それぞれの白球
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加持編 血と汗の茶色い青春
二話 逆鱗
第二話
あっという間に月日は過ぎていく。
それは、楽しいからじゃない。
朝6時に起きて、グランド整備に道具磨き、風呂掃除。
三班に分けて1時間ほどかけてやる。「できない」というのはあり得ない。特にグランド整備は念入りにやる分遅れがちだが、休み時間にグランドに来て整備して、その遅れを何とか埋め合わせる。
朝飯も昼飯も晩飯も、まあ味は悪くないが、適量なんてもんはない。腹がパンパンになるまで食わされる。1日当たり、炊飯器一つ分は食わされる。いや、もしかしたらもっと多いかもしれない。オカズの量も少なくは無いのに、これだ。
生まれて初めて、食うのが辛いと思った。
偏食なんてしようものなら、鬼のようなコーチの目が光る。腹を殴ればゲロを吐くもんだから、この時ばかりは横っ面を張ってくる。
そして放課後になれば、サブグランドにすら入る事なく、その脇でひたすら投球フォーム、ステップ、捕球姿勢の確認。地味な練習だが、これがボールを触れる唯一の時間で、後は走り込みに体幹メニュー、素振りと体力アップの練習。
この基礎トレーニングは堪える。
これまで経験した、どんな基礎トレーニングよりもきつかった。
「死ぬ……」
1日1000回の腹筋で、俺の腹筋は息をするだけでズキズキと痛むほどの筋肉痛を発症していた。
一度、こんな風に弱音を吐いた事があった。
「はぁ?お前、有難いと思えよ。お前は推薦だから体力トレーニングをやらせてもらえるんだ。一般入試の連中は今頃グランドでひたすら球拾いしてるぞ。可哀想にあいつら、新チームなった頃にはお前らとメチャクチャ差が開いちまうんだ。分かったら、とっとと次にとりかかれ。」
1年の世話係の高橋さんに、こう返された。
高橋さんの言う通り、一般入試組の連中に対しては、この野球部は最初から練習などさせるつもりがなかった。
先輩に怒鳴られながら、ずっと雑用である。
なまじ先輩と接触する事が多い分、目をつけられる可能性も上がる。
連続ティーの球出しなど、球捌きがそれなりに上手くないとできない。
一般入試入学の連中にはそれすらできない奴が居るのだ。雑用すら出来ない自分に絶望し、やる気をなくして辞めていった奴も何人も居た。
誰も引き留めなかった。
ここはこういう場所だったから。
ーーーーーーーーーーーーーー
しかし、同級生の中にも、早くも頭角を表す奴は居た。そいつらは、請われて入学し、即戦力として期待され、学費も何もかも免除された存在。
学年に数人の、特待生だ。
「ズドーン!」
チラと覗いたブルペンで、俺と相部屋の白神が投げているのを見た時には全くビックリこいた。
この効果音が大げさじゃないくらいの威力のある球が、先輩捕手のミットを叩く。
全国で有数の才能が集うはずの是礼でもその球は目立っていた。一軍の練習試合でも、いきなり投げさせてもらい、堂々たるピッチングを披露して、先輩も白神にだけは一目を置き始めた。
ま、特待生の中でも白神は別格だったみたいで、初日から膝蹴りを食らった山口も特待生だと言うのに、すぐに俺たち推薦組と同じ基礎トレーニングの方に回された。こいつの場合、初日の件が知れ渡ったおかげで一緒にプレーする先輩の圧力が半端じゃなかったらしい。
つい一ヶ月前まで御山の大将やってた1年が、皆目をギラつかせてる先輩に混じって、やらかせば殴られるかもって意識の中、マトモにプレーできる訳がねぇんだよな、普通は。
その点、白神は死ぬほど鈍感なのが幸いした。
ま、俺たち1年としちゃ、白神が認められるのは他人ながら嬉しかったよ。
俺たちの代の柱になってくれる。俺たちの代には白神が居る。
