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ワンナイト=ジゴロ

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第二章


第二章

「少なくとも財布は豊かになるぜ」
「お財布だけ豊かになっても仕方ないのよ」
「またつれない御言葉」
「一人だと。色々と寂しいのよ」
「嘘だね」
 だが俺はその言葉を否定してみせた。
「一人ってのは」
「づしてそう言えるのかしら」
「俺だって世の中を知らないわけじゃないさ」
 そう言って彼女の左手を手に取った。
「この指輪がね」
「指輪がどうしたのかしら」
 それでも女はしらばっくれていた。そういうふうに見えた。
「あんた結婚してるんだろ」
 俺は言ってやった。
「この薬指の指輪が何よりの証拠さ」
「あら、面白いことを言うわね」
 それでも女はしれっとしていた。
「どうやら世の中のことを知らないのは貴方みたいね」
「そりゃどういうことだい?」
「指輪なんてね。永遠の誓いじゃないのよ」
「浮気を認めるのかい?」
「浮気をした相手がまだいればね」
 女の顔が寂しくなった。
「?」
 俺はそれを聞いて何が何かわからなくなった。
「何なんだ、一体」
「わからないかしら。浮気されたって認める相手がもういないのよ」
「それってまさか」
 俺にも大体事情がわかってきた。複雑な事情ってやつだ。
「主人は。もういないわ」
 やはりそうだった。旦那さんに先立たれちまったのだ。
「歳は離れていたけれど。いい人だったわ」
「それはまた」
 まずいことを聞いちまった。そう思ったが顔には出せなかった。
「一年前に。交通事故で」
「それで一人になっちまったんだな」
「ええ」
 女はこくりと頷いた。
「それから。広い家に一人で」
 語るその顔がさらに寂しげなものになった。
「それで。時間がただ過ぎていくだけで」
「俺と寝たわけか」
「そうよ。それに貴方が似ていたから」
「死んだ旦那さんに?」
「歳は離れていたけれど。後ろ姿や横顔が」
「また奇遇なことだね」
「お酒も。あの人が好きだったのを」
「つまりあれか」
 俺は言った。
「俺はその死んだ旦那さんのかわりだったわけか」
「否定はしないわ」
 やっぱり返事はこれだった。
「どうしても。忘れられなかったから」
「一夜だけてわけか」
「ええ」
 彼女は頷いた。
「だから。また」
 そして俺に身体を寄せてきた。またムスクの香りが俺を包む。
「思い出させて」
「わかったよ」
 どうやら俺は雇われらしい。一夜限りの恋人だ。
 だがそれでいいとこの時は思った。普段の俺ならお断りといったところだがこの時は別だった。ウォッカの酔いとムスクの香りが俺をそうした気分にさせた。その香に乗って俺も彼女を抱いた。
「じゃあ思い出させてやるさ」
 シーツの中で覆い被さった。
「昼は淑女でも夜は娼婦」
 ふとこの言葉が頭に浮かんだ。
「女ってのはわからないものだね」
 その夜女は俺の腕の中で乱れた。そして二人で一夜を過ごした。それがこの夜での出来事だった。俺はその死んだ旦那さんのかわりになってやった。女の方もそれで納得したようだった。
 朝になった。目が覚めるともう隣には誰もいなかった。
「行っちまったのか」
 俺は空になったベッドの隣を見て呟いた。
「自分勝手なことだな」
 苦笑したが悪い気はしなかった。俺も久し振りに満足していたからだ。
 見れば枕元に書置きがあった。綺麗な女の字だった。彼女のものであるのは言うまでもなかった。
『有り難う』
 まずは御礼が書いてあった。
『昨夜は。一夜だけだったけれど』
「元々それが望みだったんだろ」
 俺は手紙を読みながらそう呟いた。
『さようなら。身体も心も熱いうちに』
 どうやらあちらも満足してくれたらしい。
『探さないから』
 それで終わりだった。本当に一夜限りの恋人だった。
「たまにはこんなのもいいか」
 俺は手紙を読み終えてこう呟きながらベッドを出た。そしてシャワーを浴びて服を着た。
「朝帰りとか言われるかな」
 服が同じなので会社での声が少し気になったがそれでも満足はしていた。ホテルの金も払ってくれていた。俺は気持ちよくホテルを後にした。けれどこの時思った。
「またこんなことになればいいな」
