楽しみ
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第一章
第一章
楽しみ
甲子園球場。ここは聖地であるとさえ言われている。
高校野球においてここは憧れの地だ。幾多のドラマが生まれ多くの感動が永遠に刻み込まれてきた。
数え切れない程の球児達がここを目指し、そして活躍した。またこの球場はそれだけではないのだ。
言わずと知れた阪神タイガースの本拠地だ。阪神もまたこの球場において多くのドラマを生み出してきたのであった。
「この球場が一番や」
知り合いのある老人の言葉だ。名前を中沢さんという。
「わしはこの歳になるまでな」
「多くの球場を見てきたんですね」
「そうじゃ」
もう九十を越えているかなりの高齢者である。しかし目も歯もしっかりしているし背筋もぴしっとしている。小柄だがそれを感じさせないものもあった。
矍鑠たるものである。中沢さんが言うにはそれにも理由があるのだ。
「わしがここまで元気に長生きできているのは」
「阪神のおかげですね」
「そうじゃ。阪神があってのわしの一生じゃ」
胸を張ってこう言うのがこの人の常だ。子供の頃に知り合って以来だがその言葉も顔も変わりはしない。昔からこんな調子だ。
「阪神は最高や」
これがこの人の口癖だ。
「最高の球団や」
「最高ですか」
「できた頃から見てきたからわかるんや」
これもまた口癖だ。
「阪神がオギャーって生まれてからやな。わしの息子が生まれたのと一緒や」
「一緒なんですか」
「そうや」
中沢さんは言う。
「息子も髪が真っ白になってもうたがな」
笑うその顔は皺だらけである。髪の毛は少ししか残っていなくて真っ白になっている。けれどそれでも元気なものである。歳を感じさせない。
「阪神はその頃から阪神やった」
「ずっと阪神ですか」
「そや」
言葉も顔も不敵に笑って強いものとなった。
「その頃の甲子園はなあ」
「行きますか?」
僕はここで中沢さんに声をかけた。
「その甲子園に」
「そやな」
中沢さんもそれに頷いてくれた。
「そろそろ行こか。試合や」
「そうですね。ところで」
僕はまた声をかけた。
「中沢さんシーズンオフでも球場に行かれていますよね」
「ああ」
中沢さんもその言葉にこくりと頷く。
「試合がなくてもそこに選手がおる」
それも口癖だった。
「そしてそれだけやない。そこには心があるんや」
「心が」
「そうや、心や」
中沢さんはまた言う。
「そこに心はある。心がある限りわしは甲子園に行くんや」
「甲子園にですね」
「甲子園こそや」
言葉をまた言う。その言葉に特別な思い入れがあるようだった。
「甲子園は阪神や」
「だからですか」
「まあそこはぼちぼち話していこか」
「そうですね。それじゃあ」
僕は席を立つ。中沢さんはその前に席を立っていた。
そのうえで僕に顔を向けていた。また言葉を続ける。
「今日は巨人との試合やったな」
「はい」
その言葉に答える。
「丁度ええわ。巨人とは一番色々あったしな」
「巨人は嫌いでしたね」
「好きなわけはないわ」
このことは非常によくわかっていた。阪神が生まれた時から巨人とはライバルであった。恨み骨髄に至るといった感じで様々なことがあった。巨人を倒してこそ阪神である、それは多くの阪神ファンがそうであり中沢さんも同じであった。
「巨人なんかは似非や」
「似非ですか」
「巨人は汚いことばっかりしよる」
これも口癖である。もっともこの言葉を聞くのは中沢さんだけでなく他の阪神ファンも大体同じだ。巨人は卑劣、これも昔から聞いてきた言葉だ。
「知っとるやろな。沢村や」
またかなり古い話を出してきた。
「あれだけのピッチャーを切り捨てたんが巨人やった」
沢村は一回目の徴兵で肩を壊していた。その為復員してから暫くして巨人を半ば辞めさせられたと言われている。そうしたこともあったのだ。
「スタルヒンもな」
「国籍の関係で脅されていたんですよね」
「卑劣なことしよる。まるでヤクザやゴロツキや」
こうまで言う。
「何処が盟主や。球界の癌や」
この言葉には大いに納得できるものがある。心から同意であった。
「北朝鮮と一緒やろ」
「そうですね」
この言葉にも心から同意であった。全く以ってその通りである。
「昔はそれが良識、正義やったんや」
「良識と正義への冒涜ですね」
「巨人は叩き潰さなあかん」
そこまで言い切る。
「完膚なきまでな」
「阪神がですか」
「阪神は巨人に勝ってこそや」
中沢さんはこう言うが実は僕は少し違う。全ての球団が巨人に圧倒的なまでに勝って欲しいのだ。おれは個人的なことであるが僕にとっては巨人の敗北こそが人生の喜びである。本当に巨人が負けていると気持ちが落ち着くのだ。その後の酒がまた最高である。
「わしはそれをずっと思って阪神の試合を見てきた」
「それにしても戦前からですね」
「そや」
あらためて僕の言葉に頷いてくれた。
「あの頃は藤村がいたんですよね」
「ええ男やった」
昔を懐かしむ目になった。
「派手でそれでいてお客さんへのサービスを忘れんでな。ホンマの意味でのプロ野球選手やった」
かつて坂口安吾が彼をそう評していたという。それを思い出す。
「四番サードやった」
「ダイナマイト打線のですね」
「あっ、それはもうちょっと後や」
そう突っ込みを入れられた。
「戦前は他に景浦もおった」
「景浦ですか」
話には聞いているが正直ここまで来ると伝説である。もっともそれは藤村もそうなのであるが。僕は彼等の姿は写真でしか見たことはない。
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