いないけれどいる
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第一章
いないけれどいる
イギリススコットランドといえば今でも真っ先にこの場所を挙げる。
ネス湖だ、この一見何の変哲もない湖が知られているのには訳がある。
ヘンリー=オズボーン、若い生物学者である彼は同僚であり恋人でもあるキャサリン=クラッシーにそのネス湖のほとりでこう言った。
「前から言っているけれど僕はね」
「ネッシーはいないって思ってるのね」
「こんな湖にいる筈ないよ」
その緑の目に強い光を込めて言い切る、薄い茶色の髪を後ろに撫で付けたプロレスラーの様な外見だ、口髭が目立つ。この体格は学生時代ラグビーをしていたからだ。
それで長い黒髪で長い睫毛の黒い目を持つ恋人に言うのだ、キャサリンはイギリス人とはいってもスコットランド生まれだがその割には小柄な彼女に言ったのである。
「海から離れているし」
「川を使ってきているって説があるわね」
「それか湖の地下水脈だね」
「ネス湖はやけに洞窟が多いらしいわね」
「そうらしいね、水質も濁っていてね」
それで視界が悪い、ネス湖は調査の難しい湖なのだ。
周りは山が多く古城も見える、そのまま写真を撮っても実に絵になる場所だ。
その中にいてだ、ヘンリーはその口髭の顔を強い表情にさせて言うのだ。
「けれどそれでもだよ」
「ネス湖にはなのね」
「いる筈がないんだ」
ネッシー、ネス湖を有名にさせたこの未確認動物はというのだ。
「絶対に」
「あなたずっとそう言ってるわね」
キャサリンはくすりと笑ってヘンリーに言う、彼とは学生時代から一緒にいるからこう言うのだ。
「ネッシーはいないって」
「そうさ、ここにも何度も来てるけれど」
「ネッシーは見ていないのね」
「見たことがないよ」
一度も、というのだ。
「そんなものはね」
「けれど撮影された写真も多いし目撃例も多いわよ」
キャサリンはくすりと笑いながらヘンリーにこうも言う、話をしながら二人でネス湖のほとりを歩いている。二人共ジーンズにラフなシャツとシューズという動きやすい格好だ、フィールドワークの格好をしているのだ。
「それでもそう言うのね」
「偽物の写真もあったじゃないか」
あの水面から首だけ出している写真だ、その首は明らかに首長竜のものだった。
だがよく見ると水面の波との大きさと見比べると小さ過ぎる、実際に後でこの写真は嘘だったということが証言された。
そしてその他のこともだ、ヘンリーは言うのだ。
「撮影の度に瘤があったりなかったり」
「その瘤も幾つかあったりよね」
「水中写真もあったね、けれど当時の技術じゃゴーストっていうそこにないものが変に映るようなことだってあったし」
「その写真もなのね」
「検証の必要があるんだ、体色も変わるし角があったりなかったり」
「色々よね」
「おかしいじゃないか」
生物学者の視点からだ、ヘンリーは強く言う。
「だからね」
「ネッシーはいないっていうのね」
「僕はそう考えているよ」
実際にだ、そうではないかというのだ。
「幾ら何でもこんなに形やらが変わって」
「しかも偽物の写真があったりして」
「そう、おかしなことが多いんだよ」
それでだというのだ。
「だから僕はいつも主張しているんだよ」
「ネッシーはいないのね」
「とはいってもね」
ここで言葉が変わる、どういった言葉かというと。
「僕は恐竜が今もいる可能性自体はね」
「それは否定しないわよね」
「うん、しないよ」
それはというのだ、このことは学者らしい理知を思わせる顔で語る。彼等の右手にあるネス湖の水面は穏やかであり静かな波が漂っているだけだ、そこに何かが潜んでいるとは思えないだけの静かさである。
「それはね」
「シーラカンスもいるしね」
「ムカシトカゲもね」
ニュージーランドにいるこの動物の名前も出す。
「いるからね」
「恐竜がいること自体はなのね」
「僕達はこの世界のことをまだ何も知らないんだよ」
ヘンリーの持論だ、これもまた。
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