《SWORD ART ONLINE》ファントムバレット〜《殺し屋ピエロ》
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約束
前書き
話が進まないよ。3話でこの部分は終わらせるつもりだったんだが......
〈5〉
「あっ......ぐ」
訳も分からず揺れる視界の中で、飛び散った仮面の欠片が宙を舞う。
《宇宙戦艦の装甲板》という特殊なアイテムで製造した防具は、どうやら最後までその役目を全うしたらしい。現にメイソンはHPの大半が吹き飛んだが、ギリギリの所で生の淵に踏みとどまっている。
目眩に似たバットステータスを覚え、口からうめき声が漏れた。
どんなに堅い金属であっても直撃の衝撃までは防ぎきれない。大きく体がのけぞり、首の後ろで結っていた髪が扇のように広がった。
目の前で揺れるその艶を眺めながら、”俺”は激しいデジャブに襲われていた。
長い髪。
俺はずっと後ろに隠れてきた。
そして母親の裾をつかみその長髪に顔を埋める。幼い頃は全てがそれで満たされて、無償の優しさが必ず我が身を守ってくれた。
甘え癖、と言うのだろうか。
小学校に上がっても癖は治らず、ことあるごとに俺は「お母さん」と泣いて、その慰撫に甘え続けた。周囲から見ればさぞ滑稽な姿だったのだろうが、俺はそんなこと歯牙にもかけなかったし、両親も笑いながら容認し続けた。
あの事件が起こるまでは。
結果、父親は物言わぬ人となり、母親は毎晩泣くようになった。
誰も俺の事は責めない。あれは不幸な事故だった、君にはどうすることもできなかったと、またしても無償の優しさで俺を包み込む。
だけど、違う。子供だからって何をしても許される訳じゃないし、あの恐怖、絶望の中で行動を起こした女の子を俺は知っていた。
情けない。本当に情けない。
結局、俺は最後まで誰かの背中に隠れることしかできなかった。臆病で泣き虫な自分の全部に嫌気がさす。
変わりたい。あの子に謝りたい。
それが俺とメイソンの強くなる意味ーー
現実と仮想が混ざり、意識を強引につなぎ止めた。
露わになった双眼にギラリと強い光が宿る。
「糞があッ!」
”メイソン”は怒りのままに吠えた。
ーー本当にしてやられた。5階から一気に飛び降り、空中で相手の脳天を狙撃。思いついたとしても一体誰が実践できよう。その度胸に舌をまく一方、見逃すことのできない屈辱をひしひしと感じた。
さっきの拍子に左の銃を取り落としていたメイソンは、残った右手の《ウージープロ》を振りかざし、素早く周囲に目を走らせる。
幸いにして自分の意識が飛んでいたのは、ほんの僅かな時間に過ぎなかったらしい。
背後で無防備に転倒している少女が目に入る。あの落下でHPが残っている事実に驚愕しながらも、素直にその奇跡を感謝する気になった。
「よぉ、お互い運が強いな」
「っ!」
信じられない、というふうに目を見開いたのも一瞬、狙撃銃が容赦なくメイソンに狙いを定める。しかし片足を損傷した彼女の姿勢は安定せず、AGI型であるこちらの初動の方が遙かに速い。
長大な銃身を思い切り蹴り上げる。がいん、と甲高い音をたて宙を舞うスナイパーライフル。それでも少女は諦めることせず、腰に装備していたサブアーム......MP7を引き抜き構えようとした。
「ちっ」
口中に舌打ちしてその手を押さえに掛かる。手首を捻り上げ後ろに引き倒し、グリップを固定すればどう足掻いても銃口はこちらを向けないはずだった。この際、馬乗りのような格好になってしまうのは目をつぶる他ない。女性特有の甘い香りを黙殺しつつ、自分をここまで追い詰めた敵を改めて観察した。
薄々気がついてはいたが、その容姿は《ガンゲイル・オンライン》に不似合いな美少女と呼べるものだった。
左右で結わえられたショートヘアは淡いブルーの輝きを放ち、ちらりと除く同色の瞳はまるで絶対零度の秘境のようだ。続くやや小振りの鼻梁にすっきりとした頬、引き結ばれた桜色の唇。芸術品めいて整った顔立ちはむしろ氷の彫刻という表現がしっくりくる。
身にまとうミリタリージャケットこそ地味だが、それが逆に彼女の魅力を引き立てるのに一役買っているように思う。純白のマフラーとの組み合わせも決して悪くない。
その眉間にゴリッと銃口を押しつけながら、メイソンは感嘆の溜め息を漏らす。これまでたった1人で自分と渡り合えたプレイヤーがいただろうか。ーーいや、間違いなくこの少女が初めてだ。
であれば、ここは敬意をこめて引き金を引くのが礼儀というものだろう。
流れ落ちる長髪を鬱陶しく想いながら、少女の瞳を至近距離から見つめる。悔しさを滲ませつつも、そこに不屈の覚悟を見て取り、メイソンは笑みを浮かべた。
「ーー流石だな。また遊びに来いよ、いつでも相手してやる」
混じりっけない蒸留ずみの本心だった。同時に指と同化した引き金が最後まで押し込まれ、撃鉄が勢いよく振り下ろされる。
......カキン!