 夢だ。本当に夢の話だ。けれどこんな甘い世界に入られるのならもう一度は入りたいものだと思った。そしてそれは現実のものになっちまった。
 それから一週間後のことだ。仕事帰りにまたあの店に行こうと思った。酒を飲む為だったが同時にまたあの女に会えればいいと思ったからだ。
「いるかな」
 俺はそう思っていた。
「いればいいな」
 まあそうそういるものでもないと思っていた。上手い話は簡単に転がっているものじゃない。それに向こうもいつもそこにいるわけじゃない。俺だって他の店に行く。一夜限りだからいいって話もある。俺もそれは頭でわかっていた。だが心と身体はそうじゃなかった。また甘い世界に入りたいと思っていた。
 夜のアスファルトを歩いていた。すると後ろからクラクションが鳴った。
「おいおい、歩道はちゃんと歩いてるぜ」
 俺は振り返ってこう言った。振り返った先には白いスポーツカーがあった。ランボルギーニだった。
「またこれは」
 しかもディアブロだった。こんな夜道で見られる車じゃない。思わず口笛を吹いた。
「やっぱり貴方ね」
 その中から聞いたことのある声が聞こえてきた。窓が開くとそこからあの女が出て来た。そして俺の隣までやって来た。
「あんただったのか」
「また夜の街に行こうと思って」
「車で?」
 俺は意地悪く笑ってこう尋ねた。
「今日は踊るつもりだったのよ」
「本当かね」
「そうよ。けれど気分が変わったわ」
 女も笑った。媚びる様な、そして誘う様な笑みだった。最初に会った時と同じ笑みだった。
「今日も。貴方と一緒にいようかしら」
「あの夜だけじゃなかったのかい?」
「気が変わったのよ」
 何とも気紛れなことだ。
「今日も。いいかしら」
「お望みとあればね」
 けれど悪い気はしない。俺もそれでよかった。 
 こっちでも会いたいと思っていたところだ。丁度いいと言えば丁度いい。俺は顔を近付けて尋ねた。
「そして奥様」
「はい」
 またムスクの香りが漂ってきた。本当にこの香りが好きらしい。俺も好きになってきた。
「今夜は何をして遊ばれますか?」
「そうね」
 彼女は妖艶な笑みになってから俺に言葉を返してきた。
「まずは乾杯といきたいわね」
 そしてボトルを一本差し出してきた。
「どうかしら」
「お望みとあらば」
 俺はそれを受け取った。見ればコルクじゃない。ストレートのウォッカだった。
「ダンスでも何でも」
「今夜も離さないから」
「旦那さんのかわりに?」
「最初はそうだったけれど」
 俺はウォッカを口に入れた。そしてそれをそのまま飲む。酒の強いのには自信がある。あっという間に半分あけてしまった。
 だが結構きた。やはりウォッカはきく。ウォッカにしてはそんなに強いやつじゃなかったがウォッカはウォッカだった。思えば無茶をやっちまった。
「今は違うわ」
「じゃあ恋人?」
「ジゴロね」
 その半分なくなったボトルを見ながら言う。ボトルのガラスが夜の街の光を照らしていた。そして様々な色で輝いていた。
「ジゴロ?」
 俺はシニカルに笑いながらそれに返した。
「またそれは手厳しい」
「嫌かしら。だったら言い方を変えるけれど」
「まあいいさ」
 けれどそれでいいって言った。どっちにしろ歳も金もそっちの方が上だ。だったらそれに徹するのもまた一興だ。
「それでね」
「じゃあ付き合って」
「かしこまりました、奥様」
 そう言って右側の座席に向かった。そしてそこに入った。
「おおせのままに」
「それじゃあ行くわよ。ところでウォッカだけれど」
「それが何か?」
「その半分は勿論私のよね」
「そうだけれど?」
 俺は答えた。
「そう。だったらいいわ」
 彼女はそれを聞いて満足そうに頷いた。
「半分は私のもの。貴方もね」
 また妖しく笑うと足に力を入れた。スリットが深く入ったドレスから綺麗な白い脚が見える。実に艶かしかった。大人の女の脚だった。
 その艶かしい大人の脚でランボルギーニのエンジンにアクセルが加えられた。そして走りはじめた。
 こうして俺達はまた夜の街に入った。また一夜だけの恋人になる。都会の洒落た恋。だがそれは行き摺りの束の間の恋だ。けれどだからこそ楽しい。頽廃に溺れてみるのもいいものだ。


ワンナイト=ジゴロ   完

 
                  2006・2・18

 
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