| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

真・恋姫†無双~現代若人の歩み、佇み~

作者:Duegion
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

幕間:仁ノ助、酒乱と太刀を交える事


 西華にて朱儁と別れた皇甫嵩以下、道中近隣の村や町から寡兵を募って少なからぬ兵を獲得する事ができた官軍は、およそ二万数千もの規模にまで膨れ、一路北東へと進軍していた。エン州は陳留を通過しながら、東郡東阿県へと向かっていったのだ。ここにも黄巾党の一軍がおり、村々を略奪して回っているとの報告があったからだ。
 だが皇甫嵩は思わぬ展開に面喰って、足を止めざる状況に陥っていた。確かに黄巾党の一軍自体は存在しており、遭遇戦ような形で撃破、指揮官を斬首してその麾下(きか)にある賊兵数千を同じ道へと追い立てた。おかしな事はその後で、県を治める県丞の下へ訪ねていったら、別の人物が県丞となっていたのだ。曰く、前の県丞は街を略奪したため、やむを得ず放逐した。さらに曰く、兵が少なく治安維持が困難なため手を貸してほしい。こんな理由により官軍は東阿県にて足を止めていたのである。
 これにはさすがに曹操も立腹していたが、皇甫嵩が『二日で済ます』といったため不満を呑み込んで、軍に一時の休憩を取らせるよう伝達した。かくして仁ノ助も身体を休めんとしたのだが、曹洪からのひょんな報せによりむくりと身体を起こしていた。

「はぁ?面接希望?」
「ええ。がたいの良い荒くれ者が一人。なぜか皇甫嵩殿ではなく、我々の軍に押しかけてきたんです。曹操殿に合わせてくれとかなんとかで喚いているそうで・・・それに匂いが凄いらしいです」
「匂いって?」「かなり酒を飲んだ状態で現れたそうなので。見張りの兵がその男を取り押さえて、今は離れた所にいるのですが、『曹操殿に会わせろ』との一点張りで」

 そういう彼の顔はいつもよりも疲れたように見えた。散々男の相手をした後のようであった。
 仁ノ助は唸りながら寝台に倒れこみ、考えを巡らせるふりをする。その答えは割と早くに出たようで、彼はぱっと寝台から起き上がって武具一式を装備し始めた。

「会ってみよう。仮にも官軍を前にして、酔っ払いながら門戸を叩いてくるやつだ。かなり根性が座っているのは確かだろう」
「ですが危険ですよ?抑えられる際に暴れて、地面を二寸ほど蹴り穿ったのを見ました。かなりの力の持ち主です。何かしでかしたらあなたの身に危険が・・・」
「俺の嫁かよ、曹洪?そいつと試しに会ってみるだけで、大した器じゃ無かったらここからすぐに追い返すって。それか剣の錆にする。それにな、酒飲みの荒くれ者相手なんて曹操様に仕える前に沢山相手にしてきた。余裕過ぎて欠伸が出るね」
「油断したら死にそうな顔をしているのに?」
「お前、次馬鹿な事を言ったら、夜な夜な死にたくなるような恥ずかしい詩を書いているのをバラすからな。お前がご執心の輜重部隊のあの子に」
 
 目を割らんばかりに開いた曹洪の必死の抵抗を振り切って、仁ノ助はそそくさと男が待たされているという陣営の外へと向かう。話に精密さを求めるとすれば、男は待たされるというよりも乱暴すぎて門前払いを食らったというのが正しいだろう。念の為愛剣を持って来たが、事によると言葉通りの世話になるかもしれない。
 その男は陣営から五町(約545メートル)ほど離れた、晴れ渡る空の下の涼しげな空気が漂っている、柳の木の陰に座り込んでいた。報告通り、荒くれ者と称するに相応しいほどの外見だ。ちょびっと生やされた顎髭に伸び放題の頭髪。汚れがべっとりとついたままの衣服に、鬱陶しいまでの酒の臭い。極めつけは地面に置かれた鍔の部分に赤染の手拭が撒き付けられた十文字槍であり、これだけは大切にされているのだろう、刃は確りと鞘に収まっていた。
 男は近付いてくる人物を見ると、不満そうに喉をひっくと鳴らした。男から十間(約18メートル)ほどの場所で足を止め、仁ノ助は話しかける。

