誰が為に球は飛ぶ
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焦がれる夏
参拾弐 強豪私学の意地
第三十二話
監督をして、既に36年になる。
徳士館大学卒業後、社会科教員として千葉県の公立校に赴任した私に与えられたのは、野球部の顧問の立場だった。
それまでの人生、野球ばかりしてきた私は、学力ではとても国立大出の教員達にはかなわなかった。自分の居場所を作るためにも、顧問の仕事に全力を挙げた。2年目には早くも監督になった。40歳までに赴任した3校全ての野球部をベスト8の常連にした。
41歳から、母校の是礼に、請われて戻った。
弱小を準々決勝まで連れて行く野球とは、求められているものが当然違う。県大会など、是礼は優勝が当たり前だ。全国で勝つのが是礼なのだ。
選手たちが野球に賭けているものが、公立校の選手とは段違いである事は自分の現役時代を思い返しても分かっていた。監督の立場でそんな選手たちを預かるというのは重圧がかかるものだ。毎日休みなく厳しい練習を課し、時に冷酷とも言える判断に従わせる以上、彼らには結果で報いねばならない。
世間は我々を悪役扱いする。選りすぐられたスター集団、純粋に球を追いかける公立球児の敵だと。
我が是礼を非難する者は、一度我々のグランドに来てみろ。選手達の、親元を離れ夢を追ったその覚悟を聞け。厳しく苦しく理不尽な毎日に歯を食いしばり、いつかその手に掴むだろう栄光を夢見て努力を続ける姿を見ろ。そして敢えなく夢破れた彼らの、親の期待、周囲の期待、自分自身の期待を裏切ってしまった悔恨の涙に思いを馳せろ。
私は全ての試合、選手たちに勝たせてやりたい。甲子園に連れていってやりたい。
ーーーーーーーーーーーーー
<是礼学館、選手の交代とシートの変更をお知らせいたします。ピッチャーの高雄君に代わりまして、山岸君が入りショート。ショートの伊吹君がピッチャー。>
高雄の負傷降板を受け、冬月が送り込んだ二番手投手はショートを守っていた主将の琢磨。
代わりのショートには守備に定評のある山岸が入った。琢磨には高校での投手経験はほとんどない。もちろん今大会初登板だ。
投球練習が終わると、捕手の長良がマウンドに行く。
「伊吹さん、試合で投げるのいつぶりですか?」
甲子園のかかった決勝戦のマウンドを突然任された琢磨は、やはり緊張した面持ちである。2年生捕手の長良がたずねると、頬をかきながら考える。
「……中3の春以来…かな」
「あ、そんなに投げてないんですか。でも結構ボール走ってますよ。これならいけます」
長良が笑顔を見せた。
「伊吹さん遠投何mですか?」
「115くらい」
「それ、高雄さんと一緒ですよ」
長良はミットで琢磨の尻をポン、と叩いた。
「今から伊吹さんがエースです。自信持っていきましょう」
そう言い残して長良はポジションに戻っていく。琢磨は口をへの字に曲げてその後ろ姿を見送った。
(…後輩に気を遣われるとは、ここにきて何と情けない主将なんだか)
琢磨がベンチを見ると、腕組みして表情を変えない冬月と、ソワソワと落ち着きのない真矢。高雄はまだ治療中なのか、ベンチに戻ってきたいなかった。もしかすると病院直行で、もう球場には居ないかもしれない。
(ここで俺が投げていいものなのか、分からないけど)
マウンドのロジンバッグを手に取り、滑り止めの粉を手にまぶしてふうと吹いた。準備をしっかり整えて打者に向き合う。
(抑えないといけないのは確かだな)
打席にはネルフの5番打者・鈴原藤次が入っていた。
ーーーーーーーーーーーーー
(ここで大会初登板やて?伊吹がホンマに投げられるんなら、ここまで投げへんかったんが分からへんけど)
藤次は気合いを入れて打席に入った。今日の試合は当たっていない。けして調子は悪くないが、今大会の藤次は5割打者剣崎とは対照に凡打の山を築いていた。調子が悪くない、というのがミソである。これが実力なのではないか、という疑いすら浮かんでくる。ここは一つ、初登板の投手相手には意地を見せておきたい。
(回は終盤や。球待ってどうこうするとこやない。初球ストライク取りにくるん、見逃さへんで!)
マウンド上の琢磨がセットポジションに入る。
そして重心の高いクイックモーションで初球を投げ込んだ。
(いける!)
藤次は初球からフルスイング。
ボールは大きく、ぐにゃりと曲がった。
ブンッ!
藤次は豪快に空振り。
勢い余って体勢を崩す。
琢磨は初球の変化球が上手く決まって笑顔を見せた。
(何やねん、普通にスライダーよう曲がりよるやんけ!)
藤次は唇を噛む。
緊急登板の急造投手にも関わらず、琢磨のスライダーはキレている。
(それなりの上背もあるし、この強肩だ。打撃の復調がもう少し早ければ投手も兼任させたかった。まさかこの場面を任せる事になるとは思わなかったが…)
ベンチでは冬月がマウンド上の琢磨を見つめる。
難しい指示は出しようもない。ただ見ているだけだ。
ブンッ!
二球目のスライダーも藤次は空振りした。
変化球にどうしてもついていけない。
琢磨も突然の登板にも関わらず、制球は乱れない。慌てる事なくストライクゾーンに投げられている。
(コントロールだけは不安だったけど、キチンとストライクさえとれれば何も怖くない。イケますよ、伊吹さん!)
リードする長良は確かな手応えを感じながらサインを出す。
琢磨はそのサインにあっさり頷き、セットポジションからテンポ良く投げ込む。
(速い!)
高めに来た真っ直ぐに藤次は手を出す。
クイックモーションから投げ込まれる球の勢いに思わず体が反応してしまった。
ブンッ!
高めのボールゾーンに138キロが突き刺さり、藤次のバットは三度空を切る。
琢磨はガッツポーズを作りながら全速力で自軍ベンチに駆けていく。
(手玉にとられてるやんけ…)
藤次は顔を歪めて天を仰いだ。
エースの高雄だけでなく、本来投手でもない琢磨からも打てなかった。
「くそっ!」
バットのヘッドを乾いた黒土に叩きつけた。
ーーーーーーーーーーーーー
「まだ、投げられるかい?」
8回裏のマウンドへ向かう真司に、ネクストで防具を取り付けながら薫が声をかけた。
真司はその言葉に大きく頷いた。
「もちろん。」
そう言い残して真司はマウンドに上がる。
気温も湿度も高い、灼熱のマウンド。
ここまで大会通算37回を投げている。
今日に限っては球数は既に100球は軽く超えて、汗は球のようになって顔中に浮かんでいた。
それでも投げ続けるエース・碇真司。
(投げる…何回だって、何球だって!)
その右腕が唸りを上げた。
後書き
だんだん話の進みが遅くなってきました。
私自身も物語の終わりを惜しんでるのでしょうか?
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