IS 〈インフィニット・ストラトス〉~可能性の翼~
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第二章『凰鈴音』
第十九話『遠い日の約束』
同日、夜の8時。
私と一夏の寮の部屋である1026号室に、いつもの顔触れがそろっていた。
違うところといえば、布仏がいないことと、修夜がいつも以上に怒りと失望の眼差しで一夏を睨んでいることだろうか。
「……阿呆か、お前は…」
事の顛末を聞いて、修夜は一夏に対して呆れ果てていた。
かくいう私・篠ノ之箒も、今回ばかりは修夜に同情したいし、さっきの凰鈴音の出ていったときの態度も、責め立てる気にはなれない。
「い、いや、そういう意味じゃなかったのか……?」
「ノーコメントだ、自分で考えろ……」
ほとほと呆れ果てて、もう軽い軽蔑のまなざしにさえ見るぐらい、修夜は一夏のことを睨んでつっぱねていた。
ホントに、何で一夏はこんなに“ニブイ”のだろうか……。
事の発端は、私と一夏が部屋に帰ってきてしばらくした後だった。
――――
「今日は疲れた……、マジで死ぬかと思った……」
食堂での夕食が終わった後、一夏は部屋着姿になって、自分のベッドにうつ伏せで寝転がった。
「こらっ、だらしがないぞ一夏……!」
「いやいや、あんなことやらされたら、こうもしたくなるって……」
私の注意を尻目に、顔を枕に突っ伏したまま受け答えをする一夏。
帰り道で聞いたが、今日は左腕を腰に巻き付けた縄で固定され、そのまま右腕だけでずっと剣の稽古を付けさせられたらしい。
私も白夜先生のやり方は修夜を見て知っていたが、修夜も修夜でいきなりここから始めるとは……。
なんというか、『蛙の子は蛙』とでも言い表せは良いのか……。
「とにかく起きろ、そのまま寝たら風邪をひいてしまうぞ」
「う~~ん……」
唸りながら、とりあえず顔を横に向けてみる一夏。それを見て、私は思わずため息を吐いた。
まったく、ISを操縦して真剣にしているときはあんなにカッコイイのに、気が緩むとすぐこれだ。
どうして一夏は、いつもシャキッとしていられないのだろう。
顔はそこらへんの男より断然整っているし、体つきも逞しいし、明るくて大らかで、私なんかより料理が出来て、織斑先生を大事にする姉思いで、武術の才能も今は衰えているけど本当はもっと強いし、なにより優しくて正義感も強くて…………。
――って、なっ……、何を考えているんだ私は!
お、落ちつけ、篠ノ之箒……、まずは深呼吸だ、それから、それから……、た…たしか奇数で足し算をするんだったか……?!
――コンコンッ
「誰だろ、こんな時間に?」
誰かがドアのノックする音と一夏の声で、なんとか私は我に返る。
と……、とにかく今は来客に応対だ。
「…私が出る。とにかく一夏は、一度体を起こせ……!」
よいしょという掛け声とともに、ベッドに腰掛けた状態になる一夏を見つつ、私はドアの前に向かった。
「誰だ?」
「セシリア・オルコットですわ。そのお声は箒さんですわね?」
何とも珍しい来客だった。
本来なら最上階の上流階層にいるはずのセシリアが、わざわざ一般生徒の階まで降りてきたのだ。
ドアの覗き穴から外を見ると、確かに制服姿のセシリアが上品な佇まいで立っていた。
そうと分かれば、待たせるわけにはいかない。私をドアを開けて、彼女に向き合った。
「どうしたんだ、こんな時間に……?」
「夜分遅くにすみません」
軽く会釈したセシリアは、その手に何やら小さな紙袋を持っていた。
「この前のお鍋のことで、チェルシーさんが『修夜さんや皆さんにお礼を』と申しまして……」
そう言いながら、セシリアは私に紙袋を差し出してきた。
「あ……、いやこっちこそ、ただただ邪魔しに行っただけで、そんな大したことは……」
先日、一夏のワガママによって修夜は、セシリアの部屋で鍋パーティーを開催させられている。
ちなみに恥ずかしい話だが、私も勢いに便乗して付いて行っており、本来なら何か手伝うべきところを、板前級の料理の腕を持つ修夜に任せきりにした上に、自分はセシリアの部屋の格の違いに呆然とするばかりで、ホントにただのタダ飯食らいだった。
本当に女子として、情けないばかりである……。
「それに……、それをやるなら修夜が一番先だろうに……!」
あの鍋パーティーの一番の功労者は、間違いなく修夜だ。私たちが受けられる義理は、本来は無いに等しい。
「それが……、本音さんから聞いたのですが、どうやら今はお出かけになっていらっしゃるようでして……」
残念だったのか、セシリアは少し困ったような笑顔を浮かべる。
「それなら、俺たちの部屋で待つか?」
「え……?」
「ちょっと……、一夏っ!?」
唐突に一夏が馬鹿なことを言いだし、思わず私は一夏の方に振り向いた。
「なんなら、のほほんさんも呼んで、みんなでお茶でも飲みながら話そうぜ?」
「お……、おい、何を言っているんだ?!」
セシリアの部屋と私たちの部屋では、広さに数倍近くの差がある。こんなせせこましい、所帯じみたところに彼女を詰め込むなどもってのほかだ。失礼にも程がある。
それに折角、一夏と二人きりでいられる貴重な時間が……、ってそうじゃないだろう、私!?
