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~烈戦記~

作者:~語部館~
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第十四話 ~第二次蕃族掃討戦・前~






晴天。
雲一つ無い青空が広がり、周りの青々とした木々の隙間からは獣達の賑わいが音が無くとも感じる事ができる。
そして人も然り。
きっと先に出発した陵陽関ではこの晴天により一層気合いを入れた商人達の営みや、それらの合間からごく少数の童児達がはしゃぐ声で賑わっているのだろう。

しかし、この辺境の地では春に当たるこの時期に雲一つ無い晴天は珍しい。
しかも今日だけにとどまらず、ここ最近はずっと続いている。
それが意味する答えは何なのかを考えてしまうのは果たして無粋なのであろうか。

『…凱雲、どうした?』

そんな事を考えながら馬を進ませる私に不意に主からの声がかかる。
私はそれに答えるべく空を仰ぐのをやめた。

『いいえ、何でもございません』
『そうか』

私の隣を行かれる豪統様の方へ向きなおると、豪統様も空を仰がれた。

『…いい天気だ』

そう一言呟かれた。
だがその表情からは決してこの晴々しい青空に対しての喜びや和みなどは感じられなかった。

『…』

しかし、意味深な表情は見せたもののその意図は語らずそのまま再び前方へと視線を落とされた。
だが、語らずとも長年部下をやっていれば豪統様が何を思われたかは想像は着く。

この青々とした空を純粋に関の民と共に喜び、また同じくその平穏が蕃族の民にも訪れれば…いや、来ていたはずだった。
だが、それはもう嘆いてはいられない。
賽は投げられた。
そして私は国の軍人。
なれば国の為、そして大切な民の為に出来うることをする。
もう迷ってはいられない。

きっとそう思われているのだろう。

『…』

ならばあえてその意図を改めて汲む必要も無いだろう。
そこまでの決意に水を差す必要は無い。

『凱雲』

だが、そんなことを思っていた私に対して豪統様は声をかけてくる。

わかっております。
その言葉は改めてかけてさしあげるべきだったか。

私の頭の中をそんなちんけな考えが過った。

『…帯の事は任せたぞ』

だが豪統様から出た言葉はそれではなく、今回私に課せられた秘密裏の特別任務についての確認だった。

『…はい』

私の中は一瞬にして羞恥心で満たされた。
…浮ついていたのは私か。
それを思い知らされた私は火照った身体を冷ますように大きく息を吸ってゆっくりとそれを吐きだした。

気を引き締めねば。
今回の戦は蕃族との戦。
だが我々にしてみればそれは単なる戦では無い。
この地ではそれはもう古くから続いていた戦を、彼らは彼らの経験で、そして我々は先任として戦われていた馬索殿の助言という知識だけで戦わなければいけない。
それはつまり我々にとってはとてつもなく不利だという事だ。

戦というのは体験談、または軍学書などから得た知識を頭に詰め込んでいれば勝てるというものではない。
何故なら現場というのは天、地、人という三つの不確定要素が絡み合う場所であり、同じ刻は存在しない。
それに対し戦の知識というのは限定的な状況への解決法に過ぎない。
つまり戦の知識だけでは限界があるのだ。
だが戦の経験というのは変化し続ける現場の中であらゆるものを必要最低限な情報を元に解決、または試行錯誤してきた事案の積み重ねの事だ。
そしてそこには数々の可能性や条件状態、そしてその分だけの解決法がある。
だから書や言葉とは単純に判断材料である情報量が圧倒的に違うのだ。
そしてその知識と経験の差というのは今までの戦の中で何度となく痛感させられた事だ。

幸い大局的に見れば兵力や継戦能力ではこちらが圧倒的優位ではあるが、それでも最前線で戦う兵士達にとってみれば関係無い。
彼らにとってみれば一つの戦での結果は生きるか死ぬかなのだ。
勿論現場の指揮官である我々も例外ではない。
そういう意味でも一戦一戦での力関係の不利というのは不安だ。
だからこそこの一戦に油断や妥協は許されない。
それに、純粋な練度の差も気になる。
だからこそ今、他事を考える暇があるならばその間に再度作戦や地理情報の確認、また練度の低い隊との連携や不足の事態などを頭の中に入れておく必要がある。

