剣の丘に花は咲く
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第三章 始祖の祈祷書
プロローグ 祖父
前書き
始祖の祈祷書編開始です。
日本に残る数少ない人の手が全く入っていない自然が広がるどこかの山奥。
満天の星空の下、不自然に広がる草原の中、一組の人影があった。
風の音と揺れる木々の音、微かに聞こえる虫の鳴き声のみが響く中、女性の声が聞こえる。
「―――このまま私とここで暮らしませんか……」
人口の灯りなど全く無く、ただ月と星のみの明かりだけにも関わらず人影の一人、女性のその白い肌は月と星の光を反射させ、淡くその体を輝かせる。
情事の後なのだろうか、汗が流れるその肌は、まるで桃のように淡く色づき、女の香気をむせかえるほどに漂っている。
女は傍らに寄り添う男にしなだれかかりながら囁く。
「ここで一緒に……」
無数の傷に覆われた褐色の肌を晒す男は、自分にしなだれ掛かる女の黒髪に手を置き優しく撫で始めた。
「すまない」
男の短い答えを聞いた女は、微かに俯くとその豊かな胸がつぶれるほどの強さで男の体を抱きしめる。
「……死んでしまいますよ」
「かも、しれないな……」
「……怖くは……ないんですか」
「怖いさ……」
「なら……なんで……」
「すまない……」
男を引き止めるため女は次々と言葉を紡ぐが、女の言葉は男の決意を揺るがすことは出来なかった。
女は星の明かりに照らされた男の体に浮かぶ無数の傷跡の内の一つ、左肩から右胸の下まで走る、巨大な獣の爪で引き裂かれたような傷跡を指でなぞり始める。
「もう……治っているんですね……」
「ああ」
「一週間で治るような傷ではなかったんですけど」
「……」
「……もう……行ってしまうんですね……」
「……ああ……」
「……初めてだったんですが……」
「……………………」
「ふふっ、まあいいです。最初から分かっていましたから」
「……」
褐色の肌に冷や汗を流す男を見た女は、微かに笑うと男から体を離し、男から三、四歩程歩いて離れると、くるりと体を反転させ、男と向き合った。
「―――大丈夫だとは思いますけど、ご飯は毎日食べること」
星空を背にした女は、月をスポットライトにして草原に立つ。
「寝るときはお腹を冷やさないこと」
月と星の明かりに照らされる女は、まるで太陽の光を反射させ輝いている月のように、月と星の光を受け輝いている。
「出来るだけお風呂に入ること」
肩にかかる長さで切り揃えられた黒髪が、風に揺らぎ、彼女の香りが届く。
「……時には休み、自分の体をいたわること」
夜空の下、草原の中に立つ彼女は……
「―――そして……」
壮絶に綺麗だった。
「ちゃんと……幸せになること……」
風の音と揺れる木々の音、微かに聞こえる虫の鳴き声が響く中、二人はただ互いの呼吸の音だけを聞いている。
そんな空間に、男の声が響く。
「分かった」
「……」
「約束する」
「……」
「だから……」
「ぅっ……」
「君も幸せになってくれ……」
「っ……っ……」
「俺のことを忘れて……」
「っ! つっ!!」
男の最後の言葉を聞いた女は、俯かせていた顔を勢い良く上げると、涙に潤むその黒色の瞳を男に向けた。
「忘れませんっ」
女は叫ぶ。
「忘れませんっ!」
まるで月に向かって吠える狼のように。
「忘れてなんかあげませんっ!!!」
敵に向かって宣戦布告するかのように。
山びことなって女の声が山々に響く中、女は男をしっかりと見つめる。
その目に、鉄よりも硬い意思が秘められていることを確認した男はため息をついた。
「はぁ……なんでさ……なんで俺の周りにいる女性はこうも強いんだ……」
苦笑いしながらも嬉しげに呟いた男は、こちらをまるで親の仇を睨みつけるかのように見つめてくる女に笑いかけると頷いた。
「そうか、君がそう望むのならそうしたらいい。元から俺にどうこう言う資格なんて無いからな」
男は自分の頭の上に手をやると、軽く頭を掻きながら女に話しかけた。
「しかし、さっきの君はいつもとまるで別人だったな」
「っ! すみません……つい興奮してしまって……」
女は興奮で赤く染まっていた顔を、羞恥でさらに赤く染める。
顔を真っ赤に染めた女は、話題を変えようと必死になった。
「そう言えばっ、おばあちゃんが生きていた頃は、おじいちゃんによく似ているって言われてました……」
「おじいちゃんに?」
「ええ……戦争で亡くなったそうですが、海軍の少尉だったそうですよ」
「少尉か、それはすごいな」
「しかもゼロ戦のパイロットだったそうです」
「ゼロ戦……」
「ええ、凄腕だったって、おばあちゃんが言ってました」
上手く話題が逸れたことにホッとした女は、嬉々として祖父の話を続ける。
静かな夜の中二人の話し声が響く、女が祖母から聞いた祖父の話しを。
話しが終わった時が、男が去る時だと予感しているから……しかし、次第に話題がなくなっていき、そしてついに女の祖父が死んだと思われる時の話しまで進んでしまった。
「……そうしておじいちゃんに助けられた部下の人が後ろを振り返ったら、後ろにいたはずのおじいちゃんが乗っていた飛行機がいなくなっていたんだそうです……」
「そうか……そう言えばおじいさんの名前は何て言うんだ?」
男に尋ねられた女は、満天の星空を仰ぎ見ると、昔を思い出すかのように目を瞑り、男に囁くように答えた。
「日本帝国海軍少尉佐々木武雄」
女の言葉は、男の耳に入るとすぐに夜の草原に広がる前に消えていった。
「それが私のおじいちゃんです……」
まるで女の祖父と同じように……
後書き
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