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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第七十九話 フェザーン謀略戦(その1)



宇宙暦 795年 9月14日    ベリョースカ号  ミハマ・サアヤ



「明後日、八時にフェザーンに着きます。予定通りです」
コーネフ船長の言葉にヴァレンシュタイン提督が無言で頷きました。コーネフ船長も話しづらいでしょう、頷くだけでなく声も出せば良いのに、そう思いましたが船長は気にする様子もなく話を続けました。この人、まだ若いのに結構肝が据わっているようです。

一昨日、フェザーン回廊の入り口で私達は巡航艦パルマから交易船ベリョースカ号に乗り込みました。提督の言った通り、フェザーン商人は契約を守りました。乗り移ってからの私達はやはり食堂に集まっています。そして巡航艦パルマに居た時同様、船長がこうして時々話に来るのです。

「そちらからご要望の有った品を用意しておきました。先ずはこれですな」
そう言うと船長はズボンのポケットから丸い化粧コンパクトの様なものを取り出し提督に渡しました。提督は笑みを浮かべていますがローゼンリッターのメンバーは厳しい表情をしています。何だろう、何か思い当たる事でもあるのかしら。

「扱いには注意してくださいよ」
コンパクトを眺めている提督に船長が心配そうに声をかけました。提督は苦笑を浮かべています。そしてコンパクトをポケットにしまいました。爆弾か何か? ちょっと物騒な感じです。ローゼンリッターが厳しい表情をしているのもそれが理由でしょう。

「地上車は用意して頂けましたか」
「倉庫に置いてあります。全部で五台、いずれもサンルーフが付いています」
「有難うございます、お手数をおかけしました」
「いやいや、これも商売ですからね」
大した事は無い、そんな感じに聞こえました。こういう時って嫌な人だと恩着せがましくするんですけどコーネフ船長は違いました。うん、良い感じです、信用できそう。

「提督、我々は宇宙港の特別区画で待機していますが、どのくらいで戻られますか」
「その特別区画というのは?」
提督が訝しげに問いかけると船長がいささか慌てたように答えました。

「ああ、失礼しました。帝国、同盟、フェザーンの政府専用船、或いはそれに準ずる船が停泊する場所です。一般の民間船、交易船とは区別しているのですよ」
「なるほど」

「今回ベリョースカ号は同盟の弁務官府からの依頼を受けていますのでそちらを使わせて貰えるのです。当然ですが入国に関してもほぼフリーパスなはずです」
自信満々な口調で船長が保証しました。提督が笑みを浮かべています、一瞬ですがチラっとシェーンコップ准将を見ました。

「それで、どのくらいで戻られますか」
「そうですね、宇宙港から目的地まで往復で二時間半、仕事そのものに二時間程度、合わせて大体五時間程度でしょう。しかし予定が変わる場合も有ります。補給は二時間で済ませてください。それとエンジンは切らずに」

「二時間ですか、それは……」
コーネフ船長は何か言いかけ口を閉じました。そして大きく息を吐いて提督をちらちらと見ながら話を続けました。

「分かりました、マリネスクの尻を叩きましょう。しかし特別手当が要りますな、役人どもに袖の下を使わないと……」
船長は言い辛そうです。もしかすると提督が潔癖症だとでも思ったのかもしれません。軍人で若いからその手の事は嫌がると……。

フッ、甘いです。ヴァレンシュタイン提督にはそんなナイーブさは欠片も有りません。提督は地獄の悪魔にだって平然と賄賂を贈る、いえ、それどころか賄賂を要求するでしょう。悪魔達だって黙って貢物を差し出すはずです。何と言ってもヴァレンシュタイン提督は氷雪地獄の大魔王なんです。

逆らったらブリザードが吹き荒れ、氷柱で串刺しです。しかも刺されても死なないんです、痛みだけを感じる。何度も何度も突き刺され悲鳴を上げ続ける事になります。その悲鳴を大魔王は嬉しそうに聞いているんです。私が経験してるんですから間違いありません。

「高等弁務官府のヴィオラ大佐に請求してください、払ってくれるはずです。埒が明かない時は私に言って下さい」
「……分かりました」
ほらね、思った通りです。提督はそんな甘ちゃんじゃありません。

ローゼンリッターがチラチラと提督を見ています。補給は二時間、エンジンは切らずに、その言葉に反応しているのでしょう。皆が提督に視線を向け、そして顔を見合わせています。フェザーンで何をするかについては未だ提督から何の説明も有りません。

ですがフェザーン滞在は短時間のようですし、エンジンを切るなという事はまず間違いなく追われることになるという事でしょう。コーネフ船長が口籠ったのも危険を感じたからだと思います。それにしても危険料って……、コーネフ船長、御愁傷様です。

「しかし高名なヴァレンシュタイン提督をこの船に乗せているとは光栄ですね……、ヤン・ウェンリーは元気ですか」
船長の言葉に皆が“えっ”というような表情を浮かべました。もしかして知り合い? コーネフ船長は皆の反応を見てちょっと得意そうです。

「元気ですよ、今は第三艦隊の司令官として訓練に励んでいるはずです」
ヴァレンシュタイン提督がニコニコ笑いながら答えました。提督は驚いていません。最初から知っていた?