私は自身の身体に戻ってきた緊張感の中で再び豪統様から言い渡された特別任務について考えを巡らせた。





『み、皆さんどうぞよろしくお願いします!!』

…なんだあれ。

それがあの餓鬼に対しての第一印象だった。
今俺の目の前では成人をいったかいってないかわからないような豪帯という餓鬼が俺達兵士を集めて健気にも頭を下げてよろしくお願いしますと叫んでいた。
そして今度はこれまた律儀に最前列にいる兵士から順に一人一人握手を交わして激励の言葉をかけていく。

なんて素晴らしい鼓舞なんだ。
こんな鼓舞は今までに見た事も聞いた事もない。
そしてなんとあの方こそが正に俺らの今回の司令官様だそうだ。


…頭が痛くなってきた。

『…隊長』

同じように俺の後ろこの光景を目の当たりにしていた部下の一人が後ろから心配そうに声をかけてくる。
いや気持ちはわからんではないが、俺にどうしろと?

部隊の兵士というのはいつだって下っ端の立場にあり、その処遇や所属は状況により変化する。
そして当然その所属、即ち上司が無能であればあるほど俺達の死は近づく事になる。
そりゃ前線の兵士にとって死というものはいつだって身近にあるし、それも承知で兵士をやっているのだ。
だから死ぬのが怖いなんて言うつもりはない。
だが、俺達だって人間だ。
できる事なら犬死はしたくない。
だから今回のように眼前に押し付けられた事実にはどうしても戸惑ってしまうのだろう。

安心しろ、俺だってこんな奴は初めてだ。

せめて無能な上司なら他の無能な上司供と同じく戦闘が始まるまでは自信満々に踏ん反り返ってくれていたらどれだけ気が楽か。

そして俺を含め、こいつらが不安がる理由はもう一つある。
それは俺達と他の奴らとの目の違いだ。
そもそも今回この部隊の任務はこの主戦場と掛け離れた僻地に陣を敷き敵を警戒、または防衛せよというものらしい。
だが、防衛とは名ばかりに殆どの目的は前者の警戒にあるようでこの僻地にはそれ程の兵は割かれていない。
そして極めつけはその数少ない兵の中でも俺達の隊、即ち会都よりの援軍の中でも偶然選ばれた少数の兵を抜いた大多数を占める奴らは皆、先の初戦で敗戦をした部隊の兵士達と聞いている。
そりゃ敗戦してまだ間もない奴らと俺らとじゃ目の色が違って当然ではあるが、こうまであからさまにビクビクされていては俺の部下だって不安になってくるだろう。
仕方ないといっちゃ仕方ない。

『た、隊長…っ』

…うっとおしい。
そもそもそんなのは俺だって一緒だ。
元々最近まではたった10人程度を束ねるだけのただの什長だった男だぞ?
それが例に違わず偶然この部下の兵を含め後ろの50人を束ねる事になっただけで、現にこの声をかけてくる兵士の名前すらまだまともに覚えちゃいないんだ。
境遇はみんな同じで俺だってすげー不安なんだよ。
なのに何故お前の分まで心配を取り除いてやらんといかんのだ。

『…』
『…はぁ』

…面倒くせぇ。
だが、だからといってこの弱気な部下を無碍にする訳にもいかず一応後ろを振り返る。

『…』

だが、振り返ってみればどうってことはない。
そりゃこいつ一人なわけねぇよな。
あーやめたやめた。
無理無理。

そして俺は声をかけてきた兵士含めほぼ大半の不安気な部下達をよそに空を仰いだ。



『あ、あの!』
『あぁ?』
『あっ…』
『あ…』

しまった。
もう俺の番だったのか。
急に声をかけてきたもんだから思わず素が出てしまった。

『…』
『…え、えっと…』

だがどうしたものか。
仮にもこの餓鬼は上司ではあるものの何か釈然としないこいつの態度にまるで謝る気が起きない。
それは多分俺の性格だ。
それにそんな気持ちのまま謝まった所でボロが出てしまうだろう。