「あんたが件の酒飲みか。本当に凄い匂いだな。天下広しといえどもここまで酒臭いやつはいないぞ」
「・・・曹操殿は女だって噂だぜ。お前さん、一体どこのどちら様だ?」
「漢王朝に奉仕する辰野仁ノ助という者だ。曹操殿に代わってどんな奴が来たのか調べに来た。これでも騎兵二百を従える立派な将軍様だぞ?お前の言葉には、どうにも上の人間に対する敬意が感じられんな」
「はっ!この前会った奴がそうだっただけにな、疑り深くなっているのさ。最終的には俺が討ち果たしたんだが、従える兵数は結構なもんだってのに、中身は小童もいいところだった。民を守る立場だというのに、賊と一緒に街を略奪したんだからな」
「・・・討たれて然るべき男のようだ。その悪逆者の名前は、もしかしたら王度とかいうか?」

 瓢箪をぐいっとやろうとした手を止めて、男はぴくりと眉を動かす。彼がまたおもむろに酒を煽り始めるのを見ながら、仁ノ助はにたりとした笑みを浮かべて続けた。

「漢室の草の網を油断して見ていたか?近隣の街で何が起こったのかなど、手に取るように分かるぞ。もちろん、その戦の中で活躍した選りすぐりの勇士の事もな」
「・・・そいつの名前は知っているかい?」
「いんや、残念ながら。俺達が知っているのは、そいつが扱う十文字槍は、反逆者の身体を切り刻み、天高くに首を飛ばしたという事くらいだ。だから見間違える事がないんだよ、その十文字槍を担いでやってきたお前の事はな」

 男はふんと鼻を鳴らしながら、不敵な笑みを漏らした。
 仁ノ助は一つの確信じみた推測を抱く。自分が相手にしている手合というのはどうも話し合いよりも戦いを望んでいるように感じる。そうやって己の実力を示したいという根っからの武の心を持っているのではなかろうか。もしそうだとしたら、仁ノ助にとっては願ったり叶ったりの状況である。最近の鍛錬では段々と仲間の癖や感覚というのが分かってきて、試合が引き分けに終わる事が多くなり物足りなさを感じていた所なのだ。男には悪いが、実力を調べるという意図も兼ねて、敢て己の我儘に突き合ってもらうとしよう。
 仁ノ助は邪な問いを突き付けた。

「どうだ。曹操なんかに従わずに、俺に仕えてみないか?俺はあの小娘のように、皇甫嵩ごときにいいようにされるだけの小童で終わらぬ。ゆくゆくは天下を見据え、己の軍を興し、漢室の再興を図りたいと考えている。お前のような猛者が加われば千人力だ。どうだ、この辰野仁ノ助に・・・」

 それを耳に入れた途端、男は額に青筋を立てて瓢箪を投げ捨てる。かららと地面を転がる瓢箪から僅かばかりの酒気が溢れた。

「調子に乗るなよ、餓鬼がっ!てめぇみてぇな先行きの短い王朝に犬みたいに尻尾振る餓鬼に従うほど、俺は愚かでも軟弱者でもない!!」

 そういうと酔っているとは思えぬほど機敏で隙の無い動作で立ち上がり、槍を蹴りあげて掴むと前に数歩進みながら、胸の前でぶんぶんと振り回し、刃が足元へ向かった時に見せびらかすように鞘を蹴りつけて刃を露わにし、槍を後ろ手に構えた。幾多の命を散らしたであろう刃を閃かすそれは、荒ぶる乱世の波を悠然と待ち構えるような益荒男の構えであった。

「気が変わった!こいつを使おうとは考えていなかったが、その不快な優顔を潰せるくらいなら喜んで振るってやろう!括目して見よ、 徐州彭城郡の生まれ、蒋子通の天下繚乱の武技を!!」
(・・・嗚呼、こいつって、蒋済か。大酒飲みで誰彼相手にしても物怖じしない堂々とした態度。文官だと思っていたんだけど、そうとはいかんのね)
 
 どうやら目前に立っているのは史実では蒋済といい、合肥の戦いから曹丕の時代まで魏に忠心を尽くした将であるらしい。史実では知謀に長ける将であったが、この世界ではまったく正反対の特徴を備えているといえよう。
 などと感慨に耽るのはよくない。相手にする以上、覚悟を決めていた筈だと仁ノ助は背中に背負っていた愛剣、両刃の長剣の柄へと手をやる。しかし蒋済はそれが抜かれるのを待たず、狼のように槍をまっすぐに構えて疾駆した。数間の距離などあっという間に縮まった。

