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魔石の国―Law and affection―

作者:新希
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魔石の国―Law and affection―

 一隻の大きな船が海を横切っている。目指す先には、灰色の煉瓦でできた城壁を持つ島国があった。
「しかし、あの国のことを誰から聞いたんだい、旅人さん?」
 甲板では一人の商人の男と旅人、そして一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す。)がいた。
 旅人は十代中頃で、短い黒髪に精悍な顔つきをしていて、黒いジャケットを着ていた。それから右腿にハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)を吊っている。
「黒い尖った珍しい帽子を被っていた人でしたけれど。どうかしたんですか?」
「いや、今まであの国に行こうとする旅人はいなかったからな。それで、尖んがり帽子ってことはまさかあの国出身か?」
「そう話していましたけど。それがどうかしたんですか?」
 旅人が尋ねると、男は徐々に大きくなってきている城壁を一度仰ぐ。
「ふーん、珍しいこともあるもんだな。あそこは魔石の取引以外は何の交流もしない、閉鎖的なところなんだが……」
 男は考えこむような仕草をして、黙ってしまった。
「どうかしたの、オッチャン」
 モトラドが声をかける。若い、男の子のような声だった。
「あそこは原則、住人が国外に行くことを禁じているって聞いていたからな」
 と答えたきり男は沈黙してしまったが、何か思いあたる節があったのか、下向きになっていた顔を上げた。
「旅人さん、尖んがり帽子を被っていた奴は、家族の誰かを探しているとか言っていなかったか?家族じゃなくても身内をさ」
「わお、どうしてわかったの?」
 旅人ではなくモトラドが、感嘆と興味を混ぜたような口調で尋ねる。
 男はモトラドの疑問に答えようと口を開きかけるが

「おーい、おまえいつまで旅人さんと話し込んでいるんだよ。もうすぐ島に到着するぞ。上陸の準備を手伝え!」
と仲間に怒鳴られて肩を縮めた。
「わかったよ!……旅人さん。俺、仲間のところに行ってくるんで、旅人さんも島に渡る準備をしておいてくれ」
 男は返事をすると旅人にそう告げ、仲間達のいる方へ行ってしまった。








 大きな門の前には長い槍を持った門番が二人いた。
 商人達は門番に目的を告げ、一言、二言、言葉を交わす。門番の二人はそれぞれ左右に別れ、城門を開ける。
 商人達は取引する商品を積んだ荷車をひきながら入国してゆく。
 旅人とモトラドはその後から城門へと近づく。門の前まで来たところで
「何者だ」
門番の一人が誰何(すいか)する。旅人の目の前で二人の槍が交差された。
「ボクはキノ、こちらはエルメスで旅をしている者です」
 足を止めキノは名乗る。
「どもね」
 エルメスが挨拶をすると二人は大仰に驚いた。物珍しそうな目でモトラドを見ている。
「観光と休養のためにそちらの国に三日間、入国させていただけませんか」
 キノは簡潔に目的を告げる。
「失礼ですがそちらのモノはなんでしょうか?」
 エルメスを指差し門番は不思議そうに尋ねてきた。
「これはモトラドと言って早く移動するための乗り物です。例えるなら馬のようなものです」
 キノは門番二人にわかりやすく説明した。時々エルメスが補足をいれる。
「なるほど、わかりました。キノさん、申し訳ありませんが入国に関しては長老の意見を仰がなくてはなりませんので、しばらくお待ち下さい」
「わかりました」
 キノは城門の端の方に、エルメスをセンタースタンドで立たせた。
 キノはエルメスにもたれかかりながら立っていたが、太陽が天頂付近にくると、エルメスにくくりつけておいた鞄から敷物を取り出して、敷き、座った。そして
「またこれを食べなければならないのか」
とため息をつきながらも携帯食料を食べるキノ。
「仕方ないよ。でもさーキノ、もし入国できなかったらどうする?」
「その時はその時さ」








