皇太子殿下はご機嫌ななめ
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第14話 「シスターToブラザー」
前書き
ラインハルトが……。
第14話 「あんなに一緒だったのに」
ルードヴィヒ・フォン・ゴールデンバウムだ。
皇太子本邸には親父も知らない秘密がある。
親父は皇太子の立場をすっとばして、皇帝になっちまったからな。知らないのも無理はない。
ゴールデンバウム王朝の歴史の中では、変人奇人も多々いた。
そして世の中には、コレクターとかマニアとか呼ばれる人種がいる。
聞いたことのある奴もいるだろう。
四百十年物のワインの事を。その年は当たり年で、ワインの出来が良かった。
しかしながらそれを超えるものも、またあるのだ。
それが三百九十一年物のワインだ。
「いや~壮観だねえ~」
ずらりと並んだワイン。
地下に設置されたワイン倉に並ぶ。三百九十一年物のワインの棚。
親父の兄貴が集めたものだ。
当時の皇太子が、な。
さてと、二本ばかり持っていってやろう。
驚くだろうな。
■宰相府 ウルリッヒ・ケスラー中佐■
辺境から戻ってきたと思ったら、皇太子殿下に招かれた。
私の隣に座っているのは、オーベルシュタイン大佐だ。
二人揃って呼ばれるなど。
珍しい事もあるものだと、部屋の中を見ながらそんな事を考えている。
珍しいといえば、部屋の中に誰もいないというのも珍しい。
たいがいは誰か、残っているのだが……。
人払いをしたのだろうか?
「よ、待たせたな。久しぶりにしたものだから、ちょっと手間取ってな」
皇太子殿下はそんな事を言いつつ、手に持ったデキャンタを翳して見せた。
芳醇な香りがここまで漂ってくる。
かなり良い物なのだろう。私などには到底手が出せないような。
「ま、いつもいつも前置きなしというのも、芸がないと思って、こんな物を用意したが、まずは飲め飲め」
そう言って皇太子殿下が自ら、グラスにワインを注いでくださる。
私とオーベルシュタイン大佐が顔を見合わせ、頷きあった。
「では」
オーベルシュタイン大佐がグラスを軽く翳す。
皇太子殿下が頷き、私達は一口飲んだ。
「すごい」
思わず声が漏れる。
このようなワインなど飲んだ事がない。
以前、四百十年物のワインを口にしたことがあるが、それよりも上だ。
これはいったい……。
隣に目をやると、オーベルシュタイン大佐も、眼を瞑って味わっているようだった。
飲み干してしまうのが惜しいと思える。
しばし余韻に浸っていると、殿下が再びグラスに注いで下さった。
「閣下。このワインは?」
「三百九十一年物だ」
オーベルシュタイン大佐の問いに、殿下はさらりとお答えになる。
三百九十一年物?
まさか、もう無いと思われているあれかっ。
最近では、噂になることすらない。
幻の逸品。
わたし達が驚いていると、殿下は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「凄いだろう。親父も飲んだ事ないらしい。ざま~みろ、ってとこだ」
皇帝陛下ですら飲んだ事のないワイン。
思わず手が震えた。
「さてと、驚いてもらえた事だし。本題に入ろうか」
殿下の表情からいたずらぽさが消え、真剣な面持ちになる。
「はっ」
二人して、姿勢を正す。
「サイオキシン麻薬事件からこちら、卿らには調査してもらっていたが、どうも地球教が絡んでいるらしいな」
「はい。地球教徒が所持していたという報告も来ております」
「近いうちに連中のアジトに、一斉捜査に入ろうと思う。ケスラー中佐には陣頭指揮を取ってもらうつもりだ。今回は憲兵隊ではなく。最悪の事態を想定して、装甲擲弾兵を、一個師団投入する」
「そ、それはいささか、大仰に過ぎないでしょうか?」
「早計に兵を動かしますと、かえって民衆を驚かせる事になるかと」
「大げさか? だと良いんだが……。大げさにしすぎて笑われる方が、準備が足りずに取り逃がすより、マシだと思ったんだがな」
皇太子殿下はいったい何を、恐れていおられるのだろうか?
憲兵ではなく、装甲擲弾兵を動かすなど、それほどの相手ではないはず。
「閣下は何を懸念しておられるのですか?」
オーベルシュタイン大佐が問いかけた。
殿下の様子に不審を覚えているのだろうか? このように思う事自体、不敬なのだろうが。
やはり聞いておかねばならないと思う。
「古今東西、という表現がある。今も昔も右も左も世界中ということだが、悪党よりも自分が正義だと、信じきっている奴の方が、えぐい真似をする。自分が正義なら、他は悪。悪魔に同情などいらんということか……」
殿下がどこか遠いところを見ているように思えた。
オーベルシュタイン大佐も同じ事を思ったのだろう。殿下をジッと見つめている。
「分かるか? 奴らにとっては俺達は悪魔に当たる。舐めてかかると痛い目に合うぞ。戦場で敵の下に突入すると思うぐらいで、ちょうど良いかもしれん。それにサイオキシン麻薬を、使用しているのかもしれんしな。えぐいぞぉ~ヤク中を相手にするのは」
可能性としてはありえる。
今度は皇太子殿下ではなく。私達のほうが考え込んでしまった。
そうすると皇太子殿下のお考えが分かってくる。治安維持部隊の一環である、憲兵ではなくて。つまりは実働部隊を投入。そして投入するなら装甲擲弾兵が最適というわけか。
確かに市街戦及び地上での作戦行動において、装甲擲弾兵以上に錬度の高い部隊はない。
もしかすると皇太子殿下は、私達以上に地球教を、問題視しておられるのだろうか?