「い……いえいえ、折角お二人でごゆっくりとしていらっしゃるのに、わたくしがお邪魔しては……」
ほ……ほら、セシリアも遠慮している訳だし、無理に勧めるのは……
「遠慮するなって。たまには狭いところで肩寄せ合って喋るのも、なかなか良いもんだぜ?」
あぁ~っ、だから何で一夏はっ、そういうとこでっ、変に良い人精神を出してくるんだっっ?!
「ですが……」
そら、セシリアだって困っているだろ?!
……って、なんで私をチラッと見たんだ、セシリア……?
「まぁまぁ、上がっちゃえ上がっちゃえ!」
駄目だ……、こうなると一夏はあの手この手で、セシリアをこの部屋に引き留めようとするに違いない……。
ホントにどうして一夏は、人と集まって騒ぐのが好きなんだろう。
悪い性格ではないのに、何でこんな一夏を見て、もやもやしているんだろう、私……。
「そこ、邪魔なんだけど」
突然、廊下の方から聞き覚えのある声がした。
「あ…、あなたは……たしか……?」
そこにいたのは、髪を二つに分けた小柄な少女。
布を切って肩を露出させている特徴的な改造制服、髪を束ねる黄色いリボン、肩に担いだボストンバッグ。
「り…、鈴。何でここにいるんだ……!?」
私が小学五年生になる前に引っ越したのと入れ違いで、一夏と修夜の新たな幼馴染となった少女、凰鈴音だ。
「へぇ~、ここが一夏の部屋なんだ~……」
私たちの前に現れた凰だったが、まるで私とセシリアなど眼中にないかのように、ずかずかと私の横を素通りして部屋の真ん中まで侵入していった。その行動に、一夏も少し困惑した様子で凰の動向をうかがっている。
「……っていうか、何でアンタ達までここにいるのよ?」
次は怪訝そうに振り返り、私とセシリアのことを睨んでくる。
なんというか、なんて今更な質問なんだ、自由すぎる気がする……。
「わ…、わたくしは、一夏さんと箒さんのお二人に御用がありましたので……」
あまりの堂々たる態度に、思わずセシリアも一歩引いてしまっているようだ。
唐突に現れて、こんな態度で部屋に上がり込まれれば、驚くなという方が少し無理がある。
だが、こういうときこそ、部屋の住人として、毅然とした態度を見せなければ……。
「わ……、私はこの部屋で、一夏の『同居人』をやらせてもらっている……!」
それを聞いた途端、凰は明らかに目を見開いて、私のことを鋭く睨みつけてきた。
「同居……人…?」
「あ…、あぁ、そうだ……!」
私の二度目の返答を聞いて、凰の気配が明らかに変わった。
――殺気だ
凰は明確に、私に向けて強い殺気を向けている。
さっきの態度といい、この殺気といい、凰はいったい何をしに来たんだ……?
「ちょっと一夏、どういうことか説明しなさいよっ!!」
殺気走っていたかと思えは、凰は今度は一夏に詰め寄って怒鳴りはじめた。
「ど……、どうって……、箒とは入学したときからずっと同室だったし……」
「なん……ですって……?!」
一夏の及び腰な態度での返答を聞いて、凰はますます怒りを露わにしはじめる。
「なんでそんなことなってるのよぉっ?!」
「し……、知らないよ?!
第一、本当なら俺と修夜は、最初の一週間は自宅通学だったのを、政府のお偉いさんが無理に寮に突っ込んだって話だし……」
一夏の言う通り、本来なら一夏と修夜は自宅が学園からさほど離れていないため、学園側は二人の受け入れ態勢を整える意味で、最初の一週間ほどは電車での自宅通学にすることを提案していた。しかし一夏も修夜も、世界でも例を見ない【男性IS適合者】だったため、その保護と監視を強める意味で、政治家たちは学園の都合など知らないとばかりに、二人を何の準備もできていないこの寮に突っ込んだらしい。
私も一夏と同室になったときは、状況が状況だったけに酷く気を動転させたものだ。
……そのせいで、修夜にはこっぴどく叱られてしまったのだが……。今思い出しても、二重、三重の意味で恥ずかしい……。
「じゃあ何、ずっとこの女と一緒にいたワケっ!?」
「そりゃ、そうだろ……」
「食事もシャワーも寝る場所も、全部共有してたっていうの?!