下らぬジョークでしらけたような沈黙が2人の間を漂った。パチクリと目を瞬くのもつかの間、ひどく混乱しているらしい少女と目があって、メイソンは次の行動を起こさざるを得なくなった。
ーーすなわち腑がよじれるほど大声でゲラゲラと笑ったのだ。
「くはははははっ! あんまりだろうよぅこんなオチは、くっふふふ! まったく締まりの悪いことこの上ないぜ、あっはっはっはっは!」
なんのことはない。マガジンには弾が一発も残っていなかったのだ。そうとも知らず、威勢のいい決めゼリフまで吐いてしまった自分はどれほどの間抜けなんだろう。まさに道化師の立ち振る舞いではないか。
笑いの爆発はなかなか収まらない。見かねた様に少女が口を開いたのは、メイソンが30秒も笑い続けてからだった。
「あの......早く離れて。さっきからずっとハラスメントコールが出てるわ、牢屋送りにされたいんだったら構わないけど」
《ハラスメント申告》ーー異性のプレイヤーに不適切な行為ができないように運営が設置したプログラムだ。長い間体を密着させることでアイコンが出現し、被害者側が「コール」と短く発音すれば問答無用で牢屋送りにされる。
なるほど、今の自分たちは密着しているどころか、半ばこちらが押し倒しているように見えなくもない。
ようやくさっきから睨め付けてくる理由が分かった。流石に牢屋送りは頂けないので、取りあえず笑みを引っ込めることにした。
「これは失礼」
密着状態の体を心持ち遠ざける。
その時になってようやくMP7のグリップを押さえていることを思い出し、少々乱暴に少女の手からそれをもぎ取った。さしたる抵抗はない。あとは煮るなり焼くなりお好きに、ということか。
立ち上がり、仰向けに倒れる彼女に銃口を向ける。するとさざ波一つたっていない瞳に迎えられ、メイソンはなぜか胸がうずき出すのを感じた。
先ほどとは打って変わって覇気のない諦念に沈んだ色。
別人とも思える態度にひどい違和感を覚える。まだ2,3の言葉しか交わしていないが、メイソンには彼女の性格が何となくつかめていた。少なくとも無抵抗で自分に倒されるタマではない、一体どうしたというのだ。
いや、そもそも自分と戦っていたプレイヤーは”彼女”なのか?
