渦巻く滄海 紅き空 【上】
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六十一 兄と弟
前書き
捏造多数です。ご了承ください。
麗らかな昼下がりだった。
弟をおんぶした兄がゆっくり歩いている。その様は誰がどう見ても、仲の良い兄弟にしか見えなかった。
不意に顔を上げた弟に気づいて、兄が立ち止まる。
「どうした?」
「ここでしょ?父さんが働いてるところ」
弟の視線を追った兄が目前の建物を見上げる。その中央に施された、常日頃よく見る図案を彼は少し哀しげに眺めた。
「木ノ葉警務部隊の本部だ」
「前から気になっていたんだけど、なんで警務部隊のマークにうちは一族の家紋が入ってるの?」
「なんだ、気づいてたのか」
「当たり前だろっ」
感心したような声音に、むっと唇を尖らせる弟。不貞腐れた顔を見て、兄はくすりと笑みを漏らした。
「簡単に言うと、この警務部隊を組織し、設立したのがうちは一族の先代達だったらしい。だからこの組織のシンボルマークに自分達の家紋をつけたのさ。……昔からうちは一族はこの里の治安をずっと預かり、守ってきた。うちはの家紋はその誇り高き一族の証でもあるんだよ」
改めて兄は木ノ葉警務部隊の建物を見遣った。兄に倣って弟も再び本部を見上げる。
「今やうちは一族も小さくなってしまったけれど、今でもほぼ全員がここの第一軍隊に所属し、里の治安維持に貢献している」
そこで兄は背後の弟と顔を合わせた。穏やかな眼差しを受けた弟が目を瞬かせる。
「忍びの起こす犯罪を取り締まれるのは、更に優秀な忍びだけだからな」
(……やっぱり父さんはすごいや!)
兄の言葉を聞いて、弟は口許を緩ませた。誇らしげに警務部隊本部を見つめる。うちはの家紋が彼にはとても眩しく、輝いていた。
「兄さんもここに入るの?」
「……さあ…?どうかな…」
無邪気な弟の問いに、兄は答えをはぐらかす。弟同様、本部を眺める兄の瞳には、自分達一族の象徴を必死に掲げている色褪せた建物にしか映らなかった。
「そうしなよ!そしたら、俺も頑張って入るからさ!」
その変化に気づかず、弟は兄の肩をきゅっと握り締める。これから先の未来を思い描いて、彼は顔を輝かせた。
「兄さんと一緒に、俺も木ノ葉の里を守るんだ!!」
弟の宣言に、兄は一瞬目を大きく見開いた。やがて目を細め、愛おしげに見つめる。
「……うん。そうだな」
優しい兄の顔で、イタチは微笑んだ。だがそれは、誰もが夢見る未来を諦めているかのような、酷く切なげな微笑みであった。
「共に守ろうか、サスケ」
「うん!約束だよ!!」
それでも確かに、あの時誓い合った約束は二人のものだった。サスケだけに向けられた笑顔だった。
それを憶えている。
「――――これが現在に至るまでの出来事だ」
イタチの口から語られた真実。
それは今のサスケを形作る世界をいとも簡単に打ち砕いた。
九尾の妖弧襲来。
尾獣を操れる瞳力を持つ故に、木ノ葉の里に疑われた『うちは一族』は、暗部によって監視を徹底された。居住地すら里の片隅に追い遣られ、隔離さながらの状態となった彼らは、当然この現状に不満を抱く。
結果、サスケとイタチの父――フガクを始め、一族は里に対してクーデターを企んだ。
情報収集の為、優秀な忍びである息子のイタチをスパイとして木ノ葉の暗部に送り込むフガク。彼は知らなかった。その息子が既に里から命じられ、うちはの情報を流していたなどと。
二重スパイだったという事を。
同時に、イタチの優しさも心の傷にも、父は気づけなかった。
幼き頃、戦場を目の当たりにしたイタチは誰よりも戦を恐れ、何よりも平和を望んでいたのだ。だからこそ彼は、己の手でうちは一族に幕を下ろした。
うちは一族がクーデターを起こせば、それが戦の火種となる事をイタチは確信していた。内戦が起きれば、木ノ葉の里だけではなく、火の国も大きく揺れる。他国が攻め入り、新たなる忍界大戦の引き金にもなりかねない。
イタチは多くの人が死ぬ事よりも、うちは一族の抹殺を選択したのだった。
唯一、何も知らぬ弟だけは守ろうと心に誓って。
サスケ以外を殺害したイタチは木ノ葉の里を抜けた。そして里の脅威となるであろう組織を内部から見張っていたのである。
今回イタチが木ノ葉の里へ戻った理由も、弟の安全を約束した三代目火影が亡くなったと耳にしたからだ。三代目以外の木ノ葉上層部、特にダンゾウに、己が生きていると忠告するのが目的だった。サスケに手を出せば、自分の知り得る情報を漏洩すると暗に脅しているのである。
汚名を被っても猶、イタチは木ノ葉の為、そして弟の為に動いている。
真実を知らぬ木ノ葉の人間と敵対しても。最愛の弟からは激しく憎悪されようとも。
「………………」
憮然と立ち尽くす。
告げられた真実はあまりにも大きく、その衝撃はサスケから声を奪い、呼吸すらも忘れさせた。
「……大丈夫か?」
息が出来ず、過呼吸になったサスケを労わるように手を伸ばす。背中を擦ろうとしたイタチの手をサスケは弾いた。
「……触るな…ッ!!」
唸る。喘ぎながらも反発するサスケに、普段表情一つ変えないイタチの顔が僅かに歪んだ。その悲痛な面持ちを目にして、サスケは唇を噛み締める。
(……なんであんたが…そんな顔するんだよ…ッ!!)
