魔狼の咆哮
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第二章その七
第二章その七
「アリバイは完璧だな。とりあえず資料からは彼は完全なシロだ」
「あくまで表の資料では、ですね」
「・・・うん、だからこそ我々が調べるんだ」
「やりましょう」
その時部屋のベランダの裏に一匹の家守がいた。家守は二人の話が終わるとそそくさとその場を後にした。
かくして二人はカレーへの捜査を始めた。片方が常にマークし片方が捜査によって得られた資料をまとめ分析する。前者は主に本郷が、後者は主に役が担当した。
資料はそれなりに出来上がった。だがそれはそれまでのデータと何ら変わることはなくごくありふれた大企業の経営者のプロフィールであった。
「なかなか尻尾を出さないな」
数日が経った。その間人狼の行動は無く目撃者もなかった。
二人に署長からある話が舞い込んできた。この事件に危機を感じたパリの政府が軍の特殊部隊から腕利きのエージェントを派遣する事を決定したというのだ。
「軍のエージェントですか」
「らしいね。士官学校をトップで卒業したエリートだそうだ」
ふと署長の顔が曇る。軍と警察の中が良くないのは何処でもよくある話である。ましてジェヴォダン生まれで下からの叩き上げでもある彼にとって中央からのエリートは面白くない存在なのだろう。
「フランスでもキャリアとか中央と地方の対立とかあるんですね」
「うん。ド=ゴールがつくったんだ。我が国のものより遥かに地位も権限も大きい」
フランスでは一流の大学を卒業したものが中央の要職に就き地方をリードすることが多い。
「フランスも色々ありますね」
「どの国だってそれぞれ問題はある。我が国もフランスも。大なり小なり問題を抱え美点も併せ持つ。地上の楽園なんて存在しないしその逆もない。ここが人間の住む世界である限りね」
だがそれを全く理解出来ない人間もいる。
「まあ捜査の邪魔にならないことを祈りますよ。軍人ってのはどうしてもやり方が強引なところがある」
「まあそれが軍人だよ。非常時には悠長なことは言ってられないさ」
「ですね。我が国の自衛官も少しは他所の国の軍人さんみたいにして欲しいけど」
「あの時の話か。自衛官を責めても仕方無いだろう」
役が苦笑した。二人は以前自衛隊の基地内で続発する自殺事件の捜査に協力したことがある。この事件はかってこの基地で自殺した自衛官の悪霊によるものだったがこの時の自衛官達の優柔不断さと弱気さにはかなり苦しめられたのだ。
「御陰で捜査が大分遅れましたからね。許可がどうとかそこは立ち入り禁止だとか」
「皆いい人達だったのにな。部外者の我々にもすごく優しかったし」
「それだけに残念ですね」
「うん、君がどれだけ食堂で御飯を食べようが女性自衛官をナンパしようが暖かく接してくれたしね」
「・・・なんでそんなことわざわざフランスで言うんですか」
捜査は相変わらず進まなかった。二人は焦りはしなかった。落ち着き払ってカレーに悟られぬよう気遣いながら捜査を続けた。
その二人の部屋をノックする音がした。ドアを開けるとあの執事が立っていた。
「何か御用ですか?」
「お二人にお話したい事がございまして」
「?何でしょうか?」
「ここではお話するのははばかれます。部屋の中でお話したいのですが」
「どうぞ」
二人は執事を部屋に招き入れた。
「お茶でもどうですか?」
「いえ、お構いなく」
三人はそのまま席に座した。彼が何を話しに来たか二人にはわかっていた。
「お二人は旦那様を捜査なさっておられるようですが」
単刀直入で切り出してきた。
「・・・・・・・・・」
二人は否定しなかった。かといって肯定する言葉を出さなかったがこの無言が何よりの肯定の言葉であった。
「やはりそうですか。旦那様もそのことにはお気づきです」
「・・・・・・・・・」
やはり二人は何も語らなかった。ここで下手に言葉を発するつもりは無かった。
「旦那様を一連の事件の犯人ではないかと思われていますね」
「・・・・・・そうだとしたら」
役が言葉を発した。肯定の言葉だ。顔に緊張が走る。
「それは誤解です」
「・・・・・・その根拠は。まあ人狼であるかはどうかとして」
本郷が言った。その言葉尻にはあからさまにカレーを疑う色が込められていた。
「旦那様が人狼であるかどうかはともかく」
執事の言葉は大きな意味を含んでいる。それに二人はこの時気付かなかった。
「確かに我がカレー家は代々暗殺を生業としてきた家です。それは否定しません。旦那様も私も多くの人間を闇に葬ってきました」
これは最早既に知っていることだった。執事は言葉を続けた。
「この家にいる者は全員幼い頃より刺客となる訓練を受けております。その中には特殊な暗殺術もあります。ガードマンやメイドに至るまで全てが刺客なのです」
特殊な暗殺術、それに本郷と役は内心感じるところがあったが顔には出さなかった。
「あの殺されたメイドもですか」
「彼女は特に腕の立つ者でした。数多くの困難な仕事を成し遂げ旦那様の信頼を得ていました」
「その腕利きがあそこまで無残に殺されたのですか」
「・・・それには私も驚いています。素手で虎を倒す程の殺人のエキスパートをあそこまで」
「出来るのはそれ以上の腕を持つ者だけですね」
役が言葉を挟んだ。
「そしてそれ程の腕を持つのは貴方達の御当主だけ、ではないですか?」
「まさか。旦那様はその様な方ではありません」
本郷の言葉を表情を変えることなく否定した。
「確かに我がカレー家は古より暗殺を生業としてきました。しかしそれ以外で人を殺めることは決してありません。それは尊厳王に仕えた初代の頃より固く守られてきた家訓なのです」
執事の声は強かった。嘘を言っている声ではなかった。
「それに旦那様は陰の仕事以外では決して人を殺められぬ御方。ましてやあの様な惨たらしいことなぞなさりません」
「その言葉信じてよろしいですかな」
役は固い表情のまま尋ねた。
「信じていただけないのならそれまでです。ただ我々も古きよりこのフランスを支えてきた一族、誇りはあります」
誇り、それは古い家にとっては最も貴いものである。
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