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吸血花

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第十五章


第十五章

 娘は成長してとある貴族の家の使用人になった。代々海軍の提督を輩出している名門であった。
 その子息の一人に見初められたのである。だがその子息は既に結婚していた。愛人として彼女を欲したのである。こういった話は当時よくあった。ローマの慣習に習った当時のイギリスの貴族のしきたりでは貴族が使用人の少女を愛人や恋人にしても問題は無かったのである。
 これに対し彼女は反抗した。そして言い寄られた時に窓から飛び降りて命を絶ったのである。
 彼女の亡骸は父親の下に送り届けられた。真相は解かっていたが誰も口にしなかった。ロイヤル=ネービーの名家に対しては誰も言えなかったのだ。それに当時の慣習で彼等に落ち度があったわけではなかったのだから。
 娘を失った父親の悲しみは深かった。彼はそれを忘れようとするかのように仕事に打ち込んだ。これまでより遥かに打ち込んだ。頬はこけ幽鬼の様な外見になった。ろくに食事も摂らず骨と皮ばかりになった。それでも彼は火の側から離れようとはしなかった。
 そして彼のところにある仕事の依頼が来た。日本の海軍兵学校の建物に使う煉瓦を造る仕事である。
 その話を聞いて一瞬彼の動きは止まった。だが彼はその仕事を快諾した。気の乗らない仕事は引き受けない気難しい性質の男であったが何故かその仕事は請けた。そしてその仕事に一心不乱に打ち込んだ。それこそ脇目も振らずに火の側に留まった。
 そして煉瓦は完成した。そして船で日本に運ばれた。そしてあの赤煉瓦が完成したのである。
「あの赤煉瓦にはこんな話が隠されていたのですか」
 本郷はその話を読み終えて言った。
「うん。私も今まで知らなかったがな」
 役が答えた。
「それにしても当時では当たり前の話だったとはいえこの貴族の馬鹿息子には腹が立ちますね。こいつ名のある家の奴らしいですけれど誰なんですか?」
「その本の後ろの方に載っているよ。A提督さ」
「A提督!?第一次世界大戦の時に有名だった」
「うん。ジェットランド沖会戦で戦死した人だったね」
「あの人だったんですか。これは意外だったなあ」
「まあよくある話だけれどね。僕もこれには気付かなかったよ」
 名提督として知られた人である。将としてだけでなく人としても優れていた人物だったという。
「人格者ってイメージがあったんですけどね。まあ女好きは誰でもそうですけれど」
「君みたいにね」
「・・・・・・放っといて下さい」
 これには本郷も黙った。
「けれどこれとあの女怪が何か関係あるんですか?この煉瓦職人の親父の怨念がこもっていて親父が出て来るというんなら話はわかりますけれど」
「出て来るのはその職人だけとは限らないよ」
「あ・・・・・・・・・」
 その言葉に本郷はハッとした。そう、人の心は他の人の中に入り生きる事があるのだ。
「大体解かったろう。あの女怪の正体が」
 役は微笑んで言った。
「ええ、とても。道理で日本の妖怪には見えない筈ですよ」
 本郷もその言葉に頷いて言った。
「さて、相手の正体が解かったらおのずと戦い方も決まってくる。今夜にでもやるぞ」
「ええ。向こうも出て来るでしょうしね」
 二人は笑った。そしてマクガレイ大尉に本を全て返すと戦いの準備を始めた。
 刀や短刀の刃を磨く。そしてそこに梵字を書く。
 拳銃に銀の弾丸を装填しポケットにストックを入れる。そして懐には札を忍ばせる。二人の用意は整った。後は夜になるのを待つだけであった。
「消灯」
 放送が入った。だがまだ多くの候補生達は自習を続けている。候補生学校は夜も忙しいのである。
 その中本郷と役は隊舎から出た。そしてある場所へと向かう。
「お二人共、お菓子でもどうですか」
 紫のジャージを着た伊藤二尉が部屋に入って来た。だが二人はもういなかった。
「そうか、捜査中か」
 伊藤二尉はそう思いテーブルの上にその菓子を置いて部屋を去った。広島名物紅葉饅頭である。
 黄金色の柔らかい光を発する満月の下二人は進んでいた。息は白く空の中に吐き出される。だが寒くはなかった。その気が全身を包んでいた。
 気が張り詰める。それは四方八方に張られ辺りを支配していた。
 教育参考館の前に来た。厳しいギリシア風の建物である。
 ここには旧海軍からの歴史的資料が多くある。東郷平八郎や広瀬大佐、秋山真之等日露戦争において国難を救った誇り高き軍人達や山本五十六等二次大戦の提督やパイロット達の資料が多く集められている。意外な事に明治の文豪森鴎外の筆もある。彼は軍医としての地位も高かったのである。本名である森林太郎の名で収められている。
 その中でも特攻隊の資料は心を打つ。その若い命をもって国を救わんと出撃し、そして散華していった若き侍達。彼等の純粋で哀しい志もここに伝えられている。その激しく、純粋な心を見て涙を落とす人は多い。
 その多くの資料が収められている建物の前で二人は立っていた。口から吐き出された白い息が夜の冷たい空気の中に消えていく。
 二人は遠くを見ていた。闇夜の中の、遥か彼方を。
 遠くから影が来た。白い、妖気を漂わせた影だった。
 影はあの女怪だった。二人のところへ空を漂うように動くことなくすうっと近付いて来る。
「暫くぶりね。元気そうで何よりだわ」 
 女怪は二人を見て言った。
「それはどうも」
 役は女怪に対して言葉を返した。
「やけに嬉しそうだな」
「それはもう。法力の強い者の血はそれだけ美味しくて力になるのですもの」
 笑った。妖艶であるが血の臭いのする笑みだった。
「ほお、そりゃあどうも。俺達はあんたの食事ってわけかい」
「ええ。とても美味しい御馳走よ」
 女怪はクスクスと笑って言った。
「御馳走ねえ。女の子を食べた事はあっても食べられた事はないんだが」
 背中から刀を抜きながら言った。
「あら、そうだったの。じゃあこれが初めてね」
 目を細めて笑った。
「もっとも最後でもあるけれど」
 その細めた目が光った。不気味な赤い光を放つ。
「それはどうもお嬢さん」
 役が口を開いた。そしてゆっくりと次の言葉を出した。
「いや、メアリー=スコットと呼んだほうがいいか」
 その名を出された女怪は整った眉をピクリ、と動かした。
「・・・・・・そう、知ったのね、その名を」
 女怪はその顔から笑みを消して言った。
「ええ。ちょっと調べているうちにね。貴女の人間だった頃の名前だ」
 役は一歩前に出て言った。
「父はウィリアム=スコット。名のある煉瓦職人だった。君はそのたった一人の娘だった。これだけ言えばわかるね」
「・・・・・・ええ、そうよ。私は死んでから父の心に潜り込んでいたのよ」
 女怪、いやメアリーは二人を見据えつつ言った。
「そしてお父さんの怨念が込められたあの赤煉瓦に私の心は入っていった。お父さんの心と半ば融合していたからね。そして私はここに来た。赤煉瓦の中で怨みを抱いたままね」
「そして兵学校と共に気の遠くなる程過ごしていたのか。恐ろしい執念だな」
「そうよ。そしてその怨みが花を咲かせたのよ。ほら、この花」
 右手の平を肩の高さで上に向けた。するとあの赤い花が浮かび出てきた。
 
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