「せいやっ!」

 鋭い直突きを防ぐには抜刀が遅すぎる。仁ノ助は背を晒して、抜かれつつあった大剣の刃の面で突きを受け止めると、二度目の突きよりも身体を沈めながら鞘を逆手に持ち、お返しとばかりにそれを相手に投げ飛ばす。鞘は鳩尾に当たって蒋済はたまらず一瞬息を詰まらせた。その隙に仁ノ助は距離を取り、改めて剣を構えた。将であるに相応しき堂に入った態度であった。
 蒋済はふぅと息を整えると、赤ら顔で凄んで見せた。

「剣で槍に立ち向かうなんて・・・餓鬼、お前けっこう馬鹿だろ!?」
「これが俺のやり方だ。さぁ、天下繚乱なんて大層な言葉を使っているんだ。せいぜいそれに似合うくらい、華やかな演武をして見せろよ。大酒飲みの無頼漢め!」
「ほざけっ!」

 二人は同時に駆け出して、同時に得物を振るう。鋭い槍の一撃を豪快な剣の一振りが払いのける。巧みに懐へ飛び込んで斬らんとした仁ノ助であったが、横合いから襲いかかる十文字槍の()の部分に、前進を躊躇わざるを得なくなる。得物のリーチの長さは如何ともしがたいもので、蒋済はそれを十二分に生かせる男であった。
 腰を支点とした振り回しを牽制として、柄を短く持って迫っていく。初動が読みづらいフェイントを交えた突きでもって軽率な行動ができぬよう抑え付ける。叢から飛び出す蛇のような油断ならぬそれは熱い火花を散らすだけであるが、仁ノ助の警戒心をぐぐっと募らせる効果があった。充分に相手の意識がフェイントに集中したのを見計らって、蒋済は再び牽制の突きを見舞うと、今度はそれに続けて箒を払うように石突で殴りつける。間一髪、仁ノ助はそれを避けたが蒋済の勢いは止まらない。得意とする連続突きからの足払いを見舞い、それが全て防がれたと知ると身体を軸とした上からの回転切りを馳走する。仁ノ助を半身で何とかこれを避けて、天を裂くような斬り上げで蒋済を威圧するように遠ざけた。
 仁ノ助の攻撃が猛威を振るっていった。剣道三倍段などという理屈を無視するかのようだ。彼には無く自分にはある鎧を利用し、一方で槍のリーチを生かされたら負けると理解しているのだろう、至近距離での戦いを挑んでいく。

「おおっ!」

 槍には無い刃全体を使った重々しい上段斬りから、嫌がらせ程度の足蹴などを交えて肉体的に相手を追い込んでいく。仁ノ助の得意とする所は肉弾戦であり、それも小細工を弄しない筋肉馬鹿のような一辺倒の猛撃であった。力だけではどうにもならぬ強者達には及ばぬが、自らと拮抗するほどの相手であれば、力押しこそが最良の手法であると彼は理解して、それを行動に起こしていた。
 突風のような鉄の唸りが二人の鼓膜を震わせた。大剣を扱っているとは思えぬ程、俊敏で、それでいて力負けしない斬撃が放たれていく。狙われる部位のほとんどは相手の腹部と脚部であった。蒋済は柄の真ん中をもって双手剣のように槍を扱い、これを防いでいたが腕を伝う衝撃に顔を歪ませている。返す刃で反撃を狙わんとしたい所であったが、それに呼応するかの如く仁ノ助は縦からの鋭い一振りで躰を両断せんと試みるので、蒋済は相手に隙が出来るまで防御に徹するほか無かった。
 きんきんと、鉄が交わる響きが青空に木霊する。互いに得手とする攻め手を生かさんとすべく、戦いの有利を奪取せんと攻防は展開される。一対一の戦いがどうであるかを知っている者同士の戦いは、拭い難き隙を見せる度に主導権が移り変わり、而して一向に決定打が打てぬままであった。一歩深く切り込まねば打ち勝てぬのは分かっているが、そうなれば相打ち覚悟の一撃をもらう惧れがある。数度目の主導権を握った際、仁ノ助は我慢ならぬといった具合に猛烈に攻め立てていた。