忙しない息遣いの中、サスケは自身の手を見下ろした。自らイタチの手を振り払ったその手は、【千鳥】を使った時以上の痛みを発している気がした。
「……う、そだ…」
うちはイタチ。
うちは一族を滅ぼし、木ノ葉の里を抜けた大罪人。それが世間における彼の評価だ。
実弟であるサスケもその認識を信じていた。だから一族の仇を討たんと、復讐者として生きてきたのだ。
去り際に残したイタチの言葉通り、醜く生き延びる。生にしがみつき、ひたすらに強さを追い求めた。
イタチと同等、いやそれ以上の器になる事を望んだ。
「………嘘だ…」
憧れだった。慕っていた。自慢だった。誇らしかった。大好きだった。誰よりも。
恨んでいた。憎かった。不愉快だった。疎ましかった。大嫌いだった。誰よりも。
愛と憎しみは相半ばで、何が切っ掛けで変化するのかわからない。サスケの場合、あの夜が切っ掛けで、兄に対する認識が一転した。
培ってきた思慕や敬愛は、たちまち敵意に膨れ上がり。
溢れんばかりの憧憬は、一気に殺したいほどの憎悪に変わった。
大好きだったから。
「……嘘だ」
父を筆頭に、木ノ葉の里に対してクーデターを企んでいたうちは一族も。
その父の命令で、スパイとして里の暗部に入った兄が、実は木ノ葉がうちは一族に送り込んだ二重スパイだった事も。
里と一族を天秤に掛け、里を選んだ兄の苦渋の決断も。
一族を滅ぼした罪人として抜け忍となる事自体が任務だった事実も。
汚名を背負ったまま、里を抜け、暁という組織に入った行動も。
その生き方を選んだ兄も。
なにより。
殺したくて殺したくて堪らなかった相手が。己の生きる目的であり野望だった男が。
恨め憎めと、嘲笑った裏切り者が。
幼き自分が憧れた、優しい自慢の兄のままだったなどと。
「嘘だッ!!」
だからこそ信じられない。信じる事が出来ない。信じても、どうせまた裏切られるのだと、サスケは知らず知らず恐怖に怯えていた。
爪が食い込むのも構わず、強く握り締める。
「そんなの…、嘘に決まっている……ッ」
ようやっと絞り出した声は掠れている。肩を震わせているサスケをイタチはじっと見ていた。
刺々しくも泳いでいる弟の視線に、目を細める。
「俺はお前に…いつも「許せ」と嘘をつき続けた…。お前をずっと遠ざけてきた…」
おもむろに聞こえた声に、サスケはハッと顔を上げた。揺れる視界の中、自分と似ているようで違う写輪眼が映り込む。
忘れようにも忘れられない、鮮烈な赤。
「巻き込みたくなかったんだ……お前を」
「嘘だ…ッ!!あんたは…父さんを、母さんを…一族を…皆殺しにした!!」
言葉を遮って激昂する。サスケの当然の反論に、イタチは何も口を挟まなかった。ただ黙ってサスケを見つめている。その穏やかで静かな瞳に、サスケは気圧されたように後ずさった。
「そうだな…否定しない。俺が一族を滅ぼした。それは紛れも無い事実だ」
言い訳すらせず、むしろ肯定したイタチを、サスケは「だったら…ッ!」と睨みつけた。
「やっぱりあんたは!里を抜けた犯罪者で!憎むべき存在で!俺の……敵なんだ!!」
一言一言、噛み締めるように吼える。だがそれは、どこか自分自身に言い聞かせているような風情だった。激情に駆られ、食ってかかる弟を、イタチは痛ましげに眺める。
「あんたが言ったんだ!器を確かめる為の相手として俺を選ぶと!復讐者として俺を生かすんだと!!」
「……そうなるように仕向けたからな」
ぽつりと独り言のように呟かれた一言に、サスケはぴたりと身体を強張らせた。やがてギリギリと歯軋りする。
「仕向けた、だと…っ」
「俺への復讐を目的として与えた。そうすればお前は強くなる。俺を殺そうと躍起になる」
「そうだ!だから俺はこうして…」
「そうする事でお前を、うちは一族の仇を討った英雄にしたかった…」
「…ッ!?」
目を見張る。愕然とするサスケの前で、イタチは苦笑した。滅多に感情を露にしない兄が自らを嘲笑う様に、サスケは瞠目した。
「サスケ」