「どうやら提督は私とヤンが旧知なのを御存じだったようですね」
コーネフ船長がちょっと残念そうな口調で、がっかりした様な表情で提督を見ています。船長も私と同じ事を思ったようです。

「そんなことは有りません」
「ほう」
船長はちょっと疑わしそうに提督を見ていますが提督は知らんぷりです。相変わらず可愛げがありません。

「船長とヤン提督はどういう御関係なのです」
私が問いかけると嬉しそうに顔を綻ばせました。質問を待ってた?
「幼馴染ですよ。ヤンの父親は交易商人で彼は幼い頃は父親と一緒に交易商船に乗っていたんです。フェザーンにも良く来ました」

懐かしそうです、いいなあ、幼馴染か……。
「まあ他にも従兄弟が同盟にいます。軍人になったと聞いていますが……」
「イワン・コーネフ大尉ですか」
提督が問いかけるとコーネフ船長が驚いたように提督を見ました。え、そうなの、コーネフ大尉が従兄弟?

「ええ、そうです。提督はご存知ですか」
「私の艦隊に居ますよ、優秀なパイロットです」
「そうですか」
「大尉の事はミハマ中佐も良く知っていますよ」

提督の言葉にコーネフ船長が私を見ました。ちょっと困惑です、コーネフ大尉の事は知っています。ポプラン大尉と何時も一緒にいるのです。二人とも非常に優秀なパイロットで艦隊ではエースの称号を持っています。

問題はポプラン大尉が今でも時々私に声をかけてくることです。私は全部断っていますけどその度にコーネフ大尉がポプラン大尉を笑っています。提督もそれを知っているから私が良く知っているなどと言うのでしょう。相変わらず性格が悪いです。

「色々と縁が有りますね、ヴァレンシュタイン提督」
「そうですね」
コーネフ船長もヴァレンシュタイン提督も嬉しそうに話しています。船長、騙されちゃ駄目です。でももう遅いみたい……。あんなにニコニコして……。

「さて、私は艦橋に戻らせていただきます。何か有りましたら声をかけてください」
船長の言葉に提督が笑顔で答えるとコーネフ船長も笑みを浮かべてから食堂を出ていきました。

コーネフ船長がいなくなると提督は笑みを消しました。ベリョースカ号に移ってからの提督は巡航艦パルマに居た時とは違います。無口、無表情で周囲と目を合わせようとしません。今も視線を落とし例のコンパクトを見ています。シェーンコップ准将がそんな提督をじっと見ていましたが静かに問いかけました。

「ゼッフル粒子の発生装置ですか」
提督が黙って頷きました。ゼッフル粒子! ちょっと何でそんなもの……。慌てて皆を見ましたがローゼンリッターのメンバーは誰も驚いていません。顔を見合わせ頷いています。ちょっと気を削がれました。

「そろそろ閣下の御考えを聞かせてください。閣下から我々にあった命令は護衛をしろ、装備は市街戦を想定した物を用意しろとの事でした。ゼッフル粒子を用意するという事はかなり危険という事でしょう。アドリアン・ルビンスキーと接触するというのは分かっています。他には何を?」
「……」

食堂の空気がピンと張りつめました。皆が提督に視線を向けています。ですが提督は気付かないかのようにコンパクトを触っていました。
「自治領主府に向かいます。フェザーン駐在武官のヴィオラ大佐が十時にルビンスキー自治領主との面会予約を取り付けています。我々はそれに同行する。大佐とは宇宙港で落ち合う予定です」
ヴィオラ大佐……、ちょっと複雑です。あんまり会いたい人じゃありません。

「……他には」
「自治領主府でルビンスキーと会談し帰る事になります。問題は帰りでしょう、簡単には帰れない、我々はルビンスキーを人質にして撤退する事になります」
「なるほど、結構楽しくなりそうですな」
楽しくなんて有りません! ルビンスキーを人質にして撤退って一体何考えてるんですか! それじゃあ私達、お尋ね者です。それなのに准将は本当に楽しそうに笑ってる……。

「しかし、我々はフェザーンの地理に明るくありません。行きも帰りもその点が不安ですが」
リンツ中佐の言葉にローゼンリッターのメンバーが頷きました。私も不安です、土地勘が無ければ逃げる事も戦う事も出来ません。

「心配ありません。運転手はヴィオラ大佐が用意します」
「それは助かりますな」
シェーンコップ准将が頷くと他の皆に視線を向けました。皆がそれぞれの表情で頷いています。

「他にも御客さんが来るかもしれません」
「客?」
問い掛けた准将にヴァレンシュタイン提督が笑みを向けました。ちょっと、怖いです。
「銀河帝国フェザーン駐在高等弁務官、ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵……」

