never land
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カーニバルのはじまり
昨日降り始めた雨は明け方強さを増して午後には強風も伴って来た。
東京には台風が接近しているからだ。
朝からずっと台風に関するニュースで、交通にも影響が出ている。
世田谷署にも雨風は今にでも窓ガラスを割るのではないかと言うくらい容赦なく吹くつけた。
そんな中、事件発生のアナウンスが刑事課に流されたのは午後12時半。
部長は食べていたそばを口に運ぼうとして辞めた。
刑事達は誰一人顔色を変える事無く、センサーで遠隔操作されているかのように一斉に席を立った。
ただ1人、新米刑事の今井美里を除いて。
彼女は上司のお茶を用意する為に給湯室にいて、そんなアナウンスを聞いていない。
「しまった!!タイマー、スタート押すの忘れてた!
部長のお茶、何分蒸らしたかわかんねー!!」
他はどうか知らないけど、少なくともここのルールは新人が上司・先輩のお茶をタイミング良く用意して差し出さなければならない。しかも好みもてんでバラバラ。緑茶が良い人がいれば、玄米茶がいいとか、紅茶じゃなければダメだとか、コーヒー一つにとっても濃いだの甘いだのブラックだのいちいち注文が多い。それも気にいる味を教えてくれればまだしも、そんな親切をしないのがここの職場。飲む人の顔色を伺わなければならないのだ。
残念な事に美里はそんな器用な人間じゃない。毎度ケチを付けられているのだ。
天は幾つも彼女に与えたおかげでドン臭さも備わっている。
この忙しい時に、お茶を蒸らし過ぎて慌てて急須の絶対熱い所を持って火傷を負い、それを落した弾みで先輩のこだわりのティーカップを割ってしまい、給湯室はまるで地獄絵図のようになっている。
「あぁー・・・・・これは・・・ウエッジウッドの限定品・・・」
「あれ?今井さんこんな所で何してるんですか?」
交通課の後輩が美里に気付いた。
「見ての通りよ・・・」
彼女はクスッと笑った。「良いんですか?坂本さん探してましたよ?」
「坂本さんが?」
「はい。事件発生ですよ。」
「うそ?!坂本さんどこ?」
更に青ざめる美里を憐れむような顔で「もう行っちゃいました。」と言ったが、美里はそれを聞くか聞かないかのタイミングで給湯室を出た。
刑事課は既に誰もいない。
鞄を手にすると駐車場へダッシュした。
死に物狂いで走り、300m先から坂本が黒い常用に乗ろうとしている姿を見つけた。
美里は最後の生気を振り絞り、発進しようとしている車の前に飛び出た。
坂本は慌てて強くブレーキを踏み、かなり前のめりになった。首がムチウチ症になりそうだった。
「バカっ!!何やってんだ!!!」
「す、すみません・・・遅くなりました・・・」
雨に打たれた美里の長い前髪が顔に張り付いて、坂本の目には妖怪か幽霊にしか見えない。
「気持ちわりぃんだよ!!早く乗れっ!」
美里は小さく頭を下げると、すごすごと助手席に乗った。
本来運転をするのは美里の役割だった。
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