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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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十九 廃墟


崩れかけた石の屋根が強い日差しを遮る。浮き彫りを施した石柱は半壊し、石畳に黒い影を落としていた。
だがその黒々とした濃い影は、日光だけで出来たものではない。

長い長い石の階段上で、空高く舞い上がる。軒を連ねる家々全てを呑み込み、あちこちで立つ黒煙。
先ほど消した焚火とは比べものにならない炎が、轟々と天を衝いていた。


「……戦(いくさ)、でしょうか?」
めらめらと燃え盛る炎を、君麻呂は訝しげに眺めた。一方の香燐は呆然とした面持ちで立ち竦んでいる。
対照的な二人の態度を目の端に捉えながら、ナルトはその場を見渡した。


黒煙を目印に立ち入ったこの場は、小さな村だったようだ。だが今や面影は無く、炎は村の燃えさしを舐めていた。
火の手が最も上がっているのは、石造りの階段上。村の広場へ通ずる無骨な石段は、上にいくにつれて、煤けて黒くなっている。


「う……」
飛び火と共に撒き散らされているのは埃か粉塵か。
噎せ返りそうになり、手の甲で口元を覆う。そのまま香燐はその場に蹲ってしまった。


炎の爆ぜる音が絶え間なく耳を打つ。刹那、目前の燃える村が、自身の生まれ育った故郷に見え、香燐は唇を噛み締めた。
村を呑み込む炎を目にした事で、自分の置かれた状況が今になって思い知る。戦火に見舞われた己の村が思い浮かび、同時にやっと実感が湧いてきた。
故郷の焼尽。帰る家の消失。家族・知人…様々なモノの喪失。
正直なところ、村が焼けたと言われても香燐には現実味が無かった。だから彼女は恋愛に逃げた。
ナルトを我武者羅に追い駆けたのは、そうする事で現実から目を逸らしたかったからだった。
自身の存在を証明する人すらいない。鰥寡孤独の身になったのだ、と香燐はようやく自覚したのである。


顔を青褪めて蹲る香燐。彼女の様子がおかしい事に逸早く気づいたナルトが、君麻呂に目をやった。
〈香燐の傍についてやってくれ〉と訴えるその青い瞳に、首を振る動作で君麻呂は拒絶を返す。そして彼は、今にも燃え盛る炎の中へ向かおうとするナルトを引き止め、「ご一緒致します」と同行を求めた。
「ちょっと偵察してくるだけだよ。ここで待っていてくれ」
「危険です。それに…」
ナルトの身を案じながら、しゃがみ込んでいる香燐を一瞥する。そして本人の前だというのに「僕はこの女、信用出来ません」と君麻呂はきっぱり言い切った。


頑なに香燐を疑う君麻呂に、どこか悲壮感を漂わせながらナルトは告げる。
「―――確かに信じるという行為は、裏切りという危険を常に伴う。疑ってかかるのは当然だ」
一端言葉を切る。わざと置いた間に、地面を見つめていた香燐の肩がびくりと震えた。それを目に捉えながらもナルトはあえて辛辣な言葉を続ける。
「だが、今の彼女は独り。つまりは居場所が無い、という事だ。身を置く場所の無い辛さは……君麻呂、他でもない君が知っているはずだろ?」
決まりが悪そうに視線を逸らす君麻呂と、哀惜に駆られ沈痛な面持ちでうつむく香燐を、ナルトは交互に見つめた。

居場所が無いという一言は、香燐の心にずしんと響く。地に映る炎の影がゆらゆらと揺れるたびに、彼女の視界から色が無くなっていった。絶望で、灰色に染まる目前の光景。
だが目の前が真っ暗になる前に、一筋の光明が香燐の視界に射し込んだ。

「俺は居場所なんて柄じゃない。でも、拠り所にはなれると思うよ」

ナルトの柔らかな声に、香燐はハッと瞳を開ける。顔を上げると、微笑するナルトが目に入った。
彼の微笑みひとつで、香燐は自身の身体が急に軽くなったような気がした。己に架せられた孤独という重荷。それを何気ない言葉だけで軽くした本人は、再び君麻呂に頼んでいる。
「香燐?」
ぼんやりとナルトを見つめていた香燐は、急に顔を彼に覗き込まれてボッと頬を赤くした。気遣うナルトから赤い顔を隠すように、彼女は立ち上がる。