 太陽が地平線に触れようとしているぐらい西に傾いてきた頃、キノは入国許可が出たことを告げられた。
「やっとか」
 エルメスを押して城門へと向かいつつキノは呟いた。
「こんなに待たされるとは思わなかった」
「でもよかったじゃん、入国できてさ」
 エルメスが言う。
 門番は巨大な城門を開けるとキノに軽く詫びるように一礼した。キノも会釈する。
 門から国の中に入るとすぐにたくさんの家屋が目の前に広がった。どの建物も簡素な造りで、屋根は空に向かって尖んがっている。
 キノは足を止めた。黒いローブを着た、地につくほど長い白髪と白い髭の厳めしい顔をした老人と、その左右に黒い尖んがり帽子に同色のマントを羽織った男が二人近づいてきたからだ。
 老人が口を開く。
「おぬしが旅人とやらじゃな?」
 威厳に満ちた声に臆しもせずにキノは答える。
「はい、キノと言います。そしてこちらはエルメスです」
「キノとエルメスじゃな。わしがこの国の長老じゃ」
 長老達とキノとエルメスの周囲に、住人達は何事かと遠巻きに集まってきた。
 住人は皆一様に黒を身につけていて、男性はマントかローブを、女性はショールを羽織っているかローブを着ていた。尖んがった帽子やバンダナをしていたり、ローブのフードを被っている人もいた。
 そして大人達の間から顔を覗かせている子供がちらほら見えた。男の子は黒いずきんを着ていて、フードは外している。女の子はショールでバンダナをしていた。
「おぬし達の入国に関して条件が三つある」
「なんでしょうか?」
 キノは長老に訊く。

「第一にモトラドとやらの乗り物を国内では使用しないで欲しい」
「ボクがこいつを自分で押して歩くのはかまわないですよね?」
 長老は頷く。キノは同意した。
「第二にこの国は長年他国の者を受け入れたことがなかった。よって旅人を泊める施設のようなものはない。そこでおぬしらにはこちらの夫婦の家で寝泊まりしてもらうことにした」
 長老が人々へと目線を送ると、一組の男女が進みでてきた。どちらも三十代で、穏やかで優しそうな人達だった。
「それでもよいじゃろうか?」
 二人はキノに向かって軽くお辞儀をした。
「よろしくお願いします」
 キノも頭を下げる。
「うむ。第三に外の世界についての話を聞かせてもらいたい。わしらは他国のことを何も知らないのでな」
「ボクの話でよろしければ」
 キノは言った。
「ならば明日の昼頃に宮殿に来てくれまいか。食事とともに話を聞きたい。宮殿の場所はこの夫婦が教えてくれるじゃろう」
 長老はそう言い残し、キノに別れの挨拶をし側近とともに去っていった。
「それではキノさん私達の家にご案内しますね」
 キノは夫婦の後に続き歩き始めた。









「すみませんキノさん。こちらのお部屋でよろしいでしょうか?」
 案内された部屋はダブルベッドに衣装だんすと少しの調度品が置いてあり、一人で使うには広過ぎるくらいだった。
「はい、むしろ充分過ぎるくらいです」
 キノの言葉に夫婦は安堵した表情を浮かべた。
「それはよかった。数年前まで父母の寝室だったものですから、キノさんが気に入るかどうか不安だったんです」
 男性は胸をなで下ろすように言った。
「旅人さんに使って頂けるなんて、亡くなった義父や義母も喜ぶと思います」
 女性は柔らかく微笑む。
「ではキノさん、どうかゆっくりなさってください。エルメスさんも」
「夕食ができましたらまた呼びに来ますので」
 男性と女性がそれぞれ言葉をかけ、扉を開け部屋から出ていった。最後に控えめにドアを閉める音がした。
 キノはエルメスをセンタースタンドで立てて
「もう夕暮れ時か。観光はまた明日だな」
 窓から差し込む夕日を眺めながら呟いた。









