港町の闇
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第七章
第七章
「用意はいいですね」
「はい」
皆それに応えた。そして礼堂に入った。
そこは暗闇であった。やはり赤い柱と木々が闇の中に見えるだけであった。目が慣れてきたのか天井の絵も見えてきた。しかしその他はこれといって何も見えなかった。
だが本郷は違っていた。その中に何かを見ていた。そしてジリジリと進んでいった。
警官達はそれについていく。ついていきながら周囲に警戒を怠らない。何時やってくるかと思うだけで戦々恐々としていたのだ。誰かがゴクリ、と喉を鳴らす音が聞こえてきた。
本郷はそのまま進む。そして扉の前に来た。すると扉が音もなくすうう、と開いた。そして中からそれが出て来た。
「出たな」
本郷はそれを見て言った。言いながら刀を構える。
「私を嗅ぎ回っていたのは御前か」
そこにいる者が本郷に問うてきた。見れば若い白人の男であった。
顔立ちは整っている。鼻は高く、目は切れ長であった。そして肌は雪の様に白く、髪は赤色であった。だがそれだけではなかった。彼には異形の者である証がそこにはあった。
まずはその肌であった。それは生者の肌ではなかった。その白さは生きている者の肌ではなく死者のそれのようであった。
そして目も赤かった。まるで血の様に赤いその目で本郷達を見据えていた。そしてその首には少女の喉をとらえていた。茶色の髪をしたその少女は既に事切れ蒼白の顔で虚空を見ていた。その目が警官の一人の目と合った。
「ひっ」
目が合った警官は思わず声をあげた。その虚ろな目は何も語らずただ虚空を見ているだけであったがその中には死への
恐怖と絶望が漂っていた。
「貴様、死人か」
本郷は半歩出ながら目の前にいる吸血鬼に問うた。
「死人?」
だが吸血鬼はその問いに対し皮肉な笑みを浮かべて返すだけであった。
「それは違うな。残念だったな」
「ではその白い肌は何だ」
彼はそれでも問うた。
「それは死者の肌ではないのか」
「フン」
吸血鬼は鼻で笑って本郷の言葉を否定した。
「私がそんなものだと思っているのか。死者なぞとは」
「違うというのか」
「そうだ。貴様は永遠に生きる者の存在を知らぬようだな」
「永遠に生きる者?」
「そうだ。罪故にな」
「罪」
本郷は言いながらあることに気付いた。
「カイン・・・・・・」
「近いが違う」
吸血鬼は口の端を歪めてそう言葉を返した。
「私のような高貴な血筋はカインとはまた違うのだよ」
「高貴だと。戯れ言を」
本郷はそれを聞いて吸血鬼を睨みすえた。
「貴様等の何処が高貴だというのだ。この魔物が」
「魔物?ふふふ、確かにな」
吸血鬼はそれを聞いて笑った。黒づくめの服が揺らめく。
「だが私が高貴な血筋を汲むというのは事実だ」
「何処ぞの貴族とでもいうのか」
「そのような似非と一緒にされては困る」
「じゃあ何だ」
彼はまた問うた。
「魔王の子孫だとでもいうのか」
「それも違う」
吸血鬼は焦らすようにしてそう言った。
「私を見てわからないというのか」
「吸血鬼に知り合いはいなくてな。会った奴は皆倒してやった」
「ほう」
彼はそれを聞き目を細めた。赤い光が細くなった。
「我が同胞をか」
「そうだ。魔物を倒して何が悪い」
「同胞を屠った輩を生かしておくわけにはいかぬな。例え劣った血筋であっても」
「また血筋を言うか。いい加減名乗ったらどうだ」
「それもそうだよな」
警官達が二人のやりとりの陰でそう囁き合った。
「もったいぶらずにな」
「それでは名乗ろうか」
吸血鬼はようやく名乗る気になった。
「我はユダの子孫だ」
「ユダ!?」
皆それを聞いて声をあげた。
「ユダというとあれか」
「聖書に出て来るあの」
「如何にも」
男はその言葉に得意そうに答えた。その手には先程まで血を吸われていた少女の骸がある。その肌にユダの子孫の赤く禍々しく伸びた爪が突き刺さっていた。
「我はあのイオカリステのユダの末裔なのだ」
そしてそう名乗った。その目が誇らしげに光った。
イオカリステのユダとはキリストの十三番目の弟子である。三十枚の銀貨でキリストを売ったことで知られている。キリストはそれを知っており最後の晩餐の時にパンを自身の身体、ワインを自身の血と思い飲み食いするように言った。これは教会の儀式にも残っている。
そして彼は十字架に架けられた。聖書に名高いキリストの最期である。だがユダは師を売ったことを恥じ、後にその銀貨を捨て谷に身を投げて死んだ。キリスト教においては第一の悪人とされている。なおイスラムにおいてはキリストは死んではおらずこのユダが身代わりになったという説もある。
そのユダは赤毛であったと伝えられる。そう、今そこにいる魔物もまた赤毛であった。スラブにおいて伝説がある。ユダの子孫は血を吸う魔物となったのだと。ユダは赤毛であった。そしてその血を引く者達も赤毛であると。
「この髪が何よりの証拠」
彼は自身の赤毛をたなびかせてそう言った。見ればその髪は自然と長くなったり短くなったりしている。彼の意思によって自由に伸びたりできるようだ。異形の者の証であった。
「この赤い髪がな。これで私が誰だかわかっただろう」
「ああ」
本郷はそれに答えた。
「そんな由緒正しい魔物だとは思わなかったぜ。魔物だとはな」
「皮肉か?」
ユダの子孫はそれに応えた。
「私は魔物だ。だがそれの何処が悪い」
「人に危害を加える。それで充分だ」
本郷は刀を構えながらそれに応える。
「それ以外に何か理由が必要か」
「ふふふ、そうだな」
ユダの子孫はそれを聞いて笑った。
「私にとって人間なぞは糧に過ぎない。偉大なる我が始祖は違っておられたが」
ユダのことに言及する。
「しかし我等は違う。偉大なるユダの血脈はな」
「まだ言うか」
「何度でも言おう」
ユダの子孫はそう返した。
「私の高貴な血筋のことをな。そして一つ付け加える」
「何だ!?」
「私が人間に対して自身の血脈を言う時」
言葉を続けた。
「その人間は必ず死ぬ、と」
言い終えると目が光った。そしてそれで本郷を見据えた。
「覚悟はできているな、人間よ」
「俺には本郷忠というれっきとした名前がある」
だが本郷は臆せずにそう返した。
「高貴で偉大な血筋なら一回言っただけでわかるな」
「ふふふ、確かに」
ユダの子孫はそれを認めた。
「それでは私の名も覚えていてもらおう」
「何だ。バートリーとでもいうのか」
「あれも我が一族だったな」
彼はバートリーという名を聞いてそう嘯いた。バートリーとはかってハンガリーのチェイテを治めていた一族である。その辺りでは名門として知られハプスブルク家とも血縁関係にあった。だがこの家は当時の欧州の家によくあった近親婚の影響か異常な者が多かったと言われている。
「あれは異常だったのではない。元々人ではなかったのだ」
男はそう語った。
「血を好む我が一族の習性に従ったまでのこと」
その通りであった。彼等はそのユダの血に従い血を欲してきたのだ。その代表とも言えるのが血塗れの伯爵夫人と呼ばれ今尚怖れられているエリザベート=バートリーであった。
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