不潔っ、最低っ、信じられないっ!!」
まるで昼ドラのワンシーンのように、凰は凄まじい剣幕で一夏を追求し続ける。
あまりの勢いに、一夏は完全に小動物のように縮こまってしまった。
「ま…待て、凰。これは学園の方でも想定外での対処だったはずだ……。事実、私も一夏が部屋に来るまで、一夏が同居人になるなど、知らされていなかったんだ……!!」
何とか一夏をフォローしようと弁明するも、凰は私に向かってますます険しい顔で睨んできた。
澄ましていれば凛々しく可愛らしいだろうその顔も、今は般若の面さながらの形相だ。
「……そう、アンタが……」
ぽつりと凰が呟いた。
「分かったわ、アンタ、この部屋出ていきなさいよ」
凰が、いきなり私を指さし、とんでもないことを言いだした。
「な……、何をいきなり……!?」
「自分の方が幼馴染歴が長いからって、浮かれてんじゃないわよ、このスイカ女!!」
す……スイカ…って。
もしかして……、私の……胸……のこと……か?
いやちょっと待て、私だって……、好きでこんなに大きくなったわけじゃ……。
「一夏も一夏よっ、こんなスイカに鼻の下伸ばして、だらしないったらないわよっ!!!」
「え……、えぇぇぇぇぇぇ…………?!」
また一夏に向き直って、一夏を糾弾しはじめる凰。
もう一夏は、訳が分からない様子で、凰のからの“口撃”に抵抗する余力さえなくしていた。
「とにかく、アンタみたいのがいるから、一夏がドンドンだらしなくなるのよっ!!
これからは、私がだらしなくなった一夏を鍛え直すから、アンタはさっさと出ていきなさいよっ!!!」
…………。
……すまない修夜、さすがこれは、黙ってはいられない。
「言わせておけば、さっきから何なんだ、その態度は……!
挨拶もろくにしないで人の部屋に勝手に上がり込んで、一夏が困っているのお構いなしに怒鳴り散らして……。
挙げ句の果てが、人をスイカ呼ばわりして“出ていけ”だと……!?」
こんなに“憤った”のは、もう何年前だろう。
今なら、木刀を振りまわした私を叱り飛ばした修夜の気持ちが、少し分かる気がする……!
「凰、お前の行動には“礼儀”が無さ過ぎる!!
そんなに一方的に怒鳴り散らして、一夏のことを何も考えていないだろっ!!」
「なんですって……!!」
すると凰は、一夏から今度は私の方へと歩み寄ってきた。
「アンタこそ何様よっ?!
少し一夏と幼なじみでいたのが長いからって、一夏のこと全部分かってる気になってんじゃないわよっ!!」
そう言われ、私は思わず閉口してしまった。
確かに、私は一夏と長く同じ時間を共有してきた。
しかしこの五年間で、一夏は私の知っている一夏から、少し変わっていた。
見た目がずいぶんと大きくなった。剣術をやめた。引き換えに、バイト生活に没頭していた。織斑先生がほとんど帰らなくなって、独り暮らし同然だった。そして、凰と出会っていた。
それらの要素が重なって、気付けば一夏は“私の知る一夏”とは別人になっていた。
「どうしたのよ、反論してみなさいよ?」
不敵に笑って見せる凰の態度が、悔しくてたまらない……。
凰の一夏との時間は、期間こそ短くても、今日という日までの空白が小さい。
なにより、出会ってから過ごした時間は、彼女の方が倍近く多い。
その分だけ、“私の知らない一夏”を知っている。……それが悔しくてたまらない!!
「何も言えないんだったら……」
不意に、聞き覚えのある独特の音が耳に入った。
「おい、鈴?!」
一夏の驚く声とともに、そこにあったのは『物々しく巨大な刃』――、ISの武装と思しきものだった。
彼女は、自分のISを部分展開してみせたのだ。
「さっさと、ここから立ち去れっ!!」
凰は勢い良く踏み込み、私に向かってその狂暴な力を振りかざそうとした。
――まずい、完全に出遅れたっ?!
対抗できる武器がない以上、避けるしかないが、今の私のこの場所では、部屋の物や壁が邪魔をしていて狭すぎる……?!