唐突に名を呼ばれ、サスケの肩がびくりと跳ねる。警戒と怯えを孕む瞳に、イタチは今一度苦笑を湛えた。そして、意を決したように口を開く。
「俺のことをずっと許さなくていい…。だが、サスケ。俺はお前と向き合って、同じ目線に立って話し合いたい」
そこでイタチはちらりと目線をサスケから外した。視線の先で頷いたナルトに頷き返す。
改めてサスケと顔を合わせると、弟は先ほどより幾分か落ち着いていた。
否、当惑しているといったほうがいい。話についてこれていないのだ。
それでもイタチはこの話し合いを設けてくれたナルトに感謝した。今を逃してはもう二度と、最愛の弟の誤解を解く事は叶わないだろう。
最初は寸前に述べた通り、悪人に徹するつもりだった。一族を殺し、里を抜け、極悪非道の数々を行った冷酷にして残虐な男を演じるはずだった。
弟を英雄にする為ならば、悪にだって何にだってなってやる心積もりであった。
「……憶えているか」
だがイタチは今回、真実を明らかにする事を選んだ。
たとえ己に与えられた任務内容の露見に繋がろうとも。
たとえ計算していた計画全てを台無しにする羽目になっても。
「あの約束を」
遠い昔。幼き弟と交わした約束を。
本当の意味で叶える為に。
「憶えて…?」
共に里を守るといった誓い。
幼き自分が兄に語った夢。
「兄さんと一緒に、俺も木ノ葉の里を守るんだ!!」
そう無邪気に豪語した、あの麗らかな昼下がり。
勿論サスケは憶えている。あの時の兄の笑顔が脳裏に焼き付いて離れなかったから。
だがそんな些細な事、イタチはとっくに忘れているものとばかり思っていた。
ただの夢物語だと流されたのだと考えていた。
だから、まさか憶えていようとは。
「……ッ、」
込み上げてくる何かを抑え込む。暫し耐えるように顔を伏せていたサスケは一度深く息を吸った。顔を上げる。
ようやく冷静さを取り戻し、兄の話を真剣に聞こうとし始めたサスケの態度を見て取って、ナルトは内心安堵の息をついた。
彼は今までずっと、兄弟の会話に一切口出ししなかった。他人が口出しするものじゃないと、黙って見守っていたのだ。
取りつく島も無かったサスケがやっとイタチの話を真面目に聞く態勢を整えてくれた。後は時間の問題だろう。勿論、サスケの憎しみが木ノ葉の里に向けられる可能性は大きい。
だがナルトはイタチが内心、後悔しているのを察していた。かつての仲の良い兄弟に戻りたいと願っている事も知っていた。
(…人の事を言えないな)
己の事を棚に上げて、イタチとサスケの兄弟を心配する。そんな愚かな自分自身に対し、彼は失笑した。そのまま、どこへとも知れず呼ぶ。
「黎明」
ナルトの声に応じて、どこからともかく声無き返事が返ってくる。ふっと一瞬チャクラが使えるようになったのを察し、素早く印を結んだナルトは再び声を掛けた。
今一度、チャクラを扱えぬように施した零尾に謝礼を述べ、後ろを振り返る。術を掛けられたとも知らないイタチとサスケを眼の端で確認し、ナルトは橋の欄干に背を預けた。
イタチとサスケのチャクラが使えなかった原因は零尾にある。
二人を橋の上で対面させたのも、五感の遮断及び幻術の二重結界を橋のみに展開しているのも、全ては零尾のチャクラ吸収範囲を計算した結果だ。勿論もっと広範囲にする事も可能だが、範囲が小さければ小さいほどチャクラの使用を一切許さず、また憑依されている事にも気づけない。
零尾に憑依された人間は心の闇を見透かされる。奥底に仕舞い込んだ心の傷を感じ取られる。
だがナルトが宿主になった今、零尾が憑依した人間は互いに本心を明かしやすくなるのだ。勿論サトリの一種である零尾の影響で心中を全て曝け出される為、滅多に使わないが、今回は別である。包み隠さず腹を割って話し合う事がイタチとサスケには必要だったからだ。
二人には悪いが、秘かに零尾を憑依させてもらう。尚且つチャクラを使用出来ぬ状況にし、話し合いで解決するよう促す。
そこまでお膳立てした当の本人は、既に零尾の影響から脱していた。零尾の力を以ってしてもナルトの心は読めない。
