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八条学園怪異譚

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第四十五話 美術室その九

「その様に」
「リトアニアから、ですか」
「日本まで」
「とはいっても杉原さんからビザを貰ったのではなくです」
 コキイネンはここであの多くのユダヤ人を救った当時のリトアニア大使の名前を出したが彼に助けられたのではないというのだった。
「その前に、ソ連の動きがおかしくなり」
「それでなんですか」
「事前にですか」
「そうです、一九三八年に」
 かなり早かった、第二次大戦前だ。
「そう感じましたので」
「一家で満州にまで亡命されてた」
 ここで日下部が二人に話してきた。
「そして上海まで行かれてな」
「そこで当時の八条大学理事長にこの大学の教授に招かれました」
 今度はコキイネン自身が話した。
「そうなのです」
「歴史ですね、本当に」
「凄い移動されてますね」
「そうですね」
 コキイネンも二人にしみじみと答える。
「ですが一家全員生きられただけでもです」
「ナチスに殺されなかっただけでもですか」
「ソ連にも殺されなかったですし」
 ナチスだけではない、ソ連もユダヤ人を迫害していた。政敵トロッキーがユダヤ系だったせいかスターリンは一時期ユダヤ人を目の敵にして粛清の対象としてきたのだ。
 こうした歴史がある、それで二人もこう言ったのだ。
「本当に大変だったんですね」
「日本に来られるまでも」
「そうですね、上海に着いてからも」
 それからもだったとだ、コキイネンは遠い目のまま語る。
「ナチスが来ましたし、当時の理事長さんに招かれてこの学園に来て」
「それで教授になられたんですよね、確か」
「日下部さんからお聞きしましたけれど」
「そうです、この大学で教鞭を取っていました」
 このことが本人からも話される。
「そして充実した日々を過ごしていました」
「それで三十年前にですか」
「はい、天寿を全うしましたが」
 無事に長生きをして人生を終えられた、愛実に答える。
「しかしそれでもです」
「絵が、ですね」
「お好きだったから」
「はい、そうです」
 それでだというのだ。
「今もここにいて学園の芸術品を観て回っています」
「ううん、本当に芸術がお好きなんですね」
「だから今もなんですね」
 二人はコキイネンの話を聞いて優しい微笑みになった、彼の芸術への想いがひしひしと伝わったからである。
 それでだ、彼にこうも言った。
「じゃあこれからもですね」
「この学園の芸術作品を」
「そのつもりです、いい学園です」
 コキイネンは流暢かつ穏やかな日本語で話す。
「何もかもが充実していて」
「芸術もですね」
「それも」
「そうです。特にこの絵は」
 コキイネンはここである絵に顔をやった、そのうえでの言葉だった。
「いい絵ですね」
「えっ、その絵がですか!?」
「あの、その絵は」
 二人は彼の今の言葉にぎょっとした顔になった、彼が今顔をやって観たその絵は七生子の絵だったからだ。
 相変わらず何が何だかわからない絵だ、波がかった不安定な黒と赤の線が混沌として描かれている、そこにあるものは人か動物か風景かもわからない。 
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