『隊長ッ…隊長ッ…!』

だが後ろでは何時迄も上司に対しての不遜な態度を詫びない俺に対して肝を冷やしているのか小声で急かす先程の兵士がいる。

『はぁ…すー…』

あー…面倒くせぇ。

『大変申し訳ございませんでしたであります部隊長殿!』
『…ッ!?』
『…ッ!!』

ほら、言わんこっちゃない。
結局言ってはみたものの素は隠しきれずに途中から茶化してしまった。
後ろからは肝をさらに冷やした部下達の声にならない悲鳴が聞こえてきそうだ。
だが何も俺だって世渡りがそこまで下手な程実直な人間ではない。
寧ろ捻くれ者で、しかし小心者なせいで今までの人生ずっと日和見もいいところだろう。
だから相手が相手なら話しは変わったのだろうが、俺からしたらこいつは羨ましい程に、そんでもって見るからに頭の中はお花畑のようだ。
こっちの見え見えの上辺言葉にすら気付かなそうだと思った。

『い、いえ!こちらこそ取り込み中にすみません…』

ほらな。
案の定お花畑な答えが返ってきた。
後ろからは安堵に似た溜息がどっと聞こえてくる。

そもそもお前らはお前らで何こんなションベン臭い餓鬼にびびってんだよ。
だいたい何だよ取り込み中すみませんって。
こいつ自分の立場わかってんのか?
頭沸いてんのか?

『…』
『…』
『…』
『…』

なんだよこの餓鬼。
さっさとなんとか言えよ。
何もねぇならさっさと失せろよこの餓鬼。

『あ、あの…っ!』

お?

『よ、よろしくお願いしますね!』
『…』

そう言ってこいつは俺に手を差し出した。
それはそれは満面の笑みで。
多分握手を求めているんだろう。
だが、俺にはその行為が逆に俺の癇に障った。

『…はぁ…』

限界だ。
いや、我慢する余裕くらいはあるにはあるんだが、ここで一言言っておいてもバチは当たらんだろう。
短い付き合いなんだろうが、こいつの今後の為でもあるんだ。
そう自分に言い訳をしながら、俺は心の中で一息ついた。

バチンッ

『あっ…!』
『…』
『……え…』

そして俺はそいつの差し出してきた手をはたき落とした。

『遊びじゃねえんだよ』
『…あ、あの、そんなつもりじゃ…』

見るからに青ざめていく顔を見て踏ん切りがつく。
いける、と。
完全な弱い者虐めだ。

『や、やめましょうよ隊長っ、まずいですって…っ!』
『俺達は命張ってここに来てんだよ!』
『…っ!』

俺は制止しようとする兵士の言葉を遮るように大声で叫んでいた。
だがそれが予想以上に大きかったのか、先程まで蚊帳の外だった他の兵士達までもがこちらを注目して辺りは静まり返っていた。
…やっちまった。
これじゃーもう後には引けない。
だが、既に俺の中では引くつもりなど更々なかったので動揺は直ぐに…は収まってはくれないようだ。
頭は冷静だ。
しかし、その冴えた思考とは関係無いかのように顔の表面は熱くなり、そして手足が小さく震えていた。

…ちくしょう、小心者め。
しかし、今はまだやめられない。
落とし所まではいかなきゃならない。
緊張の中、言葉を続ける。

『お前は目上の人間が下の人間を同等に見るのが美徳だと思ってるようだが、はっきり言わせてもらう』

『俺達は俺達以上の人間だと上を信じて命を預けてんだよ!お前みたいにへこへこした輩になんて安心して命預けれねぇんだよ!』
『…っ!』
『餓鬼が戦場に出てくんじゃねぇ!』

よし言ってやった。
言ってやったぞ。

俺は興奮していた。
予想以上にしっかりと言い切れた事に自分でも驚き、そして歓喜した。
胸がバクバクしているのが伝わってくる。
それが俺には心地よく、程よい高揚感と達成感を感じさせた。