「いい加減に、しろっ!!」

 腹立ちまぎれの仁ノ助の一振りが槍の穂先に当たり、次の一振りが振るわれんとしたが連撃による疲労のためか俄かに遅さが目立つ。蒋済は目を光らせてそれに槍の穂先を絡めると、横へ振り回すように地面へと持っていき、仁ノ助に思い切り肩をぶつけて押し返す。彼がたたらを踏んで後退するその瞬間、蒋済はこれまでのお返しとばかりに下段から全力で槍を振り上げた。地面を抉るような鋭いもので、実際にそうだったのだろう、砂に混じって数センチ分の土塊が吹き飛んでいた。だがそれは紙一重でかわされ、追撃の直突きも小手によって防がれた。
 数間ほど離れたところで、両者は足を止めて睨み合う。ばくばくと心臓は興奮を伝えてくる。仁ノ助が痛そうに手を振るのを見ながら、蒋済は完全に酔いを醒まし、餓鬼と罵った相手の実力に驚いていた。

(こいつ、なかなかどうして俺と競り合う・・・!)

 地面をじりっと踏み均し、蒋済は呼吸を悟られぬようにしながら息を漏らすと、勢いよく砂を蹴り付けて駆け出した。その勢いで踏み付けていた地面が槌で叩いたかのように抉れた。肉薄する直前、蒋済は相手に向かって砂を蹴り付けて、下から掬い上げるように槍を突き上げた。敵からすれば視界を潰されて且つ一瞬刃が消えて砂煙の中から襲ってくるという動作となっており、余程修羅場を潜っていなければ回避する事はまず不可能の一撃である。
 仁ノ助はその目論見の網に掛かり、砂を浴びて目をやられてしまうが、無意識の危機感によるものであろう身体を槍よりも深く沈ませて一撃を避ける。そして彼は目を閉じたまま、相手の気配を手繰り寄せるように剣を横振りに払い、それは一撃に神経を込めた蒋済の隙を見事に捉え、彼の槍を柄半ばから斜めに切断した。

「ああっ、俺の槍が!」

 たじろいだ彼の声を頼りに仁ノ助は型通りの丁寧で、素早い連撃を振るった。上段斬りを左右から三度、そして身体を軸として横に回転しながら勢いに乗せて一撃。二度と空を切ってしまうが連撃の最後の二発は当たったようで、鉄ががきぃんと高調子を慣らし、蒋済が後ずさりするのが聞こえる。
 仁ノ助が素早く目に指をやって視界を取り戻す。十間ほど離れた場所に蒋済は立ち、柄の真ん中から両断された槍を持ち、穂先と石突を武器とするように構えていた。

「得物が短くなっちまったな。それで大丈夫かよ?」
「てめぇをやるにはこんだけありゃ十分だ。さぁ続きだ、続きだ!」

 柄をバチのように何度も叩き合わせて蒋済は威勢を露わとする。まだその顔には闘志がありありと出ており、思わぬ長期戦になりそうだと仁ノ助はさらに意思を硬くした。
 互いに息が整ったのを悟った後、再び武を争わんと駆け出さんとする。その瞬間、間を割って入るように疾風のように二つの人影が飛び込んだ。一つは仁ノ助の大剣に蛮刀を絡ませて地面に下ろし、もう一つは戟を振るって蒋済の行く手を阻んで後退せしめた。
 仁ノ助は微苦笑を漏らしながら乱入者、曹仁と曹洪をみやる。曹仁は蒋済から視線を離さずに言う。

「動くなよ。どちらともな」
「・・・曹仁、曹洪。無粋な真似をしてくれるな」
「私も武将ですから、戦いに命をかける気持ちは理解出来ます。ですが、私の意思ではどうにもならぬところから、命令が飛んできたものでして」
「・・・なるほどね。で、どちらにいるんだ?」

 曹洪がゆっくりと離れながら、首をくいっとやった。仁ノ助が武器の構えを解きながら振り向くと、黒い駿馬に跨った曹操が彼を見下ろしていた。曹操は鷹揚に始める。

「賊軍討伐の道中、あなたがやるべき事は酒臭い武芸者との張り合いなのかしら、仁ノ助?己のなすべき事を弁えない者は兵を纏める将足り得ない。そう言わなかった?」
「存じております。で、あるからこそ、私は己の為すべき事をしたのです。恐縮ではありますが、華琳様に代わって、この男の才覚を斟酌致しました」
「ほう、才覚を?それで、あなたからには彼がどう見えたのかしら?」
「実に見事な武技の持ち主です。漢室の雑兵など相手になりませんよ。酒が入ったせいで気が大きくなっているのか、堂に入った態度も面白い。たとえ帝に相対した時であっても、こいつなら物怖じせずに己の意見を言えるでしょう」
「酒なしでも?」「それは・・・本人次第ですね」

