失われし記憶、追憶の日々【精霊使いの剣舞編】
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第十九話「姦しい二人」
夕刻、放課後となりほとんどの生徒が寮へと戻り、俺はクレアの部屋にお邪魔していた。俺の他には契約精霊であるエスト、そして編入生のフィアの姿もある。
丸テーブルを囲って優雅に紅茶を嗜むフィアの向かいにはイライラを隠さずに眦を吊り上げたクレアが、王女様を睥睨している。
「あたしはぜぇっっったいに認めないわ! 護衛任務で一時的にチームを組むのは百歩譲っていいとして――」
紅いツインテールの髪を揺らしながら紅茶を飲むフィアを指差し、
「なんでこの娘と同じ部屋のなのよ!」
うにゃーっと喚いた。
フィアは紅茶を傾けて、ふぅっと吐息を零す。チラッと横目でクレアの部屋のありさまを眺め一言。
「狭いところね、貴族の部屋とは思えないわ」
「う、うっさいわね。喧嘩売ってんのアンタ?」
「事実を言っただけよ。それに狭いというのも部屋ではなくこの散らかり様を言っているの。皮肉も通じないのかしら?」
「ぐっ……い、いつもはちゃんと片付けてるんだから!」
フィアナの的を得た私的にぐうの音も出ない様子。
さもありなん。クレアの部屋は貴族の令嬢云々の話でなく、女の子の部屋としてどうなのだろうかと思うほど散らかっている。
クレアの部屋に訪れた経験がある俺は変わり様のない部屋の散らかり具合に溜息をついた。
片付けだけでなく、料理も苦手な彼女はいつも缶詰で済ませようとしている。好みの缶詰はツナ缶と桃缶とのことだ。
クレアの食生活を知った俺は定期的に彼女の部屋へご飯を作りに来ている。それだけでなく片付けを知らないクレアに変わり掃除機を掛け、衣服を洗う――下着類は本人に洗ってもらっている――などいつの間にか奉公に来ているように感じてしまっていた。これでは家政婦ではないかと愕然と自分にツッコミを入れエストに心配をかけさせた記憶は新しい。
閑話休題。ともかく、クレアは性格的に家事全般が苦手のようだ。
「リシャルト君もそう思わない?」
フィアに話を振られクレアの矛先がこちらに向く。涙目でキッとこちらを睨むクレアに内心困惑した。
しかし、言っていることはもっともなわけだから。
「まあ、もう少し片付けられるようになれ」
「うぅーっ」
唸るクレア。バチバチと二人のお嬢様の間に見えない火花が散った。
「にゃッ! にゃッ!」
少し離れたところではエストが猫じゃらしでスカーレットと遊んでいる。右へ左へと動く猫じゃらしに可愛らしい猫パンチを繰り出す火猫。
エストはいつもの無表情ながらどこか満足げな雰囲気を醸し出していた。
「だいたい、なんであたしの部屋なのよ!」
「二人部屋を一人で使ってるのは君くらいだろう。当然な沙汰だと思うが?」
「一人じゃないわよ。スカーレットもいるんだから!」
「普通、契約精霊は同居人としてカウントされないぞ」
「うっ……。で、でも急すぎるわよ! いくらなんでも」
「それは同情できるが、すべては婆さんが決めたことだからな。人間、諦めが肝心ともいうし。まあ、Don’t mindだ」
そういって肩をすくめる俺にクレアが恨めまがしい視線を送ってきた。
「まあしかし、これでようやく俺もお役御免だな。これからはフィアに食事を作ってもらいな。いや、これを機に教えてもらえ」
いつまでもクレアの世話を焼くことはできないし、ここは一つフィアにも協力してもらうとしよう。
「フィア、すまんがクレアに料理を教えてあげてくれないか? 今までは俺が作りに来ていたが流石にそうもいかんだろうしな」
フィアは第二王女という身分に関わらず身の回りのことはすべて自分で済ませる。料理や掃除といった家事も卒となく熟せる。なんでも『女の嗜み』だそうだ。
彼女の腕前を知る俺としては安心してクレアを任せられる。
「……今までは俺は作ってた? リシャルト君……もしかして、これまでずっとクレア・ルージュのご飯を?」
綺麗な笑みを浮かべながらそんなことを聞いてくるフィア。なぜだか、その微笑みから底知れない何かを感じるのだが……気のせいか?