「オフレッサー装甲擲弾兵総監閣下が戻り次第、協力を要請いたします」
「そうしてくれ。次の問題としては、オーベルシュタイン大佐」
「はい」
「卿にはしばらく内務省に出向してもらう。劣悪遺伝子排除法が廃法になったとはいえ、内務省の連中はいまだに意識改革が進んでいないようだ」
それは確かにわたしも感じる事だ。
一朝一夕にはいかない問題だが……。殿下が改めて口にするその意味はなんだ?
「俺としては近いうちに、同盟に囚われている兵達を帝国に戻すため、捕虜交換を持ちかけるつもりだ。ただなぁ~いまの内務省では、戻ってきた帰還兵達を監視しかねんし。最悪、しょっぴいて尋問するかもしれんのだ。それは困る。そこで卿に監察官として監視してもらいたい」
なるほど。オーベルシュタイン大佐を、監察官として出向させるか。大佐なら連中の動きを見過ごす事などありえまい。そして内務省は、皇太子殿下からの警告として受け取るだろう。
「御意。謹んでお受けいたします」
オーベルシュタイン大佐は神妙な面持ちで返答を返す。
「ケスラー中佐には、戻ってきて早々、仕事を押し付けて悪いと思うが、俺の元に来たのが運のつきと諦めてもらおうか」
「いいえ、決してそのように思ってはおりません」
殿下も返答に困る物言いをされる。
ふと横目で大佐の様子を窺うと……。
オーベルシュタイン大佐が笑いを堪えている!!
少し見ないうちに、人間味が増したみたいだ。大佐がこのようになるとはな。驚きだ。
「話は以上だ。ああ、三百九十一年物のワインが後一本残っているから、事務局に持ってかえって、他の連中にも飲ませてやれ」
「はっ」
オーベルシュタイン大佐が受け取った。
うむ~三百九十一年物か……他の連中の驚く顔が目に浮かぶ。
■幼年学校 ジークフリード。キルヒアイス■
「うう……。姉上、お止め下さい」
夜中にふと目を覚ますと、ラインハルト様が魘されていた。
うわ言のようにアンネローゼ様の事を口にされている。
皇太子殿下の後宮設置が発表されたのだ。
アンネローゼ様の事を思うと、魘されるもの致し方ない。
「……皇太子……こっちだ。はやく……いっしょにっ」
様子を窺っていると、どうもおかしい。
アンネローゼ様の心配をされているようでは……ないのか?
それにしても、ラインハルト様。
ここは宰相府ではありませんんし、皇太子殿下がいる訳でもないというのに。
なぜ、そのような格好をされているのですか?
あえて、なにがとは、申しませんが。
ラインハルト様は、お変わりになってしまわれた。
アンネローゼ様。
ジークは挫けそうです。
「ラインハルト様。起きてください。どうされましたか」
揺さぶって起こすと。
ラインハルト様は一言。
「いっしょににげよう」
と叫んで、飛び起きました。
冷や汗を掻いておられます。
一緒に逃げよう?
皇太子殿下とでしょうか?
それともアンネローゼ様とでしょうか?
どちらの事を仰っているのか、わたくしには分かりません。
はあはあと息を荒げて、ラインハルト様が、こちらを見ました。
「……キルヒアイス」
「いかがなされましたか? 魘されておいででしたが」
「聞いて。キルヒアイス。あ、姉上が……姉上が、皇太子を襲う夢を見た」
「はあ?」
皇太子殿下が、アンネローゼ様を襲うのではなく?
アンネローゼ様が、皇太子殿下を襲う夢?
「本当なの。本当に見たの。姉上が皇太子に襲い掛かっていた」
「それは包丁とかを、持ってですか?」
「違う。……裸だった」
はあ? そちら関係ですか?
しかしながら、逆ではないのですか?
はあ、確かにアンネローゼ様が襲っていたのですね。
「そうだ。そうなんだ。そして皇太子が助けを求めていた」
ははあ~。だから一緒に逃げよう、ですか……。
あの皇太子殿下がねぇ~。
女性に襲い掛かられて、助けを求めますかねぇ~。迎え撃ちそうですが?
「なぜ、この様な夢を見たのか……。分からない。分からないんだ」
ラインハルト様が、両手で肩を抱き、頭を振っておられます。
わたくしには、ラインハルト様のほうが、分からなくなってきました。
アンネローゼ様。
ジークはどうすれば、宜しいのでしょうか?
本当に分からなくなってしまいました。
ラインハルト様が、すがるような目を、していらっしゃいます。
「明日、皇太子殿下にお会いしに参りましょう」
「そ、そうだな。その方が良いな」
ですから、どうしてそんなに、嬉しそうなのですか?
……やはり。
アンネローゼ様。
ジークは挫けそうです。
後書き
この世界は、こんなはずじゃなかったと思う事ばかりだ。
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