 ふむと呟きながら、曹操はゆっくりと馬を進めて仁ノ助より前に出る。その威風に感じるものがあったのか、蒋済はこれまでの武骨な様を覆すかのように武器を下ろして膝をついた。曹操は問う。

「あなた、名は?」「名は蒋済、字を子通と申します。 徐州彭城郡より、天下に武を敷くに相応しき御仁を探し、ここまで旅して参りました」
「蒋済。あなたは天が真に望むものを知っているわ。天下に覇道を敷き、平穏を齎す。それこそがこの曹孟徳の望むもの。あなたの全てを私に委ねなさい。その才覚、無味乾燥の荒野に埋もれさせるには惜しい。私ならばそれを誰よりもうまく使えるわ」
「・・・あなたが、あの曹孟徳様でしたか。波才を撃破った乾坤一擲の火を煽り、数万もの賊を討ち果たしたという・・・」

 蒋済は初めから答えなど決まっていたかのように頭の前に拳を合わせ、最敬礼をもって彼女の言葉に応えた。

「蒋子通。これより、曹操様と共にあります!我が武と心胆、どうぞ御随意に!」
「うむ。期待しているわ。・・・それと仁ノ助」
「はっ」「水を浴びてきなさい。気付いていた?彼の酒気があなたに移っているわよ?そんな身体で我が陣営を歩く事は許しません」
「うっそ・・・全然気づかなかったぞ」
「そりゃ仁さん、戦うのに必死だったからな。あんなに張り切った姿なんて初めて見たぜ」

 仁ノ助は反応に困ったように腰に手を当ててわざと息を漏らす。曹操はくすくすと少女らしさのある微笑みーーーそれでも威厳を失わせぬ覇者としての高貴さを感じさせたーーーを浮かべると、馬首を返して自陣へと戻っていく。新たな才覚の持ち主を手に入れた事で、彼女の背中は喜ばしげに膨らんでいるように見えた。曹仁と曹洪も場から闘気が消えたのを知ると、武器を下ろして去って行った。
 皆が去った後、仁ノ助はすんすんと鼻を鳴らしてみるが、己に移ったという酒気を確認する事は出来なかった。その彼の隣に、まさにむわっとした靄のような酒気を纏った蒋済が立つ。彼の男らしい精悍な顔は晴れやかな表情をしていた。

「一杯喰わされたみたいだな。あんた、曹操様の部下か?」
「ああ、そうだよ。わざわざ堂々と門戸を叩くくらいだからな、弱いわけが無いと思って試させてもらった。不愉快だったか?」
「若い奴にやられるのはむかつくが、あんたが強いなら別にいい。俺もこれからはあんたと同じ陣営だ。宜しく頼むぜ、旦那」
「宜しく・・・おい、旦那って?」
「まぁいいじゃないの。俺とまともに戦ってくれて、しかも酔いを醒まさせてくれたのってあんたが初めてだしな。ああ、勿論曹操様を裏切るつもりなんてないぜ?主は主、旦那は旦那だ。以後よろしく頼むわ」
「・・・勝手にしろ。あと酒癖は直しておけ」
「それは絶対に無理だね」

 そう言って蒋済は何時の間に回収していたのか、放り捨てた瓢箪をぐびりと煽った。しかし中身はほとんど無くなっていたようであり、数適だけが口元から毀れるのを見ると、彼は不満げに瓢箪を叩いた末にげぷりと喉を鳴らした。落ち着いた状態でしかも間近で感じるときついものがあり、仁ノ助は辟易したように鼻の前で手を振った。 
 かくして曹孟徳の陣営に、新たなる武の一員が加わった。何事も考え通りとはいかぬこの世界、自軍だけがうまくいっているような感覚に、仁ノ助は腑に落ちないものを抱く。だがそれはただの余計な心配というもの。うまくいっているならば、陣に帰還した際、荀イクから酒気に対する有らん限りの罵詈罵倒を受けぬ筈であったからだ。微苦笑を漏らしながら錘琳が酒気を落とすのを助けてくれた事に、仁ノ助は感謝の念を抱いた。

 なお、皇甫嵩による治安維持は苛烈なものであり、街に忍び込んでいた東阿の賊人や無法者はあらかた晒し首になったことを追記しておく。


 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