彼の正直な感想だった。そして、同時にそれがこの場にいる全員の総意だろう。いや、少しだけ異なるとすれば、彼女に同行していたという半数ぐらいだろう。しかしながら、噂で聞いた話とは現状は全く異なるはずだ。
武装局員が引っ張ってきた竜を撃ち落とすのと、十数匹の竜に囲まれて撃ち落とすのでは難易度は段違いだろう。彼ならば、数秒もせずに落とされる自信がある。しかし、彼女は撃ち落としている。ドラゴンスレイヤーの呼び名にふさわしく。まるで舞うように空を泳ぎながら、彼女の砲撃が空を彩るたびに十匹近くの竜が堕ちていく。
もっとも、それでも竜の数が減っているとは思えないのだが。元凶は、すぐ近くにあった。
時空管理局が長い間悩まされてきた闇の書だ。彼女が呼び続ける限り、竜たちは呼びかけに応えるだろう。
そう、そもそも、彼らの目的は闇の書だ。彼らはそれを封印するためにやってきた。長年、時空管理局を苦しめてきた闇の書をようやく封印できるのだ。もっとも、長年時空管理局を苦しめてきた闇の書だけあって、封印するためのステップも無茶なことこの上ないと思うのだが。
「クロノ執務官っ!!」
あまりに現実離れした光景に見とれていた彼の耳に、中年のやや焦ったような声が聞こえた。その声の持ち主に目を向けてみれば、彼は今回の作戦のために招聘された武装隊の小隊長の一人だった。そういえば、かの小隊長の一人娘はちょうど目の前のスクリーンに映っている少女ぐらいの年齢だったと思う。
彼が焦るのも、この先、何を口にするかも彼には理解できた。
「我々も―――」
「ダメだ」
出撃しましょう、と言いたかったのだろう。
確かにこれは予想外だ。闇の書を抑える役目を彼女に一任したのは聞いた。あとは暴走直前まで彼女に相手をしてもらい、暴走間際になって、武装局員が介入し、闇の書を封印する。それが封印プロセスだったはずだ。しかし、その相手に竜まで追加されるとは聞いていない。
予想外、だからこそ介入するべきだと小隊長の彼は言っている。だが、今回の作戦の現場責任者ともいえるクロノ執務官は、彼の要請を拒否した。
「しかしっ―――」
それでも食いつこうとする小隊長。彼からしてみれば、見ていられないのだろう、許せないのだろう。娘ほどの年齢の少女が戦っているのに、自分がのうのうと安全な場所で待機していることが。
ふと、周囲を見てみれば、彼と同じ気持ちなのか、険しい顔でうなずいていた。
そう、今回の作戦の武装局員は、ほとんどが穏健派の面々で構成されている。ならば、彼らが少女が戦っているのに安穏と待機していられるはずがない。たとえ、役に立たないとわかっていても、わずかでも少女の助けになるのであれば、彼らは戦場に駆けつけるだろう。それこそが、彼らがこの場にいる理由なのだから。
「ダメだ」
しかし、それがわかっていながらクロノは再度、彼の要請を拒否した。
「君たちがあの場に行ってどうする? あの数の竜を相手にできるとでも? 不可能だ」
事実だ。明白な事実だ。
海の武装局員は確かにレベルは高いだろう。それでも隊長のAAクラスが最高レベルだ。平均はAかBぐらいがせいぜいである。それで竜を相手にしろというのはいささか無理がある。
「それよりも、闇の書が暴走する瞬間を見逃すな。その瞬間に僕たちが介入しなければ、封印プロセスは成功しないんだ」
暴走する一瞬のすきを突くのが、この作戦のキモだ。そのタイミングは嫌というほどに教えられている。この場で失敗するとは思っていない。もっとも、実際に封印するのは今回の作戦の指揮を執っている時空管理局の英雄ギル・グレアム提督だが。
「それまで、彼女を一人で戦わせるというのですかっ!?」
正確には一人ではない。彼女の使い魔であろう騎士たちも一緒だ。しかし、彼らは彼女の助けになっているとは言い難い。自分の身を守るだけで精一杯のようだ。せめて、一人でも彼女の援護に入れば話は違うのだろうが。