だが、それの意味を察してスッと頭が冷静になる。
…あぁ、やはり俺は小心者だ、と。

自分が相手にした事が無いような大多数の人間に注目されているからといって、高々餓鬼一人に正論吐いたくらいでこれなのだ。
これじゃあ50人規模の隊長程度で精一杯だ。
農民上がりの兵士じゃここが限界だな。
多分言い切った後の俺は相当得意気な顔をしていたのだろうよ。
はっ!気色悪いぜっ!
そうやって自分を何とか白けさせていた。

『…グズッ』
『…え?』

だが、俺はそれに集中する余り目の前の変化には気付いていなかった。

『ぼっ、僕だってっ…グズッ』

おぃおぃマジかよ。
え、まさか、嘘だろ、こいつ、泣くのか?

『僕だってっ、こっ、グズッ、こんな事になるなんてっ…グズッ…思ってなかったんだっ!うわぁぁぁ!』

そう言い切るとこいつは大勢が見守る中で大声で泣き出した。

えー…。
でも…そうだよなー。
こんな平和ボケした奴が好き好んで補助役も付けずに一人でのこのここんな所来るはずないよなー。

けど、だからって泣く事ないだろに。
お前仮にも男だろ。
それに見てみろよ周りを。
これじゃあ俺がこの餓鬼を泣かせたみてぇじゃねぇかちくしょう。
…まぁ実際そうなんだけどさ。
あの兵士なんて、うわぁーあいつ子供泣かせたー大人気ねー、みたいな目で見てきやがる。
だけどなぁ違うだろ?
悪いのは別に俺じゃなくないか?
実際こんな指揮官にお前らだって命預けたくないだろ?
どうせ戦闘が起きたら真っ先に逃げんだろ?
俺は逃げるぜ?
お前ら善人ぶってんじゃねぇよこんちくしょう。

俺は嫌な視線を受け、背中を冷汗で濡らしながら、今も尚泣き続けるこの餓鬼に目をやる。
…確かにこの餓鬼にはちと言い過ぎだったかもしれん。
それにこの空気は俺がどうかしないといけなようだ。
このまま放置ってわけにもいかんだろうし…。

あー。
本当貧乏くじ引いちまったよちくしょー。

『…な、なぁ』
『うわぁぁぁ!』
『…』

な、何言えばいいか全然わかんねぇー!

『わ、悪かったよ、俺も言い過ぎたよ…な?』
『うわぁぁぁ!』
『…』

どうすんだよこれ。
なぁどうすんだよこれ。
おぃ、お前今目が合っただろうが。
目逸らすんじゃねぇよちくしょう。
どいつもこいつも他人事かよ。
だいたい俺は餓鬼の扱いなんて知らねぇんだよ。
あ?自分が餓鬼の頃を思い出せだ?
はっ、んなもん物心着く前に二人とも仏様だっつーの!

『そ、そうだよな!?お前だって自分で望んでこんな怖い場所になんて来たくなかったよな!?』

あー…。
何言ってんだろ俺。

『…』
『…なっ?』
『…』
『…そうなんだよ…なっ?』
『…』
『…』
『…』
『…は?』

なんでそこで黙んだよぉぉぉぁあ”?
なんだよ!
お前自分で望んで来たのかよ!?
それとも何か心当たりでもあんのかよ!?
でもお前さっき…ってこんな事になるなんてとかうんちゃらかんちゃらって…ぁああああもう!
わけがわからん!
だいたい何で俺がこんな餓鬼のっ…て、いかんいかん。
冷静になれ。
冷静になるんだ魯典よ。
あと少し。
あと少しなんだ。
冷静になれ。

『だ、大丈夫だって!お前が戦経験なくたって俺達みんな戦経験者だからよ!何とかなるって!』
『…』

ど、どうだ?

『…グズッ…本当?』

よし来た!

『あぁそうとも!いざとなれば俺達に任せろって!な、なぁ!?』
『…』
『…』
『…』
『…グズッ』

お前ら本当に屑だな。

『そ、それに!』

あーもうしゃらくせぇ!