「ああ、なにしろ本人はからっきしだからな」
「……そう」
笑みが深まる。同時に感じていた底知れぬ何かも強まった気がした。
「イヤよ。これからもリシャルトが作って頂戴!」
「随分と図々しいことを胸張って言ったな君は」
なんともクレアらしい言葉だが、呆れてものも言えないぞ。
「だって、リシャルトの作るご飯、おいしいんだもん……」
ピキッ……!
フィアの表情が若干強張った。こめかみに青筋が浮かんだ――気がした。
「……ねぇ、クレア・ルージュ? 貴女とリシャルト君ってどういう関係なのかしら」
「ど、どういう関係って、それは……」
顔を赤らめてもじもじと指を捏ねくり合せる。
「こいつとは、その……ど、奴隷と主人の関係よ!」
「おいちょっと待て」
いきなり何を言い出すんだこの娘は。流石にその発言は聞き逃せないぞ。
というか、いくらなんでもソレは相手も真に受けないだろう――。
「な、なんですって!」
驚愕の表情でフィアが俺とクレアの顔を見比べていた。
「そんなマニアックな関係だったなんて……!」
「ふ、ふん! そんなアンタこそリシャルトとどんな関係なのよ。編入生のくれに随分と親しげじゃない」
今度はクレアが問う。
大きく呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻したフィアはコホンと咳払いすると。
「私? 私はリシャルト君の……婚約者よ」
「こ、こここ婚約者!?」
「おいちょっと待て」
なにとち狂ったことを抜かしてるんだこの娘は。
なに考えてるんだと、ジトーっと半眼で見つめていると、フィアの頬が徐々に赤らんでいった。
「こ、婚約者って……ああああんた、ほ、本当に? ちょっと、どうなのよねえ!」
「落ち着け。フィアの冗談だ」
「あら、冗談だなんて酷いわね。あの時の逢瀬は今も忘れてないわよ?」
「おおおお逢瀬!?」
「なにを言い出すんだ君は……」
ああ、なんかドッと疲れてきた。俺もエストと混ざってスカーレットと戯れようかな……。
楽しそうにじゃれ合ってる精霊たちのいる場所が癒しの空間に見えた。
「り、リシャルトはあたしのなんだから!」
席を立ったクレアが唐突に抱きついてきた。フシャーッとフィアを威する姿はまさに猫そのものだ。
「あたしなんか……リシャルトと、キ、キス……したし」
「……」
フィアはぽかん、と口を開けた。
ギギギ……、と油を指していない人形のようなぎこちなさでこちらに顔を向ける。
「ねえ、それは、本当なの? リシャルト君」
「いや、まあ……はい」
正直不可抗力だったが、Yes or Noで問われたら前者なのも事実。
観念して正直に頷くと、フィアはにっこりと微笑んだ。
「そう。ふーん……キス、したんだ」
まただ。その微笑みから底知れない何かを感じる。
この威圧感にも似た圧迫は前世の師匠と対峙したそれと同格だ。
(す、少し見ないうちに強くなったな……色々と)
戦々恐々しているとフィアナはスッと立ち上がり、その白魚のような綺麗な指をクレアに突き付けた。
「――勝負よ、クレア・ルージュ!」
「勝負?」
「ええ、リシャルト君を賭けた勝負。勝った方がリシャルト君を好きにできる権利を獲得できる」
「なっ! い、いやよ! リシャルトはあたしのだもん!」
「あら、そう思ってるのは貴女だけでしょ。第一、リシャルト君を物扱いだなんて彼が可哀想だわ」
そう思うのなら勝手に人を景品にしないでくれ。
「貴女が勝ったら大人しくこの部屋から出ていくわ。それでどうかしら?」
「むむっ」
「それとも自信ない? リシャルト君が取られちゃうのを大人しく見てるのかしら?」
「くっ……いいわ。受けて立つわよ!」
言い合う二人を尻目に溜息をついた俺は席を立った。
これ以上付き合っていられん。
疲弊した心の癒しを求めてエストたちの元へ向かう。
「どうしたのですかリシャルト?」
「にゃあ?」
猫じゃらしを手に首を傾げるエストと、ペチペチと猫パンチを繰り返していたスカーレットがつぶらな目で見上げてきた。
