とある蛇の世界録
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第二話
朧とリリィの出会いから数年経った頃だった。リリィも、幼い面影のあった可愛らしい顔から、女性特有の丸みを帯びた綺麗な面立ちとなっていた。
あの日から、朧とリリィは同じ屋根の下で、暮らしていた。
「リリィ、今日も行くのか?」
「うん、あそこは気持ち良いから」
「そうか、なら行こう」
リリィは右手に大きなバスケットを持ち、左手を朧の右手に絡めた。朧はそれになんの素振りも見せずに、リリィの手を握り返す。
リリィからしてみれば、嬉しいようで悔しいような。ドキドキしているのは自分だけなのか、と思ったりもすれば、手を握り返してくれて嬉しいとか。そんな色々な考えが、頭をよぎる。
が、やはり朧はそんな素振りを見せない。
「今日は何を作ったんだ?」
「うん、サンドウィッチ作ったの」
「それは楽しみだ」
このリリィとの生活の中で、朧はいくつかの不審な点を見つけていた。
まず一つに、この百合畑のことだ。
朧が数年暮らしていて、雨や雪のように、天候が悪くなったりしない限り、必ずといって良いほど毎日、あの大樹のところまで出かけていた。
それなのに、春だろうと夏だろうと、秋だろうとも。それこそ冬であっても、この畑の百合は咲き誇っていた。枯れ果てているところなど、一度も見たことが無かった。
さらに二つ、あの祖母からもらったという魔道書のこと。
あの本を、一度読ませてもらったが、解読することは出来なかった。だが、リリィが読むと理解できるらしい。リリィの手ほどきを受けて、その魔術を試してみると、あっけなく失敗した。が、その手順を踏み、リリィが行うと成功するのだ。
リリィの方が、朧より魔法使いとしての実力が高いからと言われればそれまでなのだが、その可能性は限りなく0に近いだろう。
どんなに才能があろうと、やはり経験の差は、そう簡単に覆せるものではないのだから。それならば、やはりあの本に何かしらの仕組みがあるのだろう。
最後に三つ。今、朧たちが向かっている大樹の事だ。
あの大樹も百合畑と同じようで違う性質を持っていた。春夏秋冬関係なく、あの大樹は必ず葉を茂らせていたのだ。落ちているところなど見たことは無い。一度、一枚ちぎろうとしたが、それもかなわなかった。
リリィの周りには、不明瞭な点多すぎるのだ。が、リリィはそれに心当たりが無いと言う。そこに嘘は無いだろうと、信じている。
「朧、今日はどんな話をしてくれるの?」
「そうだな、じゃあ――」
それから長い時間話しをした。
この時の、リリィの表情が、朧は好きだった。ころころと変わるその顔に次第に惹かれていって――
もう、日も暮れそうなころ。
朧は部屋の揺り椅子にもたれ掛かっていた。すると突然、部屋の窓が開いた。リリィは今風呂に入っている。それならば敵襲か、と思いそうなものだがそうでもない。
「父様。久しぶりだな」
「久しぶりだな、ニーズへック」
ニヤリと笑い、朧の向かいに座るニーズへック。その顔をまじまじと見つめる朧。
「どうした、何か用か?」
「理由くらい、父様も知っているだろう? 『黙示録』の再来だ。まさか二度目が来るとは思っても見なかったが」
「馬鹿な。聖書の神は二度と『黙示録』は起きないといっていた。一応、それが聖書の神の遺言と言っても差し支えないんだぞ?」
「あぁ、それでも私の力が覚醒しているということは、そういうことだろう?」
「だが……」
「どちらにせよ、『黙示録』は再来する。それも近いうちに、だ。次は人間も滅ぶかもしれない」
「聖書の神のいない今、『箱舟』の建設も不可能ということ、か?」
「まぁ、そういうことになるな。性質こそ違えど、『箱舟』は生物の復興には欠かせないものだからな」
「ちっ、面妖な」
ニーズへックは、朧の紅茶に手を伸ばす。
「ん、うまいな。あの小娘が淹れたのか?」
「知っているのか? まぁ、そうだ」
「ふーん」
興味はないらしい。ニーズへックは紅茶を飲み干し、立ち上がり窓に足をかけた。
「私はもう行こう、また『黙示録』の日に、父様」
「…………あぁ、また」
ニーズへックは、闇世の中に消えていった。それを見計らったようにリリィが風呂から上がってきた。
「朧、お風呂次どうぞ」
「あ、あぁ。分かった。ありがとう」
「? どうかしたの? 朧」
「いや、なんでもないよ。大丈夫だ」
リリィは訝しげに朧を見るが、直ぐにやめた。朧を疑うのはよそう、と思ったからだった。そのまま、先ほどまで朧が座っていた椅子に、深く座り込んだ。
浴槽の中、朧は沈思黙考していた。
ニーズへックの役目は、『黙示録』においての死者の運搬。そのための力がニーズへックに戻ったのだとしたら、やはりそういうことなのだろうが。
