ストッパー
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第一章
第一章
ストッパー
安武影綱。かつては日本で一番のストッパーだった。
高校でも大学でもエースとして知られ大学卒業後ドラフト一位で鳴り物入りでプロ野球入りし一年目からストッパーとして大活躍だった。一年目で新人王だった。
二年目も三年目も活躍した。向かうところ敵なしのストッパーであり彼の長身といかつい自信に満ちた顔が九回のマウンドに出るだけで相手チームの選手もファンも意気消沈してしまう程だった。そこまで凄いストッパーだった。
速球とフォーク、それが彼の武器だった。カーブも投げるがやはりこの二つが武器だった。この二つで相手を力で捻じ伏せていっていた。何度かチームを日本一に導きMVPにもなった。FAもせずチームに残り続けた。だが三十七歳になり。彼もそろそろ衰えが目立ってきていた。
「もう安武も終わりかな」
「そうだな、流石にな」
こんな声が聞こえてきた。既に名球界も入っていただけに花道という感じになってきていた。救援失敗も目立ち球威も目立って落ちてきていた。それは彼も意識していた。
そしてそのシーズン終了直後。フロントに呼び出された彼は静かにこう告げられたのだった。
「戦力外、ですか」
「あっ、いや」
「そういうことじゃなくてだね」
彼をよく知るフロントの面々は彼の口からこの言葉を言われて困った顔になった。球団事務所の無機質な部屋で彼の長身だけが目立っていた。
「ですが今の言葉だとですね」
「いやね、コーチとして留まって欲しいんだよ」
「君には長い間お世話になってきているし」
こう述べるのだった。
「どうかな。二軍投手コーチで」
「それで」
「コーチですか」
彼はそれを言われて口を閉ざした。あまり面白くなさそうなのはそれを見てもすぐにわかることだった。
「どうかな、それで」
「コーチで」
「・・・・・・・・・」
完全に黙ってしまった。フロントの面々はそんな彼に戸惑いながらもまた言ってきた。
「返事はすぐでなくていいよ」
「時間はあるから」
「そうですか」
「うん、返事を期待しているよ」
「是非共ね」
「ですが選手としては」
「それは申し訳ない」
こればかりはということであった。
「もう君に関しては方針が決まっているんだよ」
「だからだ」
「引退ですか」
「何なら他の球団に移るかい?」
フロントの一人が不意にこう言ってきた。
「トレードですか」
「それなら便宜を図るけれど」
「どうかな」
「いえ、それも」
しかし彼はその言葉には首を横に振るのだった。
「それはいいです」
「いいのか」
「俺も三十七ですし」
トレードと聞いて心が動かなかったと言えば嘘になる。しかし結局彼はすぐに決めたのであった。彼は決断が早くそれを変えない男だった。
「もう潮時ですから」
「だからいいんだね」
「はい、決めました」
今の彼の言葉は何よりも強い響きを持っているものだった。
「ですから。俺は」
「コーチになってくれるか」
「日本一にもなりましたし名球界にも入ることができました」
そうした意味で非常に恵まれた現役生活だった。振り返って見てみても不服はないし後悔もない。未練も感じることはなかった。
「だからもう」
「そうか。じゃあ」
「コーチになってくれるんですね」
「球団としては俺には今度はそれで活躍して欲しいんですよね」
「ああ、そうだ」
その言葉にははっきりと頷いてみせてきた。
「頼むよ、是非」
「背番号は永久欠番も考えているから」
「いえ、それはいいです」
しかしそれに関しては断るのだった。
「それなら有望な若手にでも譲って下さい」
「そうか、それでいいんだね」
「ええ。じゃあそういうことで」
「うん。では安武コーチ」
もうコーチという呼び名になっていた。
「これからも頼むよ」
「わかりました。それでは」
こうして彼は現役を引退しコーチに就任することになった。引退試合は秋のオープン戦で済ませすぐにコーチとしての仕事になった。二軍でピッチャー達を見るがこれといって思うことはなかった。
「何かな」
「何か?」
「ああ、監督」
白髪で細い皺の多い顔の好々爺が出て来た。このチームの監督である関根種友であった。選手育成にはかなりの定評がある球界の著名人である。このチームの監督になって二年目で安武にとっては馴染みの監督である。
「どうも」
「で、何かあったのか?」
監督はすぐに安武に対して言ってきた。話の続きであった。
「どうも見るものがあったようだがな」
「見るものがないんですよ」
しかし安武は監督にこう述べるのだった。
「どうにもこうにも」
「見るものがない」
監督はそれを聞いてその皺だらけの顔を顰めさせた。
「そうか?かなりいいと思うんだが」
「去年と変わりませんよ」
安武はこう監督に言葉を返した。
「新人はまだ見ていないですけれど皆去年と変わりませんよ」
「じゃあいいじゃないか」
「まずはですね。ただ、俺がいませんから」
「俺がいない」
「ストッパーがいないってことですよ」
彼が言うのはそれであった。
「それが問題なんですよ」
「ストッパーか。そうだな」
「俺がいなくなってストッパーがいませんよね」
「それはな」
監督もそれは承知していた。監督が知らなくて誰が知っているという話だった。
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