そんな気持ちになれるからな。
ーーーーーーーーーーーーーー
みんな凍りついた。
監督も、コーチも、上級生も、もちろん俺たちも。
夏の大会まであと一ヶ月の、追い込み練習中。
個人ノックを受けていたセカンドの先輩の顔面に、イレギュラーバウンドが直撃した。鼻血を出して倒れた先輩は、救急車で運ばれていった。
この先輩は打順も3番の大型セカンドで、チームの柱だった。この時期にきて戦線離脱ともなれば、この夏の甲子園にも黄信号が灯る。
でも俺たちが心配したのはそんな事じゃない。先輩らの不安、怒り、それらがどこに向くのか、という事だ。そんなもの、グランド整備を担当する俺たち1年に決まっている。
事故が起こった瞬間、先輩らの俺たちに対する視線が更に厳しくなったのが分かった。
メンバー入りを決める最後のアピール期間で、当落線上の先輩は皆目を血走らせている。
練習は激しさを増し、疲弊する。
その中で、1年の雑用のヘマも目立ち、1年への苛立ちも募ってきていた。
そこに来て、この事故だ。
恐怖に震えずには居られない。
そしてその予測は現実になった。
練習後、1年生は全員室内練習場に集合させられた。初日の晩に俺たちを怒鳴ったあの主将が、あの時の10倍ほどの怒りを醸し出して俺たちを待っていた。
「おめぇら、今日のこのグランドはどういう事だオラァ!!何で扶桑がケガしたのか、分かってんのか、あぁ!?言ってみろやこのクズ共!!」
「「はい!自分達の責任です!」」
もうひたすらに罪を認めるしかなかった。
主将の説教は、日常生活からグランド内に至るまでの事で、10分以上続いた。
「お前ら、手を頭の後ろに組め」
不意に主将が命じた。
言う通りにする。
「目を瞑れ」
「跳べ」
何をしたら良いのか分からなかったが、
「ジャンプスクワットだ!」と補足されてようやく、どうするのかが分かった。
目を閉じて、ジャンプスクワット。
ただでさえ走り込みでガタガタの下半身が、更に追い込まれる。
跳び続けていると、あちこちから、悲鳴や悶える声が聞こえてくる。どうしたんだろうか?
足でもつったのだろうか?
俺は閉じた目をうっすらと開いた。
俺の前で、先輩が大きく右手を振りかぶっていた。
「ぐあっ!!」
次の瞬間、その先輩の拳は俺の腹に叩き込まれた。全くの加減なしのパンチを食らったのはこれが初めてだった。
無意識に、声にならない声が出る。
内臓に衝撃が響いて、ジンジンと耐え難い痛みが広がる。視界がぐにゃりと歪んだ。
主将が目を閉じろと言ったのは、誰に殴られたのか分からないようにする為だった。俺以外にも、だいたいの同級生が殴られて倒れていた。拳で殴られたらまだ良い方で、バットを持ち出してくる先輩も、ボールを投げつけてる先輩も居た。山口はこれまでの積み重ねだろうか、集中的にリンチされていた。
「何いつまでも寝てやがる!さっさと起きろこのクソが!」
先輩の怒鳴り声がするが、もう誰の声かも分からない。
間違いなく、ここは地獄だった。
ーーーーーーーーーーーーーー
1時間以上もこの拷問は続き、俺たちは生傷をいくつも作って解放された。
痛む体を引きずるようにして俺たちは寮に戻る。山口は両脇を誰かに抱えられないと立てないくらいにやられていた。
一方、白神といえば、せいぜい足腰が立たなくなっていたくらいだ。
白神だけはこの制裁からは除外され、隅で正座させられるに留まっていた。
人は、叩きやすい高さに出た杭を叩く。
それがよく分かった気がした。
後書き
こういうのは、もう今の高校野球では無くなったのでしょうか?
無くなったならそれはそれで素晴らしいですが。
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