ゾクリと背筋が寒くなった。もしかするとコイツも”俺”と”メイソン”の様に役割分担をしているのかもしれない。
そんな結論に達したとき、メイソンは引き金を引くことを諦め、MP7を明後日の方向に放り投げた。
訝しげに少女の目が細められる。「なぜ殺さないのか」と視線で問われるが、メイソンにだって分かりはしない。強いて言うなら今倒しても意味がないという直感と、ほんの少しの憐憫だろう。
「止めだ、止め。日を改めて仕切り直そうぜ。今回は状況が俺に有利すぎたし、寝てる相手にぶっ放したって全然面白くねぇ」
「ーー馬鹿に、しないで」
「逆だよ。本当につまんない奴だと思ったら見向きもしないっつーの」
そう言うと彼女にくるりと背を向け落ちた《ウージープロ》を拾いに行く。少女が他にも武器を携行していたら一巻の終わりだが、別にそれでも構わないと思った。その時はこっちからゲームのお誘いをすればいいだけの話である。
しかしそんな心配は杞憂だったらしい。無事に相棒をホルスターに戻し、少女が座っている場所に戻ってくる。そして、じっとこちらの様子を伺う少女の足が修復されていることに気がついた。
「へぇ、案外早く治るもんだな」
休戦の意をこめて手を差し出し、彼女が立ち上がるのを助けようとする。
「......」
少女と言えば当然のように無視を決行。自力で起立してそっぽを向く。どうやら積極的になれ合うつもりはないらしく、またこちらも生意気な態度にイラっときていたので、険悪も甚だしい空気である。
「......バレット オブ バレッツ」
「あ?」
突拍子もない言葉にメイソンは雑な相づちを打つ。《バレットオブバレッツ》とは月に一度行われる大会の名前であるが、まさかそれをネタに談笑しようという腹づもりではあるまい。
「一週間後に開催される大会、その腕なら必ず決勝トーナメントまで上がってこれる。そこで決着をつけるっていうのはどう?」
射るような視線と共に、殺意を真正面からぶつけられる。なるほど、悪くない。自分は出場経験こそないものの、そこでなら最高のクライマックスが演じられそうだ。
「......乗った。だが問題が一つ、お前は決勝まで上がってこれるのか?」
これ見よがしの挑発に、少女は形の良い眉をぴくりと動かして見せた。
「安心して。あんたの巫山戯た仮面みたいに全員粉々にしてやるわ。そっちも油断して無様をさらさないように気をつけて頂戴」
威勢のいい啖呵に思わず笑みが浮かぶ。そうでなくてはいけない、たとえ虚勢であったとしても勝ち気な態度が勝利を手元に呼び寄せる。どれをとっても彼女は好敵手として充分な人間だと理解できた。
「あっは、じゃあノープロブレムだ」
「ふん、待ってなさい。きっちりと借りは返させてもらうわ」
「借りねぇ......そういやこっちもだ、俺のお気に入りをぶっ壊しやがって」
げんなりしつつ顔を撫でる。戦闘中はもちろん、それ以外の時も仮面を外したことがなかったので、自分でもアバターがどんな容姿をしているか忘れてしまった。
そこで初めて笑みらしきものを浮かべた少女が、腕を組んで溜め息ともつかない吐息を漏らした。黄昏を背にしたその姿が炎の中に浮き立っているように見える。
「じゃあ、お互いに因縁浅からぬ仲というわけね。......名前を聞いてなかったわ、差し支えなかったら教えて」
メイソンは意外に思って片方の眉をひょいと上げる。名前など聞きたくもない、と一刀のもとに切り捨てる質だと見ていたのだが、なかなかどうしてわからないものだ。
「俺はメイソンだ」
「私はシノン」
胸に手を当ててシノンと名乗った少女は自己紹介する。
「覚えておいて、あんたに風穴をあけるプレイヤーの名前よ」
ちゃんと後ろにそう付け加えるあたり彼女も相当手強い。ひとしきり笑ってから、心のなかで”シノン”という印象を転がす。
なぜかこの名前は忘れないだろうと確信が持てた。
「くはは、今回みたいにいくと思ってると痛い目見るぞ」
「それはこっちのセリフよ」
お互いに一歩も引き下がる気はないらしい。子供っぽさでは互角。こちらの方が身長で上回っているので、でかいガキという印象においては多少勝っているかもしれない。180センチ近いこのアバターは、目の前の少女より二回り以上大きいのだ。
「まぁ、なんにしても一週間後だ。バレット オブ バレッツで待ってるぜ」
いい加減馬鹿らしくなってきたので、メイソンはそれだけ言い残しその場を後にした。背中に戦場で出会った少女の視線を感じながら。
時間にしてみれば15分に満たない戦闘だったのだろう。事実、瓦礫と廃墟の群れから伸びる影の長さは記憶と全く変わらないように思える。
しかし、メイソンには《ガンゲイル・オンライン》に費やした1年間のなかで最も重大な何かを触った感触があった。
ライバル、仲間、理解者。
分からない。今踏みつけている砂のように掌からすべり落ちるそれは、簡単に手に入るようで、実は留めておくのに特殊な工夫が必要なモノなのかもしれない。
黙々と砂を蹴って移動する。
そんな諸々の思考が夕日にとけ込むのにさして時間は掛からなかった。
後書き
なぜかシリアスになる。
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