――ガギンッ
そう思いながら焦った次の瞬間、私の前に、凰と同様にISを部分展開したセシリアが、凰の振るう巨大な刃を受け止めていた。
彼女の手には、青く光る細身のレーザーブレードが握られていた。
「御無礼はそこまでになさったらどうです、凰さん…!?」
「なによ、アンタまで邪魔する気……!?」
凰の鋭い視線を、真っ向から睨み返すセシリア。
まるで、虎と竜の睨み合いだ。背中越しでも、セシリアの迫力がビリビリと伝わってくる。
こんなセシリアを、私は見たことがなかった。
「先ほどから拝見させていただいていましたが、無理難題を申し上げているのは凰さん、あなたのほうですわよ?」
話し方こそ、いつもと変わらない上品さだが、その裏側には強い“憤り”があるように感じられた。
この感じ……“修夜に似ている”気がする。
「どきなさいよ、金髪っ!!」
「わたくしの名前は“金髪”ではありません、『セシリア・オルコット』ですわ……!」
どっちも互角……いや、僅かにだかセシリアが気押しているように見える。
最近は布仏ぐらい穏やかだったせいか、セシリアにこんな一面かあったのかと思わず唖然としてしまった。
これが、“代表候補生”というものなのだろうか。
国を背負い、誇りを背負い、自分の覚悟を背負う、私と同じ歳の女の子。
同じ歳なのに、こんなにもしっかりと地に足を付けて、揺るぎなく構えていられるものなのか。
華奢で華やかなこんな女の子が、ここまで【力強い】後ろ姿を見せられるものなのか。
その力強さが、まるで輝きにすら見えてくる。
なんて……眩しい姿なんだろう……
どうしたら、そんな風になれるのだろう
そんな風になれれば、“姉さん”のことも気にせずに生きていけるのだろうか
そうすれば 一夏にだって きっと ……
「お…おい、二人ともやめろよ……!」
……いけない、変な考えに捉われていた気がする。
一夏の声で現実に戻った私は、とりあえず声を発した一夏に顔を向ける。
「なによ、一夏は引っ込んでいてっ!!!」
依然として凰はやる気満々だ。
「なんでこんなことをなさるんですか……。わたくしと同じ代表候補生でしたら、ご自分の置かれている立場を――」
「知らないわよ、そんなのっ?! 良い子ぶってんじゃないわよ、金髪!!」
説得しにかかったセシリアの一言を、下らないとばかりに苛立ちながら一蹴する凰。
「ですから、わたくしは――」
「アンタの名前なんて興味ないのよっ!
聞いた話じゃ主席入学らしいけど、一夏どころか馬鹿修夜にさえロクに勝てなかったみたいじゃない?
とんだ“デキソコナイ”よねっ?!」
セシリアの顔が、微かに歪んだ。
「ま……待てよ、鈴。いくらなんでも、言っていいことと――」
「黙ってなさいよっ、馬鹿一夏ぁ!!」
怒鳴り声とともに、ものすごい形相で一夏を睨む凰。一夏も思わず「ひっ」と言って青くなり、これにたじろいでしまった。
凰の剣幕も凄まじいが、なんというか、それに尻込みする一夏が情けなく見えてしまう。
「一夏さんと一緒いたいとおっしゃっているにしては、ずいぶんぞんざいに一夏さんを扱われるのですね……!?」
眉を寄せながら、明らかな苦言を凰に呈するセシリア。
すると――
「い……、いっし……だだ…れがこんなっ、グズグズの馬鹿といっ……一緒になんてっ……?!」
返ってきた返答は、ずいぶんと声色の変わったものだった。
あれほどの剣呑な雰囲気で罵詈雑言を並べていた凰が、一転してしおらしくなってしまった。
顔はリンゴのように真っ赤で、発した言葉も噛みまくり。
何より、すごく必死に体裁を取り繕おうとするのが、分かりやすく見て取れた。
「わ……私は幼馴染としてっ、女に鼻の下伸ばしっぱなしの一夏をっ、そ……そうよ、鍛え直そうと……!!」
……なぜだろう、そこに“鏡越しの私”がいる気がしてきた。
あ……、いや、け……決してその……、一夏がどうこうという訳ではないからな……!
なんというか……、どこかしらが似ているというかだな……!!
……なんで私まで、こんな風に自分に言い訳しているんだ……。
「あぁもう、いいわよっ!!」
なんともよく分からない雰囲気のまま、凰が一声を上げたと思うと、そのままISの展開を解いてそっぽを向いてしまった。
なんとも釈然としない風だが、とりあえず相手が矛を収めたのを見て、セシリアも部分展開を解除した。
それを見て、一夏も緊張が解けたかのか、大きく息を吐いて体を反らせ、ベッドに腰かけたまま上体を仰向けにしたのだった。
「とりあえず、矛を収めてはいただけましたわね……」
少しほっとしたように、彼女はいつもの穏やかなセシリアに戻る。
「ですが、何事にも“道理”というものがございますわ。
そう、もしどうしても凰さんがこの部屋で一夏さんとお過ごしになられると申されるなら、しっかりと道理を通すべきです」
ちょっと、いきなり妙なことを言いだすんだセシリア……?