 夕食ができたとの知らせを受けたキノが女性とともにテーブルへつくと、そこにはすでに男性と、灰色の髪の十歳前後の少年がいた。少年は黒いずきんを着ていて、フードをはずしていた。
「キノさん、この子は私達の一人息子です」
 女性が少年を紹介する。
「噂の旅人さんだね。よろしく、キノさん」
「こちらこそよろしく」
 キノと少年の自己紹介が終わると、食事が始まった。
 夕食のメニューはパン一個にじゃがいもをふかして味付けされたものと少しの野菜だけという、大変質素なものだった。
「あのう、この明かりは何が光源になっているんですか?」
 上から吊り下がっているランプのような物を指差してキノは質問した。
 明かりからは電球のような柔らかい光が部屋全体に溢れている。だがランプは一個しか吊されていないにも拘わらずにだ。相手の顔や料理も昼間と同じようによく見える。
「魔石ですよ」
 男性は答え、近くに置いてある片手で持ち運べるぐらいの小さな(かめ)をテーブルへと持ってきた。
 瓶の蓋を開けてキノに中身を見せる。中は眩いばかりに輝いていた。
 男性は片手で握りしめらるぐらいの光輝く魔石を、瓶から一つ取り出した。
「見て下さい。光を放っているでしょう」
見やすいように手のひらの魔石をキノの方へ差し出す。
「熱くないんですか?」
 キノは目を丸くした。
「いえ、そんなことはありませんよ。持ってみます?」
 キノは男性から光輝く石をもらう。確かに熱くはない。ひんやりと冷たいぐらいだった。
「石自体が光っているんですね」
 キノは魔石を手の中で転がす。
「ずっと輝き続けているんですか?」
「いえ、二、三ヶ月程で光は失われただの透明な石になってしまいます。そうしたら新しいものに買い替えなければなりません」
「そうなんですか」
キノが感心していると
「他にも魔石には色々あるんですよ」
 女性が横から口を挟む。
「大きく分けてこの明かりのように石自体が輝いたり、冷気や温かさを持っている石と、専門の細工師が加工して呪い(まじない)を施したものとに分けられるんです。これらは主に指輪やネックレスなどのアクセサリーに使われています」
 女性は説明する。
「呪い(まじない)、とは?」
「魔石に特別な力を込めるんです。物理的なものではなく、精神の力とでも言うのでしょうか。それらの魔石には細工師の呪いの種類によって、財に恵まれたり、恋を成就させたりといった効果が現れるそうです。でもとても高価なので、私達庶民にはとても手が出せません」
 女性は口許に片方の人差し指を添え
「だから私は細工師が造った魔石に憧れています」
 いたずらっぽく笑った。









「お帰り、キノ。食事はどうだった?」
「量が少なかったけど、おいしかった」
 部屋に戻ると中は真っ暗だった。それでも窓からの月明かりで、目が慣れるとだいたいどこに何があるかわかった。
 コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
キノが許可すると光と共に灰色の髪の少年が入って来た。
「キノさん、明かりを持ってきたよ」
 少年は左手に蓋のされた小型の(かめ)を、右手首に魔石を光源としたランプをぶら下げてやってきた。
 部屋が一気に明るくなる。少年は衣装だんすの上に瓶を置いた。
「わぉ、キノ、アレ何?電球みたいに光源が小さいのに部屋全体をむらなく照らしている」
 エルメスが感嘆の声を上げた。
「モノがしゃべった!?」
 ズボンのポケットから先の曲がった黒い棒を取り出していた少年は、その動作を止めてしまっていた。目を丸くしている。
 キノは少年にエルメスを紹介し、エルメスに魔石のことを教える。
「――で魔石は二〜三ヶ月ぐらいで光を失うそうなんだ。それで魔石には明かり以外にも色々な種類があって――」
キノが呪い(まじない)を施された魔石についてエルメスに話す。
「へえー、だけどそれ、本当に効果があるかは怪しいよね」
 エルメスが率直な感想を言う。キノはエルメスのタンクを一発叩く。
「エルメスさんの言う通りだね、ボクもそう思うよ」
 少年は天井から突き出ているフックに、伸縮自在で先が曲がっている棒をうまく操り、ランプを吊り下げながら会話に加わる。
「一般人にはとても買うことはできないから実際に確かめることもできないしね。でもね……」
 少年は棒を天井に伸ばしたまま動作を止める。
「想いの込められている魔石はね、本当に綺麗なんだよ。どんなモノよりも、魅せられる」
 少年はキノの方を向き、恍惚した表情で語った。
「……」
 キノは無言で少年を見つめていた。
「どんなモノよりも魅せられる……。本当に」
 少年はもう一度繰り返した。どこか、遠くを見ているようだった。
 少年は棒を下へと降ろした。
「ねぇ、キノさん。キノさんは色々な国を旅しているんだよね?」
 唐突に少年はキノを見据えて尋ねる。
「そうだけど」
 キノは答える。
「一つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだい?」
 少年は棒を縮めて床に置いた。そして言った。
「『人間』について、どう思う?」
「どうとは?」
 キノは怪訝そうに少年を見遣る。魔石の明かりに照らされる顔からは何も読み取ることはできなかった。
「『人間』ってやっぱり醜い?」
 無邪気な声でさらりと少年は疑問を投げかける。キノは数秒間、沈黙した。
「……。どうして、そんなことを聞くんだい?」
「えっ」
 逆に問い返され少年は虚を衝かれたような表情をした。
「だって――……」
 答えようとして少年は何かを思い出したのか、口の動きを止めた。唇を空回りさせた後
「なんとなく聞いてみたいと思っただけだよ」
とだけ言って立ち上がり
「そろそろ自分の部屋に戻ろうかな。キノさん、明かりが足りなくなったら(かめ)の中に魔石が入っているから継ぎ足すといいよ。それと明かりが不要になったら、瓶の中に戻して蓋をすれば光は洩れないはずだから」
と慌てて説明した。
「あと、コレ。ランプを取り外したりするのに使って」
 少年はキノに棒を渡すと、ドアの方へ行き
「じゃあキノさん、エルメスさん、おやすみなさい」
と告げ部屋から出ていった。
 扉が閉まり、遠ざかっていく足音が響き聞こえなくなった頃。
「ねぇ、キノ。あの子なんであんなこと聞いてきたんだろう。何かあるのかな?」
 エルメスがキノに話しける。
「さあ。どのみちボクには関係のないことだしどうすることもできない」
 キノは少年からもらった先の曲がった棒を伸ばした。
「今日はもう寝ることにしよう」
 キノは吊り下げられたばかりのランプをはずす作業にとりかかった。








