私立アインクラッド学園
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第二部 文化祭
第29話 あの瞬間から
前書き
まりあさんのことをなんとかしなければ……
「キリト、ちょっとそこにある譜面取って下さい」
「あ、はいはい」
「キリト君、この資料に目を通しといて。先生からの伝言」
「お、わかった」
「お兄ちゃん、ここの音ってこれでいいと思う?」
「あー……もうちょっと高い方がいいんじゃないか?」
「キリトー! こっち来ーい!」
「おいエギル、リズに何飲ませたんだ! 学生にアルコールを飲ませるな!」
「キリトさーん! ピナがキリトさんを攻撃に向かいましたー」
「そっか……え」
後ろを振り返ると、ピナの顔が視界一面を覆い尽くした。
「嘘だろおい……」
最後まで言う間もなく、ピナに顔面直撃攻撃を喰らわされた。
みんな、いつもより忙しそうにしている。いよいよ文化祭が近づいてきたので、本格的にラストスパートをかけているのだ。
対照的に俺はとても暇で、やることがなかった。だから女性陣にやたらとこきつかわれているわけだが──。
「俺……外の空気、吸ってくる。死にそう……」
「わ、わかりました」
まりあがこくりと頷いた。
**
「うーん……」
明日奈は譜面を片手に、首を傾げた。
「アスナ、どうかしました?」
「うーん……あのねまりちゃん、ここの高音が難しくって……」
「あ……ごめんなさい、変えますか?」
「う、ううん! ただ……簡単に高音を出す方法はないのかなって」
明日奈がらしくもなく呟く。まりあは苦笑した。
「出そうとするものじゃないんですよ。適当に歌ってたら、いつの間にか出てるものです」
「えっ……て、適当!?」
「……は、言いすぎかもしれませんが……なんていうんでしょう、本能のままに、と言いますか……」
「本能の、ままに?」
「例えば、機嫌が良い時に鼻歌とか口ずさみますよね。その時って、途中からは『歌ってる』ってことを意識しながら歌ったりなんてしないでしょう? そんな時ふと、普段は出ないような声を出せたりするんですよ」
まりあの言葉に、里香は微笑んだ。
「あんた最近、明るくなってきたわよねぇ」
里香とまりあは昨年と連続で同じクラスだ。
「正直、前はおっとなしー子だと思ってたんだけど。なに? もしかして、キリト?」
「えっ、そ、そんなわけ……」
「わたしはキリト君と出会って世界が変わったよ」
言ったのは明日奈だ。
「わたし、前は母さんに言われるままに勉強ばっかりしてて……いつしか、目の前の世界が色褪せていってたの」
明日奈は窓の外を見やる。
「どんどん心が荒んでいって……でもね、そこに固く纏ってた氷の鎧を打ち砕いて、色鮮やかな世界に導いてくれた人がいるの。それが彼」
まりあはズキン、と胸が痛むのを感じた。
だって、彼について話す明日奈の瞳は、明日奈の想いを痛いほど映していたから。歌詞を考えるにあたって、その想いについては知っている。知っているはずだった。
──どうしてこんなに胸が苦しいのか。
友人の恋だ。応援してあげるべきなはず。なのに、まりあの心は、それを拒否しているようで。
「わたしきっと……ううん、絶対。キリト君に恋してるんだと思う」
明日奈が微笑んだ。
***
恋。
今までは考えたことすらなかった。
初めて出会った時、和人はまりあの唄声を褒めてくれた。初めて、プーカの少女«マリア»ではなく、«桜まりあ»としての自分を褒めてくれた。綺麗な声だと言ってくれた。
嬉しかった。そんなこと、一度だって言われたことがなかったから。
「あ……」
小さく声を上げる。突然雨が降ってきたのだ。
グラウンドのベンチに座っているまりあの躰を、雨粒が容赦なく叩く。
──もしかしたら、初めて会った瞬間から、あの黒髪の少年に心を奪われていたのかもしれない。
でも。だとしても。友人であるアスナの恋を邪魔するなど、まりあにはとてもできない。──いや、そもそもまりあなど邪魔にすらならないのだろうか。
どの道この不思議な気持ちは、消え去るまでしまっておくべきなのだろう。
「……制服、びしょびしょになっちゃう」
まりあは1人呟くと、グラウンドを後にした。
後書き
和人「うへぇ……ピナ攻撃、恐るべし……」
珪子「うぅ、ごめんなさいキリトさん……」
和人「なっ……だ、俺は全然大丈夫だから! 泣かないで!(俺がいじめてるみたいじゃないか!)」
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