「なに、デキソコナイのクセして今度は説教?」
イライラしながらセシリアに向き直り、思い切り凰は彼女を睨みつける。
「いいえ、“ご提案”ですわ」
提案……だと……?
……待て待て、セシリア。お前は一体何を考えているんだ……!?
「奇しくも来週の連休明けに、わたくしたち1組とあなたの2組がクラス対抗戦で、対戦することになりますわよね?」
「それが……何よ?」
「簡単です、わたくしたちのクラス代表の一夏さんに、2組代表の凰さんが勝てば、一夏さんとの同居の権利を獲得できるというのはどうでしょう。幸い、寮長の織斑先生は“実力主義”なお方ですから、あっさりOKを出すと思いますけど?」
……………………
「「はああぁぁぁぁあぁあっっ?!!?」」
なななな……な…に、何を言い出すんだっ、セシリア・オルコット?!
あ…、今、一夏と声が…ハモっちゃっ…た……。
……いやいやいや、そんなことで喜んでい……いっ、いや…喜んでなんて……って、そうじゃなくって?!
「おいおいっ、いきなり何言ってるんだよ、セシリアっ?!」
「い…、一夏の言うとおりだ、そんな突拍子もないことを……!?」
成立してたまるか、こんなめちゃくちゃなことっ!!
運の良いことに、一夏も私と意見が同じだ。ここはどうにかして食い止めないと……!!
「……アンタ、セシリアって言ったっけ、なかなか面白いこと言うじゃない……!?」
しまった、凰のほうが食いついてきた……?!
「わたくしもあなたも、元を言えば実力ですべてを勝ち取ってきた人間です。
そしてこの寮の管理者は、その実力主義者の典型のような織斑先生。
この寮で、この学園において、いさかいを収拾する最終手段は“ISでの試合”と相場が決まっていますもの。
ならば“郷にいれば郷に従え”、“決着の見えない揉め事はISで決着せよ”というのが、一番シンプルだと思いますわよ?」
穏やかな笑顔で、悪魔の提案をするセシリア。お前は一体、どっちの味方をしたんだ……!
「た……、たしかに……」
一夏まで説得されかけるなっ?!
「セシリア、言っていることが無茶苦茶だぞ、どういうつもり――」
セシリアに詰め寄って抗議しようとしたときだった。
彼女は口元に親指を当てて、私に抑えるよう仕草を起こしたのだ。その視線からは、何かの“意図”が感じられた。
《Sorry, Houki... . But, I have a "good idea".》
彼女は小さく、英語でそう呟いた。
アイデア……我に秘策ありと……?
セシリアは一体、何のためにここまでしているんだ……。
「いいわよ、その提案、のってあげるわ!」
少し押し黙って考えていた凰が、セシリアの提案を承諾した。
「では、もし凰さんが一夏さんに負けた場合には、今日あったすべての非礼について、真剣にお詫びして頂きますけど、よろしいですね?」
セシリアが、手札を切った。
「いいわよ、やった覚えなんてないし、私が勝つから無駄だと思うけど」
凰もセシリアの切った手札に、あっさりと手を出してきた。
「では来月のクラス対抗戦、【敗者は勝者の提示した条件を実行する】ということで――」
どうやらセシリアが目論んだことは、上手く相手も乗ってきたようだ。
すばやくセシリアも話を締めくくりにかかる。
「待ちなさい、それだけじゃ面白くないわ」
ところが、セシリアが場を収めようとしたそのとき、凰が気の強い笑みをこちらに向けながら口をはさんだ。
「……なにか、おありですか?」
少し語気を強めてセシリアが、口出しの意義を問う。
「そうね……『負けた方は勝った方の言うことを何でも聞く』、っていうのも追加しない?」
何か意味ありげに、自信を持って凰は自分の提案を示してきた。
「……それだと、先ほどの条件と同質なのでは?」
セシリアは、凰の提案の矛盾点をさらりと突いてきた。
自信満々に発した割には、セシリアの言う通りに、先ほどの条件と大差のない“内容に中身がない”条件だった。
単純に、互いに相手に要求できる事項が増えただけだ。
それを指摘された凰は、強気な顔を歪ませて明らかに不機嫌になる。
「いいのよっ、一個目は単純に一夏の同居人を決めるためなんだからぁっ!!」
顔を少し赤くしながら、やっぱり怒鳴るように反論する凰。
こんなにがなり立てて、よく疲れないものだな……。その体格のどこに、そんなエネルギーを溜めているんだ……?