今の香燐にとっては村を焼尽させる炎より、胸を焦がす火焔のほうが熱く感じた。







不意にナルトは石造りの階段を見上げる。着々と階段を登ってゆく彼に、香燐と共に待つ事を渋々承諾した君麻呂が注意を呼び掛けた。
君麻呂の心配をよそに、一番上の段まで登り切ったナルトの傍で、熱で変形した家が地響きを立てる。途端煙を棚引かせながら、家を支える柱がナルト目掛けて倒れ掛かってきた。
弾かれるようにソレを避けると、柱は音を立てて石畳にぶつかる。
ぶつかった衝撃で柱は粉々になった。辺り一面に飛び散った木片がナルトの爪先にこつんと触れる。ふと足下を見下ろしたナルトの瞳に、ぽつんと打ち捨てられたかのように落ちている煤汚れた人形が映った。

体の中心を貫かれているその人形。貫通しているのは紛れも無く、忍びの得物であるクナイだ。
秘かに眉を顰め、ナルトは鋭い瞳で村を取り囲む木々を見据えた。炎に煽られ、彼の金の髪が乾いた空気の中で靡く。



刹那、乾燥した空気を、何かが裂いた。




燃え盛る炎の中、雨霰と降り注ぐ――数多のクナイ。
矢のように勢いよく飛来してくるそれらの的は、ナルトだ。





君麻呂と香燐が目を見張る。彼らの目前で、突然ナルトがクナイの雨に襲われたのだ。
声を荒げ、二人は必死に名を呼んだ。そしてすぐさま転がるように石段を駆け上る。
「ナルト様!?」「ダーリン!?」
立ち込める煙に咽ながらも彼らは叫んだ。不安と緊張で昂る二人の精神を、気軽な一声が一瞬で鎮める。

「ダーリンって呼び方、止めてほしいんだけど……」
猛火を背にしたナルトが口元に苦笑を湛えていた。静かに佇む彼の躯は無傷だ。
しゅうるりと炎の中で鋼糸が踊った。


ナルトの無事な姿に安堵した香燐が、ここぞとばかりに抱きついた。同じく胸を撫で下ろした君麻呂だが、彼は慌てて香燐をナルトから引き離す。
「いい加減にしろ!ナルト様に馴れ馴れしいっ!!」
「テメエ…さっきからウチの邪魔ばっかしやがるな!ギスギスしやがってっ!!カルシウム足りてないんじゃねえか!?」
「余計なお世話だ。それに、カルシウム濃度なら調整している」
いつもの調子を取り戻し乱暴な口調で怒鳴る香燐と、彼女を睨みながらも律儀に答える君麻呂。
君麻呂の血継限界は、骨芽細胞や破骨細胞を自在に操り、カルシウム濃度さえも統制し骨を形成する力。即ち彼の返答は間違ってはいないのだが、そんな事など露も知らない香燐は「はあ!?」と怪訝な声を上げた。


二人の言い争いをよそに、ナルトは腰を屈めた。彼を囲むように、多くのクナイが地に突き刺さっている。石畳に刺さっているそれらは何れも鋭利な先端を失っていた。
ナルトはクナイを全て、鋼糸で撃ち落としたのである。

「一体何処から……ッ!?」
香燐との口論を強引に断ち切って、すぐさま君麻呂は周囲を窺った。注意深く身構える彼の前で、片膝立てたナルトがある一点を見つめている。彼の視線の先を追った君麻呂と香燐は、はっと息を呑んだ。
鋼糸ほどではないが、細い糸が階段上にぴんと張ってある。目を凝らさないと気づかないだろうソレを、事も無げにナルトは指で弾いた。
「罠(トラップ)だよ」


突如として雫が鼻先に滴下する。思わず頭上を見上げた三人の視界に、ひとつの雲が映った。燃え盛る村に影を落としながら近づいている暗雲。黒雲は村から立ち上る黒煙と違い、正に天の恵みと言えた。








妙に薄っぺらい印象を与える焼け野原。村を包み込んでいた火の勢いはスコールのおかげで弱まり、鎮火の後には空気を燻る煙だけが焦土を這っていた。

遠くに連なるジャングルは蒼茫たる光景のままである。それが逆に、この荒廃した村を余計寂寞としたものにさせていた。
「人っ子一人いないってのは変、だよな」
焦げた地面を足で弄びながら、香燐がぽつりと呟く。砂利の擦れる音というより炭を砕く音が、焼け爛れた荒野でむなしく響いた。



無残な崩壊を残す村。大半の建物が全壊し、水浸しとなった路地を冷たい空気が吹き抜ける。
廃墟と化したこの地を探索したものの、ナルト達は誰にも出会わなかった。倒壊建家に生存者が閉じ込められているのではないかと、目を皿にして隈なく捜したが、死体すら出て来ない。

「村人の亡骸が無いという事は、どこかに避難しているということでしょうか?」
君麻呂の尤もな意見に、ナルトは答えを返さなかった。腕組みをしたまま黙りこくっていた彼は、香燐が蹴った炭に目を留める。やにわにその炭を拾い上げたナルトは、それを慎重に拭い去った。