「いや、なんでもないさ」
エストのサラサラの銀髪を梳き、頭を撫でる。
「ふああ……リシャルト、くすぐったいです」
くーっと気持ちよさそうに目を細める契約精霊に顔が綻ぶ。
腰を下ろしてあぐらをかき、ひょいっとスカーレットを持ち上げて膝の上に乗せる。そのまま頭から背中にかけて優しく撫でた。
手触りのいい毛並みだ。
「にゃぁぁぁ~……」
気持ちよさそうに鳴くスカーレット。その隣でエストが頬を膨らませた。
「むぅ、スカーレットばかりズルいです。エストにも撫で撫でしてください」
俺の隣に腰を下ろし、んっと頭を突き出してくる契約精霊に苦笑する。
「わかったわかった。ほら」
左手でスカーレットを撫でつつ、右手でエストの頭を撫でる。
相変わらず表情に然したる変化は見られないが、どこか満足げな様子だ。
「エストは甘えん坊だな」
「リシャルトの手は心地良いのです。胸の辺りがポカポカします」
そういえば、妹も似たようなことを言っていたな。撫でられると胸がほっこりすると。
俺には相手の心を落ち着かせる何かがあるのかもしれない。
しばらく精霊たちと和んでいると。
「ちょっとリシャルト! なに一人我関せずって態度とってんの!」
「そうよ、当事者の一人でもあるのだから。こっちに来て」
「はぁ……わかった」
ぷんぷんと肩を怒らせる二人に腕を引かれ、テーブル席に座らされた。
エストも後ろからついてきて、なぜか俺の膝の上に座る。
「なっ……」
「あら……」
目を吊り上げる二人。エストが膝に乗ってきたのは初めてだ。
「どうした?」
「いえ、リシャルトの膝に乗ってみたかっただけです。……ダメでしたか?」
珍しく不安そうな目で見つめてくる。
「いや、別にダメなわけではないが。座り心地はあまりよくないと思うぞ?」
「そんなことはありません。大変心地よいです」
「そうか? ならいいが」
「よくないわよ!」
ダンッ、とテーブルを強く叩いたクレアが睨みつけてきた。
「アンタ、前々から思ってたけど……ちょっとその剣精霊に甘いんじゃないの?」
「ん? いや、そんなことないと思うが。ところで、結局勝負とやらはどうなったんだ?」
「……まあいいわ。勝負は――」
「料理対決よ」
クレアの言葉に被せる形でフィアが言う。
ぴくぴくと眉が怪しげに跳ねるクレア。その心中はさぞ荒れ狂っているのだろう。
「料理?」
「ええ。精霊を楽しませる御膳を奉納するのは〈神楽〉と同じ必須スキル。それに乙女としてもね。巷ではそういう女らしさを女子力というみたい」
「女子力か。なんとも言い得て妙だな」
随分と簡潔にして的を得ている言葉だ。
「それで、今回は料理を一品ずつ作って、どちらの料理が上か競うの。リシャルト君は審査役としてお願いね」
「それはいいが、俺を好きにできるというのは流石に看過できんぞ? まあ、一日付き合う程度なら構わんが」
「十分よ。ありがとう、リシャルト君」
「――どういたしまして」
いかん、顔が赤くなる。
少し見ない間に色々と成長したフィアはまさに美少女という言葉が相応しい。そんな彼女に微笑まれたら否応にも反応してしまう。
ぽりぽりと頬をかいていると、裾を小さく引っ張られた。
「リシャルト、勝負とはなんのことですか?」
「ん? ああ、なんでもこのお嬢さん方が料理対決をするんだと。勝ったら俺と一日付き合う権利がもらえるらしい。……今思ったんだが、これって誰得って話だよな」
「そうですか……。そういうことでしたらエストも立候補します」
「エスト?」
「そうしたら、リシャルトはエストと一緒ですよね?」
そもそも、ずっと一緒でしたよね?
何やら怪しい雲行きになってきた。
クレアたちはエストが参戦しても構わないとのこと。どうやら精霊であるエストに料理で負けるとは微塵も思っていないらしい。
――どうやら、うちの契約精霊が料理を作るようです。
後書き
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