それにしても――
さっきから一夏、一夏、一夏、一夏、一夏…………。
彼女の考え方は、自己中心的でありながら、必ずそのそばに“一夏”が付いてくる。
最初に食堂であいさつしたときも、私が“一夏の幼馴染”だと聞いて、不機嫌そうにじろじろと私を見ていた。
一夏を責めているときも、入学してしばらくの頃の私に似て、ひたすら“一夏の不甲斐なさ”をなじっている。
そういえば、今は床に浮かれた凰のボストンバッグ。
もしやアレは、彼女がこの部屋に居座るために用意した荷物なのか……?
それにしては、荷物が少な過ぎるのではないだろうか……。
それとも、この部屋で“ずっと”一夏と過ごすことを前提に、最低限の荷物だけで移動してきたのか……。
……やっぱり、彼女は“そう”なのだろうか。
性格とかそういうもの以前に、一夏に対して何か“強いもの”を期待しているのだろうか……。
……いやいや、だから私は……別に一夏のことが……|《す……》とか、そういうのでは……。
「と、に、か、くっ!!
いいわよね、『負けた方は勝った方の言うことを何でも聞く』っていうの、条件に追加してもっ!?」
強引に状況を進展させようと、凰は私たちに条件の合意させようとする。
「……わかりました、その条件もお付けいたしますわ」
少し考えるようなそぶりの後、セシリアは静かにだが力強く、彼女に承諾の返事をした。
「あとで“無しにして”なんて泣きついても、聞いてやんないからね?」
再び凰は強気な笑みを見せる。今回は腕を組んで、仁王立ちまでしている。
どれほどかは分からないが、よほど腕に自信があるに違いない。
「あらあら、最初から油断なさっていると、あとで痛い目を見ることになりますわよ?」
セシリアも負けじと、気の強そうな笑みを浮かべながら、挑発を挑発で返す。
普通なら単なる嫌味だが、彼女の場合は“自分の経験”が上乗せされている分、知っているこっちは重たく感じてしまう。
このしたたかさは、なんというか最初に出会ったころの彼女より、少しばかり上がっている気もする……。
「ナニよ、私が負けるとか言いたいの?」
「まぁ、もう負けたときのことをお考えで。殊勝なことですわ~」
「なん……ですってっ!?」
……セシリアに口ゲンカを売るのだけは、うかつにであっても絶対に避けたくなってきた。
少しどころか、数段レベルが上がっている……。
もしかして、“デキソコナイ”呼ばわりされたのを、相当根に持っているんじゃ……?
「あの…さ……、ホントに…やる気なのか……?」
一夏が、今更のような質問を投げかけた。
「えぇ、もちろんですわ。一夏さんにはご迷惑をお掛けいたしますが、どうかご容赦のほどを……」
「そんなぁ……」
自分で分かっていながら、セシリアは一夏を千尋《ぜんじん》の谷に突き落とす。
いかにも申し訳なさそうな態度はしてはいるものの、どこか芝居くさい上にかなりノリノリだ。
わざわざハンカチを取り出して口元に当て、眉間にしわを寄せながら眉を下げて俯き、一夏に向かって背を向ける徹底ぶりだ……。
一夏はそんな三文芝居を見せられ、塩をかけられた青菜のように萎びていく。
正直過ぎるにしろ単純にしろ、一夏はもっと物事に疑問を持つべきだと思う……。
「そもそも鈴も鈴だよ、何で急に俺と箒の部屋に来たんだ……?」
「何でって……、一夏は修夜と一緒にいると思ったから、修夜を叩きだしてこっちに移ってくるつもりだったの……!」
どうやら凰は、『一夏は男同士の修夜と一緒のはず』と考えていたらしい。オマケに“叩き出す”と、強気な発言まで飛び出した。
よほど修夜のことが気に入らないようだが、あの修夜を力尽くで叩き出すとなると、並の実力では無理だ。多分、ここにいる全員が束になっても勝ち目は薄いだろう……。
さっきも、セシリアが修夜に負けたことから彼女を侮った辺り、修夜の力をよく知らないか、それとも“ISなら勝てる”という絶対的な自信があるからか。もし彼女のもくろみが後者ならば、近隣への迷惑は、私が木刀で部屋のドアを突き破ったときの比では済まない。
「それにしては、荷物が少ないな……」
気になっていたことを、少し尋ねてみた。
「荷物なんて、お金とパスポートとタブレットと、着替え2・3組とコスメと勉強道具ぐらいじゃない」
あっけらかんと言い放つ凰に、思わず納得しかけてしまった。
たしかにボストンバッグの方はパンパンだが、それだけですべて終わらせているのは、女子としてどうだろうか……?