だからといって、聖書の神が嘘を教えたかというと、それもありえないことだ。ならば、一体どういうことなのだろうか……
「考えても、無駄……か?」
やはり難しいところだ。朧の『蛇』の中にも、未来を予測するタイプの『蛇』は存在するが、それを使用するのは出来るだけ避けたかった。
なぜならば、それを使用し、未来の改変に動くことによって、本来ありえなかった未来へと、世界を導いてしまう恐れがあったからだ。
それほどまでに、朧の『蛇神』としての力は世界に対しての影響力が大きいのだから。
「だが、それでもリリィだけは……」
だが、このとき朧は、その未来予知の能力を使うべきだったのだ。本当に、リリィを護りたかったのであれば、そうするべきだった。
それが、あの悲劇の『ラグナロク』への第一歩だった。
風呂から上がり、ベットへと寝転がった朧。それから目を閉じ、浅いながらにも睡眠をとろうと意識を暗転させようとした時だった。
朧の部屋のドアが開き、リリィが入ってきた。
「どうかしたか?」
「ううん、なんでもないの。ただ…………」
少し下を向き、それから意を決したように頷いた後。リリィは朧の布団の中へと潜り込んだ。
そして朧の身体に腕を回し、力一杯抱きしめる。
「…………なにかあったか?」
「ううん、私は大丈夫だけどね。朧が……」
「私が?」
「朧が寒そうだったから、暖めてあげようと思って」
その言葉に息を呑み。そして柔らかな笑みを浮かべ、リリィの身体を抱き寄せた。
「朧?」
「そうだな、すこし寒かったんだ。ありがとう、リリィ」
「――うん、大丈夫。私も暖かいよ」
「それは良かった」
そのまま二人は、抱きしめあいながら夜を過ごした。
その数日後の夜のことだ。
朧はリリィの手をつなぎ、あの百合畑を歩いていた。朧がリリィを連れ出したからだった。
「ねぇ、朧。なんであの木のところまで行くの?」
「行けば分かるさ」
そう言って朧は、リリィの手を握る強さを少しだけ強くする。
「朧の手、暖かいね」
「そうか……」
朧は『蛇』だ。蛇は変温動物。寒いところは苦手なのだが、それでも暖かいと言う少女。そう言ってくれる。その暖かい手を、朧は握りなおす。
「――――そろそろか」
「え?」
「急ぐぞ、もう直ぐ始まる」
「何を言って――きゃあッ!」
突然、朧がリリィの身体を抱き、走り出した。それもお姫様抱っこで、とんでもないスピードを出しながら。百合の花たちが、冷やかすように揺れる。
そのまま数秒程度でお花畑を抜け、大樹の下まで辿り着いた。
「まだ、時間前か。間に合ったぞ――リリィ?」
ふと自分の抱きかかえている少女を見ると、顔が真っ赤だった。さすがに早くしすぎたか、と反省。リリィをゆっくりおろす。
「はや、すぎる、よ。お、ぼろ」
「それはすまなかった。大丈夫か?」
「だい、じょう、ぶっ」
それでも、顔が真っ赤なのはそれだけが理由ではないだろうに……
それから少しして落ち着いたらしいリリィの横に座り空を見上げる。雲ひとつ無い空には、たくさんの星が爛々と並んでいた。
「綺麗……」
「そうだな、だがメインはこれじゃない」
「え?」
「――――ほら、始まった。時間ピッタリだ」
その朧の顔につられて上を向く。
「あぁッ」
天高くにそびえていた星が、一つ、また一つと堕ちていく。
「流れ星……綺麗……」
「あれは、ペルセウス座流星群というらしいな。綺麗だから一度見てみろと言われたが、これほどまでとはな……」
「ホント、すごい」
その話を教えてくれたのが、アルゴルの化け物というのも皮肉な話だが。それでも、確かに綺麗だった。
その星の数は次第に増えていき、そして一瞬で流れ、消えていく。
その時間も、長くは続かなかった。長いようで短かった流星群は、その勢いを衰えさせ、そして消えてなくなった。
「終わっちゃったね」
「そうだな」
「でも、綺麗だったよ」
「それは良かった。それに、この流星群は毎年見れるらしいからな、また次の年に、だな」
「うん」
それから、朧はリリィに目をやる。それと同時にリリィも、朧に目をやる。
二人を目を合わせる。ずっと、二人共目をそらすことも無く。
「――リリィ」
「うん」
目を見つめる。
「お前は、絶対に私が守る」
「分かってる」
顔を少しずつ――
「だから……」
そして――
「ずっと一緒にいよう。結婚してください」
「…………はい」
――二人の唇が、重なった。
それは夏の夜の出来事。忘れがたき、二人の思い出。
幸せな日々を願って。
――――――それから一ヵ月後の事だった……
後書き
ついに『ラグナロク』の正体が明らかになるかもしれません。
このころはまだ、ニーズへックと仲は良縁でしたね。
それでは、次回もよろしくお願いします。
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