 次の日。キノが入国してから二日目の朝。
 キノは夜明けと同時に起き、軽く運動をした。
 そしてパースエイダーの整備と訓練を一通りこなすと、ドアがノックされた。
「キノさん、おはようございます。起きていらっしゃいますか?」
 扉の外から女性の声がした。
「はい」
「朝食ができましたよ」
 ゆるやかな口調で女性はそう告げた。









 質素な朝食の後、キノとエルメスは女性に案内され水浴びのできる大きな池に来ていた。
 そこは集落から北に行ったところにあった。
 池の水はとてもきれいて底が見える程澄んでいた。
「綺麗でしょう。少し遠いですけれど、ここが一番いい場所だと思うんです。宮殿の近くにありますし、人もほとんど来ませんし」
 女性の言う通り、キノ達以外に人影はなかった。
「私もなんだか水浴びがしたくなってきました」
 女性はキノに子供っぽく笑い掛けた。
「ご一緒してよろしいですか?」
「……。ええ」
 キノは頷いた。
 エルメスは池の脇に置かれていた。
 水は波紋を描き時折、魚が泳いでいくのが見えた。聞こえてくるのは水の音と鳥のさえずりのみだった。
「暇だなぁー」
 エルメスの声のみが響いた。







「こうやって誰かと一緒に水浴びをしたのは何年振りかしら」
 そよ風に髪をたなびかせながら、女性は先程までいた池を見つめた。
「夫の母と来たのが最後かもしれません」
 キノは黙ってエルメスとともに耳を傾けている。
「私、両親を小さい頃に亡くしてから、他に身内もいなくてずっと独りだったんです」
 女性は語り始める。
「でも夫と結婚して義父(ちち)義母(はは)ができ、子供も授かりました」
 女性は自分の胸に手を当てた。
「自分に家族ができてとても嬉しかったんです。この国は家族、身内を重んじるところがありますから」
 女性は池からキノへと視線を移し
「でも義父は六年前、義母も三年前に亡くなってしまいました。今では私の身内は夫とあの子だけです。だからキノさんとエルメスさんがいらした時、また家族が増えたようで歓喜の気持ちでいっぱいになりました」
そう言って微笑んだ。そしてハッと気が付いたように瞬き
「ごめんなさい、こんなことをお話しをして。つまらなかったでしょう」
口許に両手を当てた。
「そんなことありませんよ」
「そうそう。キノはどんな話でも喜んで聞くしさ」
 女性はホッとした表情を浮かべた。
「よかった。ありがとうございます、こんな話を聞いて下さって」
 柔らかく女性は微笑し周りを見回した。
「そろそろ私は家事に戻らなければなりませんね。キノさんとエルメスさんは宮殿へ行かれるんですよね?」
「はい、食事に呼ばれていますので。そこへ行く道程を教えて頂けるとありがたいです」
 キノは言った。
 女性によると、宮殿はこの池よりもさらに森の奥へと続く一本道を、真っすぐ歩いていったところにあるらしい。
「宮殿の門には見張りがいるはずですから、その人達に用件を告げるとよいと思います。それから宮殿の近くに黒い屋根の立派な塔があるんですが……」
 ここで女性は声を強め
「その塔には絶対に近寄らないで下さい。絶対にですよ」
念を押すように言った。
「キノさんとエルメスさんだけでなく私達も塔へ行くことは固く禁じられているんです。だからどうかお願いします」
「わかりました。その塔には近付かなければいいんですね」
「はい。宮殿までご案内できなくて本当にすみません」
 頷き、女性は申し訳なさそうに謝った。









