MS Operative Theory
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Z計画(プロジェクト)①
——「最高傑作」と「最強」を生み出した、AE可変MS開発プロジェクト——
「Z計画」とは、U.C.0080年代後半にアナハイム・エレクトロニクス社(以下AE)がすすめた可変MS開発計画である。
一年戦争においてMSは、最強の機動兵器として戦場に君臨した。しかし、同時に行動半径が狭いという弱点も露呈していた。特に地球上での行動半径の狭さは、移動速度の遅さと相まって運用上の大きな問題とされた。そのため、U.C.0084頃からド・ダイYSを発展させたサブ・フライト・システム(SFS)の開発が行われた。
実用化されたSFSにより、地球上を中心にMSの行動半径は大幅に拡大した。しかし、空気力学をまったく考慮していないMSを最大2基も載せるため、超音速巡航などは望むべくもなかった。その一方、SFSの様なオプション装備に頼ることなく、単独で高い機動性とMSの汎用性を両立させる兵器の開発もすすめられていた。
これがMAにMSの性能を盛り込んだ「可変MA」で、U.C.0085にはNRX-044(アッシマー)が開発されるにいたった。アッシマーは長い航続距離と優れた戦闘能力を発揮、本機は地球連邦軍内において「従来型MS6機とその支援システムに匹敵する」とまで評価されていた。
このような可変機の特性は、U.C.0085の30番地事件を契機に組織を糾合していた反連邦組織エゥーゴの目にもとどまることとなった。その後、エゥーゴは可変機の開発を兵器供給元で最大のスポンサーでもあったAEに依頼。
エゥーゴは、スペースノイドへの弾圧を続けるティターンズとそれを容認する地球連邦軍を撃破するために、ジャブロー攻略を前提とした戦略を立案していた。そのため、ジャブローをはじめとする地上拠点攻略用として、単独での大気圏再突入能力を持つ可変機を欲したのだった。
しかも、アッシマーのような大型の可変MAではなく、「可変MS」の開発を要求したのである。エゥーゴが可変MSを必要とした背景には、さらなる大型化が予想された可変MAを運用可能な艦艇を保有していなかったことが挙げられる。
そのため、MS形態での頭頂高20m以下に抑えることも条件の一つとなっていた。また、組織の象徴となるフラッグシップマシンを欲しており、兵力の絶対数に劣るエゥーゴとしては、MS単体の性能を求めざるを得なかったという点は無視できない。
エゥーゴの依頼により、AEは「Z計画」をスタートさせた。しかし、当時の地球圏には可変MSと呼べる機体は存在しておらず、アッシマーの様なセミ・モノコックとドラム・フレームを用いた変形機構では、コンパクト化と高性能を両立できないという問題が生じていた。
そこでAEでは「コンパクト化と高性能を両立させた可変MS」と言う用性に対する回答として、当時まだ不完全な技術であった駆動式内骨格「ムーバブル・フレーム」を、変形機構の中核に据えることを決定、その開発を中心に計画を推進したのだった。
補足事項
——「Z計画」に至るAEのMS開発——
一年戦争後、ZIONIC社やハービック社、ブラッシュ社、ボゥワ社などを傘下に収めたAEは、U.C.0082の「ガンダム開発計画」を契機に自社オリジナルMSの開発を開始した。AEが、これらのMSの開発において蓄積した技術は「Z計画」にも反映している。
■デラーズ紛争期
それまでRGM-79(ジム)などの改修を行っていたAEは、「ガンダム開発計画」でGPシリーズと呼ばれる5機の試作MSを開発している。
■グリプス戦役期
デラーズ紛争への関与により、GPシリーズは封印されたが、技術とノウハウは受け継がれており、U.C.0080年代中期には多数の第二世代MSを生み出した。
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