誰が為に球は飛ぶ
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焦がれる夏
弐拾 心は硝子か濁流か
第二十話
いやいや、確かに打倒・ヤシイチにあいつらは本気になっちゃいたんだが、まさか、まさかここまでやるとは思っちゃいなかったよ。
失うものは何もない開き直り、って奴かな。
ずっと練習を見てきたが、本当に子どもらがたくましく見えるんだ。もう、既に顧問の俺の手から離れていっちまってる。試合中、何も言うことなんて無くて所在無くって困っちゃうよ(笑)
あと少し、後は全力で祈ろう。
俺はネルフ学園野球部の、1番のファンだからな。
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鈍い打球音が響く。
またもや打ち損ねた辻先がバットを叩きつけて悔しがる。
セカンドの健介が二塁ベース寄りの打球にしっかり回り込み、スナップスローを軽快に決める。
ファースト多摩のミットにしっかり送球が決まり、ネルフ学園がこの試合27個目のアウトを奪った。
結局二本のホームランを浴びた七回以外の回は一人のランナーも許さなかった。
打たれたヒットは三本、内野ゴロは10、三振も10、外野フライは4本、内野フライは3本。
選抜ベスト4相手に、堂々たる投球を披露したのは、ネルフ学園のエース・碇真司。
「……チェッ、結局ホームラン一発だけかよぉ」
吾妻がつまらなさそうに口を尖らせて一塁の守備に向かう。ホームランは打ったが、吾妻は全打席ボール球を打たされていた。何でも手を出す性質を利用されていた。ボール球を打っていれば、いくら天才と言えど率はそう上がらない。ネルフバッテリーは十分、吾妻を手玉にとったと言えよう。
「……一点か」
最終回のマウンドに、御園が向かう。その濃い顔には、汗が沢山浮かんでいた。
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「サァ、最終回だよォ!今日1番の声援、どうぞよろしくゥ!!」
ネルフ学園の応援席では、真理が大きな声を張り上げていた。スコアラーを光に譲った真理は応援席でエンジ色の揃いのシャツに身を包み、応援をリードしてきた。絆創膏だらけの両手でメガホンを持ち、力一杯叫ぶ。
「この回最初からチャンスマーチ行くよォ!一気に逆転までいっちゃうよーー!!」
掲げられた「5,6,7,8」のボード。それを見て玲は手元の楽譜をめくる。トランペットは日光に熱され、火傷しそうに熱い。薄い唇は、ビリビリと痺れていた。それでも構わない。玲は、自分にできる事を精一杯したかった。
初回以来の軽快な曲が、再び球場に響き渡った。
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「最終回だ。繋いで繋いで、食らいつくぞ。」
ネルフ学園ベンチの前の円陣で、この回の先頭にも関わらず日向が訓示を与える。
「大丈夫、御園も投球もストライク、ボールがハッキリしてきてる。7回からスリーボールが多いだろ?大丈夫、隙はある。つけこむぞ!」
日向の言葉に全員が大きな声で頷いた。
そして円陣に背を向け打席に向かう日向に、声援を送る。
「日向ァ!絶対出ろよォ!」
「日向さんいったって下さいよォ!」
「キャプテン意地見せろ!」
「日向ァ!自分のスイングだぞ!自信持ってやれ!」
それまで隅に座っていた加持が、最前列に身を乗り出して大声を出す。日向はその声に振り返り、大きく頷いた。
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(……暑い。何でだ?)
マウンドに上がった御園は、しきりに汗を拭い、首を傾げる。終盤にきて、制球も乱れてきた。四球は八回に一つ出しただけだが、自分自身がその乱れに1番よく気づく。
初回からスクランブル登板し、奮わない打線を鼓舞するかのように全力投球を続けてきた。ビハインドの場面で力を抜いて投げる余裕も無かった。
加えて、前日まで追い込み練習で疲弊した体。
多少球の質が落ちようが、ネルフ学園打線から三つアウトをとるくらいは簡単だ。しかし何よりの問題は、球の質の落ちそのものではなく、御園本人が自分の球に疑いを持ってしまう事だった。
その疑いは、傷口をどんどん広げてしまう。
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日向はカーブを二球見送り、そのカーブが二球とも外れてカウントは2-0となる。
(やはり、御園の制球はおかしいぞ?)