 左右は木々で囲まれ、一本の踏み固められた道が続いていた。
 頭上からは天頂に近付きつつある、日の光が射し込んでいる。
 キノはエルメスを押し、歩いていた。
「モトラドが走れないなんて……」
「仕方ないだろう。エルメスに乗らないことが入国条件の一つだったんだから」
「そうなんだけどさー」
 エルメスのぼやきを聞き流しつつ、キノは黙々と歩みを進める。
 代わり映えのない景色が続き、太陽が天頂へと昇った頃。
 前方で木々の間から宮殿のものと思われる、三本の砂色に藍色の曲線が描かれた、尖った屋根が伸びているのが、微かに見えて来た。
「キノ」
 ふいにエルメスが声を出す。
「どうした、エルメス」
 キノは右手をホルスターへとあてる。
「左斜め四十五度前方を見て」
 キノは言われた方へ視線を遣る。
 木と木の間から、黒いずきんを被った灰色の髪の子供が走って行く後ろ姿が小さく見えた。そして徐々に遠ざかっていき、やがて見えなくなる。
「今の子がどうかしたのかい?」
 キノは足を止め子供が去っていった方角を見つめる。遠くに、森に埋もれるように黒い尖ったものが先端だけを突き出していた。
「近付くなと言われた塔かな」
「そうだよ。あの子、その塔へ向かってた。しかもあの夫婦の子供だったよ、キノ。何しに行くつもりなんだろう?」
 キノは立ち止まったまま、少年の消えた方を眺めていたが
「わからないよ」
と答え、歩き始めた。
「ボクが今するべきことは、宮殿へ行き旅の話をして、昼食を食べることだ」










 食事は柔らかい肉のステーキに、焼きたてのパン、彩りのよい野菜サラダ。それと見目麗しく切られている数種類の果物だった。
 キノは長老、高位の黒いマントを羽織った五人の男達とテーブルを共にしている。
「どんな国の話がよろしいでしょうか?」
 器用にナイフで肉を切り、口に運びつつキノは尋ねる。
「どれくらい発展しているのか、どんな習慣があるのか、近隣の国々を中心に教えてもらいたいと思う」
 長老が皆を代表して口を開いた。
「では――……」
 キノは料理を次々と平らげながらも今までに訪れた国についてを語った。
 長老と五人の男達は時々質問をし、熱心にキノの話に耳を傾けていた。
 料理を食べ終えた後もキノは話し続け、時折、使用人がお茶を継ぎ足しに来た。
 時間が穏やかに過ぎていく。キノは何杯目かのお茶を飲み干した。
 突然、慌ただしい足音が響いてくる。
 何事かと長老達が眉をひそめると、扉が大きな音をたてて開き一人の兵士が入ってきた。
「長老!オーブの塔に侵入者がっ」
 兵士は息を切らしながら報告する。
「なんじゃと! それで侵入者は?」
 長老はすぐさま兵士に問い質す。
「はい。その場で取り押さえ、ここまで連れて参りました」
 兵士は扉の外へ声をかけた。すると体格の良い男が、一人の少年を羽交い締めしながら入ってきた。灰色の髪の十歳前後の男の子だった。
 少年は俯いており、灰色の髪に隠れて表情はわからなかった。
「この者です」
 長老は少年を凝視し、素早く指示を出す。
「こやつの身内をここに呼ぶのじゃ。こやつはキノさんに寝所を提供している夫婦の息子のはずじゃ」
 キノは無言でその様子を眺めていた。