『な、なんたって百戦錬磨のお、俺様がついてるからな!わからん事があれば何でも聞けぃ!ははははははぁ…はぁ…』

何言ってんだろ、俺…。
…死にたい。
あとあそこの何言ってんだあいつみたいな目でこっちを見てくる奴。
お前顔、覚えたぞ。

『…グズッ…わかった…』

で、お前はお前でそれでいいのかよ。

『…グズッ…頼りない指揮官ですが…よ、よろしくお願いします!』
『…お、おぅ』

…解決、したんだよな?
これでよかったんだよな?

俺は不安なまま辺りを見渡した。
すると周りの奴らからも一応一安心といったような雰囲気が漂っていた。

…お前ら傍観してただけのくせに。

まぁ、でも実際俺も同じ立場なら絶対にこんなクソ面倒くさい状況に自分から首を突っ込む真似はしないから何とも言えん…。
今回は高を括ってしゃしゃっちまったのが原因の自業自得ってやつだ。
…はぁ、なんでこんな事に。

…ん?
いやまてまて。
てかそもそもこれ、普通にやばくないか?
仮にもたかが一兵長の俺が官士様の息子?様を泣かせた挙句に頭下げさせちまったよおい。
どうすんだよこれ。
しかも大事になり過ぎて周り目撃者だらけだよこれ。
あー…本当にもう…なんでこんな事に…。

『あ、あの!』
『…ん?なんだ?』
『え、えっと…何てお呼びすればいいですか?』
『…』

名前かー。
そうかー。
これ言ったら完全に身元バレるよなー。

…手遅れか。

『…魯典だ』
『魯典…さん』
『…』
『魯典さん!よろしくお願いします!』

もうこれ、普通に手柄の一つでも立てないと人生終わりだな。
あ、てかそもそもこんな場所に敵兵なんてこねぇわー。
上が山張ってんだもん。
万が一にもこねぇわーちくしょうー。
…詰んだわこれ。

『あ、あの!魯典さん!』
『…あぁ?』
『顔色悪いですよ?』

てめぇのせいだよ。

『…何でもねぇよ』

おいおいどうしたんだよ俺。
ちょっと前までの威勢はどうしたんだよ屑が。
はははー…情けねえ。
何が一言言ってもバチは当たらないだ。
少し前の餓鬼を前に大人ぶろうとした自分をとことんぶん殴ってやりたいぜちくしょう。

『…そ、それで何ですが…』
『…』

何だよ。
今度は何だよ。

『ま、まず何をすればいいんですかね?』
『…は?』
『ほ、ほら!あるじゃないですか!例えば敵に備えて陣を張るとか兵士の方々に休養を取ってもらうとか!』
『…』


知るかぁボケェ!!!
お前仮にも官士の息子だろ!
何して今まで生きてきたんだよ!?
何でそれを一兵卒頭に聞くんだよ!
あああああああ!!!
うがああああああ!!!

『…』
『…?』
『…』


『…まずは斥候をだな…』

はぁ…死にたい。





もう少しじゃ。
もう少しでこの大地はワシの天下はなるぞ。

『…くふ、くふふふ…』
『…』

おっと、いかんいかん。
ついつい頬が緩んでしもうたわい。
…しかし、こうなるまでにいったいどれほどかかったことか。

ワシが前主烈王に仕えていた頃は仕官時を逃していた事もあって重席は既に埋まり、対した権力は望めなんだが、それでも野望を抱き続けてはや20年…。
軍才も政才も武才も欠くこのワシがのし上がる為に来る日も来る日も腰を屈めて媚び耐えぬき、時には謀略を用いて他を蹴落とし、やっとの思いでこの辺境の権限を握りはや10年…。
後はただひたすら平和な時代にあっても昇格の望みをこの地にだけは残すべく争いの火種は消さず広げずのらりくらり…。
だがそんな苦労も零の邪魔立てで消えかけたあの数年前…。