己以上に得体の知れない彼を怖ろしく思うのと同時に、零尾は己の名と居場所を与えてくれた主を崇拝していた。
零尾がそのような想いを抱えているとは露知らず、ナルトは水上の戦闘を眺めていた。
アスマ・紅と対峙している白は膠着状態。一方の再不斬は未だに鬼鮫と接戦している。白熱する争いに苦笑を零していた彼は、ふと眉を顰めた。
以前感じた、覚えのある気配に瞳を眇める。
「……潮時か…」
その声は刀と刀の激しい刃音に掻き消され、霧の彼方へ消えていった。
凍りついた空気の中で火花を散らす。
目にも留まらぬ速さで繰り出される剣戟。空中で白き軌跡が幾度も交わり、甲高い音が濃霧に響く。
どれほど打ち合っただろうか。普通ならばとっくに疲れ切るところ、双方ともまだまだ余力があった。滴り落ちた汗が滴下し、水面に波紋を描く。
「甘くなりましたねぇ…貴方が仲間などと」
鬼鮫の冷笑と激しい太刀を、再不斬は真正面から受け止めた。ハッと鼻で笑う。
「仲間ってのも、そう捨てたものじゃねえぜ?」
鬼鮫の手元を狙い、押し下げる。負けじと押し返してきた鮫肌の勢いを利用し、間合いをとる。
すかさず脇腹目掛けて振り切る首切り包丁。
「なら、そのお仲間さんに手を貸してもらったらどうですか?」
素早く身を翻し、首切り包丁の猛攻を止める。そのまま押し切って、相手の刀を捲き落とす。
鮫肌が半円を描いた。
「そんな野暮な真似する奴なんざいねえよ。第一、」
再不斬の構えが崩れる。絶好の機会に鬼鮫は口角を吊り上げた。間髪容れず、鮫肌を振り翳す。
「今は必要ねえ」
ガクン、と膝が落ちた。突然動かなくなった片足に鬼鮫は目を見張る。
見下ろすと、己の足に包帯が絡みついていた。蛇の如く巻きつき、水中へ引き摺り込んでゆく。
「な…!?」
思わず再不斬を見る。鬼鮫の視線に気づいた再不斬が目を細めた。露になった口許が弧を描く。
「…ッ!確かに以前より成長したようですね」
包帯はまるで重石のように重くなってゆく。外そうにも足はどんどん沈み、正面からは再不斬の首切り包丁が迫り来る。
更には予想もしていなかった展開が鬼鮫を襲った。
「さ、鮫肌…っ!?」
なぜか己の愛刀が自身の足を狙って口を開いたのである。齧られる寸前に身を引き、事無きを得たが、もう少し遅ければ足が喰い千切られていた。
「なぜ、」
「その包帯にゃ、そいつが好みそうなチャクラをたっぷり滲み込ませてあるんだよ」
疑問は再不斬の返答にて解消される。その声に促されるように、鬼鮫の目が包帯を捉えた。
戦闘開始直前。おもむろに再不斬は素顔を晒した。鼻から首元にかけて覆っていた包帯を投げ捨てたのだ。
再不斬の素顔は物珍しかったが、鬼鮫は何の疑いも抱かなかった。
ましてや事前にチャクラをその包帯に流していたなどと。
今現在、己の足をギリギリと縛る包帯を鬼鮫は憎々しげに見下ろした。
水中に沈みゆく。それをなんとか耐え、首切り包丁をかわし、包帯を足ごと喰らおうとする鮫肌からも退避する。
己の武器を失い、ましてやその武器から狙われる鬼鮫の目に焦りの色が過った。術を使おうとしても三方向からの危機に対処するので精一杯。息が上がる。
「自分の愛刀に喰い殺されるなんて、冗談じゃないですよ!」
「ならてめえの死因は…――――」
頭上に降ってくる声。何時の間にか空高く跳躍した再不斬が物凄い勢いで墜ちてきた。全身を乗せた首切り包丁が鈍い光を放つ。
鬼鮫は印を結ぼうと構えた。その瞬間、足に鋭い痛みが奔る。
鮫肌が足に喰らいついていた。すぐさま振り払う。
そして今度こそ術を繰り出そうとする鬼鮫。だが、再不斬のほうが速かった。
「―――――俺が決めてやらあ!!」
迫る首切り包丁。避けようもない事実が鬼鮫の脳裏を素早く駆け巡った。白刃に、鬼鮫の驚く顔がはっきり映る。
刹那。
「み~つけた」
激しい水飛沫が天を衝いた。
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