「堪えてくれ……これが最初で最後のチャンスかもしれないんだ。失敗は許されない」
そう言われれば、彼は何も言えない。
この場にいる武装局員は、確かに一人も欠けることは許されない。闇の書が暴走するその一瞬、闇の書を封印するためにある種の結界を作らなければならない。それが集団儀式魔法だ。武装局員一人一人を陣と見立てて空間を作る。それが闇の書を封印するための界となる。
この場の一時の感情で出撃するのはいい。だが、それで傷を負ってしまえば? それは、作戦の可能性を落とすことにつながる。そして、この作戦に失敗は許されない。
ゆえに、この場で正しいのはクロノだった。そして、それがわかっているがゆえに小隊長の彼は何も言えない。感情的には、許せない何かがあったとしても、この作戦の重要性を知っている彼は何も言えないのだった。
それは周囲にいる武装局員のだれもが同じだ。この作戦の重要性を理解していない局員などいない。だからこそ、何も言えない。
自信をもって竜と渡り合えると言えない、そういえるだけの実力がない、そんな自分が不甲斐ない。だから、局員の何人かは、俯き、何人かは己の罪を焼き付けるかのようにモニターから目を離さない。
「が、頑張れっ!」
一瞬、静まり返った待機ルームに誰かの声が上がる。目の前のモニターの向こう側で戦っている少女へ向けてのものだろう。届かないことはわかっている。しかし、あの戦場へと駆けつけられないとわかった以上、やれることなどこのぐらいしかない。
それが彼女の元に駆けつけられないことへの罪に対する贖罪にならないことはわかっている。自己満足だということはわかっている。しかし、しかし、それでも応援せずにはいられない。何かせずにはいられなかった。
その心は伝搬する。
「頑張れっ!」「やっちまえ!」「後ろ、後ろ!!」
先ほどまでは彼女が竜を落とそうが冷静に見ているだけだった。だが、今は彼女が砲撃を打つたびに、竜を落とすたびに歓声が上がる。
頑張れ、頑張れ、と応援の声が上がる。自分たちにできることは、これしかなかったから。それしかできないことを心の中で詫びながら、しくしくと痛む罪悪感を感じながら、局員たちは彼女に届けとばかりに応援の声を上げるのだった。
◇ ◇ ◇
月村すずかは驚いていた。
先ほどまで機嫌がよさそうに鼻歌を歌っているアリサに対して抱いていた疑惑の念が吹っ飛ぶぐらいに驚いていた。
「ショ、ショウ君?」
そのすずかのつぶやきが彼に届いたかわからない。いや、届いていないだろう。彼は間違いなく、今の非日常に対応しようとしているのだから。
すずかが驚いたのは、この突然、投げ出された非日常に、ではない。そんなことは目の前の光景からしてみればどうでいいことに部類されてしまう。確かに、この非日常に突然投げ出されたことには驚いた。しかし、それ以上に驚いたのは、真っ黒な衣装に身を包まれて空からやってきた翔太に対してだった。
すずかはいつかの翔太の言葉を思い出していた。
―――実は、僕は魔法使いなんだ。
―――もっとも、まだまだ卵だけどね。
それは、すずかに対して気を使った翔太の冗談だと思っていた。すずかは信じていなかったのだ。吸血鬼という存在は信じられても魔法使いは信じられなかった。確かに吸血鬼がある以上、魔法使いがいてもおかしい話ではない。
しかし、それは偶然というのは、できすぎだった。一体、いかほどの確率だというのだろうか。とてつもなく低いということだけは理解できる。
そう、まるでそれはお互いに惹かれたようではないか。非日常が、非日常を求めるように。まるで運命の糸に引っ張られているように。少なくともすずかはそう感じた。
すずかが親類以外では初めて出会う非日常。それが魔法使いの蔵元翔太という存在だった。