私でも段ボール1箱は必要だったぞ。
「ま……待てよ、修夜と戦うつもりだったのか?!」
凰の行動は一夏でも分かるほど、“無茶”を通り越して『無謀』だ。アイツはクマを木刀一本で倒せるという、おおよそ常人の領域を飛び越えた強さを秘めている。白夜先生など、クマなら2秒もあれば首の骨を小枝のようにへし折るだろう。
「アイツがどれだけ強いか知らないけど、私がISで全力の半分も出せば充分よ、じゅーぶん!」
「お前、修夜とセシリアの試合、見せてもらったことないのか……?」
一夏のこの疑問に対して、凰はというと――
「誰があんなヤツの試合なんて、興味あるっていうのよ?」
……本当にこの凰鈴音という少女は、一夏以外に何の興味もないらしい。
まるで一夏と自分以外のものは、町にある看板か道路標識ぐらいにしか見えてないように感じる。
だったら彼女にとっての修夜は、タイミング良く赤を点灯させる、意地の悪い信号だろうか?
「お前……、中学で不良に絡まれたときに、修夜の暴れっぷりとかちゃんと見てたのか……。
あんな格ゲーじみた動きする人間なんて、俺はじめてみたぜ?」
初耳の話だが、修夜がどれぐらいあり得ない動きをしているかは、容易に想像ができてしまう。
多分、壁を蹴って三メートルぐらいジャンプするとか、その勢いで着地地点にいる相手を踏み台にしたりとか、さらにその勢いで跳び蹴りを見舞ったりとか、そのぐらいの無茶苦茶なことはやっていそうな気がする。
「アイツ、お前を助けるのに壁蹴りで三メートル跳んだり、その勢いで相手踏んづけたり、跳び蹴りしたりして凄かっただろっ?!」
…………。
……なんで全部符合してしているんだ?!
アイツの身体能力は、本当にどうなっているんだっ!?
「いちいちそんなの覚えている訳ないでしょっ?!」
そして凰、なんでそんな凄まじい光景が目に焼きつかないんだ。
単に見ていなかったのか、それとも一緒に助けに来た一夏に気を取られて見ていなかったのか……。
「あんなの普通見たら、忘れられるわけないだろ?!」
まったくもって、一夏の言うとおりだ。
話題の中心が修夜にあることがよっぽど気にいらないのか、凰はまるで歯噛みしているようにも見えた。
「そ……そういう一夏は、私との【約束】を覚えてるの!?」
そんな凰が、再び“私の知らない一夏”を引っぱりだしてきた。
「や……や、くそ…く?」
「小学生のとき、あたしがアンタとあの場所でした約束よっ!」
小学生時代、つまり私が一夏たちと別れて久しい頃だ。この場合は、出会ってあまり日の経っていない頃だろう。
「え~っと、約束約束…………あ」
数秒ほど眉をひそめて悩んだ末、一夏はその約束を思いだしたようだった。
「あれか……、『料理の腕が』どうとかっていう……」
「そ……、そうよ…、それよ……!」
一夏の答えを導き出そうとする様子を見る凰の様子に、先ほどの刺々しさが急激に無くなっていく。
昼時の一幕で見た光景に似ている。
「あー、そうだ、思いだしたっ!
『あたしがもし料理が上手になったら、毎日でも酢豚作ってあげる』って、アレかっ!?」
「……!」
凰の反応からして、一夏の記憶が、彼女の欲した答えを見事に射抜いたらしい。
ピン呆けした回答をすることが多い一夏にして、とても珍しい出来事だ。
でもそのフレーズは、どこかで聞いた覚えがあるような……。
「覚えて……くれて……たんだ……」
対する凰は、すっかり刺々しさの陰もなく、普通の女の子に戻っていた。
それどころか、胸に手を当ててとても嬉しそうに、そして安心したような表情さえ浮かべている。
「そうだよ……、あたし……そのために……」
言葉を発していくごとに、顔を赤くしていく凰。
“そのために”……。
まさか、いや……、この、この彼女の反応は……もしかして……?!
そんな、まさか二人はもう……、私では手の届かないところまで……。
言いようのない、心を締め上げるぐらいの不安が、私を支配していくのが分かった。
もう、祈るしかない。
私の不安が、万に一つでも杞憂で終わってくれることを。
どうか、神様……!!