 夫婦は血相を変えて宮殿へとやって来た。
「あの子は、あの子はどこなのでしょうか!?」
 女性は部屋中を見回しながら尋ねる。
「別室だ」
 黒いマントの一人の男が短く答えた。
 キノは先程と変わらず、席に着いたまま耳を傾けている。
 男性は妻より一歩、前に進み出て問う。
「長老、私達の子供はどうなるのでしょうか?」
 長老は眉間にしわを寄せ、重々しく言った。
「おまえ達の子供は邪悪なるオーブが封じられていた塔に立入った。この国の掟として、禁を破りし者は身内がなんとかせねばならぬ。よって――――」
 長老は一度言葉を切った。夫婦は続きをただ待つことしかできない。
 長老は低く、けれどもはっきりとわかる声で言った。
「おまえ達の手で殺せ」
 女性が悲鳴を上げて泣き崩れた。男性は妻の肩を抱くが、女性は首を横に振り嗚咽を漏らすのみだ。
「長老、あの子はまだ十と少しの子供です。どうかご容赦を」
 男性の顔は痛々しいくらい歪んでいた。
 だが長老は判決を変えなかった。
「掟は絶対じゃ」
 側近である黒マントの男の一人が補足する。
「あなた方の子供は塔に近づいただけではない。あの塔には何人たりと立ち入れないよう、封印が施されていました。あなた方の子供はその封印を解き、なおかつ塔の内部でオーブと共にいた」
 夫婦は返す言葉を失った。ただ愕然とするのみだった。
「塔に行っていたことは、殺さなくてはならないぐらいの重罪なんですか?」
 キノは黒マントの男に尋ねた。
「キノさんは旅人でしたね。疑問に思われても仕方ない」
 男はキノの質問に答えた。
「この国には、この世界全ての悪意、放たれてはならない禍禍しい人間の意識が込められているオーブ、つまり魔石があるのです。過去に何人もの人々がオーブの影響を受け、この国を揺るがす大きな危機に陥れたそうです。しかし破壊するわけにもいかず、宮殿近くの塔を建て封印し、何人たりとも近付くことを禁じたのです」
 男は夫婦の方を一瞥した。
「ですがあの子供は塔にかけられていた封印を解き、さらにオーブと接触していた。後々危険分子となるとみて間違いないでしょう。身内の不祥事は身内がなんとかしなければならない。長老の決定は当然のことです」
「……」
 キノは無言のまま夫婦を眺めた。
 女性は肩を震わして泣きつづけ、男性も妻を支えているものの涙を流していた。
「長老」
 女性が泣き腫らした顔を上げ声を絞り出し懇願した。
「せめて、今日だけは、今日一日だけでよいので猶予を下さい」
「理由を述べよ」
 長老は静かに問うた。
「最後に、最後に、最後だけは……、あの子に……幸せな時間を過ごさせたいのです」
 途切れ、途切れになりながら女性は言った。そしてまた嗚咽を漏らした。
 男性は慰めの言葉か、女性に小声で語りかけた。女性は首を縦に振り、男性を見上げた。
 男性は頷き、長老を仰ぎ見る。
 しばしの間、黙考していた長老が口を開いた。
「猶予を認める。じゃが今日中に殺せ。これ以上の譲歩はせぬ」
「……。ありがとうございます」
 女性は震えながらも慇懃に礼を言った。
 長老は側近の一人に目配せをした。側近は頷き席を立ち、夫婦の方へと近付く。
「これをあなた方に渡しておきます」
 男は透明な液体の入った、片手で包みこめるぐらいの小さな小瓶(こびん)を差し出す。
 女性の瞳が大きく見開く。
「これは……?」
 男性が男に尋ねる。
「毒です。飲み物にでも混ぜて使うとよいでしょう。不測の事態のことも考えて多めに入れておきました。中身の半分ぐらいで致死量となります」
 男は淡々と説明する。
 夫婦は顔を歪ませる。
「楽に死なせてあげた方が良いでしょう?我々からの、せめてもの情けです」
 男性は震える手で男から小瓶を受け取った。








「わぁー、どうしたの?こんな豪華な料理!今日は何か特別な日だったっけ?」
 目を輝かせ、少年はテーブルの上に並んでいる料理の数々を見て言った。
 鳥の、骨付きのから揚げ、かぼちゃの温かいスープ、野菜サラダに、にんじんとじゃがいものマッシュポテト。さらに、出来立ての三日月形のパンが籠いっぱいに入っていて、テーブルの中央に置かれている。
 女性は曖昧に微笑み、男性も無言のまま少年へ目を向けるのみだった。
「?」
 少年は首を傾げたものの、目の前に広がる様々な料理に心を奪われたようだ。おいしそうに頬張り始めた。
 キノはスープを口に含んだ。かぼちゃのスープは甘く喉を潤した。
 他愛もない会話をしながら食事は進んでいく。
 夕食が終盤に差し掛かった時、女性は席を立ち台所に行った。
 キノは使い終わったフォークとスプーンを皿に重ねておいた。
 女性が湯気の立ち上る陶器のコップを運んで戻ってきた。
 中身は白い液体だった。
 キノはコップに口をつける。やや甘過ぎるホットミルクのようだった。
「豪華な料理の後にミルクまで飲めるなんて」
 息を吹きかけて冷まし、少年は少しずつコップの中身を飲んでいた。
「おいしい?」
 女性が聞くと少年は頷いた。
「よかった……」
 女性は微笑みを浮かべた。
「今日は母さんが腕を振るって作ってくれたんだ。明日からもがんばってくれるようにね」
 男性は一口、一口、幸せそうな表情で味わっている少年にそう言った。









