銀河英雄伝説~悪夢編
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第三十一話 オーベルシュタイン、お前は頼りになる奴だ
帝国暦 488年 2月 5日 オーディン ヴァレンシュタイン元帥府 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ
ヴァレンシュタイン元帥府は結構大きな建物だったが余り人が居る様には見えなかった。帝国でも一番勢いの有る元帥府の筈だけど間違えたのだろうか……。建物の前で佇んでいると口髭を綺麗に整えた身だしなみの良い軍人が出てきた。真っ直ぐに私に向かって来る。
「フロイライン、どうかされましたか? なにやらお悩みのようだが」
年の頃は三十代前半だろう、穏やかな口ぶりが誠実そうな人柄を表しているように思える。どうやら私は挙動不審と思われたらしい。元帥府の前で若い娘がウロウロしていれば無理も無いかもしれない。
「こちらはヴァレンシュタイン元帥の元帥府で宜しいのでしょうか?」
「そうです、それが何か?」
「いえ、余り人の姿が無いものですから……」
私の言葉に彼が苦笑を浮かべた。
「宇宙艦隊の各艦隊は今訓練中なのです、その所為でこの元帥府には殆ど人が居ません。本来なら人で溢れているのですけどね」
「そうでしたか、お教え頂き有難うございます」
なるほど、そういう事か。
「ところで何か元帥府に用ですかな? フロイライン」
「私はヒルデガルド・フォン・マリーンドルフといいます。マリーンドルフ伯爵家の者ですが大切な用件が有り元帥閣下とお会いしたいのです。可能でしょうか?」
彼が幾分こちらを警戒するように見ている。確かに貴族の娘がいきなり押し掛けてきてヴァレンシュタイン元帥に会いたいなどと言えば警戒しないほうがおかしいだろう。
「フロイライン、元帥閣下と面識は御有りですかな」
「いえ、有りません。ですが大勢の人の生命と希望がかかっております、どうしても元帥閣下とお会いしなければならないのです」
私がそう言うと、彼は少し考えてから携帯用のTV電話を取り出し、連絡を取り始めた。相手は女性のようだ、私の名を告げ元帥に面会を希望していると伝えてくれた。少しして相手の女性が元帥が面会に応じると答えてくれた。その会話の中で彼がメックリンガー総参謀長だと分かった。この元帥府の中でもかなりの大物だ、幸先が良い。
メックリンガー総参謀長の案内で元帥府の中に入った。もう直ぐ帝国は内乱に突入する。帝国を二分する程の内乱だ。父は当初、中立を望んでいた。争いを好まない父らしい判断だと思う。しかし今度の内乱は中立など許されないだろう。そんな甘い事が許されるはずが無い。
マリーンドルフ伯爵家は積極的に勝つ方に味方し家を保つべきだ。私は父を説得し、今ヴァレンシュタイン元帥府の中を歩いている。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、当代無双の名将、一体どんな人物なのか……。
ヴァレンシュタイン元帥は応接室で待っていた。軍服だけでなくマントまで黒一色で装う元帥は穏やかに微笑みながら、私達にソファーに座るように勧めてくれた。テーブルには既に飲み物が用意されていた、コーヒーが二つとココアが一つ、ココアは元帥に用意されたものだった。元帥がメックリンガー総参謀長に同席するようにと命じた。
「それで、私に御用とは?」
「今度の内戦に際してマリーンドルフ家は司令長官に御味方させていただきます」
「内戦と言いますと?」
「いずれ起きるであろうブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯との内戦です」
力を込めて言ったつもりだが相手はまるで反応を示さなかった。
「フロイライン、内戦が起きるかどうかは未だ分かりません。それに私が勝つとも限りませんが?」
「いえ、閣下はお勝ちになります。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は一時的に手を結ぶ事は有っても最後まで協力することが出来るでしょうか? 二人はともかく周囲がそれを良しとはしないはずです。必ず仲間割れが起きるでしょう」
「……」
「それに軍の指揮系統が一本化していません。全体の兵力で閣下に勝る事があっても烏合の衆です。閣下の軍隊の敵ではありません。また貴族の士官だけでは戦争は出来ません。実際に戦争するのは兵士たちです。平民や下級貴族の兵士達はブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯ではなく閣下をこそ支持するでしょう」
メックリンガー総参謀長が“ほう”と感嘆の声を発した。少なくとも彼には私の力量を印象付ける事が出来た。しかし司令長官の表情は変わらない。私の意見など彼にとっては取るに足らないものなのだろうか?
