変わった鯨
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第五章
「ではあの魚なのか」
「あれなのか」
「鮫ではないのか?」
こんな主張も出た。
「ウバザメなりを見間違えたのか?」
「しかし鬣があったぞ」
「違うのではないのか?」
「あれだけ多くの人間が見ているしな」
「鮫ではないと思うが」
「しかし海では見間違いも多い」
波の中で見るからだ、それに太陽の光を反射してそれが映るものを制限もしてしまうのだ。海でものを見ることは案外難しいのだ。
だから鮫ではないか、この説も出たのだ。
「鮫かも知れないぞ」
「大きい鮫も多いからな」
「ウバザメはよく見間違えられるしな」
実際にシーサーペントの何割かはこのウバザメだという。
「それならあれか」
「ウバザメか?」
「それなのか?」
ウバザメ説も定着した、しかし説はまだあった。
「いや、海藻だろ」
「それの見間違いか」
「その可能性もあるか?」
「海には付きものだろ、漂流物もな」
このことは海藻だけのことではなかった、漂っているもの全体がだった。
「だからそれじゃないのか?」
「そういえばこの前報告があったな」
別の船から同じ海域であがった報告だ。
「シーサーペントだと思ったら海藻だったとな」
「だからそれじゃないのか?」
この説を言う者はこれこそが最も現実的な予測だという顔で述べた。
「見間違いだろ」
「しかしディーダラス号は一人や二人が見たものではないぞ」
海藻、漂流物だけでなく鮫説にもかかるものだった。
「船員のかなりの数が見た、そして一人も見間違いと言っていない」
「つまり見間違いでない?」
「そうなるのか?」
「鮫とか漂流物とかで片付けるのは簡単だ」
反論者は言う。
「そして実際に見間違いも多い、しかしそれでシーサーペントの存在を否定出来るのか」
「全てが全て見間違いではないか」
「そう言うんだな」
「そうだ、それは違うだろう」
見間違いを言うのはいいが全てが見間違いとは言えないというのだ。
「まして今回は多くの船員が見て本当だと言っている」
「全員が見間違える筈もないな」
「しかも彼等は軍人だ」
このことも大きかった。
「軍人は事実を確かめて的確に報告することが義務だ」
「嘘は書かないか」
「船員全員がこうしたいことで嘘を吹聴する必要はあるのか」
この疑問も出た、そうしたことをして彼等にメリットはあるかというのだ。
「ないだろう、だからだ」
「あの報告は事実か」
「見間違いでもなく」
「そうではないか」
「しかしだ」
若しシーサーペントだったとする、だがそれでもだという意見も出た。
「だとすればあのシーサーペントは何だ?恐竜なのか?」
「いや、鯨ではないのか?」
「若しくはその深海魚か」
シーサーペントだとしても謎が残っていた、では何者かというのだ。
「あれは何だったのだ」
「シーサーペント自体が何者だ」
「恐竜なのか、それとも昔鯨類なのか」
「深海魚か」
「一体何なのか」
十九世紀のイギリスでの議論は結局答えは出なかった、現実のものだとしても。
そしてこれは今もだ、二十一世紀では世界中で議論されているがまだ答えは出ない。ディーダラス号は人類に大きな謎を残した、その謎の真実を知っているのは他ならぬシーサーペントだけだ、彼はこのことについてどう思っていたのだろうか、若しかするとそんなことはどうでもよく悠然と海を泳ぎ続けてその一生を全うしたのかも知れない、だがそれを知っているのも彼だけだ。海にいない我々にそれを知る術はない、ただ思うだけである。
変わった鯨 完
2013・3・26
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