「はぁー、あの子がいつ毒を飲まされるのか気が気でなかったよ」
 夕食後、部屋に戻ったキノはそう呟いた。
「それでどうなったのさ、あの子」
 キノはベッドに腰を下ろし、エルメスに話す。
「まだ生きているよ。ボクは食事の中に――スープかホットミルクに毒を混ぜて死なせるんだと思ってたんだけど。何も起こらなかったよ」
「今日中にだったよね。どうするつもりなんだろ?」
「さあ。どのみち明日には片が付いているはずだ」









 次の日。つまりキノが入国してから三日目の朝。
 キノは夜明けと共に起き、いつものように軽く運動をし、パースエイダーの整備をした。
 キノはドアの方へ目を向けた。ノックする音は聞こえてこない。
 キノは格闘の訓練も行うことにした。
 訓練を一通り終えた頃。
「おはよう、キノ」
 エルメスが目を覚ました。
「おはよう、エルメス。一人で起きるなんて珍しい。いつもこうだったらいいのに」
「……」
 エルメスは黙ってしまった。
 キノがなおも言い募ろうとすると、コンコンとドアをノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
 ドアの方へ視線を向けて、キノは言った。
「おはよう、キノさん、エルメスさん」
 キノは目を見張る。ドアノブを回して現れたのは少年だった。
「キノさん、エルメスさん。父さんと母さん、見なかった?」
 少年は尋ねる。
「今日はまだ一度も会っていないよ。どうかしたのかい?」
「いつもならもう母さんが朝食を用意して、父さんは席について待っているはずなんだけど、今日はまだ起きていないようなんだ」
「……。寝室とかは探してみた?」
 考え込み、キノは訊く。
「まだだよ。キノさんとエルメスさんに尋ねてから行こうと思ってたんだ。今から確かめてくるよ」
 部屋から出ていこうとする少年に
「待って。ボクも行く」
 右腿と腰に吊ってあるパースエイダーを確認し、キノは言った。










 夫婦の寝室にキノは少年と共にやってきた。
「父さん、母さん」

 少年がドアをノックしながら呼び掛けるが、反応は返ってこない。
 少年は何度もノックし呼び続けるが、中からは物音一つしない。
「ちょっといいかい」
 少年に脇にどいてもらい、キノはドアノブを握る。
 鍵はかかっておらず、扉は容易に開いた。
 最初に目に留まったのは、俯せに床に倒れている夫婦の姿だった。キノは動かない男性と女性に近づく。
 二人の近くにはからっぽの小瓶と二つのコップが転がっていた。
「父さん、母さん……」
 少年は瞳を大きく見開き、唇を震わしたまま立ち尽くすのみだった。
 キノは男性と女性の脈を調べる。
「キノさん、父さんと母さんは……?」
 少年は掠れた声で訊く。
「亡くなっている」
 キノは頭を横に振った。そして二人の顔を覗き込み、開いていた目を閉じてやる。
「どうして……」
 少年は一歩、二歩と踏み出し、夫婦に近寄る。その瞳に両親の姿を映し、凝視した。
 少年は落ちていた中身のない小瓶を拾い上げた。
「そう……か。ボクは……ボクは……許されていなかったんだ」
 そう言いながら小瓶を鼻に近づける。
「この中に毒が……あって……飲んだんだね。……ボクが……あの塔に…………オーブと会っていたから……?」
 少年は両親の傍らにいるキノへ視線を移す。
「キノさん。父さんと母さんは……ボクに毒を飲ますように言われていたんでしょう」
「……」
 キノは何も言わない。
「ボクを殺せばよかったのにね。ボクがいけなかったんだからボクが死ねばいいのに……。ボクを殺したらいいのに。ボクはそれでも構わなかったよ」
 少年は小瓶に口をつけ、流し込むように傾ける。だが中身は一滴も残っていなかった。
「ボクが飲めばよかったんだ。……父さんと……母さんは……はず……なのに……」
 少年は独り、話し続けた。涙は浮かべずに、変わり果てた両親を見下ろし、どこか狂ったかのように話し続けた。










