最後の花向け

第五章

「八回も優勝してな」
「そうですね。弱いチームを率いて強くして」
「そうした人は出ないかも知れんですね」
「日本一になれんかったのはどうでもええんや」
　西本にとってはだ。そんなことはだというのだ。
「それよりも八回や。八回も選手やファンにプレゼントしてくれたんや」
「優勝っていうプレゼント」
「それをですね」
「そんな人はもう二度と出んかもな」　
　上田はまた言った。
「わしはこの日忘れんで」
「はい、わしもです」
「わしもです」
　敵である筈の阪急のコーチ達も上田の今の言葉に頷く。
「今の阪急築いてくれた人ですし」
「そうした人ですさかい」
「あの人と野球が出来てほんまよかった」
　上田の言葉はしみじみとしたものだった。そこには敵愾心はなかった。
「大学でムラのボールを受けて」
　村山実のことだ。上田は関西大学で彼とバッテリーを組んでいたのだ。阪神を一途に愛し投げ抜いた不世出の名投手である。その背番号十一は永久欠番だ。
「そしてあの人と野球が出来たんや」
「ええ。わし等も西本さんと野球ができた」
「幸せなことですね」
「そやから今日の試合は絶対に忘れんで」
　上田は阪急側のベンチから一塁コーチボックスにいる西本を見て言った。
「何があってもな。それでや」
「試合の後ですか」
「その時ですね」
「皆の思うことすればええ」
　こうも言ったのだった。
「あの人は特別や」
「有り難うございます、ほんまに」
「皆喜びます」
　コーチ達も上田の言葉に頷く。上田が何を言っているかわかったからだ。この試合はまさにこの永遠の名将の為にあった。その試合の中でだ。
　仲根はバッターボックスに入った。その時にだ。
　彼は一塁コーチボックスにいる西本を見た。その彼にだ。
　何と近鉄側だけでなく阪急側からもだ。声援が来たのだ。
「ジャンボ打て！」
「西本さん今日で終わりやぞ！」
「最後の最後はびしっと決めろ！」
「西本さんに御前の雄姿見せたらんかい！」
　阪急ファン達からもだ。彼への声援が来たのだ。
「ええな！打て！」
「打つんや！」
　こう言ってきたのだ。その声は仲根に確かに届いた。その声を聞いてだ。
　仲根はあらためて西本を見た。そうしてだった。
　西本の顔も見た。じっと彼を見て微笑んでいる。その顔を見てだった。
　バットを握り締めた。そのうえで構える。そこにだ、
　ボールが来た。最早何の迷いもなかった。ただ打つ、それだけだった。
　仲根はバットを振り抜いた。これまで感じたことがないまでにバットはすっと動いた。まるで刀で何かを斬る様に。そうして振り抜かれたのだ。
　ボールは一直線にスタンドに向かいそのうえで。
　万呼の声に迎えられてスタンドに入った。その瞬間に。
　藤井寺球場が叫んだ。球場自体が。
「よお打った！」
「仲根が打ったで！」
「ホームランや！」
「西本さんへのホームランや！」
　それが打たれたとだ。彼等は叫んだ。そしてだ。
　その仲根にだ。近鉄ベンチからも阪急ベンチからも声が来た。
「おい走れ」
「ダイアモンド回れ」
「ホームランやぞ」
「はよ回れ」
「そ、そや」
　ホームランならばだ。ダイアモンドを回るのが当然だ。仲根は言われてはっとなった。
「ホームラン打ったんや。そやったら」
　ホームまで走らないといけない。そのことを思い出してだ。　
　彼は走りだした。その彼の前にだ。
　西本がいた。彼は笑顔でこう言ってきた。
「ジャンボ、ご苦労さん」
「親父・・・・・・」
　その西本の笑顔を見てだ。仲根は。
　足を止めそうになった。一塁ベースの前で。しかしだった。
　その彼にだ。西本は右手を出してきた。そしてこう言ったのだ。
「見せてもらったで。ホームラン」
「見てくれたんですか」
「よくな。御前もこれで一人前やな」
「はい・・・・・・」
　仲根はその目を滲ませてきていた。その目で。
　彼は西本にだ。言った、その言葉は。
「親父、やっと・・・・・・」
　言葉に詰まる。だが言った。何とか。
「やっと間に合いました！！」
　涙を流し西本の手を握り返した。そのうえでだ。
　二塁、三塁と進みホームインした。誰もがその彼を拍手で迎えた。
　試合は近鉄の勝利に終わった。その最後にだ。
　西本の引退セレモニーが行われた。その時にだ。
　近鉄だけでなく阪急の選手達も加わりそのうえで彼を胴上げした。これまで誰も経験したことのない二つのチームからの胴上げだった。
　その中に仲根もいた。彼はその長身で西本を胴上げした。そのうえでだ。
　号泣しながら西本を見送った。その西本は笑顔で彼にこう言った。
「ほな後は頼んだで」
「はい、わしやります」
　仲根は泣きながら西本に応えた。
「この近鉄で頑張ります」
「わしの目に狂いはなかったわ」
　こうもだ。西本は仲根に言った。
「御前はやっぱりわしが近鉄に残す最後の置き土産やな」
　こう言ってだ。そのうえでだ。
　西本はユニフォームを脱いだ。それからは解説者、野球評論家として近鉄や阪急を見守った。当然仲根もだ。その活躍を最後の最後まで見守った。彼が育てた最後の置き土産を。
　もう彼等が活躍した藤井寺球場はない。そしてまずは仲根がこの世をさり西本も遂に泉下の人となった。彼等の野球は過去のものになった。
　だがそれでも彼等の野球は残っている。そこにあった心も。それは何があろうともこの世に残っている。野球というものが人々にある限りだ。我々と共にあるのだ。


最後の花向け　　　完


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２０１２・４・２９