黒焦げの炭が剥れ、徐々に見えてくる銀の光沢。

「小刀ですか?」
「いや、メスだ」
黒い塊の正体は外科用のメスだった。医者もしくは医療忍者が用いるそれは、ナルトの手の中で鈍い銀の光を放っている。
「なぜこんなところに……」
訝しげに眉を顰める君麻呂の声を耳にしながら、ナルトはそのメスを空に翳した。
「あれだけの火災で溶けていない。妙だとは思わないか?」
「……普通のメスではない、という事ですか?」
益々眉間に皺を寄せる君麻呂の隣をすっと通り過ぎて、ナルトは香燐にメスを見せる。必要以上にナルトに顔を寄せた香燐が、彼の手元を覗き込んだ。

「このメス…。チャクラが宿ってやがるな」
「チャクラが?」
香燐の答えに怪訝な表情を浮かべる君麻呂に反し、ナルトは満足げに「香燐なら気づくと思ったよ」と頷いた。
「ウチの眼を舐めんなよ」
得意気に言う香燐を胡散臭そうに睨みつけながら、君麻呂は思い当った事を口にする。
「カブトさんの【チャクラ解剖刀(メス)】とは違いますね」

両手を鋭いメスと化す【チャクラ解剖刀】は、外傷ではなく体内の筋肉や神経系を切断する。だがこのメスは、刃物そのものにチャクラを宿している。いわばチャクラを宿す事で通常のメスより殺傷力を増すチャクラ刀だ。木ノ葉の猿飛アスマが用いる【飛燕(ひえん)】という付加系の術に近いかもしれない。

「医療忍者がこの村にいたという事でしょうか?」
一般の医者がチャクラを宿したメスを持っているとは考えにくい。そう考えての問いだったが、ナルトは君麻呂に同意を示さなかった。
「この村に忍びはいない。ならば抜け忍でも隠れ住んでいたか?もし外部から敵が攻めたのならば、抜け忍は自分の居場所確保のために村を守るだろう。だがこの有様…。大体、里を抜けたお尋ね者が隠れ家を燃やす必要が何処にある?」
ナルトの言葉を一字一句逃がさぬよう、耳を澄まして聞いていた君麻呂が口を開く。
「確かに、どうも腑に落ちませんね」
「つまりは隠滅だよ。証拠のね」
「証拠って何の証拠だよ?」
言葉の先を催促する香燐。彼女に促されたナルトが微かに口元を緩ませた。

「『神農』という男がこの村に滞在していたという証拠さ」










「神農と言えば、大蛇丸様に【再生禁術】を進呈した医者ですよね。確か各地を渡り歩く浮浪の名医だとか…」
「世間体はな」

ジャングルの密林で谺する声。囁きにも似たその会話を、生い茂る草木の葉擦れの音や鳥の囀りが掻き消していた。
香燐を先頭に、樹木の枝上を飛ぶように駆けるナルトと君麻呂。先ほどのスコールで冷たい空気が降りてきたため、ジャングル特有の蒸し暑さはすっかり払拭されていた。
「こっちだ」
メスに宿ったチャクラからそのチャクラの持ち主を香燐は感知する。千里眼とも言うべき超広範囲に及ぶ索敵術【神楽心眼(かぐらしんがん)】を持つ彼女は、神農の居場所を見事に捜し当てていた。
「メスに宿ってるチャクラの量は少ないけど、探知出来る?」
「特定済みだ。問題ねえよ、ダーリン」
ナルトの懸念を香燐は不敵な笑みで拭い去る。しっかりしている彼女の足取りを頼もしく思いながらも「だからその呼び方止めてくれ」とナルトは呟いた。既に諦めの境地に入っている彼を、憐憫の眼差しで君麻呂は見つめる。

突発的な驟雨は止んだが、その名残か、木立の間を白い霧が漂っていた。大気を浮遊する乳白色がナルト達の視界を覆い尽くす。三人の頭上に、雨水をたっぷりと含んだ樹冠が大粒の水滴を灌いだ。
前髪に滴る雫を払い除けたナルトが目を細める。濃霧の中、何か巨大なモノがぼんやりと浮かんでいた。

「…何あれ?」
「遺跡、じゃないか?」
ナルト同様それを目に捉えた香燐と君麻呂が口々に言う。白い霧が一面に立ち込める湖の向こうに、異様な石造りの建築物が見えたのだ。
風雨に曝され摩擦しているが、精巧な浮彫。かつてはさぞかし荘厳であっただろう大理石の壁は、風化して崩れている。


古い神殿を思わせるその遺跡は、ジャングルに埋もれるようにひっそりと聳え立っていた。

 
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