 少年は木製の手枷を掛けられ屈強な兵士達に連行された。
 少年は従順に促されるままに歩みを進める。虚ろな瞳には何も映してはいなかった。
 大勢の人々がこの異様な光景を見に集まってきていた。
「すみません、キノさん。このような事態になってしまいまして。長老よりお詫びを申し上げに参りました」
 人混みに紛れていたキノとエルメスの元に、黒いマントの男が現れた。
「いえ。ところであの少年はこれからどうなるんですか?」
 キノは兵士達に連れていかれる少年の後ろ姿を見つめながら言った。
「そのことなんですが……。キノさん、場所を変えませんか?ここは人が多過ぎますので」










 キノは朝食と夕食をともにしたテーブルへと着いた。
 キノ達と男は夫婦のものであった家の中にいた。
「申し訳ありません。人目を気にせずにお話できる場所がここしかなかったもので」
「別に構いませんよ」
 キノは向かい側に座った男に言った。そこは昨日まで女性の席だった。そしてその隣は男性の席だった。
「キノさんはこの国の掟についてはご存じですか?」
「はい。『禁を破りし者は身内がなんとかしなければならない』でしたっけ」
「その通りです。ご存じならば話は早い。本来ならば掟に従い身内の者があの少年を殺さなければならないのですが……」
 男は言い淀む。キノはちらりと隣の空席を見た。
「……夫婦が亡くなってしまったため、あの少年には身内が一人もいなくなってしまったのです。夫婦のどちらにも兄弟などはおらず、その両親も他界されていました。この国では大変珍しい、親と子のみの家族だったのです。夫婦は自分達で毒を仰いで自殺したようなのですが……。今までこのような事態が起こったことがなかったものですから、我々も頭を抱えております。今、長老と側近一同でどうするべきか議論をしているところです」
「他の誰かがあの子を殺したりはしないんですか?」
「それはできません。なぜなら自ら進んで手を汚すようなこと、誰も引き受けてはくれないでしょうし、そんなことを何の責もない人にさせるわけにはいきません」
「じゃあさ、判決が出るまであの子はどうするの?」
 エルメスが質問する。
「長い間、使われてなかった宮殿の地下牢に入れられ、そこにずっといることになるでしょうね。どのみち、判決が出たとしても普通の生活を送ることはできないでしょう。あの少年にとって殺されることよりも酷なことになったのではないかと私は思います」
 男はそう答えた。
「ボクの疑問に答えて頂き、話をして下さりありがとうございました」
 キノは礼を言う。
「キノさんは今日、出国されるのですよね?」
「はい、そうですけど何か?」
「もしまだ滞在されるのでしたら新しく寝泊まりする家を手配しなければならないですから」
「お気遣いありがとうございます。最後に一つだけ訊いても良いですか?」
「なんでしょうか?」
「もしあなたが夫婦の立場だったらどうしますか?」
「殺しますよ。それが子供にとってもこの国にとっても一番良いことだと思いますから」









 キノはエルメスを押して、城門に向かう。人々は二人に好奇の視線を送るだけで、今日起こった出来事について話し合うのに忙しそうだった。
「旅人さん!」
 キノは声の方へ顔を向けた。
 一人の商人が城門からキノ達に手を振っていた。それはこの国に来る時に、船の上で話していた商人だった。
 商品を乗せている荷車を引きながら、商人はキノ達のところへきた。
「なんかあったのか?妙に騒がしい気がするんだが」
「この国で先代不問なことがあったんだよ」
「は?」
「……。前代未聞?」
「そうそれ」
 エルメスが頷く。
「へえー。で、一体何があったんだ?教えてくれないか、旅人さん」
 商人は興味を持ったようだ。
「いいですけど、お仕事は?」
「長くなる話なのか?」
「そうでもないですけど」
「ならいいだろう」
 商人は道の端で荷車を止める。
「じゃあ、まず一つ訊いてもいいですか?」
 キノは言う。
「話に関係あることなのか?」
「あなたに子供がいたとして、その子が重い罪を犯し、あなたの手で殺さなければならなくなったらどうしますか?」
 キノの質問に男は答えた。
「そりゃあ旅人さん、俺にはわからないよ。実際に子供がいてそういう状況に陥った奴じゃないと。まあ俺がそんな局面になることはないわな。まだ結婚もできてないしな」
 商人はにかっと笑う。
「それもそうですね」
 キノは小声で言い、宮殿の方を振り返る。
「ん、何か言ったか?」
「いいえ、何も」
 キノは商人へと向き直った。そして商人にこの国で起こった出来事を語り始めた。











END.
 
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