「いや~、でも今は学食で間に合ってるし、それにどうしても食いたいときには修夜もいるしなぁ~」
「…………ぇ?」
凰の顔から、喜色が一気に失せていくのが分かった。
一夏も一夏で、彼女がそんな顔をしていることに、動揺しはじめる。
「ぇ、いや、『飯おごってくれる』んだろ、違った……?」
部屋に漂いはじめる、何とも言えない気まずい雰囲気に、一夏は一層焦りはじめる。
「いや、だから……、次に会えたときにお前の料理の腕前が上がっていたら、それを『みんなの前で』振る舞って、俺と【みんな】に食わせてくれるんじゃ、なかったのか……?」
この場にいる全員が、唖然呆然としていた。
一人は、自分の約束を“まったく違う方向に解釈された”ことに対して。
一人は、その“約束の意味を間違えた”ことに気づけずに。
一人は、文化の違いからその意味を掴めずに。
私はというと、数秒前に祈った奇跡が起こったはいいが、その奇跡の“内容のひどさ”に……。
そうしているなか、俯いて拳を握りしめた凰が、ずいっと一夏の前へとにじり寄った。
――ぱぁん
次の瞬間、凰は一夏の頬を勢いよく平手で張った。
見れば凰は肩を振るわせ、口を強く結んで一夏を睨みつけていた。
彼女は怒っていた。それもさっきまでの激昂とは違う、何か“湿ったもの”を含んだ怒り方だった。
頬を張られた一夏はというと、その理由が分からず、また凰の表情にも戸惑い、呆然としていた。
「最っっっ低! 女の子との約束をちゃんと覚えてないなんて、男の風上にも置けないヤツ! 犬に噛まれて死ね!」
部屋中に、割れんばかりに凰の罵声が炸裂した。今日聞いた中でも、一等ひどい大きさだった。
彼女の眼の端には、涙が滲んでいた。
当たり前だ、なにせ一世一代の“逆プロポーズ”を、ここまで曲解されていたと聞かされれば、女なら怒って当然で、文句も張り手も出ておかしくない状況だ。たとえそれが、小学生の頃の他愛もないものでも……。
きっと凰は、ありったけの勇気を出して、一夏にその言葉を告げたに違いない。
そして一夏から返事をもらって、それを心の糧にしてきたに違いない。
でもその果てが、その終わりが、こんな“とんでもない勘違い”だったというのは、あまりにもひどすぎる。
当てが外れたと喜ぶべきはずの私も、こんな仕打ちは見ていていたたまれない……。
俯いたまま、凰はきびすを返して部屋を去ろうとしはじめる。
「お……、おい鈴、待てよ……っ!」
一夏の呼び掛けに対しても、何の反応もせずにドアへと一直線に向かう凰の背中は、酷く小さく見えた。
同じ一夏に強い気持ちを向けるものとして、同情を禁じ得なかった。
セシリアも、凰の寂しげな背中を見て、何かを感じているようだった。
「……っ、待てって言ってるだろ、この……貧乳!!」
ドアノブに手をかけようとした凰の手が、ピタリと止まった。
手だけじゃない、凰は一夏からの言葉を聞いた瞬間から、微動だにしなくなった。
「何に怒ってるか知らないけどよ、いきなりビンタは無いだろ、まな板鈴っ!!」
叩かれたことがよほど腹に据えかねているのか、打って変わって今度は一夏が文句を言いはじめる。
「なんか言えよ、ちんちく鈴!!」
――プツンッ
その言葉が出た瞬間、凰の気配が再び変化した。
同時に、何かが“切れた”音が聞こえた気がした。
ゆったりと、凰はこちらに顔を向けてきた。
ぞっとするほどの殺気を孕んだ、鋭い視線で睨みながら。
凰はその顔のまま、ゆったりと一夏へと歩を進めていく。
(……って、……い低のくせに……、……よ、アイツは……じゃない……あん……テー……一夏のはず……)
彼女の口からは、何やらうわ言を呟いていた。口ごもって聞き取りづらいが、聞いていると背筋に悪寒が走った。
「お……おい、り――」
一夏が彼女に呼びかけようとした、その瞬間。
鈴は放たれた矢のように一夏に向かって疾走し、いつの間にか部分展開していたISの腕で一夏に襲いかかった!
一夏を庇いに入ろうにも、凰の動きが早く、手の出しようがない。
一夏も突然のことに慌てて、後ろに倒れ込んでしまっている。
駄目だ、間に合わない――!!
――ざばんっ
突然、凰の背中に多量の水が浴びせられた。
「つめたっ……?!」
すると凰はさっきまでの鬼気がウソのようにうせ、正気に戻って水がかかってきた方を振り向く。
「誰よっ、あたしにこんなことして無事で済むと――」
頭から水をかぶって正気を取り戻しながらも、なおも怒る凰。
彼女の足元には、私が風呂あがり用に買ってきた2リットルのミネラルウォーターのペットボトルが、斜めに切断されて転がっていた。
「一夏をタダで済まさないようにしようとしたヤツの言うことか、この大馬鹿鈴……!」
凰の視線の先、それをおこなっただろう人物、自分のISを部分展開して実体振動剣を握る、修夜の姿があった。
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