「見事な見識ですね、フロイライン。では具体的に何を以って協力してくれるのか、教えて頂けますか。そしてマリーンドルフ伯爵家は何を見返りに求めるのか……」
ここからが本当の勝負だ。間違えてはいけない。
「マリーンドルフ家は閣下に対して絶対の忠誠を誓い、何事につけ閣下のお役に立ちます。先ずは、知人縁者を閣下の御味方に参ずるよう説得いたしましょう」
「なるほど、では見返りは」
「マリーンドルフ家に対し、その忠誠に対する報酬として家門と領地を安堵する公文書を頂きたいと思います」
「そういう事で有れば私にでは無くリヒテンラーデ侯にお話しした方が良いでしょう。私には家門、領地安堵の公文書を発行する権限は有りませんし貴族の方々の離合集散には興味が無い。幸いマリーンドルフ伯爵領はオーディンから近い、伯爵家が味方に付く意味は大きいと思います。リヒテンラーデ侯は喜んで公文書を発行してくれるでしょう」
「……」
本気だろうか? 私が言っているのはブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯、そしてリヒテンラーデ侯よりもヴァレンシュタイン元帥を選ぶという事なのだ。それなのにこの人は何も分かっていない。……所詮は軍人で政治には関心が無いという事か……、何と愚かな……。私はこんな愚かな人物に会いに来たのか……。虚しさが胸に満ちた。
二十分後、私はまた元帥府の前に居た。あの後殆ど話らしい話も無く私は元帥府から出ていた。仕方ない、リヒテンラーデ侯の所に行こう。侯は多分私が女であると言う事だけであまり歓迎はしないだろう。それでも受け入れてはくれるはずだ。それにしても何と愚かな……。気が付けば私は笑っていた。彼の愚かさに、そんな彼を頼った自分の愚かさに……。
帝国暦 488年 2月 5日 オーディン ヴァレンシュタイン元帥府 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
応接室の窓からヒルダが立去っていく姿が見えた。当てが外れて多少落ち込んでいるか、まあ人生とはそんなもんだ、ガンバレ。お前は間違ったんだ、俺とリヒテンラーデ侯の間に有る溝を理解していなかった。それを理解していればもっと違った援助を申し出ただろう。食料援助か、あるいは兵力の提供か、それなら受け取ることが出来たのに……。事前調査が不足していたな、誤った理解からは誤った解しか出てこない。まあ今回の失敗を糧に次は頑張るのだな、次が有ればだが……。
「宜しかったのですか、随分とがっかりしていましたが」
「……」
「なかなかの見識だと思いましたが……」
メックリンガーが俺に問いかけてきた。いかにも残念そうな表情をしている。戦略家の彼には惜しいと思えるのだろう。
「構いません、貴族の事はリヒテンラーデ侯に任せましょう。痛くも無い腹を侯に探られたくないんです」
「なるほど、確かにそうですな」
「迷惑ですよ、私は権力など欲していないんです」
俺が元帥、宇宙艦隊司令長官になってからリヒテンラーデ侯の俺に対する不信感が強まった。特に宇宙艦隊の司令官人事を下級貴族、平民で固めた事がその不信感に拍車をかけたらしい。まあ実戦部隊のトップだからな、何時かクーデターを起こすんじゃないかという不信が有るのだろう。そしてエーレンベルク、シュタインホフもその不信感を共有している。
平民だという事がその不信感を強めている。要するに連中から見ると俺は異分子なわけだ。原作でヤンを中心とするイゼルローン組が中央の連中に疎まれたようなものだろう。何処か自分達とは違う、そう思われたのだと思う。ヤンの場合は価値観だろう、俺の場合は帰属母体だろうな。要するに御育ちが違うということだ。
今の時点でヒルダを味方にする等あの老人達の不信感という火に油を注ぐようなものだ。百害あって一利も無い。というわけで俺は戦う事にしか興味の無い、政治には全く無関心な馬鹿な軍人の役を演じている。当然だがリヒターやブラッケと接触はしていない。だから平民達への改革案を提示する事も出来ないでいる……。
内乱は原作よりも長引くかもしれんな。だがなあ、下手に動くと俺の首が飛びかねん。最初は政治的に、次に物理的にだ。そして俺の代わりはメルカッツだろう。貴族達は恐れているのだ、平民の台頭を、平民が力を持つことを。だから俺に対して猜疑の目を向けてくる。
政治的な信頼関係など欠片も無い以上、利用出来る間は利用しろ、やられる前にやれがセオリーだ。リヒテンラーデ侯と組んでブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を潰した後は間髪いれずにリヒテンラーデ侯を潰す。帝国の内乱劇は二部構成になるだろう、油断は出来ないし、失敗も出来ない。そのためには出来るだけ相手を油断させなければ……。
ドアをノックする音が聞こえた。ドアが開きヴァレリーが姿を見せた。
「御要談中申し訳ありません。ミューゼル少将、キルヒアイス少佐がお見えですが」
「分かりました。執務室に行きます」
来たか……、メックリンガーを伴って執務室へ向かった。
俺とメックリンガーが執務室に入ると二人が敬礼で迎えた。俺とメックリンガーもそれに応えた。
「ラインハルト・フォン・ミューゼル少将です。宇宙艦隊司令部への配属を命じられました」