日向は確信を持った。そして、迷いが生じる。
四球狙いで、球を見ていくか?
それとも、次のカウントをとる球を狙うか?
日向は、自分の握るバットを、ジッと見た。
(……見ていって、それで一体どうすんだよ……)
日向は腹を括ってバットを構える。
御園の投げる球は、ストライクゾーンに飛び込んでくる真っ直ぐ。
もう140キロ半ばの球速は無い。
速いが、見えない程ではない。
踏み込んで、球に負けずにフルスイング。
打球は確かな手応えと快音を残して、右中間に飛んでいった。
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センターの奥山は久々に飛んできた鋭いライナーに、虚を突かれる。右中間に向かって打球を追う。右打者の打球は、ライトの方向へとスライスしていく。走っても走っても打球が逃げていく。
そして足が動かない。
(くそっ)
奥山は横っ飛びし、身を投げ出してグラブを伸ばす。そのグラブの先を白球はすり抜けていった。
球場に、大歓声が満ちた。
ーーーーーーーーーーー
無我夢中で日向は走る。
一塁蹴って、二塁も蹴る。
何も聞こえなかった。
体が軽い。風になったみたいだった。
ボールは返ってこない。
三塁ベースに滑り込み、右手を振り上げて、獣のように、腹の底から吠えた。
ーーーーーーーーーーー
ネルフの応援席だけではない、球場が蜂の巣を突ついたような大騒ぎとなる。無死三塁。無名の国立高校が、横綱相手にまだ粘る。同点のランナーが三塁。
「キャプテンーーー!!」
「やっぱあんた最高だァーー!」
ネルフ学園ベンチの選手は、皆自分が打ったかのように喜ぶ。拳を振り上げる。
<四番センター剣崎君>
そしてこのチャンスで、1番のスラッガーを打席に迎える。四番の剣崎。180cm越えの身長、筋骨隆々の肉体、今日も二安打を放っている。
八潮第一サイドも、「こいつだけは要注意」そう思ってるバッターに絶好のチャンスが回ってきた。
「「「キョウヤ!キョウヤ!
ホームラン!ホームラン!
かっとばせーーキョウヤ!!」」」
応援席からの「5,6,7,8」が更にその勢いを増す。
それだけではない。内野席の一般観客もそれに合わせて手拍子を始める。応援に合わせて声を上げ始める。球場全体が、一斉に揺れ始めた。
物凄い、祈りと期待の渦。それがグランドを飲み込み始める。
「ボールフォア!」
そして、その期待の剣崎を御園は歩かせた。
思惑通りの同点打とはいかなかったが、しかし剣崎はこの四球に手応えを感じた。
(点を失っても同点だ。延長になれば層の厚い八潮第一有利のはず。それにも関わらず俺を歩かせて逆転サヨナラのランナーを出すんだ。相当浮足立っている。)
次の打者の藤次に剣崎は視線を送る。
(打てるぞ、鈴原!)
藤次は今日、全く当たっていない。御園の前にきりきり舞いだ。しかしその目の中の闘志は衰えない。打ち気満々。いや、打てる気満々である。
「おらぁー!ワイが同点にしちゃるわー!」
打席に入って、マウンドの御園に向かって吠える。御園はその態度に相当ムカッときた。
(……何勝ったような気になってんだお前ら……)
セットポジションに入り、御園は歯噛みする。
この球場に渦巻く、ネルフ学園に傾く流れが気に入らない。スクイズは一切警戒せず、打席の藤次だけを見て、渾身の真っ直ぐを投げ込む。
「ズバァーン!」
唸りを上げる剛球が捕手のミットに吸い込まれる。ここに来て息を吹き返したかのように、球速は146キロを記録した。
ひたすらにネルフ学園を応援していた内野の一般観客から、どよめきが起こる。
「おらぁー!」
しかし、藤次の様子は初回とは違う。
今度は146キロを見せられても、驚きもせず、怯みもしない。まだ打ち気満々に吠えている。
(黙らせてやるよ!!)