今までは、翔太と仲良くなりたいと思いながら接してきた。もちろん、そこに嘘はなかった。だが、それでも怯えがなかったと言えばうそになる。すずかは翔太を完全に一般人だと思っていたからだ。だから、心のどこかで最後のストッパーが存在していた。前のときは大丈夫と言ってくれたが、次はダメなのではないだろうか、と。
受け入れてくれた。その一点だけではすずかが翔太に絶対の信頼を寄せるには不十分だった、と言える。もしも、姉の忍のような性格ならば、信じられただろうが、すずかの慎重な、慎み深いともいうべき性格が災いしていた。
しかし、これで完全にストッパーが外れたといっても過言ではないだろう。まるで、すずかという存在を受け入れるように現れた蔵元翔太という存在。同じ非日常に存在し、すずかという少女を完全に受け入れてくる少年。それがすずかにとっての蔵元翔太になった。
ある種の危機にあるのにすずかはふわふわと浮ついたような気分になってしまっていた。おかげで、翔太に声をかけるときも声が震えてしまう。あまりにできすぎたこの時間が、事実が嘘であると告げられることを恐れて。
しかし、そんなことはなかった。
翔太は魔法を使い、一緒にいたアリシア、アリサを護ってくれたのだから。
―――ああ、本当にショウ君は魔法使いなんだ。
先ほど空まで飛んで現れたというのにそれでも信じられなかったすずかだったが、ようやく願望と事実が変わらないことを自覚し始めていた。
だからかもしれない。彼の真後ろに女性が現れ、何かを呟いたと同時に翔太が光に包まれた瞬間に何も反応できなかったのは。
反応できたのは一番近くにいた翔太の義妹であるアリシアだった。
翔太が伸ばした手に唯一、手が届き、光に包まれていた彼と同様に光に包まれはじめ―――消えた。二人同時に、だ。驚いたかのような翔太の表情と必死ともいうべき表情で追いすがるアリシアの表情が脳裏に残っている。
アリサの性格からいってそれを呆然と見送られるわけがない。
「ショウ! アリシアっ!!」
二人の名前を呼ぶが、返事はない。すずかも周囲を見渡してみるが、炎の球によって破壊された後は確認できたが二人の姿は確認できなかった。そして、唯一の行方を知っていそうな存在は一人だけだ。
翔太の後ろに現れ、何かをつぶやいた女性。
「あんたっ! 二人をどこにやったのよっ!!」
まるで恐れというものを知らないようにその女性に食ってかかるアリサ。すずかも同様のことを叫びたい。ようやく、ようやく本当のことが知れたのに。これ以上、我慢する必要もない人に出会えたのに。わかった瞬間に消えてしまうなんてどこの悲劇だ。
そんなことを月村すずかは認めない。だから、食って掛かるアリサとは異なり、どこか油断しているようであれば夜の一族の力を使ってでも襲いかかろうとしたのだが―――
「「え?」」
アリサとすずかの声が重なる。
当然だ。先ほどと一瞬で景色が変わったのだから。先ほどまでいたビルが崩れ去ったような風景はどこにもない。そこはすずかが暮らす日常の風景が広がっていた。人っ子一人いない空間ではない。クリスマス・イヴを楽しむような街の人がいるような日常が目の前に広がっていた。
幸いにして通行人の邪魔にならないような道路の端に寄っていたものの、突然の光景に言葉を失っているアリサとすずか。
だが、やがてアリサも思考回路が戻ってきたのだろう。この数十分で体験したありえない経験と理不尽に怒りを爆発させた。
「いったいぜんたいなんなのよぉぉぉぉぉぉっ!!」
金髪の少女が道中で叫ぶという奇行で街の人の注目を集めているアリサをしり目にすずかは雪が舞う空を見つめる。翔太が魔法使いであることを知らせるようにやってきた空を。
―――ショウくん、無事に帰ってきて。
ホワイトクリスマスになるような分厚い薄暗い雲を見上げながら、人生で初めて出会った自分のすべてを受け入れてくれる人の無事をすずかは祈るのだった。
つづく
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