一瞬間が有った後、シェーンコップ准将がクスッと笑いました。提督もクスッと笑います。
「なるほど……、丁重におもてなしをしないと」
「そうです、伯爵閣下は貴族に相応しい最高級のもてなしを要求すると思います。失礼の無いようにしないと」

二人の笑みがだんだん大きくなります。拙いです、最悪です。私は貴族なんて好きじゃありませんし、レムシャイド伯なんて知りませんがそれでも伯爵が可哀想に思えてきました。皆も呆れたように二人を見ています。

「ゼッフル粒子を使う場面が出そうですな」
「その場合は火器が使えません。全員ナイフを二本用意させてください。一本はサバイバル、もう一本はバリステックを」
「了解しました」
バリステック? 何だろう、サバイバルは分かるけど……。全員って私も持つのかな? 持つんだろうな、私、ナイフは自信ないんだけど……。

「あの……、バリステックって何でしょう」
質問するんじゃなかった。皆の視線が痛い……、でも本当に知らないんです。ややあってリンツ中佐が口を開きました。

「ミハマ中佐、バリステックナイフというのは刀身を前方に射出することができるナイフだ。大体十メートルぐらいの距離ならば相手を殺せる。ゼッフル粒子を使えば火器は使えん、火器の代わりにバリステックナイフを使う、そういう事だ」
なるほど、あれか……。聞いた事は有ります、あれってバリステックナイフって言うんだ、でも私に使えるかどうか……。

私が不安に思っていると
「クロスボウはどうしますか」
「全員が持つ必要はないが多少は用意した方が良いだろう」
とリンツ中佐とシェーンコップ准将が話しています。どうしよう、私が悩んでいると提督の声が聞こえました。

「ミハマ中佐もナイフとブラスターは持ってください。ですが実際に使う事は無いでしょう。中佐にはビデオを録画してもらいます」
「ビデオ、ですか」
「ええ、私とルビンスキーの会談を録画してください。後々、証拠になりますからね」

正直ホッとしました。慣れないナイフなんて使いたくありません。そう思っていると提督がクスクス笑い出しました。
「大根もまともに切れない女性にナイフは使わせませんよ」
「大根ぐらい切れます!」

提督の笑いは益々大きくなりました。
「そうですか、でも魚の三枚おろしは出来ない、そうでしょう?」
「……それは」
痛いです。とっても痛いところを突かれました。気が付くと皆が憐れむような目で私を見ていました。

なんで皆そんな目で私を見るんです! 私だって何度も挑戦したんです。でも私がやるとどうしても中骨に肉が多く付いてしまって……。母には何時もそれで溜息を吐かれました。
“女の子が余ってるっていうのに……。まあ、あんたみたいな女の子がいるからスーパーで魚をさばく仕事が有るのよね……”

「ハイネセンに戻ったら私が教えてあげますよ」
「……」
「遠慮する事は有りません。三枚おろしは基本ですからね、それが出来ればどんな魚でも下ろせます。好きな男性に魚料理を作ってあげられますよ」
「……はい、お願いします」
ついでにクッキーも教えて貰おう。

「提督、地上車にはサンルーフが有りますな」
「ええ、ロケットランチャー、狙撃用ライフル、自動小銃、必要なものを用意してください」
「了解しました、手榴弾も用意しましょう」

頭が痛くなりました。二人とも遠足にでも行くように楽しそうに話しています。でも話の内容はどう見ても市街戦、カーチェイス、銃撃戦を想定しています。自分がそれに巻き込まれる? 今一つ実感が湧きません。念のため、念のためよ。提督は用心深いんだから……。



宇宙暦 795年 9月16日    フェザーン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



予定通りベリョースカ号は九月十六日、八時にフェザーンに着いた。宇宙港の特別区画にはこれも予定通りヴィオラ大佐が五人の部下と待っている。彼らはベリョースカ号が到着すると早速船に乗り込んできた。

「お待ちしていました、ヴァレンシュタイン提督」
「ご苦労様です、今日は宜しくお願いします」
互いに敬礼をして挨拶をする。前に会ってから三年か……。相変わらず太ってるな。ダイエットとかはまるで考えていないのだろう。

「入国の手続きは既に済んでいます、急ぎましょう」
そう言うとヴィオラ大佐が部下達に頷いた。部下達が車の運転席に向かう、ローゼンリッターが近寄りキーを渡した。

エンジンが始動し皆が乗り込む。俺が乗ったのは二台目、一緒に乗ったのはシェーンコップ、サアヤ。ヴィオラ大佐は先頭の車に乗った。次々に車がベリョースカ号を後にする。今日、この日から宇宙が変わる。人類の記憶に残る一日になるだろう。自然と笑みが浮かんだ。

「楽しそうですな、提督」
「楽しいですよ、今日は狐狩りの日ですからね」
俺の言葉にシェーンコップが笑いサアヤが呆れた様な顔をした。狐狩りだ、黒と白、そして地球という穴に籠った化け狐を狩り立ててやる……。




 
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