もう一球、御園は真っ直ぐを投げ込む。
藤次は、今度はフルスイングで迎え撃つ。
キン!と高い音が響き、ファウルチップが真後ろに飛んだ。
(なっ……)
御園はそのファウルに、目を大きく見開いた。
そのスイングは、タイミングが合っていた。
僅かにボールの下を叩いただけ。
御園の全力の真っ直ぐに対応したのは、これが初めて。
(待てよ……全力投球でも当てられるくらい、俺の球走らなくなってんのか……)
また、自分の球への疑いが御園の中に首をもたげる。藤次は三度、気迫満々に吠えている。心臓の鼓動がいやによく聞こえた。予感がする。このままでは、打たれる。
(待て……落ち着け。ここで真っ直ぐを投げなくちゃいけねぇルールはねぇ)
セットポジションに入り、御園は大きく深呼吸した。捕手のサインに首を振り、選んだ球種は縣河のカーブ。
(真っ直ぐに合ってきたとしても……こいつはどうだ!)
腕を振って投げ込まれる御園のカーブは、投げた瞬間フッと上に浮き、そこからストンと落下する。やみくもにバットを振る藤次。その軌道は、カーブの放物線を捉えはしなかった。
「よっしゃァー!!」
その瞬間、御園は雄叫びを上げた。
しかし、信じられない事が起こった。
球場を大歓声が満たした。
ボールはバックネットに達していた。
捕手の馬場が拾いに行くが、三塁ランナーの日向は悠々ホームインし、次打者の薫と強く抱き合う。
三振は三振。
だが、捕手が大きく曲がってバウンドした御園のカーブを捕球できなかった。
ワイルドピッチ。
ここに来て出たミスで、試合は振り出しに戻った。
「「「抱き締めた命の形
その夢に目覚めた時
誰よりも光を放つ
少年よ神話になれ!!」」」
エンジ色に染まったネルフ学園応援席が学園歌に揺れる。ベンチでは、光がスコアもつけられないくらいに号泣している。加持の目も真っ赤だ。多摩と日向が三年生同士ガッチリと抱き合い、下級生が日向に群がってハイタッチを求める。
「すまん御園……」
「い、いや……俺も悪い」
マウンド上に八潮第一の内野陣が集まる。捕手の馬場の顔は真っ青。御園が馬場に見せる笑顔も引きつり、声も乾いていた。吾妻は言葉も出ない。
グランド上の全員が、球場の雰囲気に当てられていた。タイムを取っている間も、球場は揺れ続ける。
(あのファウルは、まぐれだよ。たまたまさ。もう一球真っ直ぐだったら、文句なしに三振だろうに。)
打席に入る6番打者の薫は、日焼けを知らない真っ白な顔にニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
(結局、自分を信じられないからこんな結果になったのさ。御園の球種は真っ直ぐ、スライダー、カーブの三つだけ。それだけでここまでの野球人生やってきたという事は、特に真っ直ぐとカーブに自信があったからだろう。それだけ自信がある球への信頼も揺らいでしまうんだ……)
薫はフッ、と息をついた。
(夏は怖いなぁ。いや、怖いのは……)
打席から薫は、自軍スタンドを見上げる。
エンジのメガホンが、人が揺れる。
人の思いの渦。それが具体的な形を伴って現れたように見える。
(人間の心の力と、その脆さかな。)
八潮第一のマウンド上の円陣が解ける。
一息ついてから、御園が投げ込んだ初球を、薫は華麗に流し打った。
左中間へとライナーが飛ぶ。
センターの奥山が再び横っ飛びするが、そのグラブは白球に全く届かず、ボールは青い芝生を転々と転がっていった。
後書き
高校野球は本当にメンタルのブレがプレーにそのまま表現される事が多いように思ってます。
ジャイアントキリングは、球場全体が筋書きを作って、負ける方も勝つ方もその筋書きに
魅入られてしまう、というパターンが多いようにも思ってます。
開星の野々村元監督はメンタルを鍛える事以外しなかったようですが、
ある程度力がつけば、それこそが最も大事かもしれませんね。
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