『好き』
――そう言おうと思ったの。あなたを一目見て、その心の真っ直ぐな所を知って、好きになったのだと。外見に惑わされず、優しい偽りに騙されなかったあなたの事を。もっともっと、知りたいと思ったの。
毒林檎はそれでも起こった現実に、ただただ茫然と、するばかりだったのだ。人間であったのなら、その顔は真っ赤であったのだろう。青年は林檎に口づけたのだった。真っ赤になった、毒林檎の呪いは解けた――真実の愛の口づけによって。
「腐った紅色をしていようと、澄んだ心を持った毒林檎、か。気に入ったよ」
――私のことをあなたは見てくれた。甘い香りも偽りの色もない、醜い私でも。それでも見てくれた。
真の姿をした私は、誰の手にも取られない。醜い色の私は誰からも愛されない。確かにそう思っていた。それなのに、あなたは私にキスをくれた。毒林檎という、哀れな生を受けたこの体に。
「たとえこの身が醜かろうと、腐った紅色をしていようと、心は赤く燃えている。初めて誰かを好きになった、私の心」――真っ赤な毒林檎の告白。
「私は、あなたの事が好きみたい。一目見た時から、あなたに食べられたいと思ったの。なんてね」
その姿は既に、毒林檎と言えるような容姿ではなかった。その、気高く清い心を反映したような、美しい女性の姿になっていた。
――
そうして後日がたちました。水色に晴れ渡る空の下。大きな湖の畔に、青年と美しい女性が寄り添い、座っておりました。青年は彼女に、世界を旅した時の話をしてあげます。決して明るい話ばかりではありませんでしたが、その内容はどれも真実でした。今まで正しい心で世界を見てきたのでしょう。
「それから僕には両親がいてね。いつも、『正しい心を持ちなさい』と育てられたんだ。そのことにはとっても感謝してるんだ」
青年は彼女に自分の生い立ちについて語ります。
「……僕は恵まれていると思っただろ?」
青年の表情は一変して曇ります。
「それなのに僕は、家を飛び出したんだ。幼いときはいたずらをしたり、成長してからも間違った事をすれば酷く叱られた。そのたびに思ったんだ。僕はしたいことをしただけなのに、ってさ。だから、逃げ出したんだ」
正しい事ばかりを求めていると、この世は生きにくい――そう青年は言いたかったのでしょうか。しかしそのことについてはこれ以上語らず、話のつづきを彼女に聞かせました。
彼女は彼の話のすべてを、とても幸せそうに聞きました。
「でも一番不思議なのは、君と出会ったこと。それからこうして君と一緒にいられることなんだ」
少し照れくさそうに青年は言いました。
「僕はその……このとおり地味だしさ。誰かに好きになって貰えたことなんて、今までなかったんだ。だから――」
そうしてふたりは見つめ合い、感謝を込めたキスを交わしたのでした。
それから少し、時は流れて。口を動かしたのは、話したがりの――やはり彼の方でした。
「……両親の事なんだけどさ。さっきも言ったけど、家を出て好きなことが出来たし、今は感謝してるんだ。実は、あの森に毒林檎があるっていう話も知ってたんだ。両親が幼い頃に教えてくれた、ある童話のおかげでね」
「どんな童話?」
「今度話すよ。それより今度、僕の両親に君を紹介させて欲しい。どんなにきつく反対されたって、『正しい心で選びました』と言えば文句はないはずさ」
二人は微笑み合いました。そして、青年が立ち上がり、美しい女性の手を引いて。二人は仲良く手を繋いでいたのでした。どこまでも、晴れ渡る空の下を二人で歩んでいきました。
物語の始まりはね、きっとこんな感じだったと思うんだ。
~暗く湿った森の奥、林檎たちの楽園がありました~