「ジークフリード・キルヒアイス少佐です。同じく宇宙艦隊司令部への配属を命じられました」
二人とも表情が硬い、緊張している様だ。或いは面白く無いのか。どっちも有りそうだ。
「卿らの宇宙艦隊司令部への参加を心から歓迎する。言うまでも無い事だが帝国は現在内乱の危機に揺れている。内乱が起きれば宇宙艦隊は早期に鎮圧しなければならない。卿らは司令部幕僚として内乱の早期鎮圧に努めよ」
「はっ」
「私の元帥府に入るか否かは卿らの判断に任せる。以後はメックリンガー総参謀長の指示に従うように」
「はっ、宜しくお願いします」
「うむ、こちらこそ宜しく頼む」
ラインハルト、キルヒアイスが頭を下げるとメックリンガーが答えた。そして三人が部屋を出て行った。
正直ラインハルトを司令部に入れるのは迷った。だが辺境に置いておくのは危険だろう。ラインハルトの事だ、内乱が起こったら武勲を上げる機会とばかり勝手に動き出すのは目に見えている、何をしでかすかさっぱり予測がつかん。それならいっそ司令部に入れた方が良い。元気の良すぎる犬に首輪を付けて犬小屋に押し込むようなものだ。
問題は同盟だな、同盟がどう動くか……。連中は遠征失敗の衝撃から徐々に立て直しを図りつつある。ドーソンは退役した、シトレも同様だ。そして統合作戦本部長にはクブルスリーが就任している。後任の第一艦隊司令官にはラルフ・カールセンが就任した。
不思議なのは遠征に参加した将官達で左遷された人間が居ない事だ。どうやらシトレが自分の首と引き換えに庇ったらしい。そしてイゼルローン要塞にはウランフが要塞司令官兼駐留艦隊司令官として赴任している。思ったより混乱が小さい、シトレが上手く立ち回った。
帝国で内乱が起きれば同盟はそれに乗じて軍事行動を起こす可能性が有る。それを避けるためにリヒテンラーデ侯を通して同盟側に捕虜交換を持ちかけている。内乱終了後に捕虜を交換しようといっているんだが今の所同盟側の感触は悪くないらしい。
もっとも何処まで信用できるか怪しいところだ。最高評議会議長にはトリューニヒトが就任したからな。信義とか節操なんて言葉とは無縁の男だ。油断していると足を掬われかねない。同盟が帝国領に侵攻してくる可能性は十分に有る。昨年の帝国領侵攻作戦において帝国軍は原作ほど大きな損害を与えられなかった、それが響いている。
辺境鎮圧にはメルカッツが赴く。副司令官にレンネンカンプ、他にルッツ、シュタインメッツ、シュムーデ、リンテレンが同行する。合計六個艦隊、兵力は八万隻を超えるだろう。どんな事態にも対応できるだけの兵力と指揮官を用意した。大丈夫なはずだ。
それにしても敵だらけだな、貴族連合、リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ、そして同盟軍。それにラインハルトも居るか……。誰もが皆俺を潰したがっている。ここまで来るといっそ爽快だな、叩き潰す敵には不足しないし容赦する必要も無いという事だからな……。
そろそろオーベルシュタインにも指示を出しておくか。オーベルシュタインを呼ぶと直ぐに血色の悪い顔を執務室に出した。こいつ、未だ犬は飼っていない。
「オーベルシュタイン准将、おそらく来月、遅くとも四月には帝国で内乱が起きるだろう」
「はい」
「卿はオーディンに残る」
オーベルシュタインが頷いた。
「リヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥の動きを見張れば宜しいのですね」
「他にも有る、リヒテンラーデ侯に味方した貴族達を調べ上げる事。一族、或いはそれに準ずる者。積極的に味方した者、已むを得ず味方したが力の有る者、已むを得ず味方したが無力な者……」
「承知しました」
オーベルシュタインが平静な表情で頷いた。流石だな、俺は処刑リストを作れと言ったんだが眉一つ動かさない。こういう時は助かる、キャンキャン騒がれると自分の非道さを責められているようで嫌になるからな。さてマリーンドルフ伯爵家は何処に分類されるか、……生き残れるかな、ヒルダ。
「私からは以上だ、質問は?」
「奥様の事は如何しますか? 護衛を増やすか、或いは安全な場所に避難させるか……」
「その必要は無い、内乱が起きればオーディンにはリヒテンラーデ侯の味方しかいなくなる筈だ。私がリヒテンラーデ侯を用心する必要は何処にも無い、違うか?」
「……承知しました」
「他には?」
「有りません」
「では下がってくれ、私は少し考えたい事が有る」
口外無用とかそんな阿呆な事は言わなかった。言えば奴に笑われただろう。オーベルシュタインが執務室を出て行く。奴がアンネローゼの事を質問してきたのは俺がアンネローゼに夢中だとでも思ったのかな、それともどの程度の覚悟が有るのか試そうとしたのか……。まさかとは思うが俺の事を心配したのかな。まさかな……、考え過ぎだな……。
アンネローゼ、悪く思うな。皆が生き残るのに必死なんだ。お前にもゲームに参加してもらう。フリードリヒ四世とグリンメルスハウゼン老人が考えたこの碌でもないゲームにな。生き残れたらお前を大事にするよ、必ずな。だから、生き残れ……。
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