しかし、あの時のワシは冴えていた。
持てる既知を最大限に生かし、一時的とはいえ、小間使いから一転、今では烈州州牧…。
まったく、人生というのはわからぬものよ。

だがしかし、浮いたままの地位に甘んじるワシじゃない。
それからは急いで前主時代に散々ワシを見下してきた連中に頭を付かせ、逆らう者は消してきた。
途中何度か本土側から警告紛いなものが届いたが、運が良い事に本土は本土で皇帝と古くから親しかったそうな宰相が死んだ事で宮中自体が荒れてくれて無視する時間ができた。
そればかりか統治の契機すらうやむやにして伸ばす事ができたのだから、零の宰相様々じゃ。
いや、この偶然は天がワシの並々ならぬ努力を見てこの地を納めよと仰せになられておるのじゃ。
全てはワシ自身のおかげ…か。

『がっはっはっはっは!!』
『…ッ!?』

おっと、いかんいかん。
ワシとした事が州牧としてあるまじき、いや、高貴なワシにあるまじき品の無い笑い方をしてしまった。
以後気をつけねばな。

そして、そしてじゃ!
烈州各地の実権を着実に握り続けた今、ついに最後となる舞台がこの地なのじゃ!
今思えば苦心に苦心を重ねていたこの地が最後の舞台になろうとは、まったくもって因果なものよ…。

まぁ実際この地に足を踏み入れたのは初めてだし、そもそも最後にこの地で締めれば後後自伝にしても華があるからという理由でわざとワシが最後にとっておいたのじゃがな。

『くっひっひっひっひ』
『…』

だがしかし、しかしじゃ…。
本当ならワシが直々にわざわざこんな辺境の地に足を踏み入れんでも州牧の権力を持ってすれば辺境の田舎の人事など幾らだって変える事ができた。
なのに何故だか知らんが異様に隣の旧流州の奴らが豪統の事をあれこれ聞いてくるもんだから不自然な人事をしようものなら何をしてくるかわからん。
いくらワシがこの地のほぼ全ての実権を握っているからといって流石に旧流州勢とやり合うにはまだ早い。
少し前に州を分割された云々とは聞いてはいるが、まだ完全に分割しきれていないのか支配力は衰えていないようだし、もう少し時間が必要だ。
まったく…最後の最後に手間をとらせおって。

だがまぁ今はまだ土地の豊かさや文化で圧倒的に劣ってはいるから見逃してやるが、いずれ蛮族の地を併合したら真っ先に潰してやる。
くふふ…。
奴ら思いもすまい。
まさかこの辺境の山岳地帯の先に流州並みの肥えた土地があるとは。

『くっ、くくっ…』

『お、おい、お前寄ってくんなよ…』
『いや、だってよ…』
『叱られるぞ』
『…』

だが、洋班さえしくじらなければあいつの名声稼ぎと蛮族の地の平定の一石二鳥で全て上手くいったものを…。
まったく、ワシの顔に泥を塗りおって。
だが、あいつもワシの息子じゃ。
それに恥じぬ程度には名声を掴んでもらわねばいかん。
だから、たからこそ今度の計画はとてつもなく完璧じゃ。
第二次蛮族討伐軍をワシが直々に率いて蛮族の地を平定する。
そういう作戦じゃ。

じゃが、それはあくまで名目で今回は一旦失敗させる。
本格的な平定は第三次からじゃ。
わざわざ一回失敗させるのはまず邪魔な奴らを消すため…。

その為にまずワシの率いる本隊に豪統、それからもう一人の憎き邪魔者、洋班を散々邪魔してくれたと聞いている凱雲を部隊両翼に従軍させる。
洋班と黄盛は本陣である陵陽関。
そして主戦場とは別の所にあるもう一つの拠点に豪統の餓鬼を一人で配した。

何故こうしたかと言うと、まず餓鬼のいる拠点は本来僻地であり、我が陵陽関にもそれ程遠くない場所に位置する。
つまりワシらにしてみれば本陣近くであり、敵からしたら相当敵勢力下に食い込んだ場所なのじゃ。
だから本来なら狙われない、または狙われてもこちらからすれば本陣近くで援軍を直ぐに寄越せて安全、敵からすれば撤退の効かない危険な地帯じゃ。
だが、だからこそ仮に、万が一にもここが敵に攻められ落ちるような事があればそれは主戦場へ向かう我が本軍が危険に晒されるばかりか、本陣にして辺境の最重要防衛拠点である陵陽関すら危険に晒され、それは同時に本土への危険にも繋がる。

つまりは最も安全であると同時に、最も責任のある拠点なのじゃ。
しかも今回は上手いこと餓鬼を唆す事ができたおかげでこの拠点の防衛役は餓鬼の志願という名目でやらせる事ができた。

当然、万が一の事態を切り抜けるだけの兵力などは主戦場の戦略価値を理由に餓鬼の拠点には渡してはいないし、餓鬼さえ失敗してくれれば後は本陣にいる洋班と黄盛にそれを十分に奪還しえる兵力を渡してある。
…といっても全体の兵力から本陣に必要以上に割いたのでは豪統共が騒ぐから、前もってワシが陵陽関に着く前に秘密裏に会都からの派兵軍を前軍、後軍に分けておいて、後軍には時間差で陵陽関に着くように命令してあったのじゃ。
だから今頃陵陽関には豪統共の知らぬ温存兵力があるのじゃ。

『くっくっく…』

まったく、ワシの知略とは恐ろしいものよ…。
仮に事が終わった後でこの事を咎められても、奴らは自分らの餓鬼の志願で重要拠点を紛失するんじゃ。
そればかりか先に述べた重責の責任もあるからいくら騒がれた所で餓鬼やその親、そしてその部下も纏めて合法的に消し去る事ができる。
そう思うと今から奴らの怒りと悔しさで顔を真っ赤にさせている姿が目に浮かんで笑えてくるわ…。

ん?
なに?
餓鬼の拠点に敵が来なければ意味が無いじゃと?

『はっはっはっはっはっ!』

なーに、安心せい。
ワシはそういう一か八かの賭けは嫌いなんじゃ。
いつだって地道に、そして堅実に生きてきたんじゃ。
抜かりは無いわ。

情報は既に売ってある。
それも飛び切りの上物をな。

『くっくっく…』

さぁ、戦はもう間近じゃ。
いや、戦ではない。
あくまで下ごしらえの時間じゃ。
あとは願わくば餓鬼がそのまま敵に殺されず、おめおめ逃げ帰って来て尚且つ豪統共が主戦場から離脱でもしてくれれば最高の形になる。

そうすれば一旦ワシらは 奴らの敵前逃亡 を理由に悠々と退却でき、尚且つ重要拠点を敵に手放しておめおめ逃げ帰ってきた情けない豪統の餓鬼の汚名と、それの尻拭いをし、拠点を取り返した我が息子の名声を同時に比べて世に知らしめる事ができる。
比べる相手がいればそれだけ先の失態の汚名も簡単に返上できようぞ。

『がっはっはっはっは…ん?』

おっと、考え事をしているうちにいつの間にか兵達との距離が開いていたようじゃ。
はたから見ればワシ一人が軍から突出しているように見える。

…しかし、そんなに早く馬を歩かせていたかの?
そもそも、仮にそうであっても将に行軍を合わせるのが兵というものじゃろうに。
まったく、戦前だというのに情けない。

『貴様ら!行軍が遅れておるぞ!何をしておるか!』
『は、はいぃ!』

まったく…。

ぞろぞろと兵士共が再びワシの真後ろに列を整える。
心なしか前列の兵士共は顔が引きつっているようにも見えるが、まぁ気のせいじゃろう。

『ん?』

そして丁度よく前方からは味方の斥候達の走ってくる姿が見えた。
その後ろを良く見れば敵陣の柵らしきものが見てとれる。
どうやらそろそろのようじゃ。

『ふむ…』

だが、本来ならここで軍の歩みを止め戦前の鼓舞の一つはする所なのじゃろうが本戦で無いと知っている分気が乗らない。
ようは面倒なのじゃ。
だから今回は無しとしよう。
そうしよう。
仮に今更不自然だと奴らに思われた所で何もできまい。

『…くくっ』

いかん。
またにやけてしまう。

ワシはこのにやけを誤魔化すように雲一つない空を見上げた。
空はそれはもう長閑に晴れ渡っていた。
やはり、天は今ワシの味方じゃ。

そうワシは確信し、再び前方から走ってくる斥候達